2 / 39
氷の王女の誕生
氷の邸にて
しおりを挟む冬だった。
けれどそれは冷たさよりも静けさが先に満ちているような朝だった。
空は雲に覆われている。
けれど、それは薄くやわらかく雪の下に毛布がかけられているような色だった。
まるで、神さまが世界ごと静かに眠らせようとしているみたいに──
ローエン公爵邸は、その朝もひっそりとしていた。
誰かが寝坊したからではない。
生まれたばかりの高貴な方を迎えるために、全員が息をひそめていたからだった。
厚い石壁。長い長い廊下。冷たい銀の燭台。
それらすべてが、まるで鼓動を止めて、ただひとつの音を待っている。
── 足音。
かつん。かつん。
その音は重くもなく軽くもない。
丁寧にゆっくりと踏みしめられている気配だけを残し、響いていた。
応接間の扉の前で、それは止まる。
「……ここで、よろしいですか?」
問いかけたのは、控えめながらも威厳のある女官だった。
その腕には、白い毛布にくるまれた、小さな命が抱かれている。
老執事ルドルフは静かに頷いた。
彼の瞳は、年老いた獅子のように穏やかで、深い。
「どうぞ、お入りください。暖炉の火は、すぐに入れます」
扉が開かれると、外の光が細く差し込んだ。
誰もいないだれも知らないこの部屋に、その瞬間だけまるで天から一滴だけこぼれた雫のような、澄んだ空気が満ちた。
女官は小さな籠をひとつ、暖炉の前の長椅子の上にそっと置いた。
それは、ごく普通の籐の籠だった。だが、その中身は──決して普通ではない。
白い毛布の隙間から、わずかに見える小さな顔。
桃色の肌。細く閉じられたまぶた。ふっくらとした唇。
そして、まるで空の氷を溶かしたような銀の髪が透けるように揺れている。
──それが、王女だった。
「この子の名は、“アイリス”。王家の血を引く……けれど、今はただの公爵家の子として育ててください。それが現女王セレスティア様からの命です。」
女官はそう言って、深く頭を垂れる。
ルドルフもまた、ゆっくりと膝を折った。
彼の手は、籠の端にそっと添えられている。
まるですでにその子を“預かったもの”として、守ると誓っているように。
「……王家の“氷の血”。」
「ええ……けれどこの子には、温かなものも、きっと流れています」
ふたりはそれ以上、言葉を交わさなかった。
けれどその場には確かに何かの始まりの気配があった。
アイリスは、目を覚まさなかった。
雪の降る朝に。
この石の館に連れてこられてたったひとりで、
けれど世界の誰よりも静かに穏やかに生まれてきた。
ルドルフはその小さな額に、軽く手を置いた。
そして、誰にも聞かれぬような低い声で呟く。
「……ようこそわたくしどものお姫さま」
そのとき──窓の外で、雪が静かに舞い落ちた。
音もなく、ひとひら。
まるで祝福のように。
◇◇◇
「公爵様も女王様も大変難しいことをおっしゃる...」
王女アイリスの存在は、王妃のご意志により“表沙汰にせぬこと。
この女性の生まれにくい世界において女王の命は誰よりも優先されるべきだ。
しかし生まれたばかりの子もまた未来の女王となるべき存在。
そしてなにより我々が仕えるローエン公爵と女王の愛の結晶である
暖炉の火がぱちぱちと鳴る夜。
執務室にひとり残ったルドルフは、ろうそくの灯に照らされた文書に目を通していた。
「……“彼女の存在は、いまだ国に告げるに早し”──か」
確かに女性が大切であるがゆえにデビュタントまで隠し通す家すらある、
しかし王位継承権の一番上に君臨するこの小さな女王の存在をどこまで隠して育てられるおつもりなのか。
古びた蝋封に刻まれているのは、女王セレスティアの紋章。
その封を、指先でなぞる老執事の眼差しは、どこか遠くを見ていた
10
あなたにおすすめの小説
身代りの花嫁は25歳年上の海軍士官に溺愛される
絵麻
恋愛
桐島花は父が病没後、継母義妹に虐げられて、使用人同然の生活を送っていた。
父の財産も尽きかけた頃、義妹に縁談が舞い込むが継母は花を嫁がせた。
理由は多額の結納金を手に入れるため。
相手は二十五歳も歳上の、海軍の大佐だという。
放り出すように、嫁がされた花を待っていたものは。
地味で冴えないと卑下された日々、花の真の力が時東邸で活かされる。
自己肯定感の低い令嬢が策士な騎士の溺愛に絡め取られるまで
嘉月
恋愛
平凡より少し劣る頭の出来と、ぱっとしない容姿。
誰にも望まれず、夜会ではいつも壁の花になる。
でもそんな事、気にしたこともなかった。だって、人と話すのも目立つのも好きではないのだもの。
このまま実家でのんびりと一生を生きていくのだと信じていた。
そんな拗らせ内気令嬢が策士な騎士の罠に掛かるまでの恋物語
執筆済みで完結確約です。
記憶喪失の私はギルマス(強面)に拾われました【バレンタインSS投下】
かのこkanoko
恋愛
記憶喪失の私が強面のギルドマスターに拾われました。
名前も年齢も住んでた町も覚えてません。
ただ、ギルマスは何だか私のストライクゾーンな気がするんですが。
プロット無しで始める異世界ゆるゆるラブコメになる予定の話です。
小説家になろう様にも公開してます。
ご褒美人生~転生した私の溺愛な?日常~
紅子
恋愛
魂の修行を終えた私は、ご褒美に神様から丈夫な身体をもらい最後の転生しました。公爵令嬢に生まれ落ち、素敵な仮婚約者もできました。家族や仮婚約者から溺愛されて、幸せです。ですけど、神様。私、お願いしましたよね?寿命をベッドの上で迎えるような普通の目立たない人生を送りたいと。やりすぎですよ💢神様。
毎週火・金曜日00:00に更新します。→完結済みです。毎日更新に変更します。
R15は、念のため。
自己満足の世界に付き、合わないと感じた方は読むのをお止めください。設定ゆるゆるの思い付き、ご都合主義で書いているため、深い内容ではありません。さらっと読みたい方向けです。矛盾点などあったらごめんなさい(>_<)
下賜されまして ~戦場の餓鬼と呼ばれた軍人との甘い日々~
星森
恋愛
王宮から突然嫁がされた18歳の少女・ソフィアは、冷たい風の吹く屋敷へと降り立つ。迎えたのは、無愛想で人嫌いな騎士爵グラッド・エルグレイム。金貨の袋を渡され「好きにしろ」と言われた彼女は、侍女も使用人もいない屋敷で孤独な生活を始める。
王宮での優雅な日々とは一転、自分の髪を切り、服を整え、料理を学びながら、ソフィアは少しずつ「夫人」としての自立を模索していく。だが、辻馬車での盗難事件や料理の失敗、そして過労による倒れ込みなど、試練は次々と彼女を襲う。
そんな中、無口なグラッドの態度にも少しずつ変化が現れ始める。謝罪とも言えない金貨の袋、静かな気遣い、そして彼女の倒れた姿に見せた焦り。距離のあった二人の間に、わずかな波紋が広がっていく。
これは、王宮の寵姫から孤独な夫人へと変わる少女が、自らの手で居場所を築いていく物語。冷たい屋敷に灯る、静かな希望の光。
⚠️本作はAIとの共同製作です。
『身長185cmの私が異世界転移したら、「ちっちゃくて可愛い」って言われました!? 〜女神ルミエール様の気まぐれ〜』
透子(とおるこ)
恋愛
身長185cmの女子大生・三浦ヨウコ。
「ちっちゃくて可愛い女の子に、私もなってみたい……」
そんな密かな願望を抱えながら、今日もバイト帰りにクタクタになっていた――はずが!
突然現れたテンションMAXの女神ルミエールに「今度はこの子に決〜めた☆」と宣言され、理由もなく異世界に強制転移!?
気づけば、森の中で虫に囲まれ、何もわからずパニック状態!
けれど、そこは“3メートル超えの巨人たち”が暮らす世界で――
「なんて可憐な子なんだ……!」
……え、私が“ちっちゃくて可愛い”枠!?
これは、背が高すぎて自信が持てなかった女子大生が、異世界でまさかのモテ無双(?)!?
ちょっと変わった視点で描く、逆転系・異世界ラブコメ、ここに開幕☆
【完結】氷の王太子に嫁いだら、毎晩甘やかされすぎて困っています
22時完結
恋愛
王国一の冷血漢と噂される王太子レオナード殿下。
誰に対しても冷たく、感情を見せることがないことから、「氷の王太子」と恐れられている。
そんな彼との政略結婚が決まったのは、公爵家の地味な令嬢リリア。
(殿下は私に興味なんてないはず……)
結婚前はそう思っていたのに――
「リリア、寒くないか?」
「……え?」
「もっとこっちに寄れ。俺の腕の中なら、温かいだろう?」
冷酷なはずの殿下が、新婚初夜から優しすぎる!?
それどころか、毎晩のように甘やかされ、気づけば離してもらえなくなっていた。
「お前の笑顔は俺だけのものだ。他の男に見せるな」
「こんなに可愛いお前を、冷たく扱うわけがないだろう?」
(ちょ、待ってください! 殿下、本当に氷のように冷たい人なんですよね!?)
結婚してみたら、噂とは真逆で、私にだけ甘すぎる旦那様だったようです――!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる