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第28話 手首の捜査
しおりを挟むゴンゴンゴン!!!!と言うコンクリートを砕く音と、地下では作業できない分を上の階でやっているのか、コンクリを砕く音と作業員の声が階段に程近い研究室に響き渡る。
「うるさぁーーーーい!!!骨に響くぅぅぅ!!!」
「君も煩いよ、桜井君」
まだ15時半だと言うのに、柳教授がいそいそと帰り支度を始める。
「えっ!?教授逃げる気ですか!?」
「ちょっと諸用を思い出したから外に出るだけだよ」
「酷い!裏切りだ!」
「では失礼」
そう言うと颯爽と研究室から出ていく教授の後ろ姿を見送る。
くっ…定年退職している教授は自主的に来ているので勤務時間など一切関係ない。何時に来ても来なくても全く関係ない。クソっ!!思わず内心で悪態をつくも、ガンッガンッ!という音に発狂しそうになる。
「ダメだ…気が狂いそうだ…」
そんな呟きすらも手首捜索のための発掘音…いや、もはや工事音にかき消される。他の面子は良くやってられるなと、思ってみれば皆ちゃっかりイヤホンや耳栓をしている。
ノイキャンのイヤホン、今すぐ私も欲しい…。
唇を噛み締め、途中で止められない組織染色作業を続ける。
これが終わったら絶対BOSSのカフェラテ、これが終わったら絶対BOSSの甘いカフェラテ飲むんだ…。
念仏のように心の中で唱え続け、工事音を忘れようと努力するがっ…
「………ぐっ…うぐぐぐ…うるさい…むり…」
血でも吐きそうな声を出して、耐えるしかないのだった。
数時間後
染色が終わり、やったぁーーー!逃げれる!と思う頃には、辺りはすっかり夕焼け小焼け…。本日の工事も程なくして終わるのではないだろうか?
兎にも角にも!ご褒美糖分!!
そう思いながら研究室を飛び出すも、廊下に作業員と鑑識と思われる服装の方々が居て通り抜けられる雰囲気ではない。仕方なくエレベーターを使おうと、研究室横の年季の入ったエレベーターに乗り込む。
壁は剥がれて、床は黒ずみ、行き先階のボタンも所々はげている。新橋あたりの古い雑居ビルと良い勝負のボロさ具合のこのエレベータ、止まりそうで怖いと乗るたびに思う。
1階のボタンを押して、扉がガコンッ!という大袈裟な音を立てて閉まる。
「はぁ…」
束の間の静寂、目を閉じて考えるのは、BOSSのカフェラテより午後の紅茶のロイヤルミルクティーだよな、と如何でも良いことを考えながら、止まったエレベーターから降りるとそこは1階の明るい廊下ではなく、真っ暗な廊下…もしかしてB1と押し間違えた…?
「…あっ…あれっ?…」
ボタンを押し間違えたな!そうだな!よし戻ろう!と振り返るも、締め出すように扉が閉まり上へとさっさと登って行ってしまうエレベータ
「おいてかないで…」
エレベーターの扉に縋るように呟くも、聞き届けてくれることなく1階、2階と上へ上がっていく、白状者がっ!!いや、こんな事をしている場合ではない!!静まり返っているB1階、定時になったのか作業員達は帰っているようで、人っ子1人居ない。死体が埋まっていると言われ捜査が入っている立ち入り禁止のエリアに!作業員の帰った後に!私が1人ウロついて!見つかった暁には!考えずともわかる!社会的にマズイ!!
「階段、上に上がる階段」
ブツブツと呟いて、勝手知ったる廊下を迷わず進んでいく、がっ…立ち入り禁止の規制線が階段の登り口に貼りめぐらされていた。潜れなくもないけど引っ張ったら取れるかな…しかも階段の上の方から男性の話し声が聞こえている。
「作業の進捗が…」
内容的に工事の人か警察関連…今なら見つからない?いや、万が一……無理だ!出ていけるわけもない…いやでも職員だしっ……後ろめたいことはないが、余計な問題は増やしたくない。仕方なく踵を返して、早足で且つ足音を立てないように素早くエレベーターの方へと戻ると、ちょうどエレベータの扉が開き始めたのか廊下に細い灯りが漏れる。
うぉぉぉぉ!!と、さらにペースアップをして滑り込むようにエレベーターの目の前に躍り出た瞬間、視界に入ったのは白衣を着た男、そして男の方も目を見開いて
「いゃぁぁぁぁぁぁ!!!」
「出たァァァァァぁ!!!?」
いやあぁぁぁぁと叫んでいる間にしまっていく扉に、ヤバい!?と、慌てて両手を差し込んで無理やり開ければ、白衣の男性が泣きそうな声で壁際に後退り、背をぶつけて
「ちょちょちょちょ!!!来るな!来ないで!!」
「違う違う!!ここの職員ですから!生化学研究室の所属ですから!」
「あっ…あぁ…」
扉が一時停止して、再び開いた瞬間乗り込むと、階段の方からダダダッと駆け降りてくる音がする。
しまったぁ!?気付かれた!!?
慌てて、エレベータの6階を押して閉まる扉を連打する。
もはや、パニック映画か何かのようだ。
「はぁ…助かった。」
そう言って行き先階のボタン横の壁にもたれ掛かれば、奥にいた白衣の男性は
「僕は心停止するかと思いましたよ…」
と、天井を仰ぐように大きく深呼吸をしている。
「スミマセン、と言うか私も驚きましたよ…なんでB1階なんかに…」
「1階のボタンを押したつもりだったんですけど、そういう貴方は…」
「同じです…。
考え事しながら1階のボタン押したら、B1押してたみたいで、すぐさま戻ろうとしたんですけどエレベーターが上に行っちゃうし、階段は規制線がベタベタに貼られて上がれないし、上に警察の人いるし上がってったらあらぬ疑惑をかけられそうだし…はぁ…」
「それは…災難でしたね…」
「はい…。
あっ、スミマセン慌てて6階押しちゃいました。」
「あぁ、気にしないでください。
自販機寄って医局に帰ろうと思ってたんで、6階にも確かありましたよね」
「私も自販機に行こうかと思ってたんです。
確かに、今は出れないけど屋上の出入り口に2台ありましたね。
まだあったかな…。」
考えつつ、チラリと男性の方を見る。
医局と言うからには医師なのだろう。
見た目は30台前半くらいの身長はそこまで高くない。
短い黒髪がエレベータの光に照らされて、髪質の良さを物語るエンジェルリングが浮かび上がっている。
羨ましい!!
ふと、名札を見れば
消化器外科 医師 清水と書かれている。
おぉーっと!?
消化器外科さんですか!?とは言え、無粋過ぎてあの話題を振れるわけもない。
話を聞きたいのは山々だけど…。
そんなことを考えているうちに、6階の扉が開き2人してヨレヨレとエレベータお降りて廊下の突き当たりを見れば、幸いにも自販機はまだあった。
「良かった。
自販機まだ有りました。」
「ちょっと一息ついてから戻りますか…」
「ですね…」
2人してため息をつきながら、私はロイヤルミルクティーのペットボトルを、清水先生はブラックの缶コーヒーを購入して、一口飲むと「はぁ…」っと2人して、再度ため息をついた。
「あのっ…このような事をお願いするのは気が引けるんですが、みっともなく叫んだ事は他言無用でお願いできたらと…」
視線を明後日の方に逃しながら、清水が言いづらそうに口を開いた言葉に、先ほどのエレベータの絶叫と動揺が思い起こされる。
「それはお互い様と言いますか、私も叫びましたし…なりふり構わずエレベーターに乗り込みましたし…」
「確かに、アレはパニック映画を抱負っとさせる状況、エレベータのくだりを見る度に今日の事がフラッシュバックしそうだな…」
「んぐっ…ほんと、スミマセン…」
「今更ですけど、消化器外科の清水と言います。」
「あっ、こちらこそ
生化学研究室の桜井と申します。」
「生化学研究室って事は、牧先生が教授ですか?」
「あれ、ご存知なんですか?」
「僕が学生の時はまだ講師でしたけどね。
過去問通用しない先生だったんで、試験の時は辛かったな…」
「あぁー、学生さん過去問作成に注ぐ熱意すごいですよね」
「他の分野はわかりませんが、医学部の定期試験の範囲は広大ですから、頼りたくもなります。」
そんな取り止めもない話をしていると、少し遠いがタンタンタンと誰かが階段登ってくる音がする。何の気なしに見た先ほど乗ってきたエレベーターも、3階、4階と上昇してくる。もしかして、地下の騒ぎを調べにきたり?飲み切らないミルクティーのキャップを閉めると、白衣のポケットに押し込む。撤退の様子を悟ったのか、清水先生も缶コーヒーを飲み干す。
「そろそろ私は失礼します。
先生も早く撤退した方が良いですよ」
ゴミ箱へ向かう清水に挨拶をすると、なんで?と言う顔をしながらも「分かりました」と言って清水が軽く会釈するのを見届けると、そそくさと階段を駆け降りた。
一息ついたし、医局に戻るか…。事務に書類届けに来ただけなのに、とんでもない目にあった。そんな事を清水が考えながら缶をゴミ箱に捨てて振り返ると同時に、エレベーターのドアが開いて50代位のスーツ姿の男が出てくる。
6階は会議室や多目的室として、50人ほどが座れる広さの教室が数部屋ある。何か会議でもあるんだろうか?と、呑気に考えていると階段からも自分とさして年齢の変わらなさそうな男が上がってくる。どうにも、うちの大学の関係者っぽくない…不審に思ったが捜査に入ってる警察か…と、すぐさま思い当たる。
「お疲れ様です先生、私、刑事の曾根と申しまして、ちょっとお話よろしいでしょうか?」
階段から登ってきた若い男が、警察手帳を見せながらこちらへ歩み寄ってくる。
先ほどの「早めに撤退」の意味をようやく理解する。おそらく、地下一階であげた悲鳴の件だろうな…桜井さん気付いてたなら言ってくれよ…。
「あぁー、はい。
何でしょか?」
「先生、緊張されてますか?」
50代くらいの白髪混じりの男が、皮肉るような顔をしてこちらに問う
「油を売っているのを見つかったので、気まずい気持ちでいっぱいなだけですよ…。」
「あはは、イヤイヤ、外科の先生がお忙しい事は医療に疎い僕らでも想像に難く有りませんから、ただ。先ほど地下一階にいらっしゃりましたか?と、お聞きしたいだけですので」
「あぁ、やっぱり聞こえてましたか…。
みっともない悲鳴をあげてしまいましてお恥ずかしい…。
2階の人事課に書類を届けて1階に戻ろうとしたんですが、地下1階のボタンを押し間違えまして、開いたら真っ暗だし、地下は例の心霊スポットだしで、不意打ちで叫けんでしまいました。」
「ほらー、前田さんやっぱりそうじゃないですか、やましいことしようとする人間がでかい声上げるわけ無いですよ」
「まぁー、そうなんだが…。
申し訳ありません先生、なんだか妙に引っかかりまして…」
その言葉に、桜井の存在が過ぎる。大した事ではないと無意識に庇ったが、既に階段で刑事と会って彼女も話を聞かれているかもしれない。辻褄が合わないか…と、焦るが
「署に戻りますよ前田さん、先生もご協力ありがとうございました。」
そう言って、曾根が頭を下げると「うーん」っと唸っている前田の背を押して、エレベーターへと戻っていく。
この2人は沼田先生の担当刑事とは別だが、何かその後の話を聞けるかもしれない。と、咄嗟に思い呼び止める。
「あの…刑事さん、沼田先生の事件で進展はありましたか?
僕みたいな一介の人間に話せる事は少ないとは思うのですが…。」
そう問えば、前田がこちらを振り返る。まるで何かを探るような目に一瞬ドキリとするが、や悪しいことなんて何もない。堂々と、前田の目を見据える。
「…残念ながら我々は担当ではありませんので、詳しい進捗状況は分かりかねますが、着実に真相へは近づいている。と言うことは言えます。
また先生方にも聴取をお願いするかもしれませんので、その際はよろしくおねがします。」
「こちらこそ、引き続きよろしくお願いいたします。」
そう言って頭を下げると曾根が軽く会釈をして、やって来たエレベーターに前田を押し込んで去っていった。
すっかり日が落ちて暗くなった外を眺める。
「沼田先生…」
小さく呟いた言葉は、冷気を纏い始めた廊下へと静かに消えていった。
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