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二章 神のいた町
芙紫弥よりの勅命 下
しおりを挟む少女周辺の地面は濡れていてどろどろだ。橙の巫女装束にも少女の顔にも髪にも、べったりと泥が付着する。
少女が倒れた瞬間に、五色の塊は消えた。未だビクビクと痙攣し生きている鬼熊の首を、朔は一刀で刎ね飛ばす。
「陰陽師とは珍しい」
「なんでこんなところに。要所だけ守ってるもんだとばかり思ってたぜ」
「余暇なのだろ」
「良い趣味だ」
常人では残像を追うのがやっとであろう五色の塊を、朔の目ははっきりと捉えていた。
あれは陰陽師が使う式神だ。式神を媒体に陰陽術を行使している。式神がおらずとも陰陽術は使えるが、陰陽術師にとって式神がいるといないとでは術の発現に雲泥の差があるらしい。
しかも巫女装束の少女の式神は、小さいながらも細部まで人型を取っており着物も来ていた。なにより五行全てを使役できているのが素晴らしい。威力も並みの妖怪相手なら申し分ない。今回は、相手が悪かったのか、もしくは連戦があったのかもしれない。
「初っ端の水球は妖術を受けたんじゃなく、吹っ飛ばされた衝撃を吸収するためだったんだな」
「風じゃ駄目だったのかのぉ? 折角の着物がどろどろじゃあ」
宵は泥に倒れた少女を、憐れみ半分不愉快半分で見やる。そうは言うが、自分の手を汚してまで助け起こす気はない。
それでも流石に窒息するのは不憫に思ったのか、その長い髪を鷲掴み、ぐいっとうつ伏せから顔を横を向かせてやった。
朔は興味を妖怪に移したようだ。
「これじゃあ折角の鬼熊が一銭にもならんな」
せっかくの立派な獲物を……と朔は口惜しそうだ。
鬼熊の毛は燃えて散り散り、皮は無数に切り裂かれて、挙句は引き攣れまでおこしている。
「これだけのでかさじゃ、雑魚避けくらいにはなろうが……人のにおいじゃ無意味じゃの。食肉くらいにはなるか?」
「煮えてるけどな」
「なんと。使えんな。もういいわ、行くぞ朔」
雷で中途半端に煮えているらしい。僅かばかり流れた血も、水で流されている。これでは雑魚避けにならず、雑魚寄せになってしまう。そもそも勝者の妖怪のにおいがなくてはほとんど意味がない。いくら強者でも人のにおいでは効かないのだ。
「おっ! お待ちくださいぃぃぃっ!」
泥の中から少女が叫んだ。
朔と宵が一瞬だけぴくりと足を止めたがそれだけで、そのまま振り返らずに歩いていく。心持ち足早に。
「芙紫弥より勅命ですぅぅぅっ!!」
びたりと二人の足が止まった。
芙紫弥――芙紫の京より北東に位置する、加慧山にある陰陽師の総本山だ。そして芙紫弥の最高位は、この日廼本を統べる天王である。
天王は必ずしも陰陽師ではないし、政治的実権こそ削られてきているものの、唯一無二、由緒正しき日廼本の皇帝だ。
その勅命とは。
朔と宵はとんずらしたい気満々で、しかしここまで追ってきたならば身元はばれていると思い至り、渋々とどまった。とどまっただけで少女の元へ戻るでもなし、声を掛けるでもない。
「……あの……助けてください……」
とうとう少女が痺れを切らして、泥の中から声を上げた。
宵が嫌そうに鼻頭に皺を寄せ、朔は眉間に皺を寄せた。
「うううっ、だから嫌だったんですよぅ。こんな人非人~」
涙で泥が多少流れたが、そんな程度で助ける気は起こらない。と言うより、そもそも助ける気が二人にはない。しかし宵は楽しそうに皺を緩め、泥に塗れる少女に声を掛けた。
「人非人とはまたあんまりな言い草じゃのぅ。泥に正面から突っ込んだ顔を、横に向けてやったのはわっちじゃえ?」
例えば絹代なら、うわぁ……という顔を見せてくれただろうが、そんなまともな反応を返す者はここには居ない。
「人でなしで間違っちゃないが、わざわざその人非人に何の用だ?」
「やっぱり印象に違わず、彼らは人を人とも思わないんですぅ~」
「さっさとその勅命とやらを言え」
「ううう。――『芙紫弥より勅命也。荒萬の朔、妖術師の宵、陰陽師安倍由良の護衛を任ず。東の京、梦瑳祠に赴き、陣名山の状態を調査報告せよ』」
「はあ!?」
「ああん?」
陣名山は陰陽師の東の拠点だ。陰陽師は全国の、移ろう要所の調査と把握を行い、これを鎮めるという。要所が乱れると妖怪や闇引きが増えるからだ。各拠点と密に連携を取り、互いに補い治めていると聞く。
陰陽師の内部がどんな風になっているのか知らないが、とりあえず今までは内輪揉め等の噂は漏れ出ていない。なのに状態を調査報告? しかも外部の荒萬までも頼って? 芙紫弥の勅命で?
「ありえない」
「ありえない」
朔と宵は声を揃えた。
「そもそもそんな情けない姿のやつが、芙紫弥の陰陽師な訳ないじゃろう。小便臭い娘っ子風情が」
「野良陰陽師に違いない。芙紫弥を騙るのはやめておけ。死ぬぞ。ついでにお前にこの山は無理だ。死ぬぞ」
芙紫弥は陰陽師の中の陰陽師。ただ優秀なだけでは入れないのは有名な話だ。
巫女装束の少女は震えた。せめてこの、泥水に頭から突っ込み、尻を突き出している格好くらいからは抜け出たいが、疲労で体が動かない。しかもいい感じに泥が寄って、型取られてしまっている。
「うう~、ひどい。ひどいですぅ~」
朔と宵は、話は終わったとばかりに踵を返した。
「本当なのにぃ~。陣名山からの連絡が途絶えたんですぅ~。文はおろか、送った式神も帰ってこないんですぅ……っ。だから私が直接見に行くことにぃっ。
あのっ、せめてこの格好からは解放してくださいませんかっ!?」
宵が朔に顎をしゃくり上げる。仕方なさそうに朔が、腹の下に鞘を入れてひっくり返した。べちゃっと仰向けに少女は転がる。豊かな双丘の下から太腿当たりまでは、濡れてはいたが泥で汚れてはいなかった。胸威の賜物である。
「ええ、ええ、期待はしていませんでしたとも……っ」
少女は顔を背けてしくしくと泣く。二人は安定の黙殺だ。
「して娘。お前が芙紫弥の陰陽師だと言う証拠は? 勅命の証拠は? 命を受けた我らの報酬は」
「えええっ! 立派に証明しているじゃないですかぁっ。これ程の使い手はいないでしょう!? 勅命の証書は私が印を結べるようになったらお見せできます! 報酬って……、報酬って! 勅命ですよ!? 芙紫弥――つまり天王陛下の勅命ですよぉ!?」
二人は興味なさげに泥まみれの少女を見やった。
「話にならんな。行くぞ朔」
「勅命無視なんて許されるわけないですぅっ!」
朔と宵は足を止め、軽く振り返る。軽く微笑んだ憐みの眼差しが少女に突き刺さる。
「陰陽師は今、俺達どころじゃないんだろう?」
「それにお前……このまま死ぬじゃろ?」
宵は手を合わせ、にゃむにゃむとわざとらしく拝んだ。
「ひ、ひ、酷いですぅぅぅ~っっ!!」
自称、芙紫弥の陰陽師安倍由良、術を使い過ぎた疲労と、叫び過ぎに因る酸欠で気絶した。
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