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第3話 地獄へようこそ(前編)

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 目を覚まして最初にカケルの視界に写ったのは、真っ赤に染まった空だった。
 夕焼けじゃない。
 そんなに美しい空であるものか。
 あえていうなら……そう、血のような色の空だ。
 マラソンランナーとして、全国や海外の大会にも出たことがあるが、こんな不気味な空は見たことがない。

(……って、空?)

 カケルはようやく異常に気がつく。

(なんで、オレ、部屋の外で寝ているんだ?)

 カケルは改めて周囲を確認する。
 自分が寝かされていたのは、赤黒い土の上だ。
 地面は直径30メートルほどの円になっていて、その周囲は一箇所を除き、これまた血のように赤い池に囲まれている。
 言い方を変えるなら、ここは赤い水の湖に浮かんだ小さな島のようだ。

 カケルの前方には大きな扉があった。それこそ、高さ50メートル、幅20メートルはありそうな鉄の扉だ。

(なんだよ、ここ?)

 小さな島、赤い空と湖、そして巨大な扉。
 どう考えたって普通の場所じゃない。
 呆然としつつ、さらにカケルは気がつく。
 自分以外にも地面に寝ている……いや、気絶している少年少女達がいるということに。

 倒れているのは四人。全員見覚えがある。
 空手の天才ツヨシ、相撲の天才フトシ、フラッシュ暗算の天才ケイミ、そして転校生で将棋の天才のカオリ。
 カケルはカオリに駆け寄り、声をかけながら彼女の肩を揺する。
 カオリを優先したのは一番近くにいたからだ。決して一目惚れした女の子だからではない。ないったらない。

「カオリちゃん、カオリちゃん、しっかりして!」

 カケルの必死な声に、カオリは「うーん」と言いながら目を開いた。

「カケル……くん? ここって……ええ? なに? 夢?」

 カオリは上半身を起こして、目をこすりながら周囲を確認している。

「夢ならいいけど……」

 夢にしてはどうにもリアルだ。
 いや、状況は嘘みたいで全然リアルじゃないけど。
 でも、なんというか、肌に感じる空気感みたいなのが、これは夢ではないと語っていた。

 と。

 声を出したのはカケルでもカオリでもなかった。

「なら、試してみましょ」

 いつの間にか起き上がっていたケイミがカケルの方に歩み寄り、いきなりカケルの頬をつねる。

「い、いたっ、なにすんだよ!?」
「どうやら、夢じゃないみたいね」
「ためすなら、自分の頬をつねれよ!」
「いやよ、痛いじゃない」
「……いや、なんだよ、それ……」

 そんな風に下手クソな漫才みたいなカケルとケイミの会話。
 それを聞いていたカオリがクスリと笑う。

「2人とも、仲良しなのね」

 カケルは反射的に叫ぶ。

「だ、誰がケイミと仲良しだよ!?」

 よりにもよって、カオリにその誤解をされたくはない!
 ケイミも叫ぶ。

「そうよ! 私とカケルが仲良しなんて、悪質なデマやめてよ!」
「いや、悪質なデマって……そこまで言われるとオレとしてもな……」

 などと騒いでいたからだろう。
 残る2人。
 ツヨシとフトシも目を覚ましたようだ。
 フトシが慌てまくった声を上げる。

「え、え、ええ!? ここどこ!?」

 カケルはフトシに言う。

「わからないよ。オレ達も今目覚めたところだもん」
「そんなぁ……」

 不安で泣きそうな顔のフトシを、ツヨシがいさめる。

「落ち着け、ツヨシ。追い詰められたときこそ平常心が大切だ」
「そんなこといったって、これはいくらなんでも……どうみたって、食べ物がないじゃん! 今日の給食、カレーだったのに!!」

 カケルは思わずツッコむ。

「そこかよっ!?」

 確かに大食いのフトシには一番重要な点かもしれないが。
 だが、ケイミが冷静な声で言う。

「確かに、ある意味で一番重要なのはそれね」
「おい、ケイミもカレーが大切なのか!?」
「違うわよ。でも、今私たちは食べ物も飲み物も持っていない。食べ物は最悪1週間くらいはなくても生きられるけど、水なしでは3日で脱水症状を起こすわ。水分補給の大切さは知っているでしょ、マラソン少年くん」

 言われて気がつく。
 確かにその通りだ。
 人間は水を飲まないでは生きていられない。
 ケイミは3日と言ったが、それは生きていられる限界の話。一日まったく水分をとれなかったら、それだけで人間の体は衰弱しかねない。
 カオリが「でも……」と言う。

「さすがにあの赤い水を飲むのはちょっと……」

 確かに飲みたくはない。
 というか、絶対飲んじゃだめなヤツだ。
 そもそも、水道水やミネラルウォーターと違って、池や川、湖の水はいったん沸騰させてから飲むべきだろう。ましてや、こんな気持ち悪い水、どんな毒や細菌が混じっているか。
 ケイミが冷静な……いや、冷徹にすら聞こえる言い方で話す。

「いずれにしても、状況を確認するべきね」

 フトシが泣きそうな声で叫び返す。

「確認たって、こんなわけの分からない状況でどうするのさ!?」
「まず、私たちはここで寝ていた……いえ、気絶していたというべきかしら。なら、気絶する前は何をしていた?」
「何をって……」

 それから、5人で口々に記憶を思いだし話す。
 どうやら、全員の記憶は一致しているらしい。

 カオリが転校生としてやってきて、1時間目の授業の準備をしようとしたとき。
 大きな揺れがあった。
 地震かと身構えたら、一気に落下がはじまった。
 そして、気を失った。

 カケル以外の4人も、概ね同じように記憶しているらしい。
 フトシが叫ぶ。

「やっぱりおかしいじゃないかっ! なんで1階から落っこちて、こんなところにいるんだよ!?」

 その通りだ。
 いや、それ以前に……
 ツヨシが腕を組んで当たり前の疑問を語る。

「そもそも、なぜ俺たちは生きている?」

 そう。
 まず、それがおかしい。
 1階から落下というのも意味が分からないが、仮に地下深くに空洞があって、地震で床や地面が抜けてそこに落ちたとするならば。
 気絶する前、カケルが感じた落下時間は少なくとも10秒以上はあった。体感ではあるが、東京タワーの展望台以上の高さを落下した気がする。
 どう考えても、人間が落っこちて生きていられる高さじゃない!

 だとしたら……

 恐ろしい想像がカケルの頭の中に浮かぶ。
 生きていられるわけがないというなら、答えは1つじゃないのか?
 皆、同じ想像をしたらしい。カオリがおびえた表情で言う。

「まさか、わたしたち……死んじゃった?」

 そう。
 単純にして明快な答え。
 自分たちは死んで、ここはあの世なのではないか。
 シーンとなる一同。

 死んだ?
 オレ、本当に死んじゃったの?
 マジで?

 全然実感が湧かない。
 でも、確かに。

 例えば誘拐されてここに来たとか、そんなのよりもずっとつじつまが合うような……
 だが。
 ツヨシが皆を鼓舞する。

「その結論を出すのは早いだろう」

 そうだけど。
 そうなんだけど……
 カケルは思い出す。
 気絶する前。
 最後に聞いた言葉を。
 そして、その言葉をそのまま口にした。

「『さあ、天才少年少女くん達。いざ地獄へご招待!』」

 カケルの言葉に、4人がぎょっとした顔になる。

「その言葉……わたしも聞いたわ」

 カオリがそう言うと、他の皆もうなずく。
 やはり、空耳ではなかったようだ。

『地獄にご招待』

 その言葉をそのまま受け取るならば、やはり自分たちは命を落として地獄に送られた?
 カケルには地獄行きになるほど悪いことをした覚えはないのだが……
 悩む一同。そんななか、ツヨシが言う。

「なんにせよ、やれることをやろう」
「やれることって?」
「向こう岸も見えない赤い水を泳ぐのはやめた方がいいだろう。ならば、俺たちがすべきは……」

 ツヨシは視線を巨大な鉄扉に向ける。
 ケイミがツヨシの言葉を引き継いだ。

「目の前の扉を開けることね」

 確かに、今できることはそれしかなさそうだった。
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