蛍地獄奇譚

玉楼二千佳

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学園生活篇

9脅し

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 「148、149、150…はあはあ」
汗が滴り落ちる。勿論、暑さだけが原因ではない。蛍は、腕立て伏せをしている。しかも、背中には自分の二倍以上の体格の三吉がいる。
「どうしました?もうへこたれてるんですか?」
反論したいが、もうそれどころじゃない。とにかく重い。
「お前…こっち来て太った?」
「バレましたか。いや、人間の食べ物は何を食べてうまい」
「ダイエットしろよ」
まだ軽口は叩けたが、蛍は限界なようでその場にへたり込む。
「ああ、坊っちゃん。このくらいで情けない」
三吉はよっこいしょと立ち上がる。
「こんな事、意味あるのか?」
「まあないでしょうな。ですが、いつか役に立つでしょうね」
いつかっていつだよ!蛍は突っ込みたくて仕方ないが声を出すのもしんどかった。
「ところで、今朝テレビを見ていたのですが…」
芸能人の誰それのゴシップなぞ聞きたくないが、三吉の話は違った。


「全身を切り裂かれる…」
昨日、谷崎瑠美という女が自宅のアパート前で殺されたらしい。勿論、蛍は初めて聞く名前である。
「誰かに怨まれてたの?」
「分かりませんが…ですが…」
三吉は、テレビをつける。録画していたニュースだ。胡散臭い犯罪評論家が解説をしている。女性は逃げる暇もなくその場で全身引き裂かれている。それも傷は一つや二つではなく無数にあった。それだけ、傷付けるには時間が掛かるはずなのにも関わらず、目撃者は一人もいない。殺されたのは22時。確かに人気がない時間だが、だからといって皆無という訳では無い。都会になればなるほど、人はいる筈だ。
「しかも、事件はこの絢詩野市らしいですよ。坊っちゃん、なんか知らないですか?」
確かに、昨日は墓場に出かけた。然し、昨日は何も感じなかった。それより、なずなが男物の帽子を被っていた事に腹を立てていたのだ。
「…何も。っていうか、僕を疑ってるのか?」
「とんでもない。あんたなら、もっとねちっこくするでしょ?」
その言葉に少しムッとしたが、その通りなので言い返せない。
「それに、二人も同時に追いかけないでしょうな」
三吉は小声でそう言った。テレビ画面には女の写真が写り、以前も似たような手口があったと伝えている。
「これってさ…」
「察しの通り。文字通り人間ではない」
確かに妖怪なら、一瞬にして無数に傷付ける事は可能だ。
「…そう言えば、今日しょうけらを見つけたんだが、お前知り合いいたよな?」
「ああ。ろくでもない奴がいますな…」
三吉はかなり親しいようで、思い出し笑いをしている。
妖怪しょうけら。三尸さんしとも呼ばれ、本来窓や天井に隠れ、人間の善行、悪行を閻魔に報告する役割を持つ。悪行ばかり行っていると、地獄での責め苦が重くなる。
「しかし、そいつは自分が悪さばかりをする。女湯を覗く、人の食い物を漁る…」
あまりの悪行に怒った閻魔が、三吉の元で修行をさせたがすぐに根を上げて、今度は監獄に入れられた。と言っても、蛍が看守長に就任する前の話だ。そのしょうけらは、監獄では真面目だったらしく、ほんの数年で出所。地獄で数年と言うのは人間界で言うと数ヶ月くらいだ。
「真面目って言っても、他が極悪妖怪ばかりでそう見えたんでしょう。今、何をしているのやら」
目の前で懐かしまれでも…蛍はしかめっ面をする。しかし、また悪さをしている可能性がある。どうせ、小さい事だろうが。だけど、何をしているか調べておこう。
(…必要とあらば、利用するだけだ)
どう利用してやるか…蛍はにやりと笑ったのだった。



 朝の爽やかな鳥の鳴き声と日差し。いつもと変わらない風景だ。なずなは、教室に入り友人達に挨拶をする。
「アルバイト?」
「そう。一緒に。ね!お願い!」
みのりは、なずなに手を合わせる。
「いいけど…どんな事するの?」
「接客だって…私服のままやるから、めいいっぱいお洒落してきて」
何気ない会話に蛍は知らん顔をして、聞き耳を立てる。どうにも、みのりが何かを隠しているように見えた。真実が見える左眼で見てもいいが、しばらく泳がせておこうと蛍は、そっとなずなのバックに黒い虫を忍ばせた。
「私服なの?面接は?」
「単発だから、面接はしないって。簡単に履歴書書くだけでいいって」
バイトは、金曜日の夕方と土曜の昼間の二日間。バイト料は一日15,000円。なずなは、生活の足しになると考え、了承する。ついでに、その日はなずなのうちでお泊まり会をしようと話をする。
「じゃあ、宜しく」
会話が終わると、山野が入って来てホームルームが始まったのだ。

翔一は、待ち合わせのためにビルの隙間に入る。待ち合わせた人物が来る前に、置いてあるゴミ箱を探った。
「…ちっ。残飯ばっかりかよ。たまにまだ食える弁当捨ててあるのに…」
ふと、自分の腹を摘み、苦笑いをする。最近は羽振りがいい。そのせいか、随分贅沢をしている。この間は焼肉、昨日は中華…。今度は回転寿司にでも行くか…。
「…やあ」
すらりとした紳士が、物陰から現れる。ヨーロッパ製の三揃スーツにピカピカに磨かれた靴。清潔な髪に腕には、オーダーメイドの腕時計。見ただけで景気が良さそうな雰囲気。およそ、こういう場所には似合わない男だった。
「へい。お待ちしておりました。ええっと…」
「坂口だ。そう名乗っておこう」
多分、偽名なんだろう。しかし、そんな事はどうでもいい。
「女の手配は完了しています。しかしですね」
「なんだ?」
「いや、二人なんですよ」
坂口は、顎に手を当ててにやりとする。
「構わん。寧ろ、たまには若い女ののも悪くない。それも二人…楽しみだ」
「お盛んですな…」
やや男の貪欲さに呆れながらも、翔一はニヤリと笑い、お金を受け取る。
「では、金曜日に」




冷静に考えたら、やっぱり可笑しい。なずなは、帰宅後に考える。やはり、例のバイトは断るべきか。しかし、今更なんて言いにくい。
「…どうしよう?」
スマホを手に取る。あまりに話が上手く行き過ぎているのだ。誰にかける?みのり?なずなはスマホ画面をじっと見つめる。迷っているうちに、スマホが鳴り出した。知らない番号だ。なずなは思わず、通話ボタンを押した。
「もしもし、吉永ですけど」
そう言った後に後悔した。誰かも分からない人に名乗ってしまったのだ。
「もしもし、君は不用心だね」
聞き覚えのある声だ。
「えっと…」
「やだな…忘れないでよ。蛍だよ」
そう言われて、安心したのも束の間。何故、番号を知っているかを問う。
「ん?どうやってか…安心して。君が嫌がる事はしてない」
安心しろと言われても…でも、知らない人ではなかったし、寧ろ蛍でよかったと思うなずな。
「君、心配事があるだろ?」
「え…。うん…でも…」
「金曜のバイトには、安心して行って。大丈夫。僕が居るから」
それだけ言い終わると、電話は切られていた。なずなは掛け直そうとするが、スマホの履歴には電話番号が残っていなかった。


 「坊っちゃん、何でやめろって言わなかったんですか?」
相変わらず、似合わないふりふりのエプロンを着けて三吉は、これまた似合わないオムライスを綺麗に仕上げていた。
「…人間のアクション映画、見たことある?」
蛍はテレビを見たまま、ソファーで横たわっていた。
「はい?」
「ヒーローはがピンチになってから助けるものだよ」


 そして、金曜日の夕方。みのりは部活を休み、すぐに身支度をする。大人っぽく見せるため、メイクは入念に。服装も大人っぽく、シックな色合いにした。上手くいけば、もっと稼げるかもと淡い期待をしながら、小さなバックにスマホと財布を入れる。
「よしっ」

 なずなは駅前で、みのりを待つ。案外、すぐにみのりが来た。
「ねえ、なずな。紺のワンピースはともかく…そのネックレス…」
みのりはなずなの胸元を指さす。笛の形のようなモチーフをじっと睨みつけるように見る。
「え?これ…可愛いでしょ?」
「えー。可愛くはないよ。なんかエスニック系って感じ」
みのりに言われてそれもそうだとは思ったが、外す気にはなずなはなれなかった。
「じゃあ行くよ。あのホテルのロビーだって」
みのりが指差したのは、有名なホテルだ。なずなはとりあえず、如何わしいホテルではない事にホッと胸を撫で下ろす。
 ホテルの前は警備員が2人ほどいた。この暑さのせいか、二人のうち一人は薄らと額に汗をかいているのに関わらず、一人だけ汗をかいている様子がない。しかも、一人のジャケットは紺色なのに、もう一人は真っ黒だ。見た目は、黒い方が若そうに見える。なずなはホテルに入る時、横目でその警備員を見る。若いと思っていたが、髪が白いと言うか、銀色に近い髪色なのが見えた。
「はあはあ…遅れてすみません」
なずな達がホテルに入ると、息を切らした警備員がやって来る。
「え…お前、さっきからいたんじゃないのか?」
「いえ、諸事情で遅れるって連絡したんですが…」
二人は顔を見合わせたのだった。

 ロビーに着くと、翔一が大袈裟に手を振り、こっちに来いと合図する。
「いやあ、今日はありがとう。先方が遅れていてね…」
そう言いながら、バイト内容の説明をする。内容といっても、まず相手には好印象になるように笑顔。
「で、ホテルに誘われたら」
翔一は、ポケットから手紙を渡された。これをホテルに入る前に渡す事。なずなは、ホテルと言う言葉にギョッとする。
(え…ホテルって…)
次に、未成年だと分からないようにと念を押された。
「あ、先方さんだ。ちょっとだけ話をしてくるから、二人とも待ってて」
そう言って、翔一は駆け足での方へ行く。
「ね…みのり。やっぱりやめよう?」
「何で?今更じゃん」
「でも、これって…」
心配そうに見るなずなの肩をぽんぽんとみのりは叩く。
「大丈夫よ。いざとなれば逃げちゃおう。この辺なら、人が多いからすぐ逃げれるよ」
そんな甘い算段でも、なずなは少し安心した。それにちょっと前の電話の事を思い出した。
 あれから、蛍はいつものように過ごしていた。時々なずなは彼に揶揄われる事はあっても、バイトの話はしてこなかった。
「…あっ。二人とも、こちら坂口さん。あの二人はみのりちゃんとなずなちゃん」
二人は坂口と言う男に挨拶をする。坂口は、とても理知的で紳士そうでブランド物のスーツを着こなしていた。背も高く、女性と縁がなそうには見えなかった。
「じゃあ、俺はトイレに…あとは、お三人でなかよく…」
不敵な笑みを浮かべると、翔一はホテルのトイレに向かって行く。


「しっかし、馬鹿な女子高生だね~」
男子便器で用を足そうとしる翔一。
「ま、相手が十代ってだけで金額はどんどん釣り上がるしな。特に初物は…」
翔一はうっすらと顔を青くする。喉元にナイフが当てられたのだ。
「ちょっ…誰か⁉︎」
助けを呼ぼうとするが、翔一は声がうわずってしまう。
「意味ないぞ?結界を張ってある」
翔一は出るものが引っ込んでしまい、チャックを閉めた。そして、両手を上げてゆっくりと振り向いたのだった。
「お前、あん時のガキ!」
「へえ…覚えてたんだ。記憶力はよし」
片手にナイフを持ったまま、帽子を取る蛍。
「おいっ。お前、ろくな大人にならねえぞ!」
蛍は鼻で笑い、ナイフを舐める。
「どうだっていいさ。それよりさぁ、こう言う事してるの…閻魔大王にチクッていい?」
蛍の怪しい笑いに、翔一は更にギョッとした。きっと冗談ではない。
「あぁ?分かった…でもよ、どうするんだよ?」
「策はある。姿消すのは得意だろ?あと、財布貸せ」
翔一は、舌打ちをして背後ポケットから財布を取り出し、蛍に渡した。蛍が先にトイレを出て、翔一は入り口に置いてあった清掃中の黄色いプラスチック看板を見て悪態を吐く。
「なあにが結界だ!舐めやがって!」
看板は翔一に蹴飛ばさられ、見るも無惨な姿になっていた。
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