冥闇異聞 ~淫蕩猫と盆暗は楽な方へ流れたい~

景之

文字の大きさ
25 / 29
二章 神のいた町

  偽妖狐退治 下

しおりを挟む

 酒肴と大がめを担いで行った宵が、町に戻って来たのは三日後だった。
 久方振りの旧知との飲み交わしに、さぞ話も弾んだんだろうと思いきや、宵はがっかりした風を隠さず、屋台で晩飯を食っていた朔の前の席にどっかりと座りこんだ。

 ちらりと朔のどんぶりをのぞき、鼻に皺を寄せる。
 宵は朔から、屑のようなわかめの浮いた味噌汁をかっさらう。朔は片眉を少し上げたが、何も言わずにどんぶりの飯をかき込み、漬物をポリポリと咀嚼しながら宵を見やった。
 宵は朔と違い、ギトギトと油滴る肉が好きではないのだ。

「終ぞあの莫迦は現れなかったのじゃ」

 とりあえず住処に上がり込み、持って行った酒と肴でちびちびやりながらのんびり待ったが現れない。
 遠くにでも出かけているのかと思って、昔馴染みの縄張りをぐるりと回ってみたが現れない。
 普通、宵ほどの妖怪が縄張りに入ってきたら気付かないはずはないのだという。ましてや旧知の仲である。

「住処を変えたんじゃないのか」

「気配は弱いが、つい先日まで使っていた形跡は残っておった」

「へぇ? 案外、偽物が土地神を苦しめてるって噂は本当だったのか?」

「ふむ……。奴は矜持が高いからの、わっちに会わせる顔がないのかもしれんの! かっかっか!」

 高い笑い声に関わらず、宵の顔はどこか寂しそうだ。すぐに口を引き結ぶと朔に告げる。

「しかし奴を苦しめられるような大物の気配もせん」

「俺も遭遇してねぇし、この三日偽物が出たって話もねぇなぁ。
 偽物の下っ端だっていうそこそこ強いらしい妖怪や闇引き――ああ、心が無いのは闇堕ちだっけか? それらも見てないな」

「そうそう毎日現れるもんでもないじゃろ」

「あー、そりゃそうか。ところで――」

 朔はゴクリと茶を飲み、湯呑を卓に置く、と同時に飛び出した。
 宵は訝しげに朔の過ぎ去った方へ目を向けると、屋台の隙間、路地の影で朔が稚児の頭をむんずと掴まえていた。

「こりゃなんだ?」

 朔に掴まれて来たのは、三、四歳くらいに見える稚児だった。ボサボサだが腰までありそうな燻し銀な髪をして、大きな赤茶の眼はうるうるとしてこぼれ落ちそうだ。
 どこもかしこも傷だらけのボロボロで薄汚れていたが、それでもその子供の可愛さは損なわれていなかった。むしろその不憫な様が可愛さと相まってより庇護欲を誘い、どんな人間でも助けてやらずにはいられまい。

「んあぁ? 知らんがな」

 そこに例外が二人。厳密に言えば一人は妖怪であるし、もう一人も只人とは言い難いので、範疇外なのかもしれないが。
 宙ぶらりんの稚児が思わずといったていで口を開いた。

「か、かあしゃま」

「は?」

「ぶふっっ」

 稚児の意外な言葉に朔が吹き出し、その拍子に手が滑り、べしゃりと稚児が地面に落ちた。
 ぼふんと白煙が上がり、すぐに霧散する。

「はあ!?」

「なっ!?」

 驚愕の声を上げた二人に稚児は驚いてはっと顔を上げたが、次の瞬間にはきれいさっぱり稚児が消え失せていた。残るは僅かな砂塵ばかり。
 周りの客が何事かと二人を見遣るがそれどころではなかった。

「なんじゃ、あの耳と尻尾は」

「早過ぎてよく見えなかったが猫の耳か、ありゃあ?
 おい、銀灰だったが本当に宵の子なんじゃねーのか。
 さすが妖怪。たった数日で子供が出来るんだなぁ。それとも昔に産んだ隠し子か」

「阿呆言うでない! 孕んだこともないわ!」

 妖怪は数日で産めたり成長の早いものもあるが、とりあえず宵に思い当たる節はないらしい。只猫時代は季節毎にボコボコ生んだが、軽く百数十年以上は昔の話だ。
 しかし稚児が朔の手から落ちた衝撃でか、燻し銀の耳とぼわついた尻尾が確かに生えた。色味は違うが本人からの母呼び発言もあり、宵の子だと言われても仕方がない。

「冗談を言っておる場合ではない。追うのじゃ朔! あんな面白いもの捨ておけん! ちと気になる事もあるしな!」

「自分だけで行けよ、めんどくせぇ」

「あの素早さを見たじゃろう、わっち一人じゃとても無理じゃ。どうせ暇しておろうが」

 暇を持て余していた訳ではないが、そう言われればこの三日、妖怪一匹破落戸ごろつき一人にも対峙していないのは何だか物足りない気もした。

「しかしあの素早さで手掛りもねぇ。闇雲に探すのなら願い下げだ。
 あの餓鬼、お前にずっとついて来てたのに気付かなかったんだろ? 気配わかるのか」

「転げた時にぶわっと妖気が出て感じたんじゃが、すぐさま掻き消えてしまってのぅ。
 この町に来てから困り通しだというに猫達はちっとも寄って来んし。ここらの猫は薄情じゃ」

 袖をつまんで目元を押さえ、よよよと泣く振りをするが猫の影も見えない。
 はてさて芙紫ふしの着物探しより宵の興が乗っていないのか、曼朱まんじゅの猫が本当に薄情なのか。

「どうしたものかのぉ。
 ――ああん? 気配が現れた?
 はっ! こりゃあなかなかじゃの!」

 宵は嬉しそうに温泉街の奥に向かって走りだす。朔も仕方なく――とも言えないがそれについて行く。
 段々増えてくる向かいから逃げる人々とすれ違う。みな口々に闇引きだと言っている。この町の者は荒事に慣れていないせいか、闇引きの姿も見えず口伝てだけで殆ど恐慌状態だ。

 ぽっかりと開けたそこに見えたのは、数多くの闇引きと猫を従えた燻し勝ちな銀の妖狐。闇引きは、大きいものでは山猿以上ある。
 対峙しているのは3人の荒萬あらよろずだった。妖狐といえば牛よりも大きいのが普通だが、その銀狐は仔山羊ほどしかない。
 更に不思議なのは、荒萬の後ろに黄みの強い金色の髪をした、十歳程度の少女がいたことだった。小花の散った黄色地の、裾が広がった膝丈の腰巻スカートを着ている。腰には革製の特殊な形の鞄を提げていた。場違いにも程がある。
 守られているのならもっと後ろに下がるべきだと思うのだが、少女はそのつもりはないらしい。
 その少女がさっと銀狐を指差して言った。

「やっと観念したか偽妖狐! 大人しく征伐されなさい!
 これで土地神様も! そしてこの曼朱まんじゅも救われるのよ!」

 少女はとても嬉しそうだ。威厳を出そうとでも言うのか生真面目な顔を作ろうとしているが、引き上がる頬を抑えられていない。
 荒萬達は少女の傍に1人を残して、銀狐へと突っ込んで行く。銀狐の前の猫達が、その動きを見極めるかのように脚に力を込めた。

「あれっておかしくないか」

 横を流れる湯の川からもうもうと上がる湯けむりに、宵は目をすがめて、朔の問いかけにも答えずじっとその様子を見ている。
 銀狐の後ろの猫達は動かず、後ろの闇引き側を向いているのだ。
 闇引きたちは特に何を襲っている訳でもなく、銀狐の後ろで控えていた。だから銀狐側だと思っていたが、猫達の動きに注視すると、銀狐と猫達を、少女と荒萬、そして闇引きが挟撃しているように見える。

 黄色の少女が腰の革鞄から何かを取り出した。黒光りする鉄の塊――鉄砲だ。それから飛び出した鉄砲弾が猫達の腹を抉る。
 それらを掻い潜った猫達を、先行した荒萬が槍で弾き、または斬り飛ばす。

「みんなぁ!! ギャンッ!!」

「へぇ? あんなちっこいのに人の言葉話すんだな」

 銀狐から発せられた幼声に朔が感心したように呟いた。
 銀狐が飛び出すとまたもや鉄砲弾が襲う。
 後ろで警戒していた猫が、下がれとでも言うように銀狐の尾を噛み引っ張っている。

「だって! みんなが!!」

 その時宵が朔に一言「着物を頼む」と告げると、ひゅっと沈んだ。

「ああン?」

 尋常の猫になった宵は朔の肩をトンと蹴り宙に飛び出したと思うと、ぶわわっと猫又となり相対するド真ん中へ躍り出た。
 そして偽妖狐に尻を向け、荒萬側と対峙したのだ。

「なにしてんだ、あの莫迦」

 皆逃げ出したか、偽妖狐に注視していたから気付かれなかったとはいえ、着物頼むっていい加減にしろよ、と朔はぶつぶつ言いながらも、しっかり己の頭陀袋に着物を詰めているあたり、朔の苦労ぶりが忍ばれる。
 妖狐側とは言え、猫を傷つけられては黙っていられなかったのは仕方ないのかもしれない。着物を燃やさないだけ冷静さが残っている。

「かあしゃま!」

「双方退けぇい!!」

「え」

 朔は思わず額を押さえた。




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

処理中です...