女王は後宮にて溺愛される

黒蜜もち

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氷の王女の誕生

氷の邸にて

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冬だった。
けれどそれは冷たさよりも静けさが先に満ちているような朝だった。

 

空は雲に覆われている。
けれど、それは薄くやわらかく雪の下に毛布がかけられているような色だった。
まるで、神さまが世界ごと静かに眠らせようとしているみたいに──

 

ローエン公爵邸は、その朝もひっそりとしていた。
誰かが寝坊したからではない。
生まれたばかりの高貴な方を迎えるために、全員が息をひそめていたからだった。

 


厚い石壁。長い長い廊下。冷たい銀の燭台。
それらすべてが、まるで鼓動を止めて、ただひとつの音を待っている。

 

 ── 足音。

 

かつん。かつん。
その音は重くもなく軽くもない。
丁寧にゆっくりと踏みしめられている気配だけを残し、響いていた。

 

応接間の扉の前で、それは止まる。

 

「……ここで、よろしいですか?」

 

問いかけたのは、控えめながらも威厳のある女官だった。
その腕には、白い毛布にくるまれた、小さな命が抱かれている。

 

老執事ルドルフは静かに頷いた。
彼の瞳は、年老いた獅子のように穏やかで、深い。

 

「どうぞ、お入りください。暖炉の火は、すぐに入れます」

 

扉が開かれると、外の光が細く差し込んだ。
誰もいないだれも知らないこの部屋に、その瞬間だけまるで天から一滴だけこぼれた雫のような、澄んだ空気が満ちた。

 

女官は小さな籠をひとつ、暖炉の前の長椅子の上にそっと置いた。
それは、ごく普通の籐の籠だった。だが、その中身は──決して普通ではない。

 

白い毛布の隙間から、わずかに見える小さな顔。
桃色の肌。細く閉じられたまぶた。ふっくらとした唇。
そして、まるで空の氷を溶かしたような銀の髪が透けるように揺れている。

 

 ──それが、王女だった。

 

「この子の名は、“アイリス”。王家の血を引く……けれど、今はただの公爵家の子として育ててください。それが現女王セレスティア様からの命です。」

 

女官はそう言って、深く頭を垂れる。
ルドルフもまた、ゆっくりと膝を折った。
彼の手は、籠の端にそっと添えられている。
まるですでにその子を“預かったもの”として、守ると誓っているように。

 

「……王家の“氷の血”。」
「ええ……けれどこの子には、温かなものも、きっと流れています」

 

ふたりはそれ以上、言葉を交わさなかった。
けれどその場には確かに何かの始まりの気配があった。


 
アイリスは、目を覚まさなかった。
雪の降る朝に。
この石の館に連れてこられてたったひとりで、
けれど世界の誰よりも静かに穏やかに生まれてきた。

 

ルドルフはその小さな額に、軽く手を置いた。
そして、誰にも聞かれぬような低い声で呟く。

 

「……ようこそわたくしどものお姫さま」

 

 そのとき──窓の外で、雪が静かに舞い落ちた。

 

 音もなく、ひとひら。
 まるで祝福のように。



  ◇◇◇


「公爵様も女王様も大変難しいことをおっしゃる...」



王女アイリスの存在は、王妃のご意志により“表沙汰にせぬこと。


この女性の生まれにくい世界において女王の命は誰よりも優先されるべきだ。
しかし生まれたばかりの子もまた未来の女王となるべき存在。
そしてなにより我々が仕えるローエン公爵と女王の愛の結晶である


暖炉の火がぱちぱちと鳴る夜。
執務室にひとり残ったルドルフは、ろうそくの灯に照らされた文書に目を通していた。



「……“彼女の存在は、いまだ国に告げるに早し”──か」


確かに女性が大切であるがゆえにデビュタントまで隠し通す家すらある、
しかし王位継承権の一番上に君臨するこの小さな女王の存在をどこまで隠して育てられるおつもりなのか。



古びた蝋封に刻まれているのは、女王セレスティアの紋章。
その封を、指先でなぞる老執事の眼差しは、どこか遠くを見ていた




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