白薔薇姫と黒の魔法使い

七夕 真昼

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Ⅵ章

63話 二度目の初恋

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 視界を塗り潰した闇は、魔塔の香りが染みついていた。あの不思議な香りが肺を満たし、緊張が解ける。

「──ただの人間が、なかなか手間をかけさせてくれる」

 ローブ越しに聞こえた声に、強張っていた身体から力が抜けた。

「……アルデバラン?」
「ああ、俺だが」

 ロゼアリアがローブから顔を出す。ベッドのすぐ傍に立つアルデバラン。背が大きく空いたノースリーブインナーから、管理者エリュプーパの証であるタトゥーが覗いていた。
 どうしてここが、という疑問はアーレリウスの怒声に呑み込まれた。

「お前! お前のせいでロゼが僕に冷たくなったんだ!! 魔法使いごときが、ロゼを誑かすな!!」

 激昂するアーレリウスを、アルデバランが冷たく見返す。

「なら言葉を返すが、人間ごとき・・・がトウハクセンの香なんかどこで手に入れた?」
「黙れ!! 薄気味悪い魔法使いが偉そうな口を聞くな!! 今すぐ僕のロゼから離れろ!!」
「喚くなやかましい」

 アルデバランがため息をつくと同時に、どこからともなく現れた縄がアーレリウスをソファに縛り付ける。

「離せ!! ロゼに触れていいのは僕だけだ!!」

 唯一自由の利く口を動かしてアーレリウスが叫び続ける。その姿は錯乱している人間そのものだった。そんなアーレリウスをアルデバランが一瞥すると、アーレリウスの身体から急に力が抜け、意識を失う。

「何を、したの?」
「うるさいから眠らせただけだ。トウハクセンの影響を防ぐために薬を飲んでたんだろう。攻撃的な言動は副作用のせいだな」

 本当にアーレリウスは正気を失っていたようだ。見たこともない彼の言動に驚いていたが、薬の副作用なら納得がいく。

 アルデバランが指を鳴らすと、手足についていた枷が外れた。

「ありがとう」

 香炉へ向かう背中に感謝の言葉をかける。アルデバランはまじまじと香炉の観察を始めた。

「それは?」
「トウハクセン。ザジャとスモグランドの一部にしか生息しない木だ。麻酔薬の生成に用いられるが、希少性から今は輸出が禁じられてる」
「どうしてそんなものをクロレンス公子が」
「さあな。正気に戻るまでは何も聞けないだろう」

 再びアルデバランが指を鳴らすと、ロゼアリアの服が騎士団の正装に戻る。

「私の制服! ありがとう」

 品の無いネグリジェでは心許なかった。服が戻ってきたことに安堵し、アルデバランにローブを返す。

「リブに連絡を頼んだ。そのうちロドニシオやロゼの父親がここへ来るはずだ」
「お父様まで」
「ロゼはそのまま帰れ。まだトウハクセンの香が身体から抜けてないだろう」
「うん」

 未遂で終わったことから、この件は両家の間で話をつけて終わるだろう。それでも、社交界で噂が回ることは避けられない。婚約の破棄を突きつけた側のアーレリウスがなぜ事に及んだのかはロゼアリアにも分からなかった。
 血相を変えて飛び込んで来たカルディスに連れられ、ロゼアリアは無事にロードナイト伯爵邸へ帰ってきた。先に連絡を受けていた母ロゼッタは、心配という表情そのものでエントランスをうろうろしていた。

「お嬢様がご無事で本当に良かったです。カーネリア卿にはなんとお礼を申し上げたら良いか」

 すん、とフィオラが鼻をすする。夜会に向けて主の支度をしていた時は、こんな事が起きるなんて思っていなかった。

 フィオラから貰ったハーブティーにロゼアリアが視線を落とす。じんわりと手のひらが温かくなるのを感じながら、さっきのことを思い出した。

(ヘレナ様と婚約したのに、どうして)

 アルデバランと共にいた所に声をかけてきたアーレリウス。思い返せば、あの時の彼の視線にはじっとりと絡みつくようなものを感じた。それが執着だと分かって、嫌悪感が込み上げる。
 あれほど好きな人だったはずなのに。

 アルデバランが来なければ、本当にどうなっていたか分からない。

 飲み物を渡してきたウェイターをアーレリウスが買収したのか。元々計画していたことなのか。それらはカルディスやロドニシオ達が調べるだろう。王家主催の夜会で公子がこんな事件を起こしたのだ。爵位の降格は免れても、クロレンス公爵家の名誉は当分地に落ちるだろう。ヘレナがアーレリウスとの婚約を解消したいと申し出れば、クロレンス公爵家側の意思は関係なく受諾される。

「はあ……」

 ハーブティーを一口飲んで息をつく。カモミールの甘く爽やかな香りが気持ちを落ち着かせてくれた。

(……アルデバランはいつも助けてくれる。私は、彼の嫌いな人間のはずなのに)

 魔窟に落ちた時も。ザジャでラウニャドールと戦った時も。ロゼアリアが落ち込んでいる時は話を聞いてくれて、けれど無闇に慰めたりはしなくて。「そんなことくらいで」と否定することもなくて。
 胸の奥がきゅっとしたのを感じて、ロゼアリアはハーブティーから視線を上げた。

(……ん?)

 今のは、一体。いや、まさか。
 胸の奥に抱いた違和感に、片手を胸に当てる。

 アルデバランが何度も助けてくれるのはきっと、自分が友人だからだ。唯一彼の秘密を知っていて、アルデバランが何も気にせず全てを打ち明けられる相手だからだ。
 きっとそうだ。でなければ、ただの人間を彼が助けるはずもない。アルデバランの優しさは、魔法使いだけに向いているのだから。

 脳裏に、アルデバランがソミンを助けた時の光景が思い出される。ソミンが魔法使いだから、自分と同じ管理者エリュプーパだから、どれだけ嫌われていようと躊躇いなく助けた。
 胸の奥が少しいたんだ。

(……違う)

 ただの思い過ごしだ。気のせいだ。

(アルデバランが私を愛称で呼ぶのも、私達が友人で、彼が貴族じゃないから)

 貴族が愛称を許す理由を、アルデバランは知らない。アーレリウスに自分でそう言った。それで間違いない。

 視界に映る、窓際のスピネージュ。未だ凛と咲き続ける小さな花。

──ロゼに渡す時に保存魔法をかけたからな。一ヶ月は咲くはずだ。

 「ロゼ」と自分を呼ぶ声が耳元で木霊す。それだけで心臓が強く脈打った。記憶が、魔塔の不思議な香りを呼び覚ます。最初は傲慢で偏屈だも思ったアルデバランが、不器用だが優しい人だということはもうとっくに知っていた。

(待って)

 ハーブティーをテーブルに置く。先ほど、アーレリウスによって着せられた品の無いネグリジェ。それを隠すためにローブを貸してくれたアルデバラン。

(……見られた?)

 あのあられもない格好を。それだけではない。至近距離で泣き顔を見られたこともある。
 恥ずかしさに頬に血が昇る。
 淑女どころか、騎士としても情けない姿を晒してばかりだということに気づき、ロゼアリアは両手で顔を覆った。

「最っ悪……」
 
 呟いた声は我ながら弱々しかった。あんな品性の欠片も無い姿、アルデバランにどう思われたか分からない。

「お嬢様、ご入浴はいかがなさいますか?」

 自己嫌悪に陥っているところにフィオラが訪ねてきて、身体が過剰に跳ね上がる。

「い、今行く!」
「では、すぐにご準備しますね」
「うん」

 フィオラに返事をした後、一度深く息を吐いた。

 胸をきゅっと締め付ける感覚は知っていた。心臓が強く脈打つ感覚も知っていた。絵本から出てきた王子様のような彼を初めて見た時だって、そうだったのだから。

 ハーブティーを飲み干して立ち上がる。

 違うと言うには突きつけられた証拠が多かった。

 認めたくない心を、感情が問い詰めている。理性が逃れようの無い事実を与えてくる。

 誰より自分が分かっていた。これが初めてではないのだから。

 愛称を呼ばれて嬉しいのは。助けられて安心するのは。元婚約者を知られたくないのは。

 この気持ちが紛れもなく、恋だから。

 疑う余地も無く、恋だから。

 アルデバランが、好きだ。
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