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第一章
怪力の少女
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「はぁっ、はぁっ!」
帝都から遠く離れた、とある小さな村のはずれにある森の中。
一人の幼い少年が息を切らし、涙目になりながら、自身の命を脅かすものから逃げようと必死で足を動かしていた。
「うわああああっ!」
少年が一心不乱に逃げながらも、後ろを確認するために少しだけ振り返る。後ろからは、巨大な魔獣が獲物を仕留めんとする鋭い眼差しで、彼を追いかけてきていた。
クレーターベアと呼ばれる、巨体の魔獣だ。その大きくて硬い拳は、たった一振りで地面にクレーターのような痕跡を残すという、肉食の魔獣である。
少年は再び前を向き、森の奥の方とはいえなぜこんな人里付近にクレーターベアがいるのかと心の中で悪態をつきながらも、一人でここまで来てしまったことを後悔していた。
薬師を志す彼は、珍しい薬草を求めて、ついついいつもより遠くまで森へ入り込んでしまった。そして、そこでこの巨大な魔獣に出くわしてしまったのだ。
「ううっ!」
彼はサッと草陰に身を潜めた。クレーターベアのあまりの素早さに、追いつかれるのは時間の問題だと思ったのだ。幸い、小さな体は生い茂る草の中へ完全に紛れている。
まだ距離はかなりあったし、もしかしたら、自分が隠れている場所に気づかず通り過ぎてくれるかもしれない。
そんな希望を抱きながら、少年は息を殺してうずくまった。
しかし獲物を見失ったクレーターベアは、少年の匂いを探るように、辺りを物色し始めた。そして徐々に、だが確実に彼のもとへと近づいてきていた。
少年は恐怖で叫びだしてしまいそうな自身の口を両手で押さえながら、ぶるぶると震えることしかできなかった。
ドクンドクンと、心臓がけたたましく警鐘を鳴らす音が、彼の脳の働きを妨げているのかもしれない。
いつもは難なく知識を吸収する彼の頭も、緊張と焦りに支配されて、完全に役立たずになっていた。しかしそれも、彼がまだ十歳にもならない少年とあれば、仕方のないことかもしれなかった。
これほどの命の危機に瀕するのは、生まれて初めてだったのだから。
そして、緊張に震える体が、ガサリと微かな音をたてた時。耳聡くそれを感知したクレーターベアが、真っ直ぐにその足を少年のもとへと向けた。
「う、うわぁっ! 来るなぁっ!」
先ほどよりも早く近づいてくる魔獣の気配に動転し、少年は思わずその場から駆け出した。
彼をはっきりと視界に捉えたクレーターベアが、獲物を逃すまいと、すぐさまその姿を追う。
大人でさえ、速さでクレーターベアに敵う者はいない。
あっという間に距離が縮まり、思わず振り返った少年が、振り上げられた魔獣の前足を見て自身の死を覚悟した時。
「よっせーいっ!」
そんなおかしな掛け声とともに現れた、少年と同い年ほどの幼い少女が、彼女の身長の三倍はあろうという大きさのクレーターベアを、いとも容易く横から殴り飛ばした。
「……へ?」
ズザザザザ、と激しい音を立てて飛んでいったクレーターベアを、少年が呆然と見つめる。
クレーターベアはかなりの距離を飛ばされていった。一体どれほどの力を加えれば、あの巨体があのようなことになるのか。
少年は、いきなり現れた少女をまじまじと見つめた。
意外なことにその少女は、見たことがないほど可愛らしい見た目をしていた。
柔らかく波打つ、燃えるような赤い髪。眩しいほどきらめく、金色の大きな目。白い肌に、ピンクの唇。目鼻立ちは驚くほど整っていて、思わず見惚れてしまうほどであった。
先ほどの怪物のような所業が、この愛らしい少女の引き起こしたことであるなど、彼はその目で見ていても、とても信じられなかった。
もしかして、彼女は獣人族だろうか。
少年はそう考えたが、すぐに首を左右に振った。
獣人族は人間では考えられないほど強い力を持つというが、必ずどこかに動物の身体的特徴を持つらしい。目の前の少女は、どこからどう見ても人間だった。
魔法であんなに強くなれるなんて聞いたことがないけれど、もしかしたら、精霊族が得意だという不思議な魔法を使っているのかもしれない。
そうも考えたが、精霊族は排他的で、ほとんど集落から出ることはないらしい。それに、彼らは耳が尖っていると、本には書いてあった。少女の耳は人間族の自分と同じく丸いので、それも違うだろう。
少年はそんな風に思考を巡らせつつ、驚愕と恐怖に目を見開いたまま、少女とクレーターベアを交互に見ていた。
「グオォォォ!」
「ひえっ!?」
あれほど派手に飛んでいったクレーターベアだが、一撃でやられはしなかったらしい。怒りの咆哮をあげたクレーターベアが、自分を攻撃してきた少女へと、完全に狙いを定めている。
「むぅ、さすがはクレーターベア。なかなかやるわね。じゃ、もう一発いくわよ!」
少女は迎え撃つも、魔獣の方が初撃は早かった。
幼い少女の柔らかい体など一撃で壊してしまいそうな魔獣の前足が、彼女を襲う。
しかしクレーターベアの素早い攻撃をひらりと躱した彼女は、地面を蹴り、信じられないほど高く飛び上がった。
そして軽やかな身のこなしでくるりと身をひねると、その遠心力と重力を加えた重い足蹴りを、熊の脳天へとお見舞いした。
「グオッ……」
ドォン、と大きな音をたてて倒れたクレーターベアは、それきり動かなくなった。
少女はグッと拳を握る。
「よーし! やったぁ、クレーターベアのお肉ゲットよ! こんなところでこんな大きな獲物に出会えるなんて、なんて運がいいのかしら。これで、しばらく肉には困らないわね!」
そう言うと、彼女は少年の方に目を向けることなく、あっという間にクレーターベアの元へと駆けていき、ズルズルと引きずりながら動かなくなった獲物を持ってどこかへ行ってしまったのだった。
「……な、なんだったんだ……?」
一人残された少年は思わずそう呟いたが、答えてくれる者は、誰もいそうになかった。
帝都から遠く離れた、とある小さな村のはずれにある森の中。
一人の幼い少年が息を切らし、涙目になりながら、自身の命を脅かすものから逃げようと必死で足を動かしていた。
「うわああああっ!」
少年が一心不乱に逃げながらも、後ろを確認するために少しだけ振り返る。後ろからは、巨大な魔獣が獲物を仕留めんとする鋭い眼差しで、彼を追いかけてきていた。
クレーターベアと呼ばれる、巨体の魔獣だ。その大きくて硬い拳は、たった一振りで地面にクレーターのような痕跡を残すという、肉食の魔獣である。
少年は再び前を向き、森の奥の方とはいえなぜこんな人里付近にクレーターベアがいるのかと心の中で悪態をつきながらも、一人でここまで来てしまったことを後悔していた。
薬師を志す彼は、珍しい薬草を求めて、ついついいつもより遠くまで森へ入り込んでしまった。そして、そこでこの巨大な魔獣に出くわしてしまったのだ。
「ううっ!」
彼はサッと草陰に身を潜めた。クレーターベアのあまりの素早さに、追いつかれるのは時間の問題だと思ったのだ。幸い、小さな体は生い茂る草の中へ完全に紛れている。
まだ距離はかなりあったし、もしかしたら、自分が隠れている場所に気づかず通り過ぎてくれるかもしれない。
そんな希望を抱きながら、少年は息を殺してうずくまった。
しかし獲物を見失ったクレーターベアは、少年の匂いを探るように、辺りを物色し始めた。そして徐々に、だが確実に彼のもとへと近づいてきていた。
少年は恐怖で叫びだしてしまいそうな自身の口を両手で押さえながら、ぶるぶると震えることしかできなかった。
ドクンドクンと、心臓がけたたましく警鐘を鳴らす音が、彼の脳の働きを妨げているのかもしれない。
いつもは難なく知識を吸収する彼の頭も、緊張と焦りに支配されて、完全に役立たずになっていた。しかしそれも、彼がまだ十歳にもならない少年とあれば、仕方のないことかもしれなかった。
これほどの命の危機に瀕するのは、生まれて初めてだったのだから。
そして、緊張に震える体が、ガサリと微かな音をたてた時。耳聡くそれを感知したクレーターベアが、真っ直ぐにその足を少年のもとへと向けた。
「う、うわぁっ! 来るなぁっ!」
先ほどよりも早く近づいてくる魔獣の気配に動転し、少年は思わずその場から駆け出した。
彼をはっきりと視界に捉えたクレーターベアが、獲物を逃すまいと、すぐさまその姿を追う。
大人でさえ、速さでクレーターベアに敵う者はいない。
あっという間に距離が縮まり、思わず振り返った少年が、振り上げられた魔獣の前足を見て自身の死を覚悟した時。
「よっせーいっ!」
そんなおかしな掛け声とともに現れた、少年と同い年ほどの幼い少女が、彼女の身長の三倍はあろうという大きさのクレーターベアを、いとも容易く横から殴り飛ばした。
「……へ?」
ズザザザザ、と激しい音を立てて飛んでいったクレーターベアを、少年が呆然と見つめる。
クレーターベアはかなりの距離を飛ばされていった。一体どれほどの力を加えれば、あの巨体があのようなことになるのか。
少年は、いきなり現れた少女をまじまじと見つめた。
意外なことにその少女は、見たことがないほど可愛らしい見た目をしていた。
柔らかく波打つ、燃えるような赤い髪。眩しいほどきらめく、金色の大きな目。白い肌に、ピンクの唇。目鼻立ちは驚くほど整っていて、思わず見惚れてしまうほどであった。
先ほどの怪物のような所業が、この愛らしい少女の引き起こしたことであるなど、彼はその目で見ていても、とても信じられなかった。
もしかして、彼女は獣人族だろうか。
少年はそう考えたが、すぐに首を左右に振った。
獣人族は人間では考えられないほど強い力を持つというが、必ずどこかに動物の身体的特徴を持つらしい。目の前の少女は、どこからどう見ても人間だった。
魔法であんなに強くなれるなんて聞いたことがないけれど、もしかしたら、精霊族が得意だという不思議な魔法を使っているのかもしれない。
そうも考えたが、精霊族は排他的で、ほとんど集落から出ることはないらしい。それに、彼らは耳が尖っていると、本には書いてあった。少女の耳は人間族の自分と同じく丸いので、それも違うだろう。
少年はそんな風に思考を巡らせつつ、驚愕と恐怖に目を見開いたまま、少女とクレーターベアを交互に見ていた。
「グオォォォ!」
「ひえっ!?」
あれほど派手に飛んでいったクレーターベアだが、一撃でやられはしなかったらしい。怒りの咆哮をあげたクレーターベアが、自分を攻撃してきた少女へと、完全に狙いを定めている。
「むぅ、さすがはクレーターベア。なかなかやるわね。じゃ、もう一発いくわよ!」
少女は迎え撃つも、魔獣の方が初撃は早かった。
幼い少女の柔らかい体など一撃で壊してしまいそうな魔獣の前足が、彼女を襲う。
しかしクレーターベアの素早い攻撃をひらりと躱した彼女は、地面を蹴り、信じられないほど高く飛び上がった。
そして軽やかな身のこなしでくるりと身をひねると、その遠心力と重力を加えた重い足蹴りを、熊の脳天へとお見舞いした。
「グオッ……」
ドォン、と大きな音をたてて倒れたクレーターベアは、それきり動かなくなった。
少女はグッと拳を握る。
「よーし! やったぁ、クレーターベアのお肉ゲットよ! こんなところでこんな大きな獲物に出会えるなんて、なんて運がいいのかしら。これで、しばらく肉には困らないわね!」
そう言うと、彼女は少年の方に目を向けることなく、あっという間にクレーターベアの元へと駆けていき、ズルズルと引きずりながら動かなくなった獲物を持ってどこかへ行ってしまったのだった。
「……な、なんだったんだ……?」
一人残された少年は思わずそう呟いたが、答えてくれる者は、誰もいそうになかった。
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