61 / 63
第4章
第60話ーー動き出す転移者達④ーー
しおりを挟む「…………」
何だこれは……?どうしてこんな事になった?
じんわりと染み渡るような湯船。プツプツと肌に纏わりつく気泡は恐らくこれが炭酸温泉だからだろう。
身体の芯から温まっていくようで日頃の訓練やここまでの遠征できた疲れが解れていくようで余りの気持ちよさにこのまま脱力しきって眠りに落ちてしまいそうになる。
ちらりと一緒に入った晴人へと視線を向けると彼は余りの気持ちよさにか、その表情は既にだらけきっており正に骨抜きと評しても良い表情になっている。
それはそうだ。
これまでの旅の中でわかった事だが、この世界には湯船に浸かるという習慣が殆どない。
全くないわけじゃないが、湯船をはれるだけのスペースや排水設備が整っていないせいで殆どの宿では良くてシャワーが浴びれる程度で浴槽のある宿などはそれこそ超が着くほどの高級宿屋しかない。
それでもせいぜい人ひとり分の浴槽がせいぜいでこんな温泉施設のようなものはこの世界に来てから初めてのことだった。だから晴人のように表情から全身まで緩み切ってしまうのも同じ日本人として分からなくはない。分からなくはないが……。
「ん?どうした?野郎に見つめられてもそっちの気はねぇぞ俺ぁ」
「……ふざけるな、そろそろ何か話したらいいんじゃないか?」
相変わらず感に触る物言いに早くも苛立ちが込み上げてくる。
葉山弓弦。コイツをみていること何故か昔からイライラしてしょうがなかった。
見た目や言動もそうだが、皆の輪を乱すような行為に自分はまるで無関係で、だから好き勝手やらせてもらうとでもいうような飄々とした態度。
それが俺の中ではどうしても許せなかった。
コイツが生きていた事には驚いたが、正直なんでまだ生きてるんだと言ってやりたい気持ちが込み上げくる。
同じ輪を乱すにしても岡田や富田のように納得できる理由など持ち合わせておらず、仮にあっても話そうとすらしない。それが気に食わなかった。
そんな大嫌いな奴となんでこの世界に来て初めての温泉を一緒に入ることになってるのか、その状況すら意味不明だし一体なんの罰ゲームだと思ってしまった俺は悪くないだろう。
「おーおー、勇者様はせっかちだねぇ。どーせならそこの晴人だっけ?そいつみてぇにのんびりしてからでもいいだろうに」
「ふざけるなっ!お前には聞かなきゃならないことが山ほどあるんだぞ?!」
ケタケタと笑う葉山に苛立ちが最高潮にまで達してつい声を荒げてしまうが、そんなことなど気にならないくらいに苛立ちが募っていく。だが、そんな俺の反応など意に介さないとばかりに目の前の男は「ハッ」と鼻で笑い飛ばしてきた。
「それが人にものを聞く態度かよ。勇者ってーのは随分と横柄な奴が選ばれるんだな?これじゃここにいたゴロツキ共と変わりゃしねぇ」
「なんだと?!」
「落ち着けよアキラ。葉山もあんま挑発してくれんな」
「……クソッ」
尚も煽ってくる葉山に対して晴人が仲裁するように間に入ってきた事で一旦その場は収まったがなんとも言えない空気がその場にしばし流れる事となった。が。
「……なぁ、葉山。一つ聞いてもいいか?ってか聞かせてくれ。いい加減気になって仕方ねぇからな」
そう言って歯切れ悪く尋ねたのは晴人だった。そしてその問いに葉山は「なんだ?」と短く尋ね返すと晴人は視線を葉山の方……よりもちょい下で極楽そうに表情を蕩けさせている少女に向ける。
「その子はお前の子供……で、いいんだよな?」
そう、色々と話が逸れたり聞き出すタイミングを失ってはいたが、これまで散々葉山の事を「パパ」と呼んで慕っていた少女の存在は地味に聞き出したいことこの上ないことだった。
何せあの葉山だ。学校での生活態度を知ってる身としてはなんとも言えない存在に気になって仕方なかったのだ。
「あぁ、ミリナの事か……まぁ娘、みたいなもんだが言っちまえば俺の相棒だな」
「相棒?娘なのにか?ってかそれ以前に一年ちょっと見ないだけでそんなに子供って成長するもんなのか?」
「まぁ色々複雑なんだよ。それで他に聞きたいことはねぇのか?あぁ、先に言っとくがお前らがこんな辺鄙なとこに来たことは言わなくていいぞ。大体分かるからな」
言葉を濁すように言い終えるとそれで?とでもいうように視線で訴えてきた。
どうやら本当にこの少女に関しては聞いてほしくないらしい。その事を察した晴人も話題を変えようとするが、その前に俺が質問を重ねた。
「まるで俺たちの目的を知ってるような口振りだな」
「大方グローゲン砦の調査でもしに来たんだろ?んで、訓練かパフォーマンスかはしらねぇがついでにこの辺に巣食ってたクソを蹴散らしにきたとかどーせそんなとこだろ」
「…………」
気怠げに答える葉山ではあったが、それは当たっていた。
その事に素直に驚いていたが、どうしてコイツがその事を知ってるのかが謎だった。
何せ今回の任務を与えられてから行動し始めるまでは迅速に行われ、移動中も割と強行軍できたから噂がこんなところにまで広まる前に収拾をつける予定だったからだ。
「どうしてそれを」
「知ってるかだって?アホか。世界の救世主だの、神の仕わせた使徒だの持て囃されてるテメェらが戦争そっちのけでわざわざこんなとこまで出張ってくるなんてちょいと考えりゃ猿でも分かるっての」
「……」
「……」
その思いがけない返答に俺と晴人は思わず顔を見合わせてしまった。
確かに現在のグローゲン砦での様子を知っていれば俺たちが派遣されてきた理由も察することはできるだろうが、まさかそれを不良と名高い葉山があっけらかんと答えるとは思わなかったからだ。
「はぁ。テメェらが俺のことをどー思ってんのかとかクソどーでもいいがよ……あんま舐めてっと、殺すぞ?」
「ッ!」
「ッ?!」
ザバッと瞬時に俺と晴人は同時に葉山から距離を取るように飛び退いたのは殆ど無意識の行動だった。
これまで数多のモンスターから向けられてきた殺気とは違い明らかに濃密なまでの殺意に身体が、そして何より本能がコイツが危険であることを知らせてきたのだ。
(な、なんだ?どうしてコイツからこんなっ……コイツは無能じゃなかったのか?!)
全身から汗が吹き出し、まるで巨大な“何か”と対峙しているかのような得体の知らなさとどうしようのない恐怖が駆け抜けてくる。
この感覚を知ってはいる。
ダンジョンのボスモンスターが稀に放つスキル『威圧』の効果と同じものだ。だが、今受けているのはこれまでとは比べるのも烏滸がましいとすら錯覚してしまうほどの圧倒的な重圧感。
自然と呼吸は乱れ、震えそうになる身体を必死に抑えるのにも精一杯なくらいに圧倒されていた。
「……この程度でよく勇者が名乗れたもんだな」
そう小さく呟かれたその一言と同時にそれまで全身を押し潰さんとばかりに襲っていた重圧から解放された。
「話は後だ。外の連中も呼んでやっから何を話すかきっちりまとめとけ」
それだけ言い残すと葉山は湯船から上がるとミリナと呼ばれた少女と共に外へと出ていった。
二人が出て行ってからも暫し呆然としていた俺達だったが、すぐに晴人の方から話しかけてきた。
「……何だったんだよ、今の……アイツは無能じゃなかったのか?」
「…………」
その問いかけに、俺は答えることができなかった。
脳裏を過ぎるのは召喚当時に測定されたステータスで最低値を出していた葉山の姿。
あの時は騎士団の中でも噂が持ちきりになり、聞いた話じゃこの世界の住民の平均にも届かないほどの底ステータスだった筈だ。
あれから月日が流れたと言ってもこの世界の住民の成長速度や俺たちのような召喚者の成長速度と比較しても今し方感じていた葉山からの圧倒的強者の格に届くなど到底思えなかった。
まるでアイツだけ別次元にでも飛ばされたか全く別の何かになったのではないかと思える……いや、そう思わずにはいられなかった。
「……クソッ」
無意識に呟かれた言葉に晴人は反応することなくただ不安げに見つめてくるだけだったが、その表情からは『頼むから判断を間違えてくれるな』という心配がありありと浮かんでいた。
分かっている。今し方感じていた葉山の威圧は間違いなく本物だ。
それはこれまで培ってきた戦闘経験からコケ脅しでも何でもなく葉山は間違いなく俺たちを殺すことが出来ると確信させられた……が、だからこそ俺の胸中に浮かんできたのは恐怖から来る絶望でもなければ、やりきれない無力感でもない。
あるのはただ純粋な怒り。
自分でもこれが自分勝手で何の脈絡もなく言いがかりも甚だしい怒(もの)だとは分かってはいる。分かってはいるのだが、感情がそれを許してはくれなかった。
それを言葉にするならこうだ。
『自分にはこれまで背負うものがあり、常に最善の手を考え、皆のことを考え行動し、自分の心すらも騙して押し殺してここまでやってきたのに、どうしてあんな自分勝手な奴がとっくの昔に死んだと思っていたのにまた俺たちの前に姿を現した?
それも明らかにこれまで何度も死線を潜り抜け努力と研鑽を積んできた俺よりも強くなって、しかもそれがどうして上から目線でこれまで俺達クラスメイト達に何もしてこなかったクソ野郎の癖に上から目線でモノを言ってくるんだ?
おかしいだろ……ふざけるな、ふざけるなっ、ふざけるなっ!』
支離滅裂……とまでは行かないし分からんでもない言い分ではあるが、明らかに葉山の事情を無視した自己中心的と言われても仕方ない文句でしかなかったが、アキラの胸中を駆け抜ける思いを言葉にするのなら正にコレだった。
けれど、胸の中でぐるぐると駆け回る思いとは裏腹にアキラは非常に理性的であった。故に苦虫を何億匹も噛み潰すかのような苦々しい思いを胸に出した答えは晴人の思い通りのものとなった。
「皆を……皆と集まって話し合おう。今は、兎に角情報が必要、だ。それと、葉山には……アイツには絶対手を出すなと伝えてくれ」
「あ、あぁ。任せろ、皆んなには絶対に守らせる」
その後もしばらく湯に浸かり直して話し合う内容を詰めていたが、鳥肌が収まる事も最初の湯船に浸かった心地よさも感じないまま話し合いは進んでいった。
☆
「んーっ……はあぁ~……生き返る~」
広い湯船に全身を浸しながら大きく伸びをすると自然と声が出て体から力が抜けて脱力してしまうが、私はそれに抗う事なくただあるがままに受け入れた。
何せ久しぶりの湯船……それも銭湯のような大浴場で足を伸ばして肩まで浸かれるのは恐らくこの世界に来てから初めてのことなのだ。
例え真横から「はしたないですよ」というお小言をいうメイドがいても気にもならないくらいに今の私は充足感に満たされていた。
「あははっ飛鳥ちゃんよっぽど疲れてたみたいだね~」
そう言って愉快げに話しかけてきた方を見ると遅れてやってきた二人の女性の内一人に全身をマッサージしてもらっている菜倉くんだった。
彼の普段の振る舞いを見ていると忘れてしまいがちになってしまうが、一応彼は男だ。が、菜倉くんに関してはウチのクラスの中では別扱いである。
確かに彼は男だが、半分は女子というか八割くらいは女子みたいなものなので彼に裸を見られようと一緒の更衣室どころか同じ湯船に浸かる事に抵抗感を覚える女子はウチのクラスに限ってだがかなり低い。
まぁ今更そんなことでわーきゃー言う女子の方が少ないし、この世界に来てからそれなりに濃密な時間を過ごしていたせいか、色恋というかそういった情欲に駆られるような話題が上がったところで地球にいた頃に比べれば盛り上がりに欠けているというのも事実だった。
ただ私の心労の内何割かは彼も加担しているのにそれをまるで他人事のように言われるのは……なんというかちょっとムッとしてしまう。
「お陰様でね。どこかの誰かさん達が突然消えて消息不明のまま雲隠れされたからクラスを纏めるのに大忙しだったせいかしら」
だからこのくらいの嫌味を言ってもいいだろうとチラリと視線を菜倉くんの方へと向けると彼は相変わらずあっけらかんとした様子のまま答えた。
「ゴメンごめん、これでも悪いかな~とは思ってたんだよ?まぁ思っただけなんだけどね♪」
「……でしょうね。でも正直そこまで本当に困ってたわけじゃないから」
これは本当の事だ。確かに失踪直後は全員に動揺が走ったけど、彼らが常に葉山弓弦と共に行動していたのは誰もが知っていた事で、自然と先にいなくなった彼を追いかけたのだと思われていた。だから動揺こそすれ、それほど騒ぎになる事はなく私たちの中ではすぐに収まりがついていた。
ただ王城の方は私たちとは反対にかなりお慌てた様子ですぐに捜索隊やらが編成されたけど、結局手がかり一つ掴めず今も尚捜索は続いているらしい。
「あ、でも庄吾と会えなくしちゃったのは本当にごめんね?」
ただ庄吾の名前が出されてピクリと反応してしまい、彼の方へと視線を向けると、そこには深々と頭を下げて謝罪してくる彼の姿見て……私は一気に毒気が抜かれた気分になった。
その様子からは茶化す雰囲気でも戯けた感じもなく、ただただ誠心誠意の気持ちを込めての謝罪をされると私としても居心地が悪かった。
私と庄吾は別に恋人関係でもなければ常に共に行動していた訳でもない。あるとしたらそれは酷く一方的な私が庄吾の事を好いているという想いだけだ。
「……別にいいわ」
それに託けて菜倉くんに当たり散らすのは筋違いだと自分でも分かってるつもりだ……まぁ感情の整理をつけるのにはだいぶ時間がかかったから嫌味くらいは言っても良いだろうとは思ってる。
「あなた達が自分で決めた事に部外者の私がとやかくいうつもりはないけど、文句くらいは言わせてほしいわね」
「ふふっありがとう飛鳥ちゃん♪ もちろんあたし達に関係する事なら遠慮なく!」
「ふん……それで彼は、その、元気なの?」
「それはもちろん♪毎日楽しそうにしてるよ」
「そう、ならいいわ。生きててくれてるならそれで」
彼が元気である、それだけ聞ければ十分だ。
本当は直接会って色々と言いたいことが山のようにあるし、伝えたいこともあるけど……菜倉くんはこれ以上私が聞いたところで何も答えてはくれないだろう。
「ふふっ」
「なに?」
「んーん?いや~、飛鳥ちゃんって本当健気で可愛いなぁ~って。メイドさんもそー思うよね?」
急に話を振られたアイリスだったが、シレっと「そうですね」とだけ言って話を流してしまう。
「揶揄うのはそのぐらいにして。それよりいい加減聞いてもいいかしら?」
「ん?あたしらがここにいる理由だったらもう話たと思うけど?」
「……あれ本当だったの?」
ここに来るまでの道中で偶然山賊に出会った話を思い出したが、正直あの話が本当だとは思っていなかった。
何せならず者といっても砦の大きさなどから考えて百人単位の戦力を推定していたのだ。
私たちでも上手くやれるという自信はなかったのに彼はきょとんとしたように何を当たり前な事を聞いているのだろう、とでも言いたげな表情を向けてきた。
「そんなしょうもない嘘つかないよ。でも、信じられないっていうなら後で一緒に見に行こうか?まだ生きてるっぽいのもいると思うしね♪」
「生きてるっぽい?」
「まぁ見れば分かるよ♪ それより他に聞きたいことは?」
「むぅ……じゃあ、結奈の事は何か知らない?」
話をはぐらかされてしまったが、どうせすぐに分かることだと割り切り、聞きたかった親友の行方を聞いてみる事にした。
正直望み薄とは思うけれど、ひょっとしたら何かの手がかりが掴めないかと思っての問いだったのだが。
「知ってるよ、というかあたし達の仲間になったからね♪」
「…………え?」
パチッとウィンクしながらあっさりと答えられた返答に私はしばらくフリーズしてしまった。
彼は今何といった?知ってるどころか結奈は菜倉くん……いや、葉山くん達の仲間になったということ?……そっか、上手く出会えたんだ……。
だんだん思考が追いついてくると、じんわりと鼻の奥が熱くなっていくのを感じて顔を下に向けると涙がボロボロとこぼれ落ちていく。
「よしよし。今は会わせてあげれないけど、ユナっちも元気にしてるから安心してね」
「うぐっ……ぐすっ……よ、よかったあぁ……」
感情が追いついてくるともう涙を止める事ができなかった。
涙を流す度にこれまで心の奥でささくれのように取れなかった不安が流れ落ちていく。
普段はあまり意識していなかった。いや、意識したくなかった事だが、結奈が生きていて、今は彼らと共に行動してると知って何よりも安渡していた。
私はしばらくの間子供のように泣き続けていた。
☆
「はい、お水。飲んだいた方がいいよ~」
「……ありがとう」
湯船に浸かったまま泣き続けていたせいで少しのぼせ気味になった私達は浴場から出て客間のような一室に案内されていた。
そこで菜倉くんから渡されたコップに入った水をコクコクと飲んで少し驚いた。
この世界にスポーツ飲料なんてものはないはずなのに、その水が凄く美味しく感じられたからだ。
「ふふ。びっくりした?でも残念スポドリじゃなくて経口補水液モドキだよ♪砂糖と塩それから香りつけにレモンモドキを入れてるから美味しいでしょ♪」
「え、えぇ……正直ビックリしたわ。よく作り方なんて知ってたわね」
「弓弦がね~、暇だった時にYou◯ubeで見てたの思い出したんだって!普通見ないよねぇ~」
「葉山くんが……?なんていうか意外ね」
「でしょ?でも暇な時ってついついどうでもいいもの見ちゃうんだよねぇ」
「今の私たちには何よりも必要な知識ね」
葉山くんには失礼だけど、似合ってないなと思ってしまいついつい笑ってしまう。
何だか凄く久しぶりにこういう雑談を楽しんでる気がするなと自分でも驚いていたが、すぐに菜倉くんが気を遣ってくれてるのだと気づいて少しだけ自分が恥ずかしく思ってしまう。
彼からしたら私は余程肩肘張ったように見えていたのだろう。実際ここに来てからも結奈が生きてると聞かされる直前まで緊張し続けていたのだから彼からしてもやりにくかったことこの上ないだろう。
だから私は会話が途切れると同時に「ふぅ」と一つ息をついてから改めて彼に聞くことにした。
「ねぇ。最初に葉山くんに確認してた“どこまで話していい”って何のことか聞いてもいい?」
「……」
私は最初に案内された先にいた葉山くんと菜倉くんの会話を思い出しながら聞いてみると、彼はそれまでの和やかな雰囲気を消して私を見定めるような視線を向けてきた。
なんとなくそれが試されてるような気がした私は視線を逸らすことも揺るがすこともなく見返していると、彼はコップに入った水を一口飲んでから口を開いた。
「飛鳥ちゃんはさ、この一年ちょっとの間に見てきたこの世界についてどう思う?」
「……世界については、分からないけど少なくともこの国はいい国だと思ったわ」
「いい国か……うん、そうだね。いい国だよね。
食文化はまだまだだけど、文化水準は地球の中世に比べてもずっと高いし、治安も警察や軍隊がそこまで多いわけでもないのにそれなりに保たれてる。
多少の小競り合いとかはあっても、漫画や小説みたいな一方的過ぎる搾取はされず笑って日々を過ごしていく平民がどこに行っても当たり前のようにいる」
菜倉くんは座っていたソファから立ち上がりながらツラツラとこの国の実情を述べていく。
言ってることは事実だし、現に私自身思っていたことなのだが……何故だろう、彼からは感心や敬意といったものより皮肉や悪意のような……そんな後ろ暗い感情が声音になって現れてる気がする。
そのせいか、私は無意識の内に表情を強ばらせ妙な緊張感が高まっていってしまう。
「ねぇ。飛鳥ちゃん……あたしや庄吾、それに弓弦がどうして皆んなの元から離れて、その上でどうして戻らないか分かる?」
「……最初は葉山くんには戦う力がなくて、あなた達はそんな彼を放っておけずに追いかけたのだと思ってたわ。でも、さっき彼を見た瞬間私のその考えは消し飛んだわ。
彼に何があったのかは知らないけど、彼はたぶん凄く強くなってる。たぶん、アキラと同等かそれ以上に……だからその質問には私は分からないとしか言えない。
強くなった葉山くんに二人がいつまでも付き従う理由も、戻ってこない理由も分からないわ」
「ふふ。そっかぁ~。でもそこまでは分かってくれて良かったよ♪」
くるくると回りながら嬉しそうな表情で彼はどこからともなく一冊の手帳を差し出してきた。
「これは?」
「あたしがこれまで調査してきたこの国の実態をまとめたその一部だよ。飛鳥ちゃんはこれを読んでも良いし、読まずに燃やしても良い。
情報ってのは鮮度の他にも危険度があるからね。どうしても知りたいならそれを読めば良い。
でも気をつけて?それを知ったら飛鳥ちゃんに未来はない」
「それって……」
「読むときは誰にも見られず、知られず、一人で読んで?そして誰にも話しちゃダメだよ。話したら話を聞いた人皆んなが死ぬことになるからね♪」
そう言って渡された手帳に視線を落とす。
革張りで所々が煤けたり、破れたりと随分使い込まれているのが見てとれる。
と、いうかいきなりこんな物騒なものをそんな笑顔満点の爽やかスマイルで言わないでほしい。
シリアスとかどっかに行っちゃったし、明らか『肩の荷降りた~』みたいな満足感たっぷりの表情とかホント見せないでほしい。お願いだから。
あれ?私。ひょっとしてとんでもない面倒ごとを押し付けられた?
いや、でも知りたかった事は知りたかった事だし、何となくコレ渡すから質問はその後でね的な雰囲気も伝わってきてるけど……でもちょっと、ホント待ってほしい。
「大丈夫だいじょぶ♪ いずれは皆んなが知ることになるからさ。飛鳥ちゃんにはその時の為に先に知っておいてほしいってだけの謂わば保険みたいなものだよ♪」
「ちょっと待ちなさい。それってつまり私が生贄になれと?」
「生贄なんて大袈裟な!せいぜい先遣隊とか弾除けとか身代わりとか」
「余計に酷くなってるじゃない!!」
「あはははっ♪」
ダメだ、本格的に頭が痛くなってきた……このままいっそ破り捨ててやろうかしら?
「でも飛鳥ちゃんはそうしないといけない。ううん、そうせざる得ない」
「……どうしてそう言い切れるのかしら?」
「だってもう疑ってるんでしょ?それに皆んなを見捨てるなんて覚悟……飛鳥ちゃんにはないもんね?」
「なっ?!」
彼が何を言ってるのか、何の話をしてるのかは正直分からない。でもその言葉は明らかな脅しであり、彼なら……いや、彼らなら何の躊躇もなく仲間の皆んなを見捨てられるという覚悟の表れだった。
……いや、違う。先に見捨てられたのは彼らの方だ。
それなのに彼らは私たちには何か手を貸そうとしてくれてる?それは何で?分からない。
この世界に来てもうそれなりに長いから理解してる。今更同郷のよしみ程度で手を貸してくれるような人間はいない。
多少の事なら兎も角、人の生死や命に関わる事で積極的に関わろうとする人間なんていない。
それはここがファンタジー世界だろうと私たちのいた現代社会であろうと変わらない唯一無二の真実だ。
だから一体全体何が起ころうとしていて、彼らが何をしようとしていても……私は知らなければいけないということか。
「……前からずっと思ってたけど、菜倉くんって凄く性格悪いわよね」
「ん?何なに?今更褒め言葉?ふふ♪ありがとー♪」
そう言ってクネクネと身体を捩らせる菜倉くんを私は苛立ちと共に冷めた気持ちと呆れた気持ちが同居した瞳で見ることしか出来なかった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
258
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる