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Ⅵ章
62話 消えた白薔薇
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散々人に押しかけられたアルデバランが、うんざりした様子でテラスに逃げてきた。その後ろを皿いっぱいにスイーツを盛ったリブリーチェがついてくる。
「はあ、散々な目に遭った。来るんじゃなかったこんな所」
ベンチに身体を預け、アルデバランが天を仰ぐ。その隣にリブリーチェが座った。
「主様、お友達はできましたか?」
「友達ぃ? 俺はここに友人を作りにきた覚えはないぞ」
「あんなに人に囲まれてたのに?」
「あれは災害か何かだ。ロゼはどこだ? なんでリブは一緒じゃないんだ。俺はもう帰るぞ」
「ロゼ姉さんなら、テラスに行くって言ってましたよ」
リブリーチェの言葉に、アルデバランが身体を起こしてテラスを見渡す。カップルが数組いるだけで、ロゼアリアの姿は見当たらない。
「いないじゃないか」
「中に戻ったんですかね?」
「いや、中にもいなかった。いれば分かる」
「じゃあ、帰っちゃったんですかね?」
「俺達に何も言わずに帰るようなやつじゃない」
ならロゼアリアはどこに。リブリーチェと視線を合わせて首を傾げたアルデバランが、何かに気づいた。
「リブ、待った。そのまま動くなよ」
「主様どうしたんですか?」
アルデバランが気づいたのは、ベンチの下に落ちたガラス片。誰かが割れたグラスを隠そうと蹴ったようだ。アルデバランが屈んでベンチの下を覗き込む。誰がどう見ても不審者の動きだ。
「完全に怪しい人に見えますよ」
リブリーチェが足をぷらぷらさせながら、未だベンチの下を覗くアルデバランを見下ろした。
「僅かだが破片に液体が残ってる……ああ、ここで落としたのか。ほとんど染み込んでるが、まだ床が濡れてるな」
「主様?」
「俺達が来る少し前にここで一悶着あったらしい。覗いてみるか。もしかしたら、ロゼが首を突っ込んでるかもしれない」
興味半分でアルデバランがガラス片を一つ手に取った。
「なるほど、眠り薬か。ろくでもない奴がいたもんだ。待て、なんでここにロゼのエリューがある?」
面白そうにしていたアルデバランの表情が曇り、眉間に皺が寄る。数秒、アルデバランが考え込んだ。
「リブ、そこを退いてくれ」
「どうしたんですか主様。ロゼ姉さんに何かあったんですか?」
「ああ」
“追憶”
ベンチに触れた指先から、セピア色の記憶が脳へと流れ込んできた。
本来は人間や動物など、記憶媒体を持つ相手に使う術。無機物に起きた事象を覗くことは過去を覗くことに等しく、扱い方を間違えば時間軸に干渉しかねない。
グラスとベンチ、二つの物体から得た情報から考えるに、ロゼアリアは既に王城を離れている。しかし転移魔法を使うには彼女のいる座標が必要だ。
「リブ、伝言を頼む。ロゼアリアと同じ色の目をした、白い髪の」
「ロドニシオお兄さんですね?」
「ああ。ロゼのいる場所が分かったら連絡する」
今度は視覚を変える。光を通して見る物体の世界から、エリューだけを抽出。まだ残っているロゼアリアのエリューを追えばどこに連れて行かれたか分かるはずだ。
(まだそれほど時間は経っていないはずだ……ロゼのことだ、簡単にやられたりしないだろう)
だからこそ。あれだけの腕を持つ彼女が、こうも簡単に攫われるとは思いもしなかった。
「──ん…………」
ゆっくりと開いた視界の先に、見慣れない天井。ランプのオレンジと青黒い陰が震えている。
たしか、王宮のテラスにいたはず。そこで急に眠くなって、それから──。
「あっ! そうだ!!」
瞼を閉じる直前のことを全て思い出してロゼアリアは跳ね起きた。素早く部屋中に視線を這わせて状況を整理する。どこかの貴族の部屋であることに間違いない。部屋にいるのはロゼアリアただ一人だ。
次に自分を見下ろす。状態を確認しようとして、顔をしかめた。
「何これ」
視界に飛び込んで来たのは手首に嵌められた枷。そこから伸びた鎖がベッドのフレームに繋がっている。飛び起きて確認すると、枷は手首だけではなく足にも嵌められていた。
身体の自由は利く。ただ、どの方向でもベッドを下りようとするといずれかの鎖が張り、叶わない。
変わっているのはそれだけじゃない。着ていたはずの騎士服は無く、代わりにネグリジェを纏っていた。レース生地で作られたそれはその内側のランジェリーを透かせ、もはやネグリジェと呼んでいいのか分からない。ランジェリーも見覚えの無いものだ。
「誰だか知らないけど、なんて悪趣味な……!」
ロゼアリアが奥歯を噛み締める。これほどまでに屈辱を感じたことはない。
「この甘い匂いはなに? 香?」
嗅ぎ慣れない匂いだ。もう一度部屋を見回すと、香炉があった。ザジャで見たものと形が似ている。
香の匂いを嗅いでいると、頭がぼんやりした。これは吸ってはいけないものだと直感し、手で鼻と口を覆う。
とにかく脱出を。まずは枷を外さなければ。いや、外すより鎖を引きちぎる方法を探した方が早いかもしれない。
どう引きちぎるか考えていると、扉が開く音がした。ハッと視線を向けた先に立つ人物を見て、ロゼアリアの怒りは最高潮に達する。
「クロレンス公子!! 何の真似ですか!?」
「ロゼ、目が覚めたんだね」
手元に剣があれば、間違いなくその喉元に刃先を向けていた。
激昂するロゼアリアをアーレリウスは穏やかな表情で見つめる。その視線はうっとりと絡みつくような熱を帯び、ロゼアリアの怒りをさらに燃え上がらせた。
「私をどこに連れてきたんですか? 眠り薬も、貴方の差し金ですね!?」
「安心して。着替えは侍女に頼んだから。さすがに寝込みを襲うのは紳士じゃないから、我慢したんだ。」
「薬を盛って勝手に連れてきた時点で何も変わりません!! 私の服はどこ!?」
奪われたのはよりにもよって騎士団の正装だ。あれがロゼアリアにとってどれほど大切な物か、アーレリウスには分からないだろう。
「ロゼは怒っている表情も可愛いね。その服、君にとても似合うと思ったんだ。でも想像よりもずっと綺麗だ」
「はっ、貴方がこんな悪趣味を持っていたなんて知りませんでした。ヘレナ様が知ったらさぞお怒りになることでしょうね!」
「大丈夫、僕がヘレナから君を守るから安心して。それに、ヘレナはまだ王宮にいる。ここはクロレンス公爵邸だから簡単には入れないし、誰も邪魔できないよ」
「最っ悪だわ!!」
思わず舌を打つ。クロレンス公爵邸となればそこらの人間が簡単に立ち入れる場所ではない。外の人間に助けを求めるのは絶望的だ。となれば、クロレンス公爵と公爵夫人にどうにか頼るしかなかった。
でもどうやって。それに、夫妻がこれを黙認している可能性も捨てられない。
(この鎖が邪魔!)
思い切り引いてフレームから外すには長すぎる。やはり手で引きちぎるしか。
「逃げようとしてるの? 駄目だよロゼ。君は僕と結婚するんだ。そして一生一緒になろうね」
「先に婚約破棄を申し出たのは貴方よ。忘れたの?」
「恥ずかしがっているの? そんなところも可愛いね。ああ、ヘレナのことなら気にしなくて大丈夫だよ。ヘレナは正妻、ロゼは愛人になってしまうけど、本当に愛してるのは君だから」
話が通じないどころではない。アーレリウスの方こそ、何か薬を盛られているんじゃないかと疑いたくなる。
「ねぇロゼ、どうして名前を呼んでくれないの? 君がずっと他人行儀で、どれだけ寂しかったか」
「婚約者でもない方を、どうして名前で呼ばなければならないの」
「あの魔法使いのことは名前で呼んでいたじゃないか」
そんな所まで見られていたとは。公の場では、なるべく彼を「カーネリア卿」と呼ぶようにしていたはずなのに。
「彼は、友達だもの。それに貴族じゃない」
「ならどうして、あの魔法使いはロゼを愛称で呼ぶんだ?」
「彼は貴族の作法を知らないからよ」
徐々に距離を近づけてくるアーレリウスを睨みながら、時間を稼ぐために言葉を紡ぐ。必死に考えを巡らせるが、甘い匂いがそれを邪魔する。
どうやらこの匂いは、思考だけでなく身体の動きも鈍らせるらしい。鎖を握る手に力が入らない。
「きっと悪い魔法をかけられてしまったんだね。でも大丈夫だよ、ロゼ。僕が君の目を覚ましてあげる」
このままではまずい。アーレリウスと身体の関係を持ったとなれば、いよいよ彼の愛人になる以外の道は無くなる。ここへ連れ込まれた時点で既に手遅れかもしれない。
もうアーレリウスを蹴り飛ばすしか。腹を括りかけたその時、真っ黒な何かがロゼアリアを覆うように降ってきた。
「はあ、散々な目に遭った。来るんじゃなかったこんな所」
ベンチに身体を預け、アルデバランが天を仰ぐ。その隣にリブリーチェが座った。
「主様、お友達はできましたか?」
「友達ぃ? 俺はここに友人を作りにきた覚えはないぞ」
「あんなに人に囲まれてたのに?」
「あれは災害か何かだ。ロゼはどこだ? なんでリブは一緒じゃないんだ。俺はもう帰るぞ」
「ロゼ姉さんなら、テラスに行くって言ってましたよ」
リブリーチェの言葉に、アルデバランが身体を起こしてテラスを見渡す。カップルが数組いるだけで、ロゼアリアの姿は見当たらない。
「いないじゃないか」
「中に戻ったんですかね?」
「いや、中にもいなかった。いれば分かる」
「じゃあ、帰っちゃったんですかね?」
「俺達に何も言わずに帰るようなやつじゃない」
ならロゼアリアはどこに。リブリーチェと視線を合わせて首を傾げたアルデバランが、何かに気づいた。
「リブ、待った。そのまま動くなよ」
「主様どうしたんですか?」
アルデバランが気づいたのは、ベンチの下に落ちたガラス片。誰かが割れたグラスを隠そうと蹴ったようだ。アルデバランが屈んでベンチの下を覗き込む。誰がどう見ても不審者の動きだ。
「完全に怪しい人に見えますよ」
リブリーチェが足をぷらぷらさせながら、未だベンチの下を覗くアルデバランを見下ろした。
「僅かだが破片に液体が残ってる……ああ、ここで落としたのか。ほとんど染み込んでるが、まだ床が濡れてるな」
「主様?」
「俺達が来る少し前にここで一悶着あったらしい。覗いてみるか。もしかしたら、ロゼが首を突っ込んでるかもしれない」
興味半分でアルデバランがガラス片を一つ手に取った。
「なるほど、眠り薬か。ろくでもない奴がいたもんだ。待て、なんでここにロゼのエリューがある?」
面白そうにしていたアルデバランの表情が曇り、眉間に皺が寄る。数秒、アルデバランが考え込んだ。
「リブ、そこを退いてくれ」
「どうしたんですか主様。ロゼ姉さんに何かあったんですか?」
「ああ」
“追憶”
ベンチに触れた指先から、セピア色の記憶が脳へと流れ込んできた。
本来は人間や動物など、記憶媒体を持つ相手に使う術。無機物に起きた事象を覗くことは過去を覗くことに等しく、扱い方を間違えば時間軸に干渉しかねない。
グラスとベンチ、二つの物体から得た情報から考えるに、ロゼアリアは既に王城を離れている。しかし転移魔法を使うには彼女のいる座標が必要だ。
「リブ、伝言を頼む。ロゼアリアと同じ色の目をした、白い髪の」
「ロドニシオお兄さんですね?」
「ああ。ロゼのいる場所が分かったら連絡する」
今度は視覚を変える。光を通して見る物体の世界から、エリューだけを抽出。まだ残っているロゼアリアのエリューを追えばどこに連れて行かれたか分かるはずだ。
(まだそれほど時間は経っていないはずだ……ロゼのことだ、簡単にやられたりしないだろう)
だからこそ。あれだけの腕を持つ彼女が、こうも簡単に攫われるとは思いもしなかった。
「──ん…………」
ゆっくりと開いた視界の先に、見慣れない天井。ランプのオレンジと青黒い陰が震えている。
たしか、王宮のテラスにいたはず。そこで急に眠くなって、それから──。
「あっ! そうだ!!」
瞼を閉じる直前のことを全て思い出してロゼアリアは跳ね起きた。素早く部屋中に視線を這わせて状況を整理する。どこかの貴族の部屋であることに間違いない。部屋にいるのはロゼアリアただ一人だ。
次に自分を見下ろす。状態を確認しようとして、顔をしかめた。
「何これ」
視界に飛び込んで来たのは手首に嵌められた枷。そこから伸びた鎖がベッドのフレームに繋がっている。飛び起きて確認すると、枷は手首だけではなく足にも嵌められていた。
身体の自由は利く。ただ、どの方向でもベッドを下りようとするといずれかの鎖が張り、叶わない。
変わっているのはそれだけじゃない。着ていたはずの騎士服は無く、代わりにネグリジェを纏っていた。レース生地で作られたそれはその内側のランジェリーを透かせ、もはやネグリジェと呼んでいいのか分からない。ランジェリーも見覚えの無いものだ。
「誰だか知らないけど、なんて悪趣味な……!」
ロゼアリアが奥歯を噛み締める。これほどまでに屈辱を感じたことはない。
「この甘い匂いはなに? 香?」
嗅ぎ慣れない匂いだ。もう一度部屋を見回すと、香炉があった。ザジャで見たものと形が似ている。
香の匂いを嗅いでいると、頭がぼんやりした。これは吸ってはいけないものだと直感し、手で鼻と口を覆う。
とにかく脱出を。まずは枷を外さなければ。いや、外すより鎖を引きちぎる方法を探した方が早いかもしれない。
どう引きちぎるか考えていると、扉が開く音がした。ハッと視線を向けた先に立つ人物を見て、ロゼアリアの怒りは最高潮に達する。
「クロレンス公子!! 何の真似ですか!?」
「ロゼ、目が覚めたんだね」
手元に剣があれば、間違いなくその喉元に刃先を向けていた。
激昂するロゼアリアをアーレリウスは穏やかな表情で見つめる。その視線はうっとりと絡みつくような熱を帯び、ロゼアリアの怒りをさらに燃え上がらせた。
「私をどこに連れてきたんですか? 眠り薬も、貴方の差し金ですね!?」
「安心して。着替えは侍女に頼んだから。さすがに寝込みを襲うのは紳士じゃないから、我慢したんだ。」
「薬を盛って勝手に連れてきた時点で何も変わりません!! 私の服はどこ!?」
奪われたのはよりにもよって騎士団の正装だ。あれがロゼアリアにとってどれほど大切な物か、アーレリウスには分からないだろう。
「ロゼは怒っている表情も可愛いね。その服、君にとても似合うと思ったんだ。でも想像よりもずっと綺麗だ」
「はっ、貴方がこんな悪趣味を持っていたなんて知りませんでした。ヘレナ様が知ったらさぞお怒りになることでしょうね!」
「大丈夫、僕がヘレナから君を守るから安心して。それに、ヘレナはまだ王宮にいる。ここはクロレンス公爵邸だから簡単には入れないし、誰も邪魔できないよ」
「最っ悪だわ!!」
思わず舌を打つ。クロレンス公爵邸となればそこらの人間が簡単に立ち入れる場所ではない。外の人間に助けを求めるのは絶望的だ。となれば、クロレンス公爵と公爵夫人にどうにか頼るしかなかった。
でもどうやって。それに、夫妻がこれを黙認している可能性も捨てられない。
(この鎖が邪魔!)
思い切り引いてフレームから外すには長すぎる。やはり手で引きちぎるしか。
「逃げようとしてるの? 駄目だよロゼ。君は僕と結婚するんだ。そして一生一緒になろうね」
「先に婚約破棄を申し出たのは貴方よ。忘れたの?」
「恥ずかしがっているの? そんなところも可愛いね。ああ、ヘレナのことなら気にしなくて大丈夫だよ。ヘレナは正妻、ロゼは愛人になってしまうけど、本当に愛してるのは君だから」
話が通じないどころではない。アーレリウスの方こそ、何か薬を盛られているんじゃないかと疑いたくなる。
「ねぇロゼ、どうして名前を呼んでくれないの? 君がずっと他人行儀で、どれだけ寂しかったか」
「婚約者でもない方を、どうして名前で呼ばなければならないの」
「あの魔法使いのことは名前で呼んでいたじゃないか」
そんな所まで見られていたとは。公の場では、なるべく彼を「カーネリア卿」と呼ぶようにしていたはずなのに。
「彼は、友達だもの。それに貴族じゃない」
「ならどうして、あの魔法使いはロゼを愛称で呼ぶんだ?」
「彼は貴族の作法を知らないからよ」
徐々に距離を近づけてくるアーレリウスを睨みながら、時間を稼ぐために言葉を紡ぐ。必死に考えを巡らせるが、甘い匂いがそれを邪魔する。
どうやらこの匂いは、思考だけでなく身体の動きも鈍らせるらしい。鎖を握る手に力が入らない。
「きっと悪い魔法をかけられてしまったんだね。でも大丈夫だよ、ロゼ。僕が君の目を覚ましてあげる」
このままではまずい。アーレリウスと身体の関係を持ったとなれば、いよいよ彼の愛人になる以外の道は無くなる。ここへ連れ込まれた時点で既に手遅れかもしれない。
もうアーレリウスを蹴り飛ばすしか。腹を括りかけたその時、真っ黒な何かがロゼアリアを覆うように降ってきた。
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