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二章 神のいた町
偽妖狐退治 下
しおりを挟む酒肴と大がめを担いで行った宵が、町に戻って来たのは三日後だった。
久方振りの旧知との飲み交わしに、さぞ話も弾んだんだろうと思いきや、宵はがっかりした風を隠さず、屋台で晩飯を食っていた朔の前の席にどっかりと座りこんだ。
ちらりと朔のどんぶりをのぞき、鼻に皺を寄せる。
宵は朔から、屑のようなわかめの浮いた味噌汁をかっさらう。朔は片眉を少し上げたが、何も言わずにどんぶりの飯をかき込み、漬物をポリポリと咀嚼しながら宵を見やった。
宵は朔と違い、ギトギトと油滴る肉が好きではないのだ。
「終ぞあの莫迦は現れなかったのじゃ」
とりあえず住処に上がり込み、持って行った酒と肴でちびちびやりながらのんびり待ったが現れない。
遠くにでも出かけているのかと思って、昔馴染みの縄張りをぐるりと回ってみたが現れない。
普通、宵ほどの妖怪が縄張りに入ってきたら気付かないはずはないのだという。ましてや旧知の仲である。
「住処を変えたんじゃないのか」
「気配は弱いが、つい先日まで使っていた形跡は残っておった」
「へぇ? 案外、偽物が土地神を苦しめてるって噂は本当だったのか?」
「ふむ……。奴は矜持が高いからの、わっちに会わせる顔がないのかもしれんの! かっかっか!」
高い笑い声に関わらず、宵の顔はどこか寂しそうだ。すぐに口を引き結ぶと朔に告げる。
「しかし奴を苦しめられるような大物の気配もせん」
「俺も遭遇してねぇし、この三日偽物が出たって話もねぇなぁ。
偽物の下っ端だっていうそこそこ強いらしい妖怪や闇引き――ああ、心が無いのは闇堕ちだっけか? それらも見てないな」
「そうそう毎日現れるもんでもないじゃろ」
「あー、そりゃそうか。ところで――」
朔はゴクリと茶を飲み、湯呑を卓に置く、と同時に飛び出した。
宵は訝しげに朔の過ぎ去った方へ目を向けると、屋台の隙間、路地の影で朔が稚児の頭をむんずと掴まえていた。
「こりゃなんだ?」
朔に掴まれて来たのは、三、四歳くらいに見える稚児だった。ボサボサだが腰までありそうな燻し銀な髪をして、大きな赤茶の眼はうるうるとしてこぼれ落ちそうだ。
どこもかしこも傷だらけのボロボロで薄汚れていたが、それでもその子供の可愛さは損なわれていなかった。むしろその不憫な様が可愛さと相まってより庇護欲を誘い、どんな人間でも助けてやらずにはいられまい。
「んあぁ? 知らんがな」
そこに例外が二人。厳密に言えば一人は妖怪であるし、もう一人も只人とは言い難いので、範疇外なのかもしれないが。
宙ぶらりんの稚児が思わずといった体で口を開いた。
「か、かあしゃま」
「は?」
「ぶふっっ」
稚児の意外な言葉に朔が吹き出し、その拍子に手が滑り、べしゃりと稚児が地面に落ちた。
ぼふんと白煙が上がり、すぐに霧散する。
「はあ!?」
「なっ!?」
驚愕の声を上げた二人に稚児は驚いてはっと顔を上げたが、次の瞬間にはきれいさっぱり稚児が消え失せていた。残るは僅かな砂塵ばかり。
周りの客が何事かと二人を見遣るがそれどころではなかった。
「なんじゃ、あの耳と尻尾は」
「早過ぎてよく見えなかったが猫の耳か、ありゃあ?
おい、銀灰だったが本当に宵の子なんじゃねーのか。
さすが妖怪。たった数日で子供が出来るんだなぁ。それとも昔に産んだ隠し子か」
「阿呆言うでない! 孕んだこともないわ!」
妖怪は数日で産めたり成長の早いものもあるが、とりあえず宵に思い当たる節はないらしい。只猫時代は季節毎にボコボコ生んだが、軽く百数十年以上は昔の話だ。
しかし稚児が朔の手から落ちた衝撃でか、燻し銀の耳とぼわついた尻尾が確かに生えた。色味は違うが本人からの母呼び発言もあり、宵の子だと言われても仕方がない。
「冗談を言っておる場合ではない。追うのじゃ朔! あんな面白いもの捨ておけん! ちと気になる事もあるしな!」
「自分だけで行けよ、めんどくせぇ」
「あの素早さを見たじゃろう、わっち一人じゃとても無理じゃ。どうせ暇しておろうが」
暇を持て余していた訳ではないが、そう言われればこの三日、妖怪一匹破落戸一人にも対峙していないのは何だか物足りない気もした。
「しかしあの素早さで手掛りもねぇ。闇雲に探すのなら願い下げだ。
あの餓鬼、お前にずっとついて来てたのに気付かなかったんだろ? 気配わかるのか」
「転げた時にぶわっと妖気が出て感じたんじゃが、すぐさま掻き消えてしまってのぅ。
この町に来てから困り通しだというに猫達はちっとも寄って来んし。ここらの猫は薄情じゃ」
袖をつまんで目元を押さえ、よよよと泣く振りをするが猫の影も見えない。
はてさて芙紫の着物探しより宵の興が乗っていないのか、曼朱の猫が本当に薄情なのか。
「どうしたものかのぉ。
――ああん? 気配が現れた?
はっ! こりゃあなかなかじゃの!」
宵は嬉しそうに温泉街の奥に向かって走りだす。朔も仕方なく――とも言えないがそれについて行く。
段々増えてくる向かいから逃げる人々とすれ違う。みな口々に闇引きだと言っている。この町の者は荒事に慣れていないせいか、闇引きの姿も見えず口伝てだけで殆ど恐慌状態だ。
ぽっかりと開けたそこに見えたのは、数多くの闇引きと猫を従えた燻し勝ちな銀の妖狐。闇引きは、大きいものでは山猿以上ある。
対峙しているのは3人の荒萬だった。妖狐といえば牛よりも大きいのが普通だが、その銀狐は仔山羊ほどしかない。
更に不思議なのは、荒萬の後ろに黄みの強い金色の髪をした、十歳程度の少女がいたことだった。小花の散った黄色地の、裾が広がった膝丈の腰巻を着ている。腰には革製の特殊な形の鞄を提げていた。場違いにも程がある。
守られているのならもっと後ろに下がるべきだと思うのだが、少女はそのつもりはないらしい。
その少女がさっと銀狐を指差して言った。
「やっと観念したか偽妖狐! 大人しく征伐されなさい!
これで土地神様も! そしてこの曼朱も救われるのよ!」
少女はとても嬉しそうだ。威厳を出そうとでも言うのか生真面目な顔を作ろうとしているが、引き上がる頬を抑えられていない。
荒萬達は少女の傍に1人を残して、銀狐へと突っ込んで行く。銀狐の前の猫達が、その動きを見極めるかのように脚に力を込めた。
「あれっておかしくないか」
横を流れる湯の川からもうもうと上がる湯けむりに、宵は目を眇めて、朔の問いかけにも答えずじっとその様子を見ている。
銀狐の後ろの猫達は動かず、後ろの闇引き側を向いているのだ。
闇引きたちは特に何を襲っている訳でもなく、銀狐の後ろで控えていた。だから銀狐側だと思っていたが、猫達の動きに注視すると、銀狐と猫達を、少女と荒萬、そして闇引きが挟撃しているように見える。
黄色の少女が腰の革鞄から何かを取り出した。黒光りする鉄の塊――鉄砲だ。それから飛び出した鉄砲弾が猫達の腹を抉る。
それらを掻い潜った猫達を、先行した荒萬が槍で弾き、または斬り飛ばす。
「みんなぁ!! ギャンッ!!」
「へぇ? あんなちっこいのに人の言葉話すんだな」
銀狐から発せられた幼声に朔が感心したように呟いた。
銀狐が飛び出すとまたもや鉄砲弾が襲う。
後ろで警戒していた猫が、下がれとでも言うように銀狐の尾を噛み引っ張っている。
「だって! みんなが!!」
その時宵が朔に一言「着物を頼む」と告げると、ひゅっと沈んだ。
「ああン?」
尋常の猫になった宵は朔の肩をトンと蹴り宙に飛び出したと思うと、ぶわわっと猫又となり相対するド真ん中へ躍り出た。
そして偽妖狐に尻を向け、荒萬側と対峙したのだ。
「なにしてんだ、あの莫迦」
皆逃げ出したか、偽妖狐に注視していたから気付かれなかったとはいえ、着物頼むっていい加減にしろよ、と朔はぶつぶつ言いながらも、しっかり己の頭陀袋に着物を詰めているあたり、朔の苦労ぶりが忍ばれる。
妖狐側とは言え、猫を傷つけられては黙っていられなかったのは仕方ないのかもしれない。着物を燃やさないだけ冷静さが残っている。
「かあしゃま!」
「双方退けぇい!!」
「え」
朔は思わず額を押さえた。
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