2 / 12
第二話 未実施の観測記録
しおりを挟む
第一展示室の観測終了後、
私の端末には新規ログが自動追加されていた。
通知音は鳴らない。 この施設では、重要な更新ほど静かに反映される。
記録区分:補助観測ログ 生成時刻:三年前 状態:未実施
私は表示された文字列を、数秒間理解できなかった。
未実施の観測記録。
矛盾している。 観測が未実施なら、記録は存在しないはずだ。 それが観測部の基本原則である。
「管理官」
私は端末から視線を外さずに呼びかけた。
「はい」
「未実施の観測記録という分類は、正式に存在するのですか」
わずかな間。
「例外的に、存在します」
「どういう条件で」
「観測結果が先に確定している場合です」
私はゆっくりと瞬きをした。
結果が先に確定している。 つまり――過程が未発生でも、記録だけが成立する。
第一展示室の事例と、完全に一致していた。
「該当ログの閲覧許可を要求します」
端末に指を置く。 通常、過去ログの深層閲覧には権限が必要だ。
だが、確認ダイアログは表示されなかった。
即時開示。
画面が白転し、 新しい記録が展開される。
観測記録:第二展示室 実施者:外部観測者 状態:未実施 備考:観測は予定通り実施されなかった
呼吸が一瞬だけ浅くなる。
「第二展示室には、まだ入室していません」
「はい」
管理官の声は平坦だった。
「しかし記録上、観測は未実施として保存済です」
「誰が保存したのですか」
「登録主体:外部観測者」
私自身。
だが私は、第二展示室の存在を つい先ほど知ったばかりだ。
ログをスクロールする。
本文は、簡潔な報告形式で記述されていた。
当該展示室への入室は試行された。 しかし観測行為は実行されなかった。 理由:観測者の自己認識揺らぎを検出。 補足:未実施の観測は、観測記録として保存された。
指先が止まる。
文体。 語彙選択。 改行の癖。
すべて、現在の私の記録様式と一致している。
だが日付は三年前。
私はその時、この庁にいない。
「第二展示室へ向かいます」
自分の声が、思ったより静かだった。
管理官は反対しない。 止める様子もない。
「規定上、観測継続は推奨されます」
廊下は相変わらず無音だった。 照度、一定。 温度、一定。 空調音すら、ほとんど知覚できない。
歩いているはずなのに、 足取りの実感が薄い。
まるで、記録の中を移動しているような感覚。
第二展示室前に到着する。
扉は閉じていた。
第一展示室と違い、 自動解錠の気配がない。
端末を確認する。
入室権限:付与済 解錠ログ:未生成
「解錠操作を行います」
私がそう言った瞬間、 扉が静かに開いた。
音は、やはりしない。
室内は、空だった。
展示ケースも、台座もない。 白い空間だけが広がっている。
「収蔵物は」
「存在しません」
管理官が答える。
「ここには、未実施の観測のみが保存されています」
意味が分からない。
私は室内中央に立つ。
何もない。 視覚情報は完全な空白。
だが、端末の同調率表示が反応を始めていた。
同調率:2.1% 3.4% 5.9%
「対象がない状態で、同調が発生しています」
「正常です」
正常。
この施設では、 理解不能であることは異常理由にならない。
私はログ入力を開始する。
第二展示室、入室完了。 収蔵物の物理的実体は確認できない。
その瞬間、視界の奥でわずかな違和が生じた。
“既視感”。
この空間を、 私は一度体験している。
しかし記憶には存在しない。
端末が微振動した。
新規補助ログ、追加。
表示された一文を見て、 私は初めて手を止めた。
追記:観測者は当該空間において、 自身の未実施行動を追体験する。
心拍が一拍だけ強くなる。
「管理官」
「はい」
「未実施行動とは、何を指しますか」
短い沈黙。
「実行されなかった選択です」
次の瞬間。
視界がわずかに揺れた。
白い室内の中央に、 もう一人の“私”が立っている。
観測端末を持ち、 扉の前で停止している。
三年前の私。
だと、直感した。
その私は、扉の前で 入室をためらっていた。
手が伸びる。 だが、触れる直前で止まる。
そして――
踵を返した。
入室せず、離脱した。
その瞬間、映像は途切れる。
静寂が戻る。
同調率:18.2%
私は動けなかった。
「……今のは」
「未実施の観測記録の再生です」
管理官の声は変わらない。
「三年前、あなたは第二展示室への入室を試行し、 最終的に観測を放棄しています」
「理由は記録されていますか」
「はい」
端末に自動で該当箇所が展開される。
未実施理由: 当該展示室における観測は、 観測者自身を収蔵対象として確定させる可能性があるため。
思考が、数秒遅れて追いつく。
観測すれば、 収蔵対象になる。
では、第一展示室は?
私は既に観測している。
背筋に冷たい感覚が走る。
「未実施の観測は、なぜ保存されたのですか」
「観測が行われなかったという事実も、 記録として確定したためです」
つまり。
入室しなかった。 観測しなかった。 その“行為”すら、収蔵されている。
私はゆっくりと室内を見渡す。
空白の空間。
だが今は理解できる。
ここに展示されているのは、 存在しなかった出来事そのものだ。
端末に、最後の一行が追加される。
補足: 当該観測は未実施のまま保存されている。 ただし再観測により、記録状態は更新される可能性がある。
再観測。
つまり今。
私は、三年前に行わなかった観測を 実行しようとしている。
管理官が静かに言った。
「外部観測者」
「はい」
「再観測を継続しますか」
選択肢。
三年前の私は、ここで引き返した。
だが今の私は――
端末の入力欄に、自然と指が動く。
第二展示室観測を継続する。 未実施記録の更新を試行する。
送信。
その瞬間、 室内の空白に、わずかな“凹凸”が生じた。
何も描かれていないはずの空間に、 記録の輪郭だけが浮かび上がる。
そして端末に表示される。
〈未実施の観測記録:状態更新〉 〈記録進行中〉
三年前、私は観測しなかった。 だが今、観測している。
つまり。
未実施だった記録が、 今この瞬間に“実施済”へ変換されつつある。
最後に、静かな通知が表示された。
――未実施の観測記録は、 観測者の再選択により上書きされる。
その下に、小さく追記が現れる。
――三年前の観測放棄は、 収蔵工程の一部であった可能性が高い。
私は画面を見つめたまま理解する。
観測しても収蔵。 観測しなくても収蔵。
選択そのものが、 すでに記録媒体として保存されている。
そして。
この施設は最初から、 私の“すべての観測”を 収蔵する前提で存在している。
第二展示室観測記録、更新中。 未実施記録――継続保存。
通知音は鳴らない。 この施設では、重要な更新ほど静かに反映される。
記録区分:補助観測ログ 生成時刻:三年前 状態:未実施
私は表示された文字列を、数秒間理解できなかった。
未実施の観測記録。
矛盾している。 観測が未実施なら、記録は存在しないはずだ。 それが観測部の基本原則である。
「管理官」
私は端末から視線を外さずに呼びかけた。
「はい」
「未実施の観測記録という分類は、正式に存在するのですか」
わずかな間。
「例外的に、存在します」
「どういう条件で」
「観測結果が先に確定している場合です」
私はゆっくりと瞬きをした。
結果が先に確定している。 つまり――過程が未発生でも、記録だけが成立する。
第一展示室の事例と、完全に一致していた。
「該当ログの閲覧許可を要求します」
端末に指を置く。 通常、過去ログの深層閲覧には権限が必要だ。
だが、確認ダイアログは表示されなかった。
即時開示。
画面が白転し、 新しい記録が展開される。
観測記録:第二展示室 実施者:外部観測者 状態:未実施 備考:観測は予定通り実施されなかった
呼吸が一瞬だけ浅くなる。
「第二展示室には、まだ入室していません」
「はい」
管理官の声は平坦だった。
「しかし記録上、観測は未実施として保存済です」
「誰が保存したのですか」
「登録主体:外部観測者」
私自身。
だが私は、第二展示室の存在を つい先ほど知ったばかりだ。
ログをスクロールする。
本文は、簡潔な報告形式で記述されていた。
当該展示室への入室は試行された。 しかし観測行為は実行されなかった。 理由:観測者の自己認識揺らぎを検出。 補足:未実施の観測は、観測記録として保存された。
指先が止まる。
文体。 語彙選択。 改行の癖。
すべて、現在の私の記録様式と一致している。
だが日付は三年前。
私はその時、この庁にいない。
「第二展示室へ向かいます」
自分の声が、思ったより静かだった。
管理官は反対しない。 止める様子もない。
「規定上、観測継続は推奨されます」
廊下は相変わらず無音だった。 照度、一定。 温度、一定。 空調音すら、ほとんど知覚できない。
歩いているはずなのに、 足取りの実感が薄い。
まるで、記録の中を移動しているような感覚。
第二展示室前に到着する。
扉は閉じていた。
第一展示室と違い、 自動解錠の気配がない。
端末を確認する。
入室権限:付与済 解錠ログ:未生成
「解錠操作を行います」
私がそう言った瞬間、 扉が静かに開いた。
音は、やはりしない。
室内は、空だった。
展示ケースも、台座もない。 白い空間だけが広がっている。
「収蔵物は」
「存在しません」
管理官が答える。
「ここには、未実施の観測のみが保存されています」
意味が分からない。
私は室内中央に立つ。
何もない。 視覚情報は完全な空白。
だが、端末の同調率表示が反応を始めていた。
同調率:2.1% 3.4% 5.9%
「対象がない状態で、同調が発生しています」
「正常です」
正常。
この施設では、 理解不能であることは異常理由にならない。
私はログ入力を開始する。
第二展示室、入室完了。 収蔵物の物理的実体は確認できない。
その瞬間、視界の奥でわずかな違和が生じた。
“既視感”。
この空間を、 私は一度体験している。
しかし記憶には存在しない。
端末が微振動した。
新規補助ログ、追加。
表示された一文を見て、 私は初めて手を止めた。
追記:観測者は当該空間において、 自身の未実施行動を追体験する。
心拍が一拍だけ強くなる。
「管理官」
「はい」
「未実施行動とは、何を指しますか」
短い沈黙。
「実行されなかった選択です」
次の瞬間。
視界がわずかに揺れた。
白い室内の中央に、 もう一人の“私”が立っている。
観測端末を持ち、 扉の前で停止している。
三年前の私。
だと、直感した。
その私は、扉の前で 入室をためらっていた。
手が伸びる。 だが、触れる直前で止まる。
そして――
踵を返した。
入室せず、離脱した。
その瞬間、映像は途切れる。
静寂が戻る。
同調率:18.2%
私は動けなかった。
「……今のは」
「未実施の観測記録の再生です」
管理官の声は変わらない。
「三年前、あなたは第二展示室への入室を試行し、 最終的に観測を放棄しています」
「理由は記録されていますか」
「はい」
端末に自動で該当箇所が展開される。
未実施理由: 当該展示室における観測は、 観測者自身を収蔵対象として確定させる可能性があるため。
思考が、数秒遅れて追いつく。
観測すれば、 収蔵対象になる。
では、第一展示室は?
私は既に観測している。
背筋に冷たい感覚が走る。
「未実施の観測は、なぜ保存されたのですか」
「観測が行われなかったという事実も、 記録として確定したためです」
つまり。
入室しなかった。 観測しなかった。 その“行為”すら、収蔵されている。
私はゆっくりと室内を見渡す。
空白の空間。
だが今は理解できる。
ここに展示されているのは、 存在しなかった出来事そのものだ。
端末に、最後の一行が追加される。
補足: 当該観測は未実施のまま保存されている。 ただし再観測により、記録状態は更新される可能性がある。
再観測。
つまり今。
私は、三年前に行わなかった観測を 実行しようとしている。
管理官が静かに言った。
「外部観測者」
「はい」
「再観測を継続しますか」
選択肢。
三年前の私は、ここで引き返した。
だが今の私は――
端末の入力欄に、自然と指が動く。
第二展示室観測を継続する。 未実施記録の更新を試行する。
送信。
その瞬間、 室内の空白に、わずかな“凹凸”が生じた。
何も描かれていないはずの空間に、 記録の輪郭だけが浮かび上がる。
そして端末に表示される。
〈未実施の観測記録:状態更新〉 〈記録進行中〉
三年前、私は観測しなかった。 だが今、観測している。
つまり。
未実施だった記録が、 今この瞬間に“実施済”へ変換されつつある。
最後に、静かな通知が表示された。
――未実施の観測記録は、 観測者の再選択により上書きされる。
その下に、小さく追記が現れる。
――三年前の観測放棄は、 収蔵工程の一部であった可能性が高い。
私は画面を見つめたまま理解する。
観測しても収蔵。 観測しなくても収蔵。
選択そのものが、 すでに記録媒体として保存されている。
そして。
この施設は最初から、 私の“すべての観測”を 収蔵する前提で存在している。
第二展示室観測記録、更新中。 未実施記録――継続保存。
0
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
【完結】限界離婚
仲 奈華 (nakanaka)
ミステリー
もう限界だ。
「離婚してください」
丸田広一は妻にそう告げた。妻は激怒し、言い争いになる。広一は頭に鈍器で殴られたような衝撃を受け床に倒れ伏せた。振り返るとそこには妻がいた。広一はそのまま意識を失った。
丸田広一の息子の嫁、鈴奈はもう耐える事ができなかった。体調を崩し病院へ行く。医師に告げられた言葉にショックを受け、夫に連絡しようとするが、SNSが既読にならず、電話も繋がらない。もう諦め離婚届だけを置いて実家に帰った。
丸田広一の妻、京香は手足の違和感を感じていた。自分が家族から嫌われている事は知っている。高齢な姑、離婚を仄めかす夫、可愛くない嫁、誰かが私を害そうとしている気がする。渡されていた離婚届に署名をして役所に提出した。もう私は自由の身だ。あの人の所へ向かった。
広一の母、文は途方にくれた。大事な物が無くなっていく。今日は通帳が無くなった。いくら探しても見つからない。まさかとは思うが最近様子が可笑しいあの女が盗んだのかもしれない。衰えた体を動かして、家の中を探し回った。
出張からかえってきた広一の息子、良は家につき愕然とした。信じていた安心できる場所がガラガラと崩れ落ちる。後始末に追われ、いなくなった妻の元へ向かう。妻に頭を下げて別れたくないと懇願した。
平和だった丸田家に襲い掛かる不幸。どんどん倒れる家族。
信じていた家族の形が崩れていく。
倒されたのは誰のせい?
倒れた達磨は再び起き上がる。
丸田家の危機と、それを克服するまでの物語。
丸田 広一…65歳。定年退職したばかり。
丸田 京香…66歳。半年前に退職した。
丸田 良…38歳。営業職。出張が多い。
丸田 鈴奈…33歳。
丸田 勇太…3歳。
丸田 文…82歳。専業主婦。
麗奈…広一が定期的に会っている女。
※7月13日初回完結
※7月14日深夜 忘れたはずの思い~エピローグまでを加筆修正して投稿しました。話数も増やしています。
※7月15日【裏】登場人物紹介追記しました。
2026年1月ジャンルを大衆文学→ミステリーに変更しています。
月弥総合病院
御月様(旧名 僕君☽☽︎)
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。
また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。
(小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる