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第2章
38 養子
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「よ、養子……?」
混乱し過ぎて、エステルはただ馬車に乗っているだけなのに目を回しそうになった。膝の上のナトナをぎゅっと掴んでしまったが、ナトナは気持ち良さそうに目を細めるだけだ。
「養子ってあの養子ですか……? 血の繋がらない子を引き取って、自分たちの子どもとして育てるっていう、あの?」
「それしかないよね」
ルノーは楽しそうに笑って返す。
「期待通りの反応をしてくれて嬉しいよ」
そこでレクスはルノーを軽く睨んだが、ルノーは気にしていない。
「え、な、ど、どうして……。どうして私なんかが侯爵家の養子に」
ルノーが『全部冗談だよ』と言うのを待ってみたが、にこにことこちらを見ているだけで何も言ってくれない。助けを求めるようにレクスを見れば、彼は視線をそらしたが、落ち着いた声でこう言った。
「いきなり言われて動揺するのも当然だ。だが悪い話ではないはず。フェルトゥー家に養子に入った方がエステルは幸せになれる」
確かに大貴族の子供になれるなんて庶民のエステルからすればとんでもない幸運だし、裕福な生活を送れるのも確かだ。フェルトゥー夫妻のことはこの前一度会ったから知っているし、良い人たちだと確信している。ドール家での悲惨な生活とは全く違う毎日になるだろうし、そこに不安はない。
ただ、何故自分が選ばれたのだろうかと戸惑う。
「フェルトゥー夫妻とゆっくり話をすれば不安もなくなる」
レクスはこちらを見ずにそう言った。
エステルが混乱しながら色々考えていると時間はあっという間に過ぎ、気づけば馬車はフェルトゥー家に到着していた。
「おいで」
先に降りたルノーが、エステルの方に手を差し出す。レクスの態度が他人行儀になった代わりに、ルノーとの距離が少し近くなった気がする。
素直に手を取ると、異性の体温を感じて少し恥ずかしくなった。赤くなった顔をふと上げると、ルノーの後ろにいるレクスと目が合ったが、またすぐにそらされてしまう。それを寂しく感じながら、ルノーの後ろをとぼとぼと歩く。
前にも訪れた花柄の壁紙の迎賓室に通されると、そこではすでにフェルトゥー夫妻が待っていた。
マルクスは以前と変わらず、白に近い金髪を後ろになでつけていて、穏やかにほほ笑んでエステルを迎えてくれた。顔立ちはルノーと似ていて、目元に色気がある素敵なおじ様だ。
妻のターニャはふっくらとした体型の明るい貴婦人で、今日は若草色のドレスを着ていた。宝石のついたアクセサリーもたくさんつけているが嫌味じゃない。きっと可愛いものが好きなのだろう。
ターニャはエステルたちが部屋に入ると、立ち上がって弾んだ声をあげる。
「エステル! 来てくれてありがとう! 待っていたわ」
エステルが側までやってくるのを待ちきれずに自分から駆け寄ると、ターニャはエステルをぎゅっと抱きしめた。温かくて柔らかな他人の体の感触に、何故だかとても安心する。エステルに母がいれば、小さい頃からこうやってたくさん抱きしめてもらえたのかもしれない。そう考えてちょっとだけ泣きそうになる。
「話はルノーたちから聞いた? あら? どうして泣きそうな顔をしているの? お腹が空いているのかしら? 食事を用意させましょうか」
「母さん、まぁゆっくり話そう」
早口で喋るターニャを制して、ルノーがエステルをソファーに座らせる。
「お腹が空いて泣くなんてことはないと思うけど……大丈夫かな?」
「はい、大丈夫です」
ルノーに確認されたので、エステルは心配をかけないように笑みを作って答えた。母親でもおかしくない歳の女性から抱きしめられて、ちょっと感傷的になっただけだ。
あまりこちらを見ないようにしていたはずのレクスも、確かめるようにエステルの顔を覗き込んでから自分もソファーに座る。
と、そこでルノーと契約している光の精霊であるハーキュラが姿を現し、無言でルノーの後ろに立つ。
するとそれを見たナトナも姿を見せてハーキュラに駆け寄った。
「先日ぶりだな」
姿は少年ではあるが大人っぽい口調でハーキュラが声をかけると、ナトナは嬉しそうにしっぽを振り、足に飛びついている。新しくできた精霊の友達が大好きなようだ。
マルクスと契約している花の精霊のモネも最初から部屋の窓辺にいて、日向ぼっこをしながら気持ち良さそうに眠っていた。背中に咲いている花々も、太陽の光を浴びて生き生きとしている。
精霊も揃った中、レクス、エステル、ルノーが横並びで座り、向かいのソファーにマルクスとターニャの夫婦が腰を下ろす。
「お腹が空いているならお菓子もあるわよ。育ち盛りなんだからたくさん食べなさい」
「ありがとうございます」
テーブルの中央に置かれていたクッキーの乗った大皿を、ターニャはエステルの方に押す。貴族に囲まれたこの状況でクッキーを貪る気にはなれなかったが、エステルはその厚意が嬉しくて笑顔になった。
「さて、エステル。今日はよく来てくれた」
口を開いたのはマルクスで、エステルの方を真っ直ぐ見ながら話をしてくれる。
「すでに聞いたと思うが、君を呼んだのは養子について話をしたかったからだ」
「はい」
「率直に言って、私たちはエステルを養子に迎えたいと思っている。以前一度会った時、印象も良かったしね。大人しそうだが、優しそうな子だと思ったんだよ」
「ありがとうございます。……でも、それだけで私を?」
不安を隠し切れずに尋ねる。あまり自分のことを分かってもらえていないまま養子になって、後でがっかりされたらと心配だ。
するとマルクスはにっこりほほ笑んで答える。
「急な話だし、不安に思うのも当然だ。何故自分を、と思うのもね。エステルを養子に選んだ理由はいくつかある。まず、今言ったように以前会った時の印象が良かったこと。そして二つ目の理由は、君には精霊に関する何らかの魔力特性がありそうだからだ」
マルクスはレクスをちらりと見て続ける。
「その辺りのことはレクス殿下から聞いている。どういう魔力特性なのかははっきり分からないようだが、うちは代々精霊に好かれる魔力特性を持つ者が多く生まれ、精霊と契約を交わして力を得てきた。精霊との関わりが深い一族だから、エステルのことも興味深く思ったよ。特別な才能を持つ子はぜひ受け入れたい」
自分を養子にすることでフェルトゥー家にも何かメリットがあるなら、それはエステルにとっても嬉しいことだった。何の価値もない自分をお情けで受け入れてもらうのは申し訳ないからだ。
マルクスは続ける。
「三つ目の理由は、君の学業の成績が優秀だから。意欲のある子を支援するというのも貴族の務めだと思っているからね。これからは好きなだけ勉強ができる環境を提供しよう。そして四つ目の理由はエステルが女の子だから。私たち夫婦の子供は男ばかりなんだ。ルノーと、その上に兄がいるんだよ」
長男のエリオットは今はフェルトゥーの領地にいて今日はここに来られなかったらしい。マルクスとターニャの夫妻も、基本的に領地にいることの方が多いようだ。
「女の子も育ててみたかったのよ。一緒におしゃれをしたりしたいなって、憧れていたの」
ターニャはわくわくしている様子で言う。
「そうなんですね。でも私……あまりおしゃれには自信がなくて。ご期待に添えるかどうか……」
おどおどしながらエステルが言うと、ターニャは声を上げて笑った。
「いいのよ! おしゃれな子が欲しいんじゃないんだから。ただ一緒に楽しめたらいいなと思ったの」
「とにかく、君に惹かれた理由が色々あることは分かってもらえたかな。私たちが望んでいる養子縁組だということも」
マルクスに尋ねられてエステルは小さく頷く。哀れみの気持ちだけで受け入れようとしたわけではなく、エステル自身に魅力を感じてくれたのかもしれない。
「でも……私は混血です。それに前の義家族は犯罪を犯していますし、私は犯罪者の子で……。そのことで何かフェルトゥー家の皆さんにご迷惑をおかけしないか心配です」
「そんなことは関係ない」
即座にそう言ったのは、レクスだった。思わず口を挟んだといった様子ですぐに黙ったが、それを見たマルクスはレクスに向かってほほ笑みを浮かべ、そしてエステルに向き直って話し出す。
「殿下のおっしゃる通りだ。人の血が混じっていることは問題にはならないし、誰にも問題にさせない。そして前の家族が犯罪を犯したことについてはエステルは全く関係がないのだから、気にすることはない。心配いらないよ」
「僕たちも気にしていないしね」
「そうよ。そんなことを不安に思う必要はないわ」
ルノーとターニャもマルクスに同意してそう言ってくれた。
「あ、ありがとうございます……」
優しい人ばかりでエステルは面食らい、おどおどしてしまう。ドール家の人たちの冷たい対応に慣れているので、こんなふうに温かい言葉をかけられるとどうしていいか分からなくなる。
自分を受け入れてもらえる嬉しさも相まって挙動不審になり、照れて赤い顔をしながら落ち着きなく指先を動かす。そしてそんな様子をルノーたちに温かく見守られた。
マルクスも目を細めた後、エステルに言う。
「ちなみにね、エステルを養子に、という提案をしてくれたのはレクス殿下だよ」
「侯爵、それは言わない約束で……」
レクスが口を挟んだが、マルクスはそれを穏やかに制して続けた。
「いや、言っておいた方がいいでしょう。後々エステルがどこかからそれを聞いて、自分を養子にしたのは殿下に言われたからで、打算的な考えからだったんだと勘違いされては困りますから」
そう言われるとレクスは黙った。一方でエステルは驚いて目を丸くする。
「レクス殿下が……?」
どうして、と尋ねたかったが、マルクスが話を続けたのでそちらに視線を戻した。
「色々理由を連ねたが、結局最初に言ったことが全てだ。君が良い子そうだったから、うちに迎え入れたいと思った。直感のようなものだよ。たとえどんなに素晴らしい魔力特性を持っていても、レクス殿下からの頼みでも、『この子を娘にしたい』と思わなければ養子にはしなかった。私たちはエステル自身に惹かれたんだ」
続けて、ターニャもにっこり笑って言う。
「殿下からエステルを養子にどうかと言われた時、なんて素晴らしい提案をしてくださったのかしらと思ったわ。どうして私は自分からそれを言い出さなかったのかしらって。夫も言ったように、以前会った時、こんな子が娘だったらいいなと密かに思っていたのよ。たくさん会話をしたわけではなかったけれど、控えめで可愛らしいあなたに一目惚れしたの」
強烈な一目惚れをした経験のあるエステルだから、ターニャの気持ちは分かった。本当に直感のようなものでエステルを気に入ってくれたのだろう。
エステルが「この人たちが親だったら」と思っていた時、フェルトゥー夫妻も「この子が娘だったら」と考えていたらしい。
彼らはエステルを憐れんで養子にしようとしているわけでも、打算的な考えだけで動いているわけでもない。
ただエステルに好感を持って、家族にしようとしてくれているのだ。
そう理解すると、エステルの手は感動で震え出した。全身に鳥肌が立って、体が高揚して脈が早くなる。
「こんな……」
喜びが体を突き抜けて、嬉しくなって叫びたくなるのを何とかこらえる。感情を素直に出すのは怖かった。
けれど抑えきれない希望と喜びが、涙になって静かに頬を伝っていく。
「こんな私が……幸せになっていいのでしょうか? 混血で、髪や目の色も変だし、こんな私が誰かに受け入れてもらえるなんて……」
エステルは震える声で言った。急に泣き出したせいでみんなを驚かせてしまっている。
ナトナはエステルの膝に飛び乗って『大丈夫?』と言うように顔を覗き込み、ハーキュラは静かにこちらを見つめ、モネも何かを感じ取ったのか目を覚ましてのっそりと顔を上げた。精霊もみんな心配してくれているように感じる。
「申し訳ありません、泣いてしまって……。でも私に家族ができるなんて……」
ドール家も義理の家族ではあったが、本当の家族とは思っていなかった。でもフェルトゥー家のことは心から家族だと言えそうな予感がする。
エステルは星のようにきらめく金色の瞳で、正面に座っているマルクスとターニャを見つめる。
「こんな幸せ、いいのでしょうか?」
「もちろん、いいんだよ」
エステルの肩に手をかけて力強く言ったのは、隣りに座っていたレクスだ。今はしっかりと薄いブルーの瞳をこちらに向けている。
「混血も外見も関係なく、誰にだって幸せになる権利がある。エステルは幸せになっていいし、なるべきだ。大丈夫だよ」
レクスに優しく、けれど力強く言われると大丈夫だと思えてきた。不安がスッと消えていくような気がする。
「ああ、エステル……!」
そこでターニャがテーブルを回り込んでこちらに駆け寄ってきて、座っているエステルをナトナごと抱きしめた。
「どうして幸せになっちゃいけないなんて思うの? いいえ、分かってる。きっとこれまでの人生で周りからそう言われてきたのね。だけどそんな言葉はもう忘れて。これからは幸せになりましょう。あなたはもう私の娘よ」
「はい……!」
ターニャの体は温かくて柔らかくて、良い匂いがした。抱きしめられると全身の緊張が解けるように余分な力が抜けて、ホッとする。
泣いてしまったのは恥ずかしかったが、養子についての話し合いを終わらせると、エステルは幸せな気持ちになりながらフェルトゥー家を後にしたのだった。
帰りはレクスが馬車でエステルを寮まで送ってくれた。最近レクスと距離を感じていることもあって、ナトナもいるとはいえ二人きりは気まずかったし、実際レクスは必要最低限しか会話をする気はないようだった。
馬車が走る音だけが響き、それ以外は沈黙が続く中、エステルは隣りに座っているレクスをちらりと見た。小窓の外の流れる街並みをつまらなさそうに眺めている。
「あの、レクス殿下……」
「どうした?」
意を決して話しかけると、レクスはこちらに顔を向けてくれた。それだけで少し安堵する。
「私を養子にって、侯爵夫妻に言ってくださってありがとうございます。殿下のおかげで、私にはもったいない素敵な家族ができそうです」
「そんなことないよ」
少し笑いながらも顔を背けて言うレクスに、エステルは尋ねる。
「でもどうして私を養子にする話を侯爵夫妻に持ちかけてくださったんです?」
混乱し過ぎて、エステルはただ馬車に乗っているだけなのに目を回しそうになった。膝の上のナトナをぎゅっと掴んでしまったが、ナトナは気持ち良さそうに目を細めるだけだ。
「養子ってあの養子ですか……? 血の繋がらない子を引き取って、自分たちの子どもとして育てるっていう、あの?」
「それしかないよね」
ルノーは楽しそうに笑って返す。
「期待通りの反応をしてくれて嬉しいよ」
そこでレクスはルノーを軽く睨んだが、ルノーは気にしていない。
「え、な、ど、どうして……。どうして私なんかが侯爵家の養子に」
ルノーが『全部冗談だよ』と言うのを待ってみたが、にこにことこちらを見ているだけで何も言ってくれない。助けを求めるようにレクスを見れば、彼は視線をそらしたが、落ち着いた声でこう言った。
「いきなり言われて動揺するのも当然だ。だが悪い話ではないはず。フェルトゥー家に養子に入った方がエステルは幸せになれる」
確かに大貴族の子供になれるなんて庶民のエステルからすればとんでもない幸運だし、裕福な生活を送れるのも確かだ。フェルトゥー夫妻のことはこの前一度会ったから知っているし、良い人たちだと確信している。ドール家での悲惨な生活とは全く違う毎日になるだろうし、そこに不安はない。
ただ、何故自分が選ばれたのだろうかと戸惑う。
「フェルトゥー夫妻とゆっくり話をすれば不安もなくなる」
レクスはこちらを見ずにそう言った。
エステルが混乱しながら色々考えていると時間はあっという間に過ぎ、気づけば馬車はフェルトゥー家に到着していた。
「おいで」
先に降りたルノーが、エステルの方に手を差し出す。レクスの態度が他人行儀になった代わりに、ルノーとの距離が少し近くなった気がする。
素直に手を取ると、異性の体温を感じて少し恥ずかしくなった。赤くなった顔をふと上げると、ルノーの後ろにいるレクスと目が合ったが、またすぐにそらされてしまう。それを寂しく感じながら、ルノーの後ろをとぼとぼと歩く。
前にも訪れた花柄の壁紙の迎賓室に通されると、そこではすでにフェルトゥー夫妻が待っていた。
マルクスは以前と変わらず、白に近い金髪を後ろになでつけていて、穏やかにほほ笑んでエステルを迎えてくれた。顔立ちはルノーと似ていて、目元に色気がある素敵なおじ様だ。
妻のターニャはふっくらとした体型の明るい貴婦人で、今日は若草色のドレスを着ていた。宝石のついたアクセサリーもたくさんつけているが嫌味じゃない。きっと可愛いものが好きなのだろう。
ターニャはエステルたちが部屋に入ると、立ち上がって弾んだ声をあげる。
「エステル! 来てくれてありがとう! 待っていたわ」
エステルが側までやってくるのを待ちきれずに自分から駆け寄ると、ターニャはエステルをぎゅっと抱きしめた。温かくて柔らかな他人の体の感触に、何故だかとても安心する。エステルに母がいれば、小さい頃からこうやってたくさん抱きしめてもらえたのかもしれない。そう考えてちょっとだけ泣きそうになる。
「話はルノーたちから聞いた? あら? どうして泣きそうな顔をしているの? お腹が空いているのかしら? 食事を用意させましょうか」
「母さん、まぁゆっくり話そう」
早口で喋るターニャを制して、ルノーがエステルをソファーに座らせる。
「お腹が空いて泣くなんてことはないと思うけど……大丈夫かな?」
「はい、大丈夫です」
ルノーに確認されたので、エステルは心配をかけないように笑みを作って答えた。母親でもおかしくない歳の女性から抱きしめられて、ちょっと感傷的になっただけだ。
あまりこちらを見ないようにしていたはずのレクスも、確かめるようにエステルの顔を覗き込んでから自分もソファーに座る。
と、そこでルノーと契約している光の精霊であるハーキュラが姿を現し、無言でルノーの後ろに立つ。
するとそれを見たナトナも姿を見せてハーキュラに駆け寄った。
「先日ぶりだな」
姿は少年ではあるが大人っぽい口調でハーキュラが声をかけると、ナトナは嬉しそうにしっぽを振り、足に飛びついている。新しくできた精霊の友達が大好きなようだ。
マルクスと契約している花の精霊のモネも最初から部屋の窓辺にいて、日向ぼっこをしながら気持ち良さそうに眠っていた。背中に咲いている花々も、太陽の光を浴びて生き生きとしている。
精霊も揃った中、レクス、エステル、ルノーが横並びで座り、向かいのソファーにマルクスとターニャの夫婦が腰を下ろす。
「お腹が空いているならお菓子もあるわよ。育ち盛りなんだからたくさん食べなさい」
「ありがとうございます」
テーブルの中央に置かれていたクッキーの乗った大皿を、ターニャはエステルの方に押す。貴族に囲まれたこの状況でクッキーを貪る気にはなれなかったが、エステルはその厚意が嬉しくて笑顔になった。
「さて、エステル。今日はよく来てくれた」
口を開いたのはマルクスで、エステルの方を真っ直ぐ見ながら話をしてくれる。
「すでに聞いたと思うが、君を呼んだのは養子について話をしたかったからだ」
「はい」
「率直に言って、私たちはエステルを養子に迎えたいと思っている。以前一度会った時、印象も良かったしね。大人しそうだが、優しそうな子だと思ったんだよ」
「ありがとうございます。……でも、それだけで私を?」
不安を隠し切れずに尋ねる。あまり自分のことを分かってもらえていないまま養子になって、後でがっかりされたらと心配だ。
するとマルクスはにっこりほほ笑んで答える。
「急な話だし、不安に思うのも当然だ。何故自分を、と思うのもね。エステルを養子に選んだ理由はいくつかある。まず、今言ったように以前会った時の印象が良かったこと。そして二つ目の理由は、君には精霊に関する何らかの魔力特性がありそうだからだ」
マルクスはレクスをちらりと見て続ける。
「その辺りのことはレクス殿下から聞いている。どういう魔力特性なのかははっきり分からないようだが、うちは代々精霊に好かれる魔力特性を持つ者が多く生まれ、精霊と契約を交わして力を得てきた。精霊との関わりが深い一族だから、エステルのことも興味深く思ったよ。特別な才能を持つ子はぜひ受け入れたい」
自分を養子にすることでフェルトゥー家にも何かメリットがあるなら、それはエステルにとっても嬉しいことだった。何の価値もない自分をお情けで受け入れてもらうのは申し訳ないからだ。
マルクスは続ける。
「三つ目の理由は、君の学業の成績が優秀だから。意欲のある子を支援するというのも貴族の務めだと思っているからね。これからは好きなだけ勉強ができる環境を提供しよう。そして四つ目の理由はエステルが女の子だから。私たち夫婦の子供は男ばかりなんだ。ルノーと、その上に兄がいるんだよ」
長男のエリオットは今はフェルトゥーの領地にいて今日はここに来られなかったらしい。マルクスとターニャの夫妻も、基本的に領地にいることの方が多いようだ。
「女の子も育ててみたかったのよ。一緒におしゃれをしたりしたいなって、憧れていたの」
ターニャはわくわくしている様子で言う。
「そうなんですね。でも私……あまりおしゃれには自信がなくて。ご期待に添えるかどうか……」
おどおどしながらエステルが言うと、ターニャは声を上げて笑った。
「いいのよ! おしゃれな子が欲しいんじゃないんだから。ただ一緒に楽しめたらいいなと思ったの」
「とにかく、君に惹かれた理由が色々あることは分かってもらえたかな。私たちが望んでいる養子縁組だということも」
マルクスに尋ねられてエステルは小さく頷く。哀れみの気持ちだけで受け入れようとしたわけではなく、エステル自身に魅力を感じてくれたのかもしれない。
「でも……私は混血です。それに前の義家族は犯罪を犯していますし、私は犯罪者の子で……。そのことで何かフェルトゥー家の皆さんにご迷惑をおかけしないか心配です」
「そんなことは関係ない」
即座にそう言ったのは、レクスだった。思わず口を挟んだといった様子ですぐに黙ったが、それを見たマルクスはレクスに向かってほほ笑みを浮かべ、そしてエステルに向き直って話し出す。
「殿下のおっしゃる通りだ。人の血が混じっていることは問題にはならないし、誰にも問題にさせない。そして前の家族が犯罪を犯したことについてはエステルは全く関係がないのだから、気にすることはない。心配いらないよ」
「僕たちも気にしていないしね」
「そうよ。そんなことを不安に思う必要はないわ」
ルノーとターニャもマルクスに同意してそう言ってくれた。
「あ、ありがとうございます……」
優しい人ばかりでエステルは面食らい、おどおどしてしまう。ドール家の人たちの冷たい対応に慣れているので、こんなふうに温かい言葉をかけられるとどうしていいか分からなくなる。
自分を受け入れてもらえる嬉しさも相まって挙動不審になり、照れて赤い顔をしながら落ち着きなく指先を動かす。そしてそんな様子をルノーたちに温かく見守られた。
マルクスも目を細めた後、エステルに言う。
「ちなみにね、エステルを養子に、という提案をしてくれたのはレクス殿下だよ」
「侯爵、それは言わない約束で……」
レクスが口を挟んだが、マルクスはそれを穏やかに制して続けた。
「いや、言っておいた方がいいでしょう。後々エステルがどこかからそれを聞いて、自分を養子にしたのは殿下に言われたからで、打算的な考えからだったんだと勘違いされては困りますから」
そう言われるとレクスは黙った。一方でエステルは驚いて目を丸くする。
「レクス殿下が……?」
どうして、と尋ねたかったが、マルクスが話を続けたのでそちらに視線を戻した。
「色々理由を連ねたが、結局最初に言ったことが全てだ。君が良い子そうだったから、うちに迎え入れたいと思った。直感のようなものだよ。たとえどんなに素晴らしい魔力特性を持っていても、レクス殿下からの頼みでも、『この子を娘にしたい』と思わなければ養子にはしなかった。私たちはエステル自身に惹かれたんだ」
続けて、ターニャもにっこり笑って言う。
「殿下からエステルを養子にどうかと言われた時、なんて素晴らしい提案をしてくださったのかしらと思ったわ。どうして私は自分からそれを言い出さなかったのかしらって。夫も言ったように、以前会った時、こんな子が娘だったらいいなと密かに思っていたのよ。たくさん会話をしたわけではなかったけれど、控えめで可愛らしいあなたに一目惚れしたの」
強烈な一目惚れをした経験のあるエステルだから、ターニャの気持ちは分かった。本当に直感のようなものでエステルを気に入ってくれたのだろう。
エステルが「この人たちが親だったら」と思っていた時、フェルトゥー夫妻も「この子が娘だったら」と考えていたらしい。
彼らはエステルを憐れんで養子にしようとしているわけでも、打算的な考えだけで動いているわけでもない。
ただエステルに好感を持って、家族にしようとしてくれているのだ。
そう理解すると、エステルの手は感動で震え出した。全身に鳥肌が立って、体が高揚して脈が早くなる。
「こんな……」
喜びが体を突き抜けて、嬉しくなって叫びたくなるのを何とかこらえる。感情を素直に出すのは怖かった。
けれど抑えきれない希望と喜びが、涙になって静かに頬を伝っていく。
「こんな私が……幸せになっていいのでしょうか? 混血で、髪や目の色も変だし、こんな私が誰かに受け入れてもらえるなんて……」
エステルは震える声で言った。急に泣き出したせいでみんなを驚かせてしまっている。
ナトナはエステルの膝に飛び乗って『大丈夫?』と言うように顔を覗き込み、ハーキュラは静かにこちらを見つめ、モネも何かを感じ取ったのか目を覚ましてのっそりと顔を上げた。精霊もみんな心配してくれているように感じる。
「申し訳ありません、泣いてしまって……。でも私に家族ができるなんて……」
ドール家も義理の家族ではあったが、本当の家族とは思っていなかった。でもフェルトゥー家のことは心から家族だと言えそうな予感がする。
エステルは星のようにきらめく金色の瞳で、正面に座っているマルクスとターニャを見つめる。
「こんな幸せ、いいのでしょうか?」
「もちろん、いいんだよ」
エステルの肩に手をかけて力強く言ったのは、隣りに座っていたレクスだ。今はしっかりと薄いブルーの瞳をこちらに向けている。
「混血も外見も関係なく、誰にだって幸せになる権利がある。エステルは幸せになっていいし、なるべきだ。大丈夫だよ」
レクスに優しく、けれど力強く言われると大丈夫だと思えてきた。不安がスッと消えていくような気がする。
「ああ、エステル……!」
そこでターニャがテーブルを回り込んでこちらに駆け寄ってきて、座っているエステルをナトナごと抱きしめた。
「どうして幸せになっちゃいけないなんて思うの? いいえ、分かってる。きっとこれまでの人生で周りからそう言われてきたのね。だけどそんな言葉はもう忘れて。これからは幸せになりましょう。あなたはもう私の娘よ」
「はい……!」
ターニャの体は温かくて柔らかくて、良い匂いがした。抱きしめられると全身の緊張が解けるように余分な力が抜けて、ホッとする。
泣いてしまったのは恥ずかしかったが、養子についての話し合いを終わらせると、エステルは幸せな気持ちになりながらフェルトゥー家を後にしたのだった。
帰りはレクスが馬車でエステルを寮まで送ってくれた。最近レクスと距離を感じていることもあって、ナトナもいるとはいえ二人きりは気まずかったし、実際レクスは必要最低限しか会話をする気はないようだった。
馬車が走る音だけが響き、それ以外は沈黙が続く中、エステルは隣りに座っているレクスをちらりと見た。小窓の外の流れる街並みをつまらなさそうに眺めている。
「あの、レクス殿下……」
「どうした?」
意を決して話しかけると、レクスはこちらに顔を向けてくれた。それだけで少し安堵する。
「私を養子にって、侯爵夫妻に言ってくださってありがとうございます。殿下のおかげで、私にはもったいない素敵な家族ができそうです」
「そんなことないよ」
少し笑いながらも顔を背けて言うレクスに、エステルは尋ねる。
「でもどうして私を養子にする話を侯爵夫妻に持ちかけてくださったんです?」
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