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第一章
約束の時
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「……ちっ、また警報かよ」
鳴り響く警報音に、舌打ちまじりの声が重なる。
揺れても、揺れなくても、一日に何度もスマホが警報を発する。
誤報もしょっちゅうで、本当に揺れてもせいぜい震度3。
危機感はとうに鈍り、かつて非常だったそれは、いまや退屈な日常の風景に溶け込んでいた。
洋一は無言で下半身を拭き、私を押しのけるようにしてヘッドボードからリモコンを取った。
一応、最新情報を取るためだろう。
小さなテレビがパッと明るくなり、最大限に音量を絞ったバラエティ放送が流れる。画面の端には『緊急速報』の文字。
私はサイドテーブルに置いておいた、スマホを手繰り寄せた。正確な情報ならネットの方が早い。
その瞬間、ぐらりと部屋が揺れた。
「うわっ……何だよ……」
洋一の顔がにわかに青ざめる。
肌感だが震度4はあったように思う。
私はまだベッドに横たわったまま、スマホ片手に、体内に残る鈍い痛みと不快感が引いていくのをじっと待っていた。
埃っぽい空気が、揺れとともに舞い上がる。ミシミシと音を立てながら二階の部屋が揺れる。
轟音と共に、ドンッドンと上下に跳ねあがり、クローゼットの扉がギギギーと音を立てながら開いた。
私はベッドの端に手をつき、揺れに耐えながら腕の力を使い、這うようにして半身を起こした。
床に落ちていたノースリーブのワンピースを拾い上げ、むき出しの胸元を隠した。
テレビの画面は真っ暗に切り替わり、異様な放送が流れ始める。
『全市民へ…地球規模の異常…避難は無意味…これは…人類の終わり…』
途切れ途切れの音声は確かに、人類の終わりだと告げていた。
下着も付けないまま、急いでワンピースを身にまとう。
「ギャー―――!!! 助けてー!!! 助けてーーー」
階下から義母の叫び声が聞こえた。
洋一は、強い揺れに翻弄されながら、一目散に部屋を飛び出した。
義母の元へ行ったのだ。
腹立たしさや、寂しさはもうない。
いつもの事。
私にとってそれは、とても好都合だった。
このまま死んでも別にいい。
手にしたスマホを握りしめて、顔に向けるとロックが解除された。
夜空はどうしているだろうか?
メッセージは入っているだろうか?
あの震災の日。
奇跡的に、私達は同時に救助されていた。
私は一人だったけれど、彼の隣には、奥さんがいた事だろう。
日本各地で起きた震災。
彼がどこの誰かなど、知る由もなく、私達の関係はそこで途切れるはずだった。
それなのに――。
救助から数日絶ったある日の事だ。
災害アプリのDMに、彼からメッセージが入ったのだ。
夜空:こんにちは。このアプリ、DM機能付いてるのな。知ってた?
その後どうですか?
それを皮切りに、私達はアプリ内で、毎日デートするかのように、時には一緒に暮らしているかのように言葉を交わし続けた。
お互いの素性は曖昧にして――。
時に甘く、 時に、遠く離れた恋人同士のように、切なく。
お互いの素性を知らないという安心感から、官能的になる夜も――。
夜空:もう寝てる?
さくら:起きてるよ。ベッドの中だけど
夜空:どんな服着て寝てるの?
さくら:何も……
夜空:ヤバ、想像しちゃった
この先の人生で決して交わる事のない二人は、時に大胆に、無防備に、欲望をむき出しにした。
見た事もない彼の下半身を、容易に想像できるぐらいには、生々しい会話もあった。
そんなある日の事――。
夜空:近くの公園で桜祭りやっててさ、匂いに釣られて焼きトウモロコシと焼きイカと、たこ焼き買って食べた
さくら:食べ過ぎ(笑)
まだ少し肌寒い。
薄曇りの青空を桜が彩り始めていた日。
街には賑やかな子供たちの声が弾んでいて――。
私も同じ匂いを嗅いでいた。
香ばしくて、甘辛い……。
夜空:今日、虹見たんだ
さくら:そうなの? 私も見たよ
夜空:本当? どんな景色だった?
さくら:グレーのビルの間に、小さな白い月があってね
誰かが描いたみたいにきれいだった。
夜空:え?
同じ
薄々、感じていた。
夜空はすぐ近くに、住んでいるんじゃないかと。
夜空:夕勃ち!
じゃなかった夕立、か
さくら:わざとでしょ?(笑)
夜空:びちょぬれだよー
さくら:雷もすごいね
夜空:へそ隠せー
見ている景色、見あげている空はいつもリンクして、私の見慣れた景色を彼は知っていた。
夜空:さくらはきっときれいな人なんだろうな
さくら:それはどうだろう?
夜空の方こそ素敵な人なんだろうなって思うよ
夜空:俺はただの社畜です。
さくら:働き者って事ね
夜空:そういう事(笑)
あのさ、俺たちさ、多分近所に住んでいるよね
さくら:うん、そうだと思う。
夜空:会う?
さくら:ううん、会えないよ
私には夫がいて、夜空には奥さんがいるもん
それは建前だった。
私は片足がない事を、夜空に打ち明けられずにいた。
中卒である事や、16才の時、20も年の離れたおじさんと結婚した事も。
震災で家を失くして、夫の実家に同居している事も。
私は子供が欲しかったけれど、夫が子供嫌いのセックス好きで、パイプカットしているため、子供を授かれなかった事も……。全て打ち明けられたのに。
足が片方ない事は、私の最大のコンプレックスで、そのためにいろんな事を諦めなければならなかった人生だったなんて。
子供の頃から、誰からも愛される事なく、人生を終える事になるなんて……。
それだけは、知られたくない。
もしも、普通に足があったなら、私は迷わず彼の胸に飛び込んだかもしれない。
こんな姿、夜空にだけは絶対に見せたくなかったし、知られたくなかったのだ。
会えなくても、いいと思っていた。
声を知らなくても、姿を知らなくても――。
彼が同じ世界にいるだけで、幸せだった。
でも――。
さくら:ねぇ、夜空。あなたに触れてみたいよ
声だけでも聴いてみたいな
夜空:俺も、同じ気持ちだよ
あのさ、月の影公園、わかる?
さくら:わかるよ
夜空:うん
もしもこの世に終わりが来る事があったらさ
さくら:うん
夜空:いや、そんな事は絶対ないとは思うんだけど
もしもの話だよ
さくら:いいよ
もしもの話でも冗談でも
夜空:その時は月の影公園で会おう
さくら:うん、会おう
夜空:地球最後の日はさくらと一緒にいたい
さくら:うん
私も
夜空:月の影公園の噴水の前
そこにベンチが二つ並んでるのわかるよね?
さくら:うん!
わかる
夜空:俺、必ずそこに行くから
さくら:うん
でも…
もしも本当にそんな日が来たら
夜空:うん?
―――奥さんの傍にいてあげて。
そう書きかけて、消した。
どうせ、そんな日は来ないのだから、いつか会えるかもしれないという夢を、このままずっと見ていたかった。
さくら:抱き合ったまま、最期を迎えよう
夜空:うん、約束な
急かすような緊急速報がどこからともなく響き渡る。
『政府広域緊急放送です。繰り返します。地球規模での地殻変動が臨界点を超えました。津波、高熱、空気の崩壊、あらゆる災害が同時多発的に発生——。
もはや避難は無意味…
すべての人に告げます。
本放送をもって、あらゆる機関は機能を停止します。
愛する人の傍にいてください。
どうか、最期の瞬間を、誰かと共に。
――地球終了プロトコルを開始します』
揺れは一層激しくなり、私の体は室内を縦横無尽に転がる。
両腕の力だけで、どうにかこうにかクローゼットに向かった。
会えなくてもいい。
触れられなくてもいい。
ただひと目だけ。
彼を見たい。
それが私の最後の願い――。
鳴り響く警報音に、舌打ちまじりの声が重なる。
揺れても、揺れなくても、一日に何度もスマホが警報を発する。
誤報もしょっちゅうで、本当に揺れてもせいぜい震度3。
危機感はとうに鈍り、かつて非常だったそれは、いまや退屈な日常の風景に溶け込んでいた。
洋一は無言で下半身を拭き、私を押しのけるようにしてヘッドボードからリモコンを取った。
一応、最新情報を取るためだろう。
小さなテレビがパッと明るくなり、最大限に音量を絞ったバラエティ放送が流れる。画面の端には『緊急速報』の文字。
私はサイドテーブルに置いておいた、スマホを手繰り寄せた。正確な情報ならネットの方が早い。
その瞬間、ぐらりと部屋が揺れた。
「うわっ……何だよ……」
洋一の顔がにわかに青ざめる。
肌感だが震度4はあったように思う。
私はまだベッドに横たわったまま、スマホ片手に、体内に残る鈍い痛みと不快感が引いていくのをじっと待っていた。
埃っぽい空気が、揺れとともに舞い上がる。ミシミシと音を立てながら二階の部屋が揺れる。
轟音と共に、ドンッドンと上下に跳ねあがり、クローゼットの扉がギギギーと音を立てながら開いた。
私はベッドの端に手をつき、揺れに耐えながら腕の力を使い、這うようにして半身を起こした。
床に落ちていたノースリーブのワンピースを拾い上げ、むき出しの胸元を隠した。
テレビの画面は真っ暗に切り替わり、異様な放送が流れ始める。
『全市民へ…地球規模の異常…避難は無意味…これは…人類の終わり…』
途切れ途切れの音声は確かに、人類の終わりだと告げていた。
下着も付けないまま、急いでワンピースを身にまとう。
「ギャー―――!!! 助けてー!!! 助けてーーー」
階下から義母の叫び声が聞こえた。
洋一は、強い揺れに翻弄されながら、一目散に部屋を飛び出した。
義母の元へ行ったのだ。
腹立たしさや、寂しさはもうない。
いつもの事。
私にとってそれは、とても好都合だった。
このまま死んでも別にいい。
手にしたスマホを握りしめて、顔に向けるとロックが解除された。
夜空はどうしているだろうか?
メッセージは入っているだろうか?
あの震災の日。
奇跡的に、私達は同時に救助されていた。
私は一人だったけれど、彼の隣には、奥さんがいた事だろう。
日本各地で起きた震災。
彼がどこの誰かなど、知る由もなく、私達の関係はそこで途切れるはずだった。
それなのに――。
救助から数日絶ったある日の事だ。
災害アプリのDMに、彼からメッセージが入ったのだ。
夜空:こんにちは。このアプリ、DM機能付いてるのな。知ってた?
その後どうですか?
それを皮切りに、私達はアプリ内で、毎日デートするかのように、時には一緒に暮らしているかのように言葉を交わし続けた。
お互いの素性は曖昧にして――。
時に甘く、 時に、遠く離れた恋人同士のように、切なく。
お互いの素性を知らないという安心感から、官能的になる夜も――。
夜空:もう寝てる?
さくら:起きてるよ。ベッドの中だけど
夜空:どんな服着て寝てるの?
さくら:何も……
夜空:ヤバ、想像しちゃった
この先の人生で決して交わる事のない二人は、時に大胆に、無防備に、欲望をむき出しにした。
見た事もない彼の下半身を、容易に想像できるぐらいには、生々しい会話もあった。
そんなある日の事――。
夜空:近くの公園で桜祭りやっててさ、匂いに釣られて焼きトウモロコシと焼きイカと、たこ焼き買って食べた
さくら:食べ過ぎ(笑)
まだ少し肌寒い。
薄曇りの青空を桜が彩り始めていた日。
街には賑やかな子供たちの声が弾んでいて――。
私も同じ匂いを嗅いでいた。
香ばしくて、甘辛い……。
夜空:今日、虹見たんだ
さくら:そうなの? 私も見たよ
夜空:本当? どんな景色だった?
さくら:グレーのビルの間に、小さな白い月があってね
誰かが描いたみたいにきれいだった。
夜空:え?
同じ
薄々、感じていた。
夜空はすぐ近くに、住んでいるんじゃないかと。
夜空:夕勃ち!
じゃなかった夕立、か
さくら:わざとでしょ?(笑)
夜空:びちょぬれだよー
さくら:雷もすごいね
夜空:へそ隠せー
見ている景色、見あげている空はいつもリンクして、私の見慣れた景色を彼は知っていた。
夜空:さくらはきっときれいな人なんだろうな
さくら:それはどうだろう?
夜空の方こそ素敵な人なんだろうなって思うよ
夜空:俺はただの社畜です。
さくら:働き者って事ね
夜空:そういう事(笑)
あのさ、俺たちさ、多分近所に住んでいるよね
さくら:うん、そうだと思う。
夜空:会う?
さくら:ううん、会えないよ
私には夫がいて、夜空には奥さんがいるもん
それは建前だった。
私は片足がない事を、夜空に打ち明けられずにいた。
中卒である事や、16才の時、20も年の離れたおじさんと結婚した事も。
震災で家を失くして、夫の実家に同居している事も。
私は子供が欲しかったけれど、夫が子供嫌いのセックス好きで、パイプカットしているため、子供を授かれなかった事も……。全て打ち明けられたのに。
足が片方ない事は、私の最大のコンプレックスで、そのためにいろんな事を諦めなければならなかった人生だったなんて。
子供の頃から、誰からも愛される事なく、人生を終える事になるなんて……。
それだけは、知られたくない。
もしも、普通に足があったなら、私は迷わず彼の胸に飛び込んだかもしれない。
こんな姿、夜空にだけは絶対に見せたくなかったし、知られたくなかったのだ。
会えなくても、いいと思っていた。
声を知らなくても、姿を知らなくても――。
彼が同じ世界にいるだけで、幸せだった。
でも――。
さくら:ねぇ、夜空。あなたに触れてみたいよ
声だけでも聴いてみたいな
夜空:俺も、同じ気持ちだよ
あのさ、月の影公園、わかる?
さくら:わかるよ
夜空:うん
もしもこの世に終わりが来る事があったらさ
さくら:うん
夜空:いや、そんな事は絶対ないとは思うんだけど
もしもの話だよ
さくら:いいよ
もしもの話でも冗談でも
夜空:その時は月の影公園で会おう
さくら:うん、会おう
夜空:地球最後の日はさくらと一緒にいたい
さくら:うん
私も
夜空:月の影公園の噴水の前
そこにベンチが二つ並んでるのわかるよね?
さくら:うん!
わかる
夜空:俺、必ずそこに行くから
さくら:うん
でも…
もしも本当にそんな日が来たら
夜空:うん?
―――奥さんの傍にいてあげて。
そう書きかけて、消した。
どうせ、そんな日は来ないのだから、いつか会えるかもしれないという夢を、このままずっと見ていたかった。
さくら:抱き合ったまま、最期を迎えよう
夜空:うん、約束な
急かすような緊急速報がどこからともなく響き渡る。
『政府広域緊急放送です。繰り返します。地球規模での地殻変動が臨界点を超えました。津波、高熱、空気の崩壊、あらゆる災害が同時多発的に発生——。
もはや避難は無意味…
すべての人に告げます。
本放送をもって、あらゆる機関は機能を停止します。
愛する人の傍にいてください。
どうか、最期の瞬間を、誰かと共に。
――地球終了プロトコルを開始します』
揺れは一層激しくなり、私の体は室内を縦横無尽に転がる。
両腕の力だけで、どうにかこうにかクローゼットに向かった。
会えなくてもいい。
触れられなくてもいい。
ただひと目だけ。
彼を見たい。
それが私の最後の願い――。
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