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田舎の村(1)

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 ポルティカの騎士たちから渡された地図を頼りに、アイラたちは順調に旅を進めてマドーラに入った。
 遠回りしたり地元の人間しか知らないような道を進んだおかげで、王都の騎士に出くわすこともなかった。

 マドーラに入った直後には山も越えなければならなかったが、標高も低く山道もある程度整備された比較的歩きやすい山だった。
 とはいえいくつか足場の悪い場所もあり、アイラは時おり息を切らせながら前に進んだ。急な坂では荷物を載せた母馬や子馬をアイラの力で浮かせて運べたが、アイラは自分自身を浮かせて移動させるのは苦手だった。いまいちバランスが取れずに上手くできないので、自力で進むしかなかったのだ。

 そうして山越えがほぼ終わったところで、アイラは足をもつれさせて転んでしまった。山登りの疲労が溜まっていたのだ。

「痛い……」

 半ズボンを履いていたため左ひざを擦りむいたアイラは、そのまま地面に座り込んでしまった。

「大丈夫ですか? 見せてください」

 ルルがすぐに怪我の状態を確認する。血は出ているが、軽く転んだだけなので大したことはない。今は痛むだろうが、このまま放っておいてもすぐに血は固まってくる。

「擦りむいただけですね。布を当てておく必要もないと思いますが……立てますか?」
「立てないぃ……」

 アイラは血を見て弱気になり、ポロポロと涙をこぼしながら言う。

「血がいっぱい出てる……。もう歩けないかもしれない」
「泣かなくても……」

 ルルは呆れながらも、痛がるアイラを可哀想に思って背中を撫でる。
 アイラは普段は偉そうにしているし魔力もあって誰よりも強いが、弱点も多い。特に怪我や病気には弱く、ちょっと体調が悪いだけで死ぬのではないかと心配し始めるのだ。
 生まれてからずっと安全で清潔な城で生活してきて、怪我や病気にかかることがほとんどなかったため、過度に不安になるらしい。

「痛い……」

 しくしく泣いているアイラを心配してか、馬たちもこちらに近寄ってきた。
 ルルはアイラの膝から垂れた血を布で拭い、「大丈夫ですよ。ただの擦り傷ですから」と励ます。放っておいても治る傷だが、アイラの不安が少しでも和らぐようにと消毒して布を当て、包帯を巻いた。
 消毒をするとアイラはかなり痛がって、何だかんだでアイラに甘いルルは心を痛めた。アイラでなかったら「大げさに泣き喚くな」と消毒液を怪我にぶちまけていたところだが、アイラなのでこれ以上なく優しく消毒した。

 包帯を巻き、出血部分が直接見えなくなるとアイラは少し元気になった。怪我の状態は変わらないのだが、包帯を巻くと少し治ったような気になるらしい。
 それで何とか立ち上がって、左足を引きずりながら山の裾野を進んだ。歩くペースはかなり落ちてしまったが、日が暮れるまでには遠くに見えている集落に着くだろう。

「あそこがおそらくムスト村ですね。今晩は久しぶりに野宿しなくて済みそうです。ポルティカを出て今日で六日目ですから、予定通りのペースで来られました」

 前方に広がるムスト村は思ったより大きかったが、レンガと木でできた小さな家々が並ぶ、のんびりとした印象の村だった。
 村の東側には小川が流れており、水車小屋が見える。一方西側には樫の木の森が広がっているが、これもそれほど大きくはない。
 ルルは足を引きずるアイラを支えて歩きながら言う。

「設定を確認しておきましょう。ポルティカの騎士は、我々をポルティカ伯爵の知り合いということにしてムストの住人に話をつけていると言っていました。ですから、そうですね……我々はポルティカ伯爵の遠い親戚で地方の弱小貴族の生まれですが、今は落ちぶれて貧しい生活を送っている。親は早くに死んでいて、親の残した借金から逃れて各地を転々としている兄弟、ということにしましょう」
「覚えられるかな」
「これくらい覚えてくださいよ」

 アイラはきっとムスト村でも偉そうな態度を取るので、『親を亡くしたショックでおかしくなって自分を王子と思い込んでいる』という既存の設定も使うことになるだろう。
 アイラは話を変えると、うんざりした様子で言う。

「とにかく村に着いたらお風呂に入りたい。ポルティカを出てからずっと野宿でお風呂に入ってないなんて自分でも信じられない。不潔だ」

 旅の途中、川で足を洗ったり、水で濡らしたタオルで体を拭いたりしただけなのでちゃんとしたお風呂には入っていなかった。
 ルルは魔法で黒くしたアイラの髪を触りながら、フッと笑って返す。

「でもそのおかげで良い感じに薄汚れて、設定通りの落ちぶれた感が出てますよ」
「失礼だな」
「私もお風呂には入りたいですが、おそらくあの村にアイラの想像するような立派な浴場はないと思いますよ。まぁポルティカの騎士がお金を渡してくれているみたいですし、お湯くらいは用意してもらえるでしょうけど」
「家の中で体を清潔にできれば何でもいいや」
「……アイラ、強くなりましたね」

 わがままを言わない物分かりの良いアイラに感動して、ルルはちょっぴり瞳を潤ませたのだった。

 
「着きましたよ」

 ほどなくしてムスト村に着くと、ルルは足を引きずって歩いているアイラに声をかけた。アイラは転んでから「痛い」「血を流し過ぎて死ぬかもしれない」と呟くばかりで元気をなくしている。たかが擦り傷だが、アイラにとっては重症なのだ。

「本当に田舎だな」

 アイラは足を止め、ルルに寄りかかったまま軽く周囲を見渡す。山を抜けてからここに来るまで景色はずっと変わらない。畑と、柵で囲まれた家畜の放牧場が広がっていた。

「何を飼育しているんだろう。ちょっと臭い」

 村から風に乗って匂いが漂ってきているようだった。アイラの馬たちも他の動物の気配を感じて鼻をひくつかせている。

「マドーラでは養豚が盛んだったはずです。アイラも城で気に入ってよく食べていた生ハムも作っているはずですよ」
「ああ、確かにそうだったな」

 生ハムの味を思い出し、空腹を感じながらアイラは頷いた。繊細で柔らかな塩味の中に甘みも感じるマドーラの生ハムは、グレイストーンのワイン、ポルティカの海産物などと並んでこの国の名産品だ。

 そろそろ日暮れということもあり、ルルはアイラと馬たちを待機させると、適当に家を選んで扉を叩いた。ポルティカ伯爵の知り合いがやってくるという話は村全体に伝わっていたのか、家の住人の男はルルとアイラをすぐに村長の家に連れて行ってくれた。

「馬は預かりましょうか? 小さいけど、あっちに馬小屋もありますんで……」

 村長の家に連れて行ってもらう途中で男が言う。男はポルティカ伯爵の知り合いであるアイラとルルに少し恐縮していたが、同時に戸惑っている様子もうかがえた。もしかしたら、伯爵の知り合いということでもっと貴族然とした人物がやって来ると予想していたのかもしれない。それが野宿続きで薄汚れたアイラたちが来たら戸惑うのも無理はない。

「お願いします」
「あ、ここが村長の家です」

 ルルが手綱を男に渡したところで、村長の家に着いた。男は村長にポルティカ伯爵の知り合いが来たと伝え、ルルとアイラに家の中に入るよう言うと、自分は馬たちを厩舎に連れて行った。

「お邪魔します」

 ルルは軽く頭を下げて家の中に入る。アイラは怪我のせいで弱々しくなっているので、挨拶こそしなかったが普段の尊大さは多少なりを潜めていた。
 村長の家には、村長である中年の男とその妻、そして村長の両親らしき高齢の夫婦、さらに息子二人がいた。村長は髪に白いものも混じり始めているが五十代くらいに見える。息子たちはおそらく二十代で、がっしりというほどでもないが健康的な体つきをしていて、よく日に焼けていた。髪はみんな濃い茶色だ。

「どうぞ、入ってください。話は先に来られた騎士様から簡単に聞いていますが、あなた方がポルティカ伯爵の……?」
「ええ、そうです。私はルル、弟はライアといいます」
 
 質素なリビングには自分たちで作ったと思われる四角いテーブルと椅子があり、アイラたちは勧められるまま椅子に腰かける。母親はお茶を淹れに行き、おじいさんとおばあさんは窓際の椅子に座ったままだが、村長と息子二人はアイラたちと同じテーブルに着いた。
 村長はアラドと名乗り、他の家族を紹介した後、いぶかしげにこちらを見て尋ねてくる。

「よければ、ポルティカ伯爵とどういうご関係なのか聞いても?」

 質問されることは想定内だったので、ルルは先ほど考えた設定をよどみなく話し出した。時々暗い顔をすることも忘れず、話に真実味を持たせる。
 話を聞き終えると、村長のアラドは神妙に頷いた。

「色々訳ありということですか。貴族の生まれでも生涯安泰というわけではないんですね」
「王族すら処刑される時代だからな」
「王族も貴族も、正しい行いをしていないと足元をすくわれるのさ」

 そう付け加えたのはアラドの息子たちだ。背が少し高い方が長男のベルトで、まだやんちゃさが残る顔立ちをしているのが次男のフォンク。二人とも体力がありそうな感じの田舎の青年で、ベルトの方が真面目な感じ、フォンクの方は少し軽薄な印象だった。

「やめなさい、お前たち」
「気にしてないですよ」

 息子二人に注意するアラドに、ルルが返す。

「本当のことですからね。それに爵位や地位に未練はありませんから。これからは弟と二人で平和に生きていければそれでいいのです。私たちには敬語も使わなくていいですよ」

 ルルの言葉に頷くと、アラドはこう言った。

「いやしかし、事情を聞いて納得した。二人とも顔立ちは人形のように綺麗だし、言葉遣いや所作には品がある。けれど服は汚れているし、どこかちくはぐさを感じていたんだが、そういうことだったのか」

 野宿続きだったおかげで、落ちぶれて借金取りから逃げてきた貴族の子という設定に、見た目がぴったりはまったらしい。

「とにかく、しばらくはうちに泊まればいい。良くしてやってほしいとポルティカ伯爵からお金や食料も受け取ってるしな」
「ありがとうございます」

 と、そこで息子のフォンクが勝気に笑って言う。

「王族や貴族、上にいる奴らは落ちぶれる可能性があるから大変だな。その点、庶民の俺らは上がるだけさ」

 まだ若いこともあって、フォンクは自分の可能性を信じているのだろう。
 怪我のせいで大人しかったアイラも静かに口を開いた。

「落ちぶれるのも悪いことばかりじゃないさ。上にいた時には見えないものが見えたりする」
「ふーん。ま、これからは俺たちと同じ庶民なんだから汗水流して働いて頑張れよ。お前、労働とかできるのか? 本当に男だよな?」

 馬鹿にしているというより本気で疑問に思っている様子でフォンクが尋ねてきた。アイラの華奢な体型を見てそう思ったのだろう。

「男だ」
「うん。何か偉そうだし、男だな」

 フォンクが勝手に納得したところで、ルルが話を変えてアラドにお願いをする。

「ところで、申し訳ないのですが体を洗わせてもらうことはできますか? ずっと野宿だったので汚れていて、このまま泊まらせていただくのも気が引けますし……」
「ああ、いいよ。うちには浴場というほど立派なものはないが、湯は用意できる」

 桶に湯を用意してもらって、狭い浴室に二人で入る。兄弟という設定なので別々に入ると変に思われるかもしれないと思ったのだ。

「私は後ろを向いていますから、先にアイラが体を洗ってください」

 ルルは服を着たまま浴室の隅に立つ。アイラはルルの存在を特に気にすることなく服を脱ぎ、裸になると、桶の湯をすくって体を洗う。
 王女だった時は女の使用人に全身洗ってもらっていたが、城を出てからは自分でやっている。最初はルルに手伝ってもらおうとしたが断られたのだ。

「ルル、私の石鹸どこにある? この家のやつ、あまり泡立たないし良い匂いもしない」
「そっちに置きましたよ。……あ、ちょっと! こっちに来ないでください」

 視界の端にアイラの姿がぼんやりと映ったので、ルルは気を遣って顔をそむけた。

「異性というものをもう少し意識してもらいたいのですが」
「膝にお湯がかかった! 痛いぃ!」

 悲鳴を上げながらアイラが体を洗った後、ルルと交代して無事に二人とも清潔さを取り戻すことができた。
 リビングに戻ると夕食が出来上がっていて、テーブルでは美味しそうなシチューが湯気を立てていた。豚肉と豆とトマトのシチューのようだ。

「ちょうど料理ができたわ。座って食べ……あら、どうしたの?」

 村長の妻のバーラが、テーブルに座っている家族にパンを配りつつ、アイラを見て言う。アイラの瞳は涙に濡れていて、肩を落として元気がなかった。
 グスッと鼻をすすっているアイラに代わってルルが説明する。

「転んで怪我したところを濡らしてしまって、痛がって泣いたんです」
「何だそれ」

 フォンクが笑い、アラドとベルトもつい笑みを漏らしながらおかしそうにこう言った。

「おい、そんなことで泣くな。男なんだから強くならないといけないぞ」
「貴族っていうのはよっぽど大事に育てられるんだな。メソメソするなよ。飯を食え」

 ベルトは立ち上がると、アイラの肩をポンポンと叩いた後、席へ案内した。

「だってすごく痛いんだ。転んだ時はすごく血が出たし」
「血なんて今はもう止まってるじゃないか。すぐに治るさ」
「大丈夫よ」

 バーラや高齢の両親も、アイラのことを面白い子だと言って笑いながらも、食事を勧めて励ましてくれた。
 アイラはルルと一緒に席に付きながらメニューを眺めて、半泣きのまま言う。

「生ハムはないのか? 生ハム食べたい……」

 生ハムがないとまた泣き出すんじゃないかと思ったらしいアラドは、欲張りなアイラの望みを叶えて生ハムを用意してくれた。

「ほらよ、食べな。あまり市場に出回らない部位の生ハムだ。乾燥しがちだが旨味が濃いぞ」

 肉を切り分けながらアラドは続ける。

「しかし親が死んで家が没落したとなったら、貴族の子でももうちょっと遠慮するもんじゃないのか? いや、この子は自分を王子だと思い込んでいるんだったか」

 アイラのことを面白がればいいのか同情すればいいのか迷っている様子でアラドが言うが、結局最後は生ハムを食べて喜んでいるアイラを見てまた笑っていた。
 
「やっぱり美味いな、マドーラの生ハムは」
「そりゃよかったよ」

 食事をしながらふと視線を感じてアイラは顔を上げた。テーブルに着いている村長一家はみんな、ほほ笑ましそうな顔をしてこちらを見ていたのだが、一人だけ気になる視線を向けている者がいた。フォンクだ。
 フォンクは他のみんなのように笑うでもなく、かといって不機嫌に睨むでもなく、少しぼーっとした顔でアイラを見ていたのだ。
 どういう感情がこもっているのかよく分からなかったので、アイラは無視して食事を進めたのだった。
 
 
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