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一章 蔵座敷に棲むもの
一、猫と傾国と破落戸に絡まれるぼんくら 上
しおりを挟む「お前、奢ってもらう立場が贅沢言うんじゃねぇよ」
「いやじゃあ、あっこの店じゃなきゃ意気が上がらんのじゃ!」
「莫ッ迦! あっちは反物街だろーが。仕立てなんて幾らかかるんだよ」
商店の並ぶ目抜き通りで、黒灰地に藍の矢絣がところどころに入った着流しの若い男と、ぼろぼろの麻の着物を着た女が騒いでいた。女は若くも見えたが妖艶にも見え、年齢不詳だ。
「そんなに言うならその傾国と言われる美貌とやらで、どこぞのボンを引っ掛けて来いよ」
「とやらじゃないわ! まさに傾国の美姫じゃろうが、この唐変木のこんこんちきが!」
確かにその美貌じゃ血迷う御大尽が両手両足に余るほど生産されようが、女の着物は寸足らずのずたぼろ、裾捌きなんて構わず跳ね回り、きゃんきゃん姦しい事この上ない。
楚々としていれば周囲から嫉妬と羨望の眼差しが連れの若い男に向けて渦巻こうが、現状は呆然と憐憫、時どき侮蔑といったところだ。
振る舞いはともかく、その女にその身なりは甲斐性なしと言われるのも致し方ない。
帯なんて荒縄であるし、襟はヨレヨレで豊満な乳房が今にも合せ目から踊り出そうだ。裾は白くふっくりとした脛が半分も隠れていない。
この辺りがご婦人方から頂く侮蔑の視線の所以である。
しかし、連れの男は何処吹く風で、女に誑し込みを促して呆れ顔を隠しもしない。
極上の絹糸を黒く染め上げたかのような黒髪を頭上高く団子状に巻いて、血の滴るような見事な紅玉の簪を一つ挿していた。挿しきれなかった髪は、馬の尾のように女の背まで垂れている。しゃらしゃらと髪の靡く様までが美しい。
陰間がどこぞの姫を籠絡したか、花魁がどこぞの役者に懸想したか、町民たちの興味は尽きない。
そんな好奇の視線など気にも留めず、男と女――朔と宵は大通りのど真ん中で舌戦していた。
「朔がさっさとあの下種を仕留めていれば、こんな手間なかったんじゃ。
紗の羽織はまぁ致し方ないとして、あの黒斑の紬と朱帯は気に入ってたんじゃぞ!?」
「だぁから悪かったって。代わりの買ってやるって言ってるだろ?」
「だぁかぁら! 誠意を見せろとわっちは言ってるんじゃ」
「無い袖は振れねぇって言ってるんだよ俺は!」
「ッかー!! こンの甲斐性なしめ!
わっちはそんなボンクラに育てた覚えはないわァ!」
「魍魎ん中に放り込まれた記憶しかねぇよ」
「なんじゃと、この猫不孝者ー! むつきを替えてやった恩を忘れたとは言わせぬぞ!」
「ねぇよ!」
ていっていっと宵が朔の肩を拳で殴る。いつもなら扇子か尻尾でくぬっくぬっとばかりに叩くのであるが、あいにく扇子は先の戦いで燃え尽きていたし、白昼堂々正体を晒す気は毛頭ない。
宵は折角の着物の本場、芙紫の都を訪れたのだから、ここは奮発して太物屋(木綿や麻を扱う反物屋)で仕立てたかった。ぎりぎりでも持ち合わせはあるし、幸い、前回の朔の失態があるから強請り易い。傲岸不遜、さすがの宵でも呉服屋(絹専門店)とは言えなかったらしい。
しかし朔の方は、当り前のように庶民の御用達、古着屋で探すとばかり思っていた。着物の本場なら古着屋市だってこれまでと比べ物にならない位の規模の筈であるからピンキリあるだろう。銭も、まぁ多少の負い目もあるから出来るだけ融通しようと考えていた。勿論そんなことまで宵には言わない。言ったが最後、調子付くのは目に見えている。
ちなみに宵が今着ている麻の着物は、道中で追い剥ぎが現れたので逆に追い剥いでやった物だ。(臭いだ何だと喚かれるその前に)洗濯まで朔がしてやったのだ。甲斐性無しなどと言われるのは心外だと朔は思っていたので、対応がどうにもなおざりになっている。
そんな事情を知らない傍から見れば痴話喧嘩で、見目麗しいのは眼福でもあったが、如何せん陽の下が似合わない二人でもあった。
そこに追い打ちをかけるように、場違いな闖入者たちが四方からわらわらと飛び出した。
「にゃごー! (姐さん! どうしやしたか!?)」
「にゃむー! (姐さん! お困りですか!?)」
「うな~! (あねしゃん! あねしゃん!)」
あっという間に十匹足らずの猫に囲まれ、大通りのど真ん中で異彩を放つ二人から集団へと成り上がる。
「おお、お前たち。わっちの窮地によくぞ来た。よしよし、撞米屋へ参ろうか。養蚕場の方が値が張るがここは西一の大都じゃからの、ありゃあせん。致し方あるまいて」
「同族を売るんじゃねーよ! お前たちもさっさと散れ!」
猫たちを引き連れ歩きだそうとする宵を朔は慌てて止め、しっしと手を振る。
宵が呼んでもなかなか来ないが、宵が昂ると呼んでもないのに集まってくる。朔も手慣れたものだったが、ここで止めないと本当に売られる。宵などは「どうせ気に食わんかったらさっさと抜け出してくるんじゃし」とあっけらかんと宣うが、そういう問題ではないと朔は常々思う。
「冗談じゃ。親愛の戯れ言じゃろーが。朔は無粋じゃのー」
宵はからからと笑って、猫たちの額を一匹ずつちょんと小突く。その時微々たるものの宵の妖力が猫に影響を及ぼし、ほんの僅かだが猫たちの能力が上がっている事を宵は知らない。一番小さい灰色のチビには「ういのーういのー」と言いながら頭を握り込むように、ぐりんぐりん撫で廻しご満悦だ。仔猫の首ががくんがくんしているが当人も満更ではないらしい。
「金をやるから好きなだけ見て回ってこいよ。掘り出し物が見つかるさ」
「阿呆ぅ! この都にどれだけでかい市があると思っておるのじゃ!」
「お前好きだろう、そういうの」
朔の意識は既に余暇を過ごす店を物色し始めている。
宵は渡された銭袋を握りしめ、むぅーっと口を尖らせた。反物を選ぶのは無論大好きだが、古着屋市を巡るのも大好きなのである。だが宵は一人では嫌なのである。
「良い柄の喜びや選ぶ葛藤を誰に表せばいいと言うのだ!」
宵が地団太を踏む。猫たちが朔の足に纏わりついて登ろうとし、宵に登っていた猫たちは朔に跳びかかる。あっという間に猫達磨の完成である。このままでは朔の着物まで買う破目になってしまう。
「はぁ~……。わかったから降りろ。裂ける。
とにかく飯が先だ。――お前たちにはないっ」
猫たちが嬉しそうに鳴いて跳ね回るのを一喝しておいてから、ただの問題の先送りでしかない事は重々承知の朔は、諦め半分で猫たちを引き連れ路地へ足早に歩を進める。二人が歩くそばから人混みが割れていくが、張本人たちは気付いてもいない。
二人の肩に居座った猫たちも引っ剝がし適当な路地に放り込む。
最後の猫を放り込もうとひょいと目にした先で男達に囲まれている女と目があった。男の陰になってどんな女かわからないが、縋るような視線が朔に真っ直ぐ飛び込んでくる。
しかし朔は背景の一つとばかりに視線を流して猫を放ると、足取り変わらず大通りへと向かった。半ば唖然とした女の視線が視界を掠めたが朔の知ったことではない。
猫の扱いとは大違いであった。
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