最後の恋を夜空へ

ピコ

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第一章

夫に抱かれながら他の男の夢を見る

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 私の身体は、夫・七海洋一ななみ よういちの欲に委ねられていた。
 ベッドのきしむ音が、やけに耳につく。
 私の上におおいかぶさる洋一の息遣いは荒く、不快な熱を帯びていた。
 喉の奥からもれる、けもののようなうなり声が、鼓膜にからみつく。
 55歳のかさついた洋一の手が、私の肌を雑にう。
 その手に、彼の温もりを重ねる。触れた事も、見た事も、会った事もない――夜空よぞら……。
 私の肌は、常夜灯に照らされて黄白色に熱を持つ。
 脇腹を生ぬるい息が通り過ぎて、左足が持ち上げられた。
 洋一の欲に押し広げられ、私の奥は否応なく彼を迎え入れる。痛みを飲み込むたび、心がひとつずつ冷えていく。
 私の右足がないことなど、彼には関係なかった。
 洋一にとって、私はただ、従順なおもちゃであればよかったのだ。

 古びた義実家の寝室は、湿った畳の匂いと、長年ため込んだ生活臭に満ちている。
 代わり映えしない窓の外には、街灯に照らされた電線が揺れて見える。
しおり、動けよ。腰、もっと浮かせろよ」
 舌打ちしながら、思い通りにならない私の体に向かって、暴言を吐く。
「なんだよ、前はもう少しマシだったろ? 片足でも腰ぐらい動かせんだろ。……チッ、やっぱ普通の女と結婚すりゃよかったわ」
 地を這うような低い声は、何度も何度も私の心を抉る。
 加齢と煙草まじりの息を、フル稼働しているエアコンの風がかき消した。

「んっ、んっ……。ああ、気持ちいい……」
 洋一の肉欲が膣壁を擦る度、痛みで苦い汗がにじむ。
 ジリジリとカッターナイフの刃先で、切り裂かれるような痛み。
 それを緩和するための粘液があふれ出す。
「気持ちいいか? 栞、気持ちいいんだろ? こんなに濡れて……ああ、きもち……い……」
 
 柔らかい場所を守るためにあふれだした生ぬるい粘液は、シーツに染みを作る。
 それでも、私の心はここにはない。

 窓の外。濃紺の夜空が広がっている。
 雲の切れ間に、小さな星が瞬き、にじんでいく。
 ――ねぇ夜空。あなたも、今、同じ空を見ている?
 幸せに満ちた家庭の真ん中で、頬を緩める夜空の顔に、ぼんやりと霞がかかる。

 夜空と出会ったのはちょうど半年前。
 春とは名ばかりの冷たい風が吹きすさぶ、2月半ばの深夜。

 日本列島を引き裂くような轟音とともに、全域が激しく揺れた。
 各地で、震度5を超える地震が連続して発生し、太平洋沿岸には巨大な津波が押し寄せた。
 街は崩れ、火の手が上がり、パトカーや救急車のサイレンが鳴り響いていた。

 あの、震災の夜。
 私は、生まれて初めて死を覚悟した。
 倒壊した家屋の下で身動き一つ取れず、冷たい瓦礫がれきに阻まれ、暗闇の中でただ、恐怖に震えていた。
 あるはずのない右足は、幻肢痛げんしつうでちぎれるように熱く痛む。
 喉を通り過ぎる空気は、ほこりと血の匂いで濁り、瓦礫の隙間から吹き込む風は容赦なく薄着の体を突き刺した。
 災害用のリュックは、洋一が持ち出し、私の手元にあったのはいつも使っていたスマホが一台だけ。
 この所、頻発していた地震。『ついに世界は滅びる』などという噂まで、まことしやかにささやかれていた。
 そんな折、ダウンロードしていた災害アプリを思い出したのだ。
 むさぼるようにアクセスして、脳内は真っ白なまま書き込んだSOSに“夜空”という名前のアカウントから返信があったのだ。
 一字一句、忘れもしない。
 優しくて、力強くて、ユーモアあふれる物言いに、どれだけ救われただろうか。

 さくら:助けてください。瓦礫に閉じ込められています。助けて
 詩を書く事が唯一の楽しみだった私の、秘密のペンネームで書き込みをしたのだ。

 夜空:大丈夫ですか? 落ち着いて

 さくら:はい

 夜空:スマホの充電は?

 さくら:20%

 夜空:あ、俺は3%しかない

 さくら:え?

 夜空:あー、いや、
    書き込みなくなったら充電切れであって
    決して見捨てたわけではないので
    あ、そんな事はどうでもいいか。
    場所はわかりますか?

 連投されるメッセージ。無機質な文字が、わずかに体温を帯びた気がした。

 さくら:場所わからいです
     何も見えない

 夜空:そっか
    それはまずいな

 さくら:え?

 夜空:目が見えてはいる?

 さくら:はい、見えてます。スマホの文字は見えます。

 夜空:それはよかった
    今こうして返事できてるってことは
    まだ生きてる証拠です

 さくら:はい?

 夜空:それってすごいことだと思うんです

 さくら:息がしにくいです

 夜空:それはまずいな
    うーん、どうしよう
    とりあえず、深呼吸してみましょう
    鼻から吸って、口から吐いて
    目つぶって、桜餅の匂いを想像してください
    できれば、葉っぱの部分
    あれ、意外といい香りしますよね

 思わず笑いがもれて、返信する言葉をさがしていると――

 夜空:あ、すみません
    お腹すいてたら逆効果だったかも
    僕も今、非常食のカロリーメイト食べたら口の中が砂漠みたいになってて
    ぜんぜん水が足りない……
    でも、僕たち、今こうして生き延びてる仲ですから。
    大丈夫。きっと助かりますよ

 さくら:どうして、そんな事が言えるんですか?

 夜空:えーと、根拠は
    うーんと、無いです! でも
    あなたのSOSが、ちゃんと届いて
    俺が今ここで返事してるってことは
    奇跡の第一歩じゃないですか?

 洋一の手が、私の腰を掴む。
 荒々しい力が、骨の奥まで痛みを呼び起こす。
「うっ……」
 痛みに耐えきれず、苦痛の声がもれた。

 私は目を閉じ、夜空を想う。

 夜空の手。
 きっと少し不器用で、優しくて、まるで星をすくうような、大きな手。

「ああ、イク! 栞、イクぞ、ああ、あああ、ああああ……」
 膣口を精一杯締め付けて、パイプカットしている洋一の精液を胎内で受け止めた。
 快楽も、愛もない。
 欲のはけ口でしかない営みから、やっと解放されたその時だった。

 キンキンキンキン……
 スマホが悲鳴のような音を上げた。
 《緊急地震速報 強い揺れに警戒してください》
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