冥闇異聞 ~淫蕩猫と盆暗は楽な方へ流れたい~

景之

文字の大きさ
23 / 29
二章 神のいた町

  芙紫弥よりの勅命 下

しおりを挟む

 少女周辺の地面は濡れていてどろどろだ。橙の巫女装束にも少女の顔にも髪にも、べったりと泥が付着する。
 少女が倒れた瞬間に、五色の塊は消えた。未だビクビクと痙攣し生きている鬼熊の首を、朔は一刀で刎ね飛ばす。

「陰陽師とは珍しい」

「なんでこんなところに。要所だけ守ってるもんだとばかり思ってたぜ」

「余暇なのだろ」

「良い趣味だ」

 常人では残像を追うのがやっとであろう五色の塊を、朔の目ははっきりと捉えていた。
 あれは陰陽師が使う式神だ。式神を媒体に陰陽術を行使している。式神がおらずとも陰陽術は使えるが、陰陽術師にとって式神がいるといないとでは術の発現に雲泥の差があるらしい。
 しかも巫女装束の少女の式神は、小さいながらも細部まで人型を取っており着物も来ていた。なにより五行全てを使役できているのが素晴らしい。威力も並みの妖怪相手なら申し分ない。今回は、相手が悪かったのか、もしくは連戦があったのかもしれない。

「初っ端の水球は妖術を受けたんじゃなく、吹っ飛ばされた衝撃を吸収するためだったんだな」

「風じゃ駄目だったのかのぉ? 折角の着物がどろどろじゃあ」

 宵は泥に倒れた少女を、憐れみ半分不愉快半分で見やる。そうは言うが、自分の手を汚してまで助け起こす気はない。
 それでも流石に窒息するのは不憫に思ったのか、その長い髪を鷲掴み、ぐいっとうつ伏せから顔を横を向かせてやった。
 朔は興味を妖怪に移したようだ。

「これじゃあ折角の鬼熊が一銭にもならんな」

 せっかくの立派な獲物を……と朔は口惜しそうだ。
 鬼熊の毛は燃えて散り散り、皮は無数に切り裂かれて、挙句は引き攣れまでおこしている。

「これだけのでかさじゃ、雑魚避けくらいにはなろうが……人のにおいじゃ無意味じゃの。食肉くらいにはなるか?」

「煮えてるけどな」

「なんと。使えんな。もういいわ、行くぞ朔」

 雷で中途半端に煮えているらしい。僅かばかり流れた血も、水で流されている。これでは雑魚避けにならず、雑魚寄せになってしまう。そもそも勝者の妖怪のにおいがなくてはほとんど意味がない。いくら強者でも人のにおいでは効かないのだ。

「おっ! お待ちくださいぃぃぃっ!」

 泥の中から少女が叫んだ。
 朔と宵が一瞬だけぴくりと足を止めたがそれだけで、そのまま振り返らずに歩いていく。心持ち足早に。

芙紫弥ふしみより勅命ですぅぅぅっ!!」

 びたりと二人の足が止まった。
 芙紫弥――芙紫ふしみやこより北東に位置する、加慧山かけいざんにある陰陽師の総本山だ。そして芙紫弥の最高位は、この日廼本ひのもとを統べる天王である。
 天王は必ずしも陰陽師ではないし、政治的実権こそ削られてきているものの、唯一無二、由緒正しき日廼本の皇帝だ。
 その勅命とは。
 朔と宵はとんずらしたい気満々で、しかしここまで追ってきたならば身元はばれていると思い至り、渋々とどまった。とどまっただけで少女の元へ戻るでもなし、声を掛けるでもない。

「……あの……助けてください……」

 とうとう少女が痺れを切らして、泥の中から声を上げた。
 宵が嫌そうに鼻頭に皺を寄せ、朔は眉間に皺を寄せた。

「うううっ、だから嫌だったんですよぅ。こんな人非人にんぴにん~」

 涙で泥が多少流れたが、そんな程度で助ける気は起こらない。と言うより、そもそも助ける気が二人にはない。しかし宵は楽しそうに皺を緩め、泥に塗れる少女に声を掛けた。

「人非人とはまたあんまりな言い草じゃのぅ。泥に正面から突っ込んだ顔を、横に向けてやったのはわっちじゃえ?」

 例えば絹代なら、うわぁ……という顔を見せてくれただろうが、そんなまともな反応を返す者はここには居ない。

「人でなしで間違っちゃないが、わざわざその人非人に何の用だ?」

「やっぱり印象に違わず、彼らは人を人とも思わないんですぅ~」

「さっさとその勅命とやらを言え」

「ううう。――『芙紫弥より勅命也。荒萬あらよろずの朔、妖術師の宵、陰陽師安倍由良あべのゆらの護衛を任ず。東の京、梦瑳祠むさしに赴き、陣名山の状態を調査報告せよ』」

「はあ!?」
「ああん?」

 陣名山は陰陽師の東の拠点だ。陰陽師は全国の、移ろう要所の調査と把握を行い、これを鎮めるという。要所が乱れると妖怪や闇引きが増えるからだ。各拠点と密に連携を取り、互いに補い治めていると聞く。
 陰陽師の内部がどんな風になっているのか知らないが、とりあえず今までは内輪揉め等の噂は漏れ出ていない。なのに状態を調査報告? しかも外部の荒萬までも頼って? 芙紫弥の勅命で?

「ありえない」
「ありえない」

 朔と宵は声を揃えた。

「そもそもそんな情けない姿のやつが、芙紫弥の陰陽師な訳ないじゃろう。小便臭い娘っ子風情が」

「野良陰陽師に違いない。芙紫弥を騙るのはやめておけ。死ぬぞ。ついでにお前にこの山は無理だ。死ぬぞ」

 芙紫弥は陰陽師の中の陰陽師。ただ優秀なだけでは入れないのは有名な話だ。
 巫女装束の少女は震えた。せめてこの、泥水に頭から突っ込み、尻を突き出している格好くらいからは抜け出たいが、疲労で体が動かない。しかもいい感じに泥が寄って、型取られてしまっている。

「うう~、ひどい。ひどいですぅ~」

 朔と宵は、話は終わったとばかりに踵を返した。

「本当なのにぃ~。陣名山からの連絡が途絶えたんですぅ~。文はおろか、送った式神も帰ってこないんですぅ……っ。だから私が直接見に行くことにぃっ。
 あのっ、せめてこの格好からは解放してくださいませんかっ!?」

 宵が朔に顎をしゃくり上げる。仕方なさそうに朔が、腹の下に鞘を入れてひっくり返した。べちゃっと仰向けに少女は転がる。豊かな双丘の下から太腿当たりまでは、濡れてはいたが泥で汚れてはいなかった。胸威の賜物である。

「ええ、ええ、期待はしていませんでしたとも……っ」

 少女は顔を背けてしくしくと泣く。二人は安定の黙殺だ。

「して娘。お前が芙紫弥の陰陽師だと言う証拠は? 勅命の証拠は? 命を受けた我らの報酬は」

「えええっ! 立派に証明しているじゃないですかぁっ。これ程の使い手はいないでしょう!? 勅命の証書は私が印を結べるようになったらお見せできます! 報酬って……、報酬って! 勅命ですよ!? 芙紫弥――つまり天王陛下の勅命ですよぉ!?」

 二人は興味なさげに泥まみれの少女を見やった。

「話にならんな。行くぞ朔」

「勅命無視なんて許されるわけないですぅっ!」

 朔と宵は足を止め、軽く振り返る。軽く微笑んだ憐みの眼差しが少女に突き刺さる。

陰陽師そっちは今、俺達どころじゃないんだろう?」

「それにお前……このまま死ぬじゃろ?」

 宵は手を合わせ、にゃむにゃむとわざとらしく拝んだ。

「ひ、ひ、酷いですぅぅぅ~っっ!!」

 自称、芙紫弥の陰陽師安倍由良、術を使い過ぎた疲労と、叫び過ぎに因る酸欠で気絶した。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

転生したら世界一の御曹司だった〜巨乳エルフメイド10人と美少女騎士に溺愛されています〜

まさき
青春
異世界転生した最強の金持ち嫡男、 専属エルフメイドと美少女騎士に囲まれて至福のハーレム生活   現代日本で「地味だが実は超大富豪」という特殊な人生を送っていた青年は、ある日事故で命を落とす。   しかし目を覚ますと、そこは魔法と様々な種族が存在する異世界だった。   彼は大陸一の富を誇る名門貴族―― ヴァン・バレンティン家の嫡男カイルとして転生していたのだ。   カイルに与えられたのは ・世界一とも言える圧倒的な財力 ・財力に比例して増大する規格外の魔力   そして何より彼を驚かせたのは――   彼に仕える十人の専属メイド全員が、巨乳美少女だったことである。   献身的なエルフのメイド長リリア。 護衛騎士でありながら隙あらば誘惑してくる女騎士シルヴィア。   さらに個性豊かな巨乳メイドたち。   カイルは持ち前の財力で彼女たちの願いを叶え、最高級の装備や生活を与えていく。   すると彼女たちの忠誠心と愛情はどんどん加速していき――   「カイル様……今日は私が、お世話をさせてください」   領地を狙う貴族を金と魔力で圧倒し、 時にはメイドたちの愛が暴走して甘すぎる時間に巻き込まれながらも、   最強の御曹司カイルは 世界一幸せなハーレムを築いていく。 最後までお読みいただきありがとうございました。よろしければ応援をお願いいたします。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

彼女にも愛する人がいた

まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。 「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」 そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。 餓死だと? この王宮で?  彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。 俺の背中を嫌な汗が流れた。 では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…? そんな馬鹿な…。信じられなかった。 だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。 「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。 彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。 俺はその報告に愕然とした。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

処理中です...