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第2章
37 大事な話
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「どうして黙っていた?」
責めるような口調だったのでエステルは少し驚いた。レクスはずっとエステルに優しくしてくれていたので、こういうふうに接されるのに慣れていないのだ。
それにどうして黙っていたことを責められるのか分からない。何故怒っているのだろう。
「……レクス殿下たちに余計な心配をおかけしたくないと思ったのです」
そう答えると、レクスは不満そうに眉根を寄せ、唇を引き結んだ。
「申し訳ございません」
沈黙に耐えきれずに、エステルはとりあえず謝ってみた。レクスは信用されてないと思って怒っているのかもしれない。
「殿下が信用できなくて話さなかったという訳では決してありません。ただご迷惑を――」
「いいんだ、分かっている。謝る必要はない。むしろ謝らなくてはいけないのは私の方だ」
レクスはそこで申し訳なさそうに眉を下げると、静かに言う。
「『レクス殿下に近づくな』というようなことを教科書に落書きされていたと聞いた。つまり君が嫌がらせを受けていたのは、私がエステルに近づいたせいだ。自分の立場を顧みず、仲良くしようとしてしまった」
立場を弁えなかったのは自分の方だとエステルは言いたくなったが、レクスは悲しげに続けた。
「王族や貴族は、庶民とあまり仲良くしないほうが良いのかもしれない。それは庶民を守るためにだ。差別なんてするつもりはないが、区別はするべきなのかもしれないと思う」
その言葉を聞いてエステルも悲しくなる。王族と庶民とではやはり友人にもなれないのだろうか。
「レクス殿下……」
そこで寮に到着した馬車は止まり、御者が外から扉を開けた。
レクスはエステルと目を合わせずに言う。
「とりあえず、気分の悪い落書きを目にしなくていいように教科書は新しいものを用意しよう。明日から何かあれば教師にすぐ訴えること。教師には私からエステルがいじめられていることを伝えて、対策するよう強く言っておく」
「はい……。あの、ありがとうございます……」
忙しいであろうレクスの時間を奪うのも申し訳ないので、会話が終わるとエステルはナトナを連れてそっと馬車から降りた。
「失礼します」
降りた後、振り返って頭を下げると、レクスは馬車の中で静かに頷いた。いつもなら「ああ、また明日」とほほ笑みを返してくれそうだが、今日はそうではなかった。ある意味王子らしい態度だ。
「何だか寂しいわ。でも今まで殿下の優しさに甘え過ぎていたのよね」
エステルはナトナに話しかけるようにして独り言を言った。『明日から何かあれば教師に』、ではなく『私に』と言ってほしかったと思う自分も、図々し過ぎるとエステルは思う。
もうレクスとは以前のように付き合えないのかと思うと、悲しくて胸が潰れそうになった。
「殿下が私と同じ庶民だったら、どんなに良かったかしら」
次の日は特に何事もなく過ぎたが、やはりレクスの態度だけが少し冷たかった。無視をされるわけではないし、話しかければ丁寧に言葉を返してくれるが、あまり目を合わせてくれないし笑顔を見せてくれることもなかった。
それはまるで、特に興味のないただの顔見知りに対する態度だ。
(実際、レクス殿下の私に対する印象ってそんなものなのだろうけど……)
夜になって、エステルは眠りにつく前にぐるぐると考えた。
一緒に食堂で昼食をとった時もリシェたちは以前と変わらず親しくしてくれたが、レクスとの距離だけが離れてしまったように感じる。
(昨日の殿下の言葉を信じるなら、私のためを思って距離を置いてくださっているのよね。私が殿下に気に入られていると考えた生徒たちが嫉妬して、嫌がらせをしてこないように)
一緒にベッドに入ったナトナは枕元ですでにスピスピと寝息を立てている。悩みがないのは羨ましいことだ。
(でも私が迷惑ばかりかけるから、それでうんざりされたのかもしれない。誘拐されかけて、学園ではいじめられて、義家族の事件でも面倒をかけて、トラブルばかり起こすって)
それはどれもエステルのせいではなかったが、卑屈にならずにいられなかった。
(レクス殿下はもう私に話しかけてほしくないのかもしれない。こちらからも距離を取った方が、殿下もきっと安堵なさるかも)
レクスと会話をすることができなくなるなんてエステルにとっては絶望でしかなかったが、レクスの気持ちを考えるとそうするしかない。
そう思って、あまり眠れないまま寂しい夜を過ごしたのだった。
翌日。今日はレクスにあまり話しかけないぞ、とエステルは決意して授業を受けていたが、昼になると食堂でレクスからこんなことを言われた。
「エステル、今日の放課後時間をくれないか? 竜舎の掃除は他の者に手伝わせるから」
「え? はい、何でしょう……?」
レクスから話しかけられることはもうないと思っていたので、意表を突かれたエステルはぽかんとしながら返事をする。
レクスは他人行儀な態度だったものの、まだ会話をしてくれることが嬉しかった。
「話があるんだ。授業が終わったら玄関まで来てほしい」
しかしそれだけ答えてレクスは食堂を後にしてしまったので、今度は急に不安になってくる。
(『もう君とは顔すら合わせたくない。学園をやめてくれ』とかそういうお話かしら?)
エステルはまだ食べている途中だったので、フォークを持ちながら顔を青くする。ただの顔見知り程度の関係さえも解消したいという、別れ話のようなものをされるのかもしれない。
「大丈夫よ、悪い話じゃないから!」
「ああ、良い話……だと思うよ」
エステルの様子に気づいたリシェが明るく言い、ルノーもくすりと笑って口を開いた。二人の言葉に少し励まされたものの、エステルは放課後まで緊張して過ごすことになったのだった。
そうして授業が終わると、エステルは帰り支度をして玄関に向かう。悪い話ではないと言うが、不安はあるのであまり行きたくはなかった。とはいえレクスを待たせるわけにもいかないので小走りで急ぐ。
玄関を出るとレクスはまだおらず、エステルはホッと息をつく。他の生徒たちも帰路につき始めていて、馬車の乗り場には立派な紋章がついた美しい馬車がいくつか並んでいた。
しばらく玄関で待っていると、やがてレクスが友人たちとやってきた。リシェにルイザ、ルノーにバルトのいつものメンバーだ。
「じゃあ行こうか」
そう声をかけてきたのはルノーで、エステルはちょっと戸惑った。
「あれ? レクス殿下は……」
「レクスも一緒だよ」
ルノーに促されて、レクスも含めた三人でフェルトゥー家の馬車に乗り込む。その時に一緒に馬車に入ってきたナトナは、ソファーに飛び乗ると同時に姿を現した。
「また明日話を聞かせて! じゃあね」
リシェたちに見送られて馬車は出発する。訳が分からないままエステルが固まっていると、隣に座っていたルノーがその様子を見てほほ笑んだ。相変わらず色気のある柔らかい笑い方をする人だ。
一方、エステルの斜め前に座っているレクスは小窓の外を無表情で眺めている。これからどこに行くのか、どんな話をするのか聞きたかったが、声をかけるのはためらってしまう。
「ナトナ」
向かいの席に腰を下ろしていたナトナを思わず呼んで自分の膝に乗せ、もふもふの毛を撫でることで緊張を紛らわせようとした。
と、そこでルノーが助け舟を出してくれる。
「レクス、エステルに少しは説明してあげたら? 詳しくはうちに着いてから話すとしてもさ」
「ああ……。せっかくだからルノーから頼む」
レクスはエステルと目を合わせず、ルノーだけを見て言う。そういう態度を取られると胸がジクジクと痛んだ。
ルノーは「分かった」と言ってエステルに向き直ると、優しい表情を浮かべて言う。
「君は僕の妹になるんだ」
言葉がスッと頭に入ってこず、エステルは小首を傾げて数秒考えた。しかしそれでも分からなかったので、困惑しながら尋ねる。
「どういう意味でしょうか?」
これは何か貴族のジョークなのだろうかと思ったが、ルノーはにっこりほほ笑んでこう返してきた。
「そのままの意味だよ」
「説明になってない。戸惑わせてどうする」
今度はレクスが口を挟んだ。
「わざとだよ。少しからかっただけ」
「何のために」
「そう睨まないで。すぐ怒るんだから」
レクスは優しくて大人なイメージだったので、ルノーの言うようにすぐ怒る印象はなかったが、気を許した相手にはいつもこんな態度なのかもしれない。子供っぽくて素直で、ちょっと可愛いとエステルは思った。
「それであの、私が妹というのは……」
おずおずと聞くと、ルノーは今度はもう少し詳しく話してくれた。
「エステルがフェルトゥー家の養子になるということだよ」
責めるような口調だったのでエステルは少し驚いた。レクスはずっとエステルに優しくしてくれていたので、こういうふうに接されるのに慣れていないのだ。
それにどうして黙っていたことを責められるのか分からない。何故怒っているのだろう。
「……レクス殿下たちに余計な心配をおかけしたくないと思ったのです」
そう答えると、レクスは不満そうに眉根を寄せ、唇を引き結んだ。
「申し訳ございません」
沈黙に耐えきれずに、エステルはとりあえず謝ってみた。レクスは信用されてないと思って怒っているのかもしれない。
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立場を弁えなかったのは自分の方だとエステルは言いたくなったが、レクスは悲しげに続けた。
「王族や貴族は、庶民とあまり仲良くしないほうが良いのかもしれない。それは庶民を守るためにだ。差別なんてするつもりはないが、区別はするべきなのかもしれないと思う」
その言葉を聞いてエステルも悲しくなる。王族と庶民とではやはり友人にもなれないのだろうか。
「レクス殿下……」
そこで寮に到着した馬車は止まり、御者が外から扉を開けた。
レクスはエステルと目を合わせずに言う。
「とりあえず、気分の悪い落書きを目にしなくていいように教科書は新しいものを用意しよう。明日から何かあれば教師にすぐ訴えること。教師には私からエステルがいじめられていることを伝えて、対策するよう強く言っておく」
「はい……。あの、ありがとうございます……」
忙しいであろうレクスの時間を奪うのも申し訳ないので、会話が終わるとエステルはナトナを連れてそっと馬車から降りた。
「失礼します」
降りた後、振り返って頭を下げると、レクスは馬車の中で静かに頷いた。いつもなら「ああ、また明日」とほほ笑みを返してくれそうだが、今日はそうではなかった。ある意味王子らしい態度だ。
「何だか寂しいわ。でも今まで殿下の優しさに甘え過ぎていたのよね」
エステルはナトナに話しかけるようにして独り言を言った。『明日から何かあれば教師に』、ではなく『私に』と言ってほしかったと思う自分も、図々し過ぎるとエステルは思う。
もうレクスとは以前のように付き合えないのかと思うと、悲しくて胸が潰れそうになった。
「殿下が私と同じ庶民だったら、どんなに良かったかしら」
次の日は特に何事もなく過ぎたが、やはりレクスの態度だけが少し冷たかった。無視をされるわけではないし、話しかければ丁寧に言葉を返してくれるが、あまり目を合わせてくれないし笑顔を見せてくれることもなかった。
それはまるで、特に興味のないただの顔見知りに対する態度だ。
(実際、レクス殿下の私に対する印象ってそんなものなのだろうけど……)
夜になって、エステルは眠りにつく前にぐるぐると考えた。
一緒に食堂で昼食をとった時もリシェたちは以前と変わらず親しくしてくれたが、レクスとの距離だけが離れてしまったように感じる。
(昨日の殿下の言葉を信じるなら、私のためを思って距離を置いてくださっているのよね。私が殿下に気に入られていると考えた生徒たちが嫉妬して、嫌がらせをしてこないように)
一緒にベッドに入ったナトナは枕元ですでにスピスピと寝息を立てている。悩みがないのは羨ましいことだ。
(でも私が迷惑ばかりかけるから、それでうんざりされたのかもしれない。誘拐されかけて、学園ではいじめられて、義家族の事件でも面倒をかけて、トラブルばかり起こすって)
それはどれもエステルのせいではなかったが、卑屈にならずにいられなかった。
(レクス殿下はもう私に話しかけてほしくないのかもしれない。こちらからも距離を取った方が、殿下もきっと安堵なさるかも)
レクスと会話をすることができなくなるなんてエステルにとっては絶望でしかなかったが、レクスの気持ちを考えるとそうするしかない。
そう思って、あまり眠れないまま寂しい夜を過ごしたのだった。
翌日。今日はレクスにあまり話しかけないぞ、とエステルは決意して授業を受けていたが、昼になると食堂でレクスからこんなことを言われた。
「エステル、今日の放課後時間をくれないか? 竜舎の掃除は他の者に手伝わせるから」
「え? はい、何でしょう……?」
レクスから話しかけられることはもうないと思っていたので、意表を突かれたエステルはぽかんとしながら返事をする。
レクスは他人行儀な態度だったものの、まだ会話をしてくれることが嬉しかった。
「話があるんだ。授業が終わったら玄関まで来てほしい」
しかしそれだけ答えてレクスは食堂を後にしてしまったので、今度は急に不安になってくる。
(『もう君とは顔すら合わせたくない。学園をやめてくれ』とかそういうお話かしら?)
エステルはまだ食べている途中だったので、フォークを持ちながら顔を青くする。ただの顔見知り程度の関係さえも解消したいという、別れ話のようなものをされるのかもしれない。
「大丈夫よ、悪い話じゃないから!」
「ああ、良い話……だと思うよ」
エステルの様子に気づいたリシェが明るく言い、ルノーもくすりと笑って口を開いた。二人の言葉に少し励まされたものの、エステルは放課後まで緊張して過ごすことになったのだった。
そうして授業が終わると、エステルは帰り支度をして玄関に向かう。悪い話ではないと言うが、不安はあるのであまり行きたくはなかった。とはいえレクスを待たせるわけにもいかないので小走りで急ぐ。
玄関を出るとレクスはまだおらず、エステルはホッと息をつく。他の生徒たちも帰路につき始めていて、馬車の乗り場には立派な紋章がついた美しい馬車がいくつか並んでいた。
しばらく玄関で待っていると、やがてレクスが友人たちとやってきた。リシェにルイザ、ルノーにバルトのいつものメンバーだ。
「じゃあ行こうか」
そう声をかけてきたのはルノーで、エステルはちょっと戸惑った。
「あれ? レクス殿下は……」
「レクスも一緒だよ」
ルノーに促されて、レクスも含めた三人でフェルトゥー家の馬車に乗り込む。その時に一緒に馬車に入ってきたナトナは、ソファーに飛び乗ると同時に姿を現した。
「また明日話を聞かせて! じゃあね」
リシェたちに見送られて馬車は出発する。訳が分からないままエステルが固まっていると、隣に座っていたルノーがその様子を見てほほ笑んだ。相変わらず色気のある柔らかい笑い方をする人だ。
一方、エステルの斜め前に座っているレクスは小窓の外を無表情で眺めている。これからどこに行くのか、どんな話をするのか聞きたかったが、声をかけるのはためらってしまう。
「ナトナ」
向かいの席に腰を下ろしていたナトナを思わず呼んで自分の膝に乗せ、もふもふの毛を撫でることで緊張を紛らわせようとした。
と、そこでルノーが助け舟を出してくれる。
「レクス、エステルに少しは説明してあげたら? 詳しくはうちに着いてから話すとしてもさ」
「ああ……。せっかくだからルノーから頼む」
レクスはエステルと目を合わせず、ルノーだけを見て言う。そういう態度を取られると胸がジクジクと痛んだ。
ルノーは「分かった」と言ってエステルに向き直ると、優しい表情を浮かべて言う。
「君は僕の妹になるんだ」
言葉がスッと頭に入ってこず、エステルは小首を傾げて数秒考えた。しかしそれでも分からなかったので、困惑しながら尋ねる。
「どういう意味でしょうか?」
これは何か貴族のジョークなのだろうかと思ったが、ルノーはにっこりほほ笑んでこう返してきた。
「そのままの意味だよ」
「説明になってない。戸惑わせてどうする」
今度はレクスが口を挟んだ。
「わざとだよ。少しからかっただけ」
「何のために」
「そう睨まないで。すぐ怒るんだから」
レクスは優しくて大人なイメージだったので、ルノーの言うようにすぐ怒る印象はなかったが、気を許した相手にはいつもこんな態度なのかもしれない。子供っぽくて素直で、ちょっと可愛いとエステルは思った。
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