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暗殺なんて、あんまりです!

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「許さない。許さないわ」

 そこは暗い、暗い部屋だった。
 暴れられないように枷を嵌められ、暴行されて既に動くことすらままならない男の前髪を引っ張り、顔を挙げさせる。

「私の大事なものを奪ったお前の育ての父親。その咎を、お前も償うの」

 そう男に告げる彼女は、いつもはきちんと結い上げられている紫の髪をそのまま垂らしていた。
 自室にいたのだろう。外部の男性の前でははしたないとされているリラックス状態の簡易な姿。
 胸元は大きく開いており、妖艶な雰囲気の出ている彼女に見惚れるかと思いきや、男は唇を噛みしめて睨みつける。

「絶対服従を誓う犬は好きよ? クレイ。お前がリリィを守りたいと思うのならば、ねぇ」

 男は拘束なんてされなくても、彼女に手をあげることはできない。
 出来ないように、魔法契約を結ばされているから。
 男が誰かを守りたくとも、守りたい誰かは、少なくとも彼女にとって守りたいものではなかった。
 彼女は嗤う。口を真っ赤に染め上げて。


*****

 おはようございます皆様。リリィです。
 そんな副音声が付きそうなほどにぼんやりとしながら目覚めたリリィは、夢で見たものを頭の中で反芻する。
 あれは確かにゲームの内容であった。
 但し詳しい描写がなかったため、恐らくは完全なるリリィの妄想によるものだと断言出来るのだが。
 その上でリリィは。

(ありがとうございました……!!)

 感涙しながら口元を隠す。
 クレイ、そう呼ばれた男はゲームの攻略対象だ。
 オルディマの養子である彼は、リリィの5歳年上。
 父親であるオルディマから暗殺技術を学んだが、オルディマはアマリリスに殺される。
 復讐はそれだけでは終わらない。オルディマが大切に育てていたクレイを魔法契約によって縛り、自分の駒として扱う。彼の魔法は昨日オルディマが言ったように、諜報活動としても役に立つからだ。
 夢の内容はゲームの中盤、クレイがリリィに好意を寄せていることがアマリリスに発覚されるときのイベントだ。
 ここはスチルが存在しており、アマリリスが妖艶に嗤ってクレイを甚振る。そんな過激なシーンだ。スチルなので多少は脚色された表現だったが、年齢指定があって当然だと思う。

(アマリリスは相変わらずかっこいい美人だった……)

 思わず拝んでしまうのも無理はない程度には、前世のリリィにとって最高の朝だった。
 ひっそりと佇む闇のような髪色に、ぼんやりとどんな感情の色も映さない灰色の瞳。
 現在は訓練中なのだろうか。8歳の少年は、礼儀正しく、そして物怖じもしていない。

「愚息のクレイです。お二人の訓練をともにしながら、使用人の訓練を受けた後、登用予定です。よろしくおねがいします」

 オルディマにそう紹介されたのは。
 ゲームにおいて【攻略対象】の一人。クレイ。
 侯爵家一家に挨拶に来たクレイを見て、ブルックスはハッとなにかに感づいたようだったが、この場ではなにも言わなかった。もごもごとなにかを口にしかけて、結局何も言わずに顎に手を当てて視線を反らす。

(はわわ。神様。あれは予知夢かなにかですか!?)

 ここでだらしない顔をしてしまえば、何を言われるかわかったものではないので気を引き締めているリリィ。その心中は今朝見た夢を反芻しながら、鼻血を出しているレベルで興奮していた。

「クレイ。わたくしはアマリリス。これから、よろしくね」

 にこりと微笑むアマリリス。それに深く頭を下げるクレイ。
 ゲームでは最悪の関係だった2人。
 親しい侍女を殺され、その復讐にオルディマを手に掛けた上、クレイを奴隷としたアマリリス。
 真実を知らないままオルディマを殺され、アマリリスを憎んで殺す隙きを常に伺っていたクレイ。
 ゲームの2人が一体いつからそんな関係になったのかはわからないが、少なくとも現在のような関係からは始まらなかった。
 何も知らず、クレイに優しく微笑みかけて歩み寄ろうとするアマリリス。
 暗殺技術の訓練途中に護衛任務も付け足されて不満を必死に押し隠しているクレイ。
 確実に原作クラッシャーとしてリリィは存在しているが、もとより原作通りに進むつもりがないので、良いことなのだと鼻血を吹きそうになるところをこらえている。
 ここで誰かリリィの心の声を聞けたなら、お前黙れと言われたであろうくらいには、リリィは騒ぎ立てていた。
 実際のリリィは澄まし顔でそんな2人の様子を眺めていたのだが。

「りりぃです。よろしくね」
「よろしくおねがいします、お嬢様方」

 クレイに挨拶をしろとアマリリスに急かされてそういえば、アマリリスとは違って微かに笑いながら挨拶をしてくるクレイ。明らかにアマリリスとは違った雰囲気だ。
 それに気付いたブルックスとオルディマとは違い、アマリリスは仲良さ気な2人へ嬉しそうに微笑み、リリィは攻略対象者のはにかむような微笑みにさすがは攻略対象と心のなかで叫びながら、隠れたい気持ちになっている。

(あぁ、なるほど)

 態度の違いについて、その理由を察したのはクレイの養い親であるオルディマだった。

──面白いお嬢様がいる、俺の片足がないことに気づき、そして取引をするだけの胆力がある令嬢だ。技術はこれから学ぶことになるが、あの気概ではお前の良い相手になる。

 オルディマはそうクレイに教えた。
 だから、彼なりに胆力があり、将来好敵手として成長するだろうと褒めた令嬢がアマリリスだと判断したのだろう。あの素っ気なさは忠誠心がないのではなく、単純にオルディマが褒めた令嬢に対する闘争心だ。
 まさか微笑みかけている3歳児のことを指しているとは確かに、オルディマがクレイの立場になっても思わない。

(見た目で判断しない例としては良い教訓か)

 ブルックスから送られてくる視線に、後で説明すると彼は視線で返す。
 こうして、侯爵家にオルディマとクレイがやってきたのだ。


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