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十二話

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「これで希望者は全員かな?」
 治療希望者の列の最後尾の人を治した後、僕は診療室の外に出て、待ち合い室を見回した。
「そうなりますね……。しかし、こうも簡単に治されちゃ、医者はあがったりですよ」
 お医者さんはちょっと皮肉めいた口調で言った。
「……ははは。すみません」
「まあでも、△△さんのその光を調べたら、今はまだ治せない病気でも治せるようになるかもしれませんし、治せないにしても治療の糸口くらいは見えるでしょう。それに、患者さん第一ですからね」
「ありがとうございます」
「医療は日々進歩していますけど、珍しい病気はどうしても治療法を見つけるまでに、何人もの犠牲者が出てしまいますからね。その方たちが助かるのは良いことです。幸いな事に△△さんは一人ですから、医者が生活できなくなる事もなさそうです」
「それは、良かった」
「しかし△△さん、指名手配されてるらしいですね」
「はい……。前に詐欺の疑いをかけられていたのに加えて、☓☓教が警察署を爆破する時に、僕の名前を上げて予告したらしいですからね。仕方ないといえば仕方ないですね。やってませんけど」
「犯行予告の声に△△さんが入っていたらしいですね。名前も言ってましたし」
「簡単について行ったのが悔やまれますね」
「あそこ、前々から怪しいと思ってましたけど、まさかあんな事までするとは驚きましたね」
「そうですね」
「そう言えば、──病院から連絡が無ければ、△△さんが来ても門前払いか警察を呼ぶところでしたよ。ま、横柄な態度だったら知っていた所で警察呼ぶつもりでしたが」
「……今、少しヒヤリとしました」
「お気になさらず。こうして何事も無く受け入れているわけですからね。一応ですが、近隣の病院にも△△さんの事は回しておきますよ」
「助かります」
「△△さん」
 元々☓☓教に入っていて、今は僕の協力者となった女性"++さん"だ。++さんは車で送ってくれたり、患者さんの移動を手伝ったり、飲み物を持ってきてくれたりしている。ここに着いた時初めは渋っていたお医者さん達に、せめて患者さんから意見を聞きたいと説得したけど、その時一緒に頭を下げてくれた。
 ちなみに素性は隠して、僕の協力者で友人と言う事にしている。多分、素性がバレれば即刻だからだ。彼女も明日までは捕まらずに協力者でいてもらいたい。命令とは言え、人を死に追いやったり、目障りになった団体のお金を横領したりしたらしいから、明日には自首して罪を償って貰うけど。本人もそのつもりらしいし。
「何ですか?」
「あの、会ってもらいたい人がいるんですけど……」
「誰ですか?」
 僕が聞くと++さんが周りを見回した後、耳打ちをして伝えてきた。
『例ので私が怪我をさせた方です。自分勝手で恐縮ですが、治してもらえませんか?』
 殆どの人が戻って行ったけど、
『希望した人は全員治したはずですけど、その方は治りたいと思ってるんですか……?』
 僕も小声で応対する。
『△△さんに無礼な事をするなと骨を数本折りました。それに、今度の事を誰かに言おうものなら、どうなるか分からないと念を押したんです』
『なら、希望しないのも頷けます。でも、勝手に人の名前を出して人を脅すなんて、なかなか迷惑な話ですね。しかも暴力までふるって』
『申し訳ありません……。相応の罰は受けるつもりです』
「…………分かりました。でも、治すかどうかはその人次第ですけど良いですか?」
 誰が危害を加えたにせよ、治したいのに治せないとあらば酷い話だ。無礼が何か知らないけど、僕は五体満足で生きているし、助けるのは僕としては何も問題ない。
「それで構いません」
「行きましょう。どっちですか?」
「こちらです」
 ++さんは僕を一つの病室に案内した。
「ここですね?」
「はい」
 壁に掛けてある名札を確認すると名前は一つ。どうやら一人用の病室のようだ。
「すみません。今入っても大丈夫ですか?」
 僕はノックした後、入室してもいいかを訊いた。
『…………は、はい』
 少しの沈黙の後、返事が帰ってきた。
「失礼します」
「ん、誰だ…………? え、ひぃっ!?」
 僕達の顔を見た瞬間、その人は片腕で頭を覆って怯えだした。僕の名前を言って脅していたのなら、この反応もおかしくないけど少し傷つくな。
「あの、この方は誰ですか?」
 顔が見えないと誰だか分からないので、++さんに確認する事にした。
「芸能人の──さんです」
「──さんと言えば、結構有名な芸能人ですよね? あの人の演技結構好きでしたけどね、なかなか味があって。僕を詐欺師だーって言って、凄い批判してましたけど……」
「はい、その人です」
「そうでしたか」
 そう、僕や〇〇さんの事を詐欺師だと言った大物芸能人。この男の人が強く叩いた結果、〇〇さんに対する嫌がらせがヒートアップして自殺まで追い込んだんだ。〇〇さんに比べれば大した事無いかもしれないけど僕も被害を受けた。
「でっ、出ていってくれ! 俺はもう何もしちゃいない……。勘弁してくれ~……!」
「あの……」
「やめ、近づくな、近づかないでくれ……。ああ、頼むから……!」
「あの、話を聞いてください」
「これ以上何を話すっていうんだ? もう、放っておいてくれ……」
 どれだけの事をすればここまで怯えるんだ?
 僕が後ろを向いたら、++さんは僕に対して何度も頭を下げて謝った。
「とりあえず、謝るのはあの人にでしょ? 今はまだ怯えさせるだけだから、一旦病室から出ていてください」
「……わかりました」
 実際の加害者である++さんには病室の外に出てもらった。
「何であいつは出ていったんだ? また、俺に何かするのか……? ああ、お終いだ。ふぐぅ……、何なんだ、普通あり得ないだろ、怪我とか病気が一瞬で治るなんて……。わからないだろ……」
 芸能人の男性は顔を抑えて涙を流している。
「あの、はじめまして。知っていると思いますが僕は△△です。怪我を治しに来ました」
 僕はベッドの横でしゃがんで、ゆっくりと落ち着いたトーンで話した。
「治す? 何を言っているんだ……? お願いだ、俺はあれ以来何もしてない。だから、殺さないでくれ……。死にたくない、死にたくないんだ」
「分かってます、分かってますから。僕が貴方に危害を加える事は一切ありません」
「……本当、か? そうやって近づいて……、また、俺を殴るつもりなんだろ……?」
 男性が頭と顔を覆っていた手を退けると、そこには痛々しい傷がついていた。傷から察するに、殴ると言っても手や鈍器というより、鋭利な部分が付いている何かだろう。言われれば何となく誰なのか判りそうではあるけど、もう殆ど顔を判別できない。それに足はギプスを付けていて、手や腕も固定されているし、シャツからは赤黒い痣が覗いている。このままじゃ、テレビに再度出るのは難しそうだ。
「本当です。僕、貴方の演技すきだったんですよ。暴力なんか振るうわけないじゃないですか」
「しかし、俺は今、こうして怪我をしてる……」
「はい。分かっていますよ。実はね、僕も貴方も被害者なんですよ」
「何を……? え、……どういう事だ?」
「僕、騙されたんですよ、☓☓教に。優しい言葉で教団の拠点に誘われたんです。一度は信じましたけど、気付いたら僕の名前を勝手に使って爆破予告をして、知っているかもしれませんが、警察署を実際に爆破しました。それによって、三人の警察の方が亡くなり、二十人以上も怪我人を出したんです。残念な事に、今や僕は指名手配にされてしまいまして……」
「…………そうか。……あんたも大変なんだな」
「気を遣って頂いて、ありがとうございます」
「……でも、俺を襲った女が一緒にいただろ? どういう事だ……?」
「単刀直入に言いますと、今は協力者として付いてきてもらっています」
「どういうことだ?」
「☓☓教は今まで貴方に危害を加えた以外にも、何度となく悪事を働いてきたんです。そして、明日に至っては僕の通っていた中学校を爆破するつもりなんです。そんな人達を見過ごせません。だから今、彼女には協力してもらっているんです。ちなみに、一段落したら彼女は自首するつもりですよ」
「ニュースで少し聞いたな。犯行予告が出されたって。あんたの母校だったか……。嫌な感じだな」
「……そうですね」
「で、その女は信じられるのか? また、騙されたりしないのか?」
「正直に言えば、わだかまりが無いと言えば嘘になります。でも、現に協力してくれてますし、☓☓教のやった事や名簿の入ったファイルを渡してくれました。態度も初めてあった時に比べて冷淡じゃなくなりました。だから信じてみようと思ったんです。まあ、全て演技だとしたら、僕はお終いですけどね」
「一人でどうにかできないのか」
「僕一人で行動して、中学校に辿り着く前に警察に捕まってしまえば、救える命も救えなくなりますし、ファイルが無ければ☓☓教の殆どが証拠不十分でまともに取り合ってくれないでしょう。警察に捕まらなかったとしても、次は☓☓教の便利な駒になってしまいます。だからこの選択で上手く行ってくれないと、どの道を行ったとしても、僕はお終いですから同じ事です」
「あんたも大変だな……」
「そうですね……。こんな事になるとは思いませんでした。……人の残念な部分にも触れましたけど、良い部分にも触れる事ができましたよ」
「…………そう言や、あんた本当に怪我とか治せるのか? 本当に詐欺じゃなかったのか? 今でも信じられないんだが……」
「治せますよ。貴方の希望さえあれば今すぐにでも」
「そうか。俺は希望しなかったが、何でわざわざここに来たんだ?」
「今は病室から出ていますけど彼女が、……++さんが治して欲しいと言って来たんですよ。僕は直接意見を聞いて、それでも希望なされないなら治さないという選択肢もありましたが、できれば治したいと思っています」
「じゃ、すぐに治してくれ。仕事道具に傷跡が残ったんじゃ、上がったりだからな」
「彼女は中に入れますか? 謝りたいと言ってますけど……」
「……いや。治してからだな」
「わかりました。では、治しますね」
 僕は男性に手をかざして光を当てた。
「おお……。本当に治っていってるな。傷が修復されていくのは虫でも集ってるみたいで気持ち悪いけどよ、温かくて心地良いな」
「はい。終わりました」
 男性は腕を回したり、足を曲げ伸ばししたりして状態を確かめる。
「そこの鏡、取ってくれ」
「どうぞ」
 僕は台上に乗っていた。倒された鏡を取って渡した。
「…………ほう。……良かった。本当に治ってるじゃねえか……」
 男性は顔の隅々まで眺めていた。
「大丈夫ですか?」
「そうだな。世の中にはまだ、知らない事があるもんだな」
「そうですね」
「すまなかったな。詐欺師扱いしてよ……」
「いいんですよ、もう。それに、それどころじゃないですし」
「それもそうだけどな、ケジメは付けておきたかったんだ」
「もう気にしていません」
「そうか。悪いな」
 暫し沈黙が流れ、目線を空に彷徨わせた後、男性が思い出した様に言った。
「…………そう言えば、謝ってくれるんだったな? なんだっけ、++だったか? 中に入れてくれ」
「わかりました」
「あ、待ってくれ」
 立ち上がって扉に向かおうとしたら、男性が僕を呼び止めた。
「何ですか?」
「……△△君だったな。ありがとよ、助かった」
 男性ははにかみながら言った。
「当然の事をしたまでですよ」
「あんたが俺に怪我させたわけじゃない。にもかかわらず、わざわざ出向いて治してくれたんだ。△△君、それは素晴らしい事だ。誇って良い」
「ありがとうございます」
「ああ。……じゃ、呼んでくれ」
 僕は扉の外にいた++さんに声を掛け、中に入るように促した。彼女はひとつ頷いて、深呼吸したあと病室に入った。
「……大変失礼致しました」
 病室に入るとすぐに++さんは土下座をして、男性に謝罪した。
「単刀直入に言う。俺はあんたを赦す気はない」
 男性はきっぱりと言った。++さんは変わらず深々と土下座をしたままだ。
「正直、同じ目にあって欲しいとまで思っていた。あんな事をしたんだからな。でも△△君が俺を治してくれた。詐欺師扱いしたにも拘らず、気にしないなんて言ってくれた。だからな、△△君の顔を立ててそんな事は言わないつもりだ。俺はな、今でもあんたが怖い。……顔も見たくない。だから、今後俺の前には現れないでくれ。……それが飲めるなら、もう責める事はない。……いいか?」
「はい。……ありがとうございます」
「じゃあ、出ていってくれ」
「はい。では、失礼しました」
 ++さんは立ち上がって深々と頭を下げて、病室を後にした。
「では、僕も行きますね」
「ああ、そうしてくれると助かる。俺も早く検査してもらいたいからな」
 男性は口角を上げながら言った。
「すぐ復帰ですか?」
「そのつもりだ。△△君に見限れない様に演技に磨きをかけないといけないからな。最近、練習サボっていたしな」
「そうだったんですか?」
「忙しかったのもあるけど、そこそこ上手くなって、満足してたんだろうな。誰も口出ししないし……。まあ、今後の俺の活躍を見てくれ、後悔はさせないから」
「楽しみにしています」
「なあ、△△君。指名手配って解除されないのか?」
「どうでしょう? 一応、警察に直談判? するつもりですけどね。認めて貰えるかは分かりませんけど」
「そうか、上手く行くといいな」
「はい」
「そうだ、△△君。出られたら、放免されたら、一緒に飲みに行かないか。俺の奢りだけど、どうだ? いい店知ってるんだけど……」
「……良いですね、行きましょう」
「良かった。じゃあ……、またな」
「はい、また」
 僕達は互いに手を振った。そして、軽い笑顔を見せた後、僕は病室を後にした。
「ありがとうございました」
 病室の外で待っていた++さんが、僕が出てきたのを確認するとこちらにやって来た。
「いえ。他にああいった人はいないんですか?」
「今回は偶然あの方がいらしたのを知ったので声をかけさせて頂いたんですが、残念ながら殆どの方の行方を知りません。それに、これ以上△△さんに迷惑をかけるわけにも……」
「それは近くですか?」
「え?」
「流石に何日もかかる場所だと行けませんけど、近くなら行ってしまいましょうよ。次はいつになるかわかりませんし」
「良いんですか? 明日はきっと大変なのに」
「できる事はしておきましょう。すぐ近くにいたのに無視してしまったら、悔いが残ってしまいますよ」
「……ありがとうございます。近くにいるか調べますので、お待ち頂いてもいいですか?」
「分かりました。じゃあ、僕は飲み物でも買ってきますけど、その後車に戻ればいいですかね?」
「はい。それで大丈夫です」

「あ……、何を飲むか聞き忘れた。微糖のコーヒーとミルクティーを買っていけば問題ないかな?」
 病院の外に立っている自動販売機に着いた所で、僕は++さんが何を飲むかを聞いていないことに気がついた。しょうがない。
「こんにちは~。今日は天気がいいですねぇ」
「こんにちは。日に当たると寒さもマシになりますね」
 通りすがりのおばあさんが挨拶をくれたので、僕は無難に返す。
「最近は物騒なニュースが多くて怖いですねぇ」
「そうですね。平和が一番ですよ」
「あたしゃ、先が不安で不安で……」
「それはお辛いですね」
「子どもも最近滅多に家に来なくなってしまってねえ、孫に会いたいと言ったら、忙しいから行けないって言われてしまって……。最近ではテレビを見るのと、犬の散歩が唯一の楽しみですよ。犬も散歩以外ではあんまり構ってくれないんですけどねぇ」
「寂しいですね」
「年金を貰っちゃいるけど、葬式代にするほどの蓄えはなくてね。うちの子らが出してくれるか不安ですよ。……孤独死なんて、前までは信じられませんでしたけども、自分がなりそうになると途端に怖くなってしまってね。せめてお金があれば孫にお小遣いでもあげたり、出前でもとらせたりできるんですけどねぇ。そうすれば、あたしも孤独死なんてせずに済むのに」
 人それぞれ悩んでいる事は違うけど、大変なのはかわりない。"皆苦しんでいるんだから我慢しろ"なんて言う人もいるけど、僕は皆が楽しくなるよう協力できたら良いと思う。苦しいのを無理に背負い込んで、心に押し込めるのは辛すぎる。
「……その事を正直に言ってみたらどうですか? よく話し合うんです。家族仲がどうなのかは知りませんけど、自分の親が辛い思いをしていると知ったら、すぐには無理かもしれませんけど、会いに来る頻度は増えるかもしれませんよ。悲しいじゃないですか、自分の身内が孤独で、死の事について考えてるってのは」
「…………」
「……ね。勝手な事は言えませんけど、忙しいのもお母さんの為に踏ん張っている最中なのかもしれませんし。それまでは、ワンちゃんと仲良くしていましょう。ワンちゃんだって立派な家族ですからね」
 僕はしゃがんで、おばあさんの連れている犬を撫でた。
「……捕まえたー!!」
「──え?!」
 いきなりおばあさんは僕を覆う様に羽交い締めにしてきた。
「金が、金、金がいるんです! 金が無いと孤独死する。そんなのは嫌なんじゃ。お前はどうせ指名手配の犯罪者、おとなしく捕まってくれ……!」
 おばあさんは叫びながら僕を取り押さえようとしてくるが、おとなしく捕まってあげるわけにもいかない。僕は無実だし、やることがある。それにお金は確かに大切だけど、お金があるからって人と人の絆を結んだり直したりはできない。
「ごめんなさい! 無理なんです!」
 僕は拘束の手を振りほどいた。
「うぁあ? 何で、何で、何で? あたしにゃお金がいる。分かってくれ!」
 おばあさんは狼狽えながらも、再度僕を捕まえようとしてくる。
「確かにお金は大切ですけど、それだけじゃ人は寄って来ないですよ! それに僕はお金になりません。済みませんけど、僕はもう行きます」
 僕は大きめの声でおばあさんに忠告して踵を返した。
「ま、まて、待てー!!」
 おばあさんは激昂し、喉が枯れるんじゃないかと思うくらい叫んで、走って追いかけてきた。
 僕は走って逃げた。距離がどれだけ離れても、おばあさんは追いかける事をやめない。犬のリードも放してしまっている。
 いくらか走った後おばあさんは、自分のか他人のかは知らないけど自転車に乗って再度追いかけてきた。
 流石におばあさんとはいえ、自転車に追いかけられては追いつかれてしまう。
「しょうがない」
 僕は車から離れるのを承知で、建物の立ち並ぶ裏路地に入る事にした。
「これで撒けたかな?」
 何度か曲がり角を曲がったところで、おばあさんの姿は見えなくなっていた。
『ぎぃやーっ!』
 その時僕は、遠くで叫び声が聞いた。
「何だ?」
 声のする方に向かってみると、そこには自転車で倒れてしまったおばあさんがいた。頭を打ったらしく、血が出ている。
「金、金……」
 おばあさんは這いつくばりながらもまだ僕を探しているようだ。
 この期に及んで、まだお金って……。死んでしまったら、今欲しているお金なんて役に立たないだろうに。
「ああ、もう!」
 僕は急いでおばあさんに寄って手を当てる。
「戻ってきたか……!」
 おばあさんは嬉しそうにしているけど、どんどん元気が無くなっている。
「命を大切にしてください! お金に取り憑かれたら、逆に人は離れていってしまいますよ。もしそれで近づいて来る人がいるならそれは、お金が欲しいだけであなたなんて見てはいないんです!」
 僕はおばあさんを叱りながら、光で怪我を治していく。
「それでも、一人は嫌なんじゃ……」
「お金だけの仲を築いても、孤独は変わらないですよ。むしろ、余計に寂しくなるものです」
「じゃあ、どうすれば……」
「それこそ、思っている事をしっかり皆に話すしかないでしょ。何度でも」
「それでも来てくれなかったら?」
「残念ですけど、それ程までならお金があっても無理でしょうね。……そうだ。身内がダメなら、新しい友達でも作ったらどうですか?」
「友達?」
「そうです。習い事をすれば作りやすいとは思いますけど、お金が無いなら散歩でもして、同じく散歩をしている人に話しかけるんです。同じ趣味なわけですから、きっと仲良くなれますよ」
「そんなに上手くいくんか?」
「わからないですけど、何もしないよりはマシでしょう? ……はい、治りましたよ」
「あれ、さっきまで怪我してたのにいつのまにか無くなってるんか?」
「治しておきました」
「本当にか?」
「本当です」
「……そんな奇跡みたいな事あるんですねぇ。…………さっきは、ごめんなさいね」
「はい。気をつけて帰ってくださいね。それと、まだご家族に話して無いんでしょ? 自分の気持ちとか、状況とか。なら、悩むのは話してからで良いんじゃないですか?」
「分かりました。あなた、思ったより良い人間ですねぇ」
「そうですか、ありがとうございます。では、さようなら」
「さようなら」
 おばあさんは自転車に乗り直して去っていった。
「少し離れちゃったな……。戻るか」

「すみません、待ちましたか?」
 僕は車に戻って待っていた++さんに声をかけた。
「いえ、それ程待っていません。近くにいそうなのは三人ですね、今もそこにいるかは分かりませんが」
「そうですか。あ、ミルクティーと微糖のコーヒー、どっちが良いですか?」
「いいんですか? では、ミルクティーを頂いても良いですか?」
「はい。どうぞ」
「いただきます」
 僕がミルクティーを渡したら、++さんは早速飲みはじめた。そう言えば会ってから数時間経つけど、何かを口にしているのを一度も見ていないな。
「喉乾いたりお腹減ったら、飲んだり食べたりしていいですからね。別に止めませんし」
「お気遣いありがとうございます」
「では行きましょう。一応手伝いますけど、無理に謝ったり怪我を治したりはしませんからね」
「はい。助かります」
 それから僕達は、比較的近場にいる、かつてによって傷つけられた人達にお詫びをしに向かった。

 日が暮れてすっかり夜になった頃、車の中で外を見ながら僕は口を開いた。
「まともに謝れたのは結局一人だけでしたね」
 一人は既に遠い所に引っ越して、どこにいるかも分からなかった。もう一人は『酷い怪我を負わせておいて、何年も経って今更謝られても困るし、家族がいるからもう二度と会いたくない。怪我も今更治すつもりはない』との事で追い返された。言っていることはごもっともだ。そして最後の一人も、謝って気が済むなら謝ってくれていいけど、これ以上は一切かかわらないで欲しいとの事だったので、怪我だけ治して帰る事になった。
「ですが、こんな言い方は失礼ですけど、少しホッとしました。一人でも会えて」
「そうなんですか?」
「確かに、罪を犯したら法によって裁かれるのべきではありますけど、それだと反省はできても、自らが動いて被害者の方に報いる事はできませんから。一人でも会えて良かったです」
「……良かった、ですね」
「はい。△△さんのおかげです。今日はお付き合い頂きありがとうございました」
「いえいえ。そうだ、寝るところはどうなりました?」
「ああ、大丈夫です。良い所がありますよ」
「良い所? どんな所ですか?」
「もう到着しますので、すぐにわかります」
「今更無いとは思いますけど、怪しい場所ではないですよね?」
「はい。安心して下さい」
 そう言うと間もなく車は停められた。
「着きましたよ。降りてかまいません」
「……分かりました」
 車はある大きめの民家の前に停められていた。外に出て確かめて見ても、宗教のロゴのようなものは何もついていない。
 僕が怪訝な顔をして++さんに目線を向けるが、行くように促すだけだ。
 僕は意を決してインターホンを鳴らした。
「は~い。──です」
「え、おばさん?」
「あ、△△ちゃん! いらっしゃい、すぐに玄関開けるわね」
「あ、はい……。ん? どういう事ですか++さん?」
「はい。安心して眠れる場所が良いと思いまして……。一枚岩ではないと言った事憶えていますか?」
「はい。それがどうしたんですか?」
「それが今回の事で付いていけないと離反した方が何人かいるんです。私はその方たちと話し合い、協力する事にしました。それで、△△さんが安全な場所を探した結果、こちらのご夫婦が快く受け入れてくれました」
「いらっしゃい、△△ちゃん。それと……、貴女が++さんですか?」
 おばさんが玄関を開けて出てきてくれた。
「はい。そうです」
「さあ、どうぞ入ってください」
「何玄関で喋ってるんだ? さ、早く入ってくれ、せっかくの料理がダメになっちまうぞ」
 おじさんまで出てきて、迎え入れてくれた。
「入りましょうか」
「あの、私までお世話になる訳には……。連絡を取っていないので、本部にも怪しまれますし」
「ん? よくわからねえけど、飯食う暇もねえのか? それに、△△君はキョトンとしてたけど、詳しく話せてないんじゃねえか?」
「……わかりました」
「おう」
 僕と++さんは、おじさんとおばさんの家にお邪魔することになった。

「あ、すき焼きですか? いいですね」
「でしょ? せっかく△△ちゃんが来てくれるんだから、奮発しちゃったわ」
「あんまり脂っこいのは食えねえから、殆ど赤身肉だけどな。ま、下手な脂身より良い赤身なんだけどよ」
「脂身の方が良かったかしら?」
「いえ、僕は赤身の方が好きですね」
「…………」
「ねーちゃんの方は?」
 さっきから黙っている++さんに、おじさんは話を振った。
「……え、私ですか? 私は何でも食べます」
「それは良かったわ。じゃあ、いただきましょう」
「そうだな。ほら、ぼさっとしてねえで、そこに座れ。良い座布団の所だ」
「ありがとうございます。いただきます」
「すみません。では、いただきます」
 おじさんは遠慮している僕達に気さくに話しかけてくれ、おばさんはおじさんのフォローを入れつつ空いた器にすき焼きの具を追加してくれた。一時でも心が休まるように気を遣ってくれているたのか、僕達が話すのを待ってくれていたのか、食事中は指名手配だとか☓☓教だとか今まで何をしていたかだとかを一切口に出さず、楽しい話だけに留めていてくれた。
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
「それは良かったわ」
「ごちそうさまでした……」
「二人ともいい食べっぷりで、足りないかとヒヤヒヤしたぜ」
「もう、お腹いっぱいですよ」
「いいじゃねえか。……じゃあ、腹も膨れた所で、話を聞かせてくれるか?」
「はい。……元々☓☓教は過激な事をするような所ではありませんでした。人に寄り添い、自然と寄り添い、互いに助け合う優しい場所だったんです。でも、いつの頃からか、現在では過激派と呼ばれる人達が力を持ち始め、元々の思想に近い穏健派と、教えを自分の扱いやすいように解釈して道具として使う過激派に別れました。今ではもう立場が逆転し、☓☓教は過激派の人達が仕切っているんです。そして、今回の警察署爆破には穏健派も黙っていられませんでした。しかし数で負ける穏健派が過激派に正面からぶつかっても勝ち目は無く、やむを得ず組織解体という方向で意見をまとめたんです」
「……何だか壮大ですね。それで、協力してくれているのが穏健派って事ですか?」
「そうなりますね。元々過激派でも流石に今回はやりすぎだと離反した者もいますが……」
「++さんは元々穏健派ですか? でも、、でしたか? をやってたって言ってましたし、過激派だったんですか?」
「私は過激派でした。△△さんが来てから考えを改めたんです。いえ、"自分の考えを持つようにした"と言う方が適切ですね。それまでは自分で考えずに代表の意見を鵜呑みにしていましたから……」
「そういや、警察署爆破って言ってたけどよ、爆弾なんて簡単に仕掛けられるもんなのか?」
「ああ、それは組織には警察関係の者もいますので、その人が仕掛けたのだと思います」
「へぇ。どこにでもいるんだな」
「そうね。今日だって、常連さんが急に△△ちゃんを家に泊めてあげられるか聞いてきた時はびっくりしちゃったもの」
「そうなんですか?」
「おう」
「その方も穏健派の方ですね。ちなみにですが、△△さんのご実家や〇〇さんの所も検討したんですが、過激派が睨みを効かせていたり、警察の方も重点的に見回りをしていたりしたので宿の候補からはずさせて頂きました」
「……皆大丈夫なんですかね?」
「今のところ被害が出たとの報告はありません」
「それは良かった。そうだ、さっき帰らないといけないみたいな事言ってませんでした?」
「はい。私が穏健派と△△さんと繋がっているのは知られていませんし、まだ知られたくありません。ですから、一応過激派の方や代表と連絡をとったり居場所を明確にしておかないといけないんです」
「スパイって事ね。少し格好良いわ。うふふ」
「ありがとうございます。そう言ってもらえると気が楽になります」
「じゃあ、今日は帰っちまうのか? 途中でバレて寝てる間に……ってならねえか?」
「それでも怪しまれて計画が変更されるよりは良いでしょう」
「そういえば、もしファイルを今の時点で警察に渡したらどうなんですかね?」
「主要の人物は捕まえる事ができるかもしれませんけど、実行班がまだ犯罪歴や捕まえられるような証拠が無い場合、結局学校の爆破が行われますし、トップが急に不在になった事で混乱し、最悪無差別に爆弾を仕掛ける可能性があります」
「やっぱり明日避難させるしかないんですね」
「そうなりますね」
 ++さんは軽くため息を吐いたあと、時計を見て立ち上がった。
「そろそろ私は行きます。ごちそうさまでした」
「気をつけてな」
「怪我しないようにね」
「では、また明日ですね」
「はい。十時までに迎えに来ますので、準備をしていて下さい。万が一十時を越えても来ない場合は、お手数ですがご自身で向かってください」
「そうならないと良いですね」
「はい、気を付けます。ではさようなら」
「さようなら」
 ++さんは一度頷いた後、急ぎ足で車に戻り、早々に去っていった。
「あっという間に行っちまったな」
「定時連絡とかあるんですかね?」
「かもな。……△△君、明日爆弾が仕掛けられる中学校に行くんだってな」
「はい」
「行かずに済ますのはできないのか?」
「それは無理ですかね。まあ、爆破直前に皆避難完了したら、怪我もなく済みますよ」
「そうだといいがな。……△△君、いくら怪我を治せるったって、死んだらどうにもならんからな」
「……はい。わかってます」
「無茶はするなよ」
「そうよ。あたしとお父さんは△△ちゃんの事待ってるから、無事で帰ってきてね」
「ありがとうございます」
「少し前までは普通の日常だったのにな、人生分からんもんだな」
「そうですね」
「どうせこの先ほそぼそと生きていけねえってんなら、いっその事ヒーローにでもなっちまうか?」
「僕はスーパーヒーローって柄じゃないですよ」
「優しいヒーローがいてもいいじゃねえか。それにな、この世にはまだ、スーパーヒーローなんて一人もいねえんだ。だから、ヒーロー像なんて好き勝手作っちまえばいいんだよ」
「そういうものですかね?」
「そうね。あたしは映画とかに出てくるような完全無欠のヒーローより、△△ちゃんがヒーローの方が安心するわ」
「じゃあ……、ヒーローを目指してみましょうか」
「……楽しみにしてるぜ」
「頑張ってね」
「はい。楽しみにしていて下さい」
 人として人に寄り添う。そんなヒーローがいても良いかもしれない。いや、現実に誰もヒーローがいないのなら、僕のやり方こそがヒーローの在り方になるのか。
 この先どうなるかは分からない。だから、それが全てでは無いかもしれないけど、僕は未来に希望が見えた気がする。
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