蛍地獄奇譚

玉楼二千佳

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学園生活篇

13水虎

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 「ほ、蛍くん!下ろして」
なずなは顔を赤くして、蛍に抗議した。授業中だから廊下にいる生徒はいなかったが、それでも誰かに見られるかも知れないと思うと、恥ずかしさで頭がいっぱいになる。
「怪我してるのに、歩けないでしょ?」
確かに脚に怪我はしている。とは言え、ただの引っ掻き傷だ。血は出ているが、歩けない事はない。
 「ここ、保健室だね」
確かに上の看板には、保健室と書かれている。蛍はしゃがんでなずなを下ろした。
「ありがとう。蛍くん…」
なずなが俯いてそう言った。蛍は保健室の戸をノックすると、どうぞと言う声が聞こえて来た。しかし、何故か蛍は保健室から違和感を感じていた。
「どうしました?」
校医はそう言った。その顔を見て、蛍は顔を引き攣らせる。
「…プールで溺れて、脚を怪我してしまって」
「そうですか。では、そこの椅子に座って下さい」
なずなが、校医にことの発端を説明する。蛍は、まさか知った顔に出会って、目を逸らすぐらいしかできない。その保健医は兄の経国つねぐにで間違いない。江間と書かれたバッチと白衣。きっちり整った髪、銀縁の眼鏡、まごうことなき自分の異母兄弟。蛍は今にも逃げ出したくて、背を向けた。
「うん…。心音は問題ない。脚も擦り傷だ。だけど、暫く保健室で休んだ方がいい。…それと、付き添いの君」
蛍はぎくりと肩を震わせた。父よりも苦手な兄に呼ばれて、背後を振り向きたくない気持ちでいっぱいだ。
「…あ、はい」
「こっちを向け」
そう命じられて、振り向かない訳にはいかない。ゆっくりと背後を振り向いて、ややぎこちない表情をした。
「…転校生だろう。健康診断がまだだったな」
健康診断?自分は十分健康だ。それに経国に診断して貰うなんて、真っ平ごめんだ。
「近々私の元へ来るように」
蛍は何だか、断崖絶壁の上に立たされたような気分になる。
 なずながベッドで横になり、蛍はそそくさと保健室を出た。







「カッコ良かったな。田中君、彼女いるのかな?」
「私、ちょっとアタックしてみたい!」
「私も!」
好き勝手言っている。みのりは少しムッとする。ついこの間まで興味無かった癖に…。
 授業が終わり、更衣室はさながら女子会のような雰囲気になる。みのりは、さっさと着替えてなずなのロッカーを探り、制服を取り出す。
「でもさー、何かなずなと仲良いじゃん。付き合ってんの?」
「え?それはないでしょ。あの子、良い子ぶりっ子だし」
一人の女子がそう言った時、みのりはわざとバーンという音を出して、ロッカーを閉める。
そのまま、何も言わずに更衣室から出た。
「怖っ」
誰かの声が聞こえたが、みのりは聞こえていないふりをした。



「…部活の後輩からメール来たんだけど、一年生の子、一人溺れたんだって…」
宗治の耳にそう聞こえて来た。確かに授業中ホイッスルが聞こえていた。授業に集中していない訳ではなかったが、何度も予習をしていた箇所だから、少し気が抜けていたのかも知れない。
「え?どこの組?」
「確かE組だったような…」
E組?確か、幼馴染が二人とも同じクラスだ。心配しながら、次の授業の教科書を開き、今日やる箇所のページを捲った際、ビリッとページを少し破ってしまう。辛うじて余白の部分だったが、嫌な予感がして仕方ない。宗治は隣で話していた女生徒に声を掛ける。
「悪いんだけど、少し体調が悪いから保健室に行って来るから、先生に伝えてくれるかな?」
「え?大丈夫?分かったよ」
女生徒は快く引き受けてくれた。宗治は、静かに教室を出る。
「うそ!土帝君に話しかけられた…ラッキー」
女生徒は、友達に嬉しそうに自慢する。



 あまり、保健室に行く機会はないが、場所はきちんと覚えている。そこへ行くと、江間という校医がいた。
「…三年A組の土帝君ね。体調が悪いか。ベッドはまだ空いているから休んで行くといい」
保健室のベッドは三台あり、その一つのベッドはカーテンで仕切られていて微かに話し声がしている。宗治は促されるまま、カーテンで仕切られたベッドの横に行き、そこのベッドに行ってカーテンを閉めて、聞き耳を立てる。
「…大丈夫?」
「大丈夫だよ。溺れたのは一瞬だし…」
「ならいいけど…ここ制服置いて置くね」
間違えるものか…。一人が去ってすぐカーテン越しに呼ぶ。
「なずな?なずなだな?宗治だ」
シャッとカーテンを開ける音がして、宗治もカーテンを少し開けた。
「宗ちゃん?どうして?」
「それはお前も…」
二人は校医に聞こえないように、小声で話す。
「…溺れたの」
「大丈夫か⁉︎」
「うん。蛍くんが助けてくれた」
宗治は下唇を一瞬噛んだ。
「…でも、どうして溺れた?」
「分からない…」
どうしてと聞いたが、何となく察しがついた。最近、やたら空気が澱んでいた。だが、それは天候のせいではない。この学校には妖怪が住んでいる事ぐらい、陰陽師の宗治には分かっていた。
 多分、学園長もあの女教師も恐らく人間ではない。そして、今そこにいる校医も…。
 彼らは、恐らく人間に危害を加える様子は無い。だから、宗治も静観する事にしたのだ。
 しかし、あの田中蛍が来てから空気が変わり始めていたのは確かだ。あれは確実に人間でない事は以前確認した。
「…一つ分かっているのは何かに足を引っ張られたって事…」
やはり、妖怪が関わっている。恐らく、水の中に隠れる事が出来る河童、もしくは…。
「そうか。とりあえず今は休め」
「うん…」
カーテンをそっと閉めるのを確認すると、宗治もカーテンを閉めた。
「帰宅前に寄って行くか…」
暫くすると、スースーとなずなの寝息がカーテン越しに聞こえてくる。
「…次は俺が守るから」



 蛍は、プールで起きた事を授業中に整理した。最初に泳いだ時、妖怪の気配はしたものの正体は分からなかった。そして、囮としてなずなを四つめのコースで泳がす。案の定、なずなは溺れた。
 しかし、妖怪には逃げられる。つまり、水の中に身を隠すのに長けた妖怪の仕業だ。
 他の生徒達によると、本日のプールの授業はこの組だけらしい。
 「ねえ、蛍君」
授業が終わると、ガラムが話しかけて来た。
「あ、あのさ…。お願いがあるんだけど…言い難いんだけどさ」
「何?」
歯切れの悪い言葉に蛍はイライラしながら応えた。
「その…今日の帰り…水泳の練習付き合って欲しいんだ」
そんなこと面倒だと蛍は思ったが、これは良い機会だと蛍は北叟笑む。
「…いいよ」



 帰宅時間になり、蛍達はプールへと向かう。プールは閑静しており、蛍達以外は誰もいなかった。
「…じゃあ、まずはプールに入ろう」
「え?いきなり⁈」
ガラムがゆっくりと水に浸かる。
「じゃあ、泳いでみて」
「ビート板ないと無理だよ。持ってくる」
蛍は首を振り、ガラムの腕を掴む。
「そんなもの使っていたら、いつまで経っても泳げないだろう」
蛍は用意しておいた黒い棒を見せる。
「えっとこれは?」
「これをビート板代わりに掴まってる貰う。僕が引っ張るから」
蛍が棒の真ん中を持ち、ガラムに両側を持たせる。
「ねえ…こんな棒で大丈夫?」
「大丈夫。僕も最初はこれだった」
三吉にこれを持たされて、三途の川を泳がされた事を思い出し、蛍はげっそりする。プールは三途の川より深さはないし、血の池みたいに悪霊がいる訳ではない。多分、妖怪は一匹。何とか、妖怪がいるポイントまで辿り着いて…ガラムは適当に逃せばいい。
「いいか?まずは顔を浮かしたまま泳ぐ…それから、息継ぎだ」
この間に、妖怪の気配を探る。水中にいるのは確かで妖気が漂っている。
「…ねえ。蛍君って幽霊って信じる?」
「……それがどうした?」
蛍はガラムの顔が少し青いのに気付く。
「僕、あんまり霊感ないんだけど…さっきから嫌な感じがする」
確かに、この感じだと少しでも霊感のある者なら気付くはずだ。あまりにも強い。
「はあ…無駄口はいいから、練習するよ」


「ねえ…やっぱりやめよう」
 数メートル泳ぐと、ガラムはそう言い出した。蛍は大きくため息を吐いて首を横に振る。
「そうか。僕は別に君が泳げなくても困らないし…出ろよ」
蛍は棒からガラムを引き剥がし、プールから出ようとする。
「やっぱり、蛍君はぺんぺん以外には冷たいんだね」
「は?」
背後を振り向き、ガラムを睨む。
「だってさ、ぺんぺんにはよく話しかけたり、笑い返したり…ひょっとして」
「妬いてんの?」
「違うよ!でも、他の子とも仲良くした方がいいんじゃないかって…」
「あのさ…勘違いしてるみたいだけど、ぺんぺんは自分から僕と歩み寄ってくれてるんだよ?金魚のふんみたいな君とは違うだろ⁈」
珍しく蛍は興奮気味で、目を見開いていた。まるで自分の心を裸にされたような気持ちだった。ガラムは蛍の顔つきに怯んでいるようだった。
「騒がしいぞ!何をやっている⁉︎」
少し離れた所から、怒号が聞こえて来る。声の主を見て、蛍は舌打ちをする。
「そ、宗ちゃん⁈」
「ガラムか。入学した時に約束した筈だ。問題になるような事をするなと…」
宗治はプールのヘリまで近づいて来た。水着は履いておらず、制服のままだった。宗治は、プールに入っている蛍とガラムを見下ろす。
「へぇ…また君。確か土帝だよな?」
「…それはこちらの台詞だ、田中蛍。ガラム、プールから出ろ。ここは危険だ」
宗治が顎で支持すると、のそのそとガラムはヘリをつたってプールから出る。
「さて…お前はどうする?」
宗治はガラムがプールから上がったの確認すると、そう蛍に言った。
「そうだね。囮がいないけど、このまま泳ぐよ。ひょっとしたら、現れるかもしれないからね」
ジロリと宗治を睨んで蛍は答えた。
「囮…?まさか…」
蛍が妖怪を誘きお寄せる為になずなを使ったのならば…宗治の中で怒りが沸々と湧いて来る。


 生徒達がいない分、自由に動けるのはいいが、その分餌がないので妖怪が見つかり難い。それにいくら蛍が人間の体力を何倍も上回るとは言え、無駄に体力を消耗するのを避けたい。
 蛍はわざとゆっくりと動き、普通の人間のふりをする。
 そして、プールの中心部に来た時、僅かに気配が強くなる。蛍はその地点で潜水を始めた。

「ほ、蛍君…何を始めたのかな?」
ガラムは蛍の妙な動きを怪訝な顔で見つめた。蛍は中心部で潜水し、その中をぐるぐると回っているのだ。
「ガラム。今のうちに逃げろ。来るぞ」

 「やっぱりなっ!」
黒い影は、ぐるぐる回り、まるで遊んでいるようだった。多分、こちらの体力を消耗させて捕まえるつもりだろう。そして、蛍は妖怪の正体が分かった。
水虎。河童の仲間だが、河童と違い、獰猛で身体中を鱗で覆われている。虎のように鋭い爪を持ち、その爪のせいでなずなは脚を怪我したのだろう。
 蛍は黒い棒…黒筒を銛に変化させ水中を突くが、水虎はすばしっこく見えない。一度、水面から顔を出す。
「陰陽師!力を貸せ!」
怒鳴るように、蛍は宗治に叫ぶ。
「………」
宗治は迷う。私情としては、蛍に手を貸す事はしたくない。だが、被害が出る前に妖怪を倒したい。宗治は手を組み出した。
「…物の怪、姿を現せ!狐の窓!」
宗治が指で小さな窓を作ると、プールから水飛沫とともに鱗に覆われた化け物•水虎が飛び出して来た。
「やっと姿を現したな!」
「チッ!陰陽師がいやがったか!」
水虎はプールが出て、宗治達がいる反対側に逃げる。
「ガラム!そこを動くなよ!」
宗治は水虎がいる方まで走り出す
(…とは言え、札は一枚。数珠だけが頼り…あとは)
向こう岸まで泳ぎ出した蛍を見る。蛍の泳ぎは速く、宗治が着く前に泳ぎきってしまった。
「…大人しく閻魔手形を見せろよ!」
黒筒を水虎に突きつけ、蛍は叫ぶ。
「閻魔の手先か!冗談じゃねえ!」
水虎が引っ掻くように蛍に襲いかかる。蛍は飛び上がり、何とか避ける。
「手形はないようだな?だったら…蓑火」
蛍が手前に手を翳すと、黄緑色の炎が浮かび上がった。
「田中蛍…お前…」
「食らうもんか!」
水虎が水中に潜り込んで、勢いよく泳ぎ出した。
「くそ!飛び込むしかない!」
「待てよ。土帝。水中じゃあ、僕らが不利だ」
相手は水妖だ。水中の中での戦いを得意としている。まずは陸上に誘き寄せるのが先決だ。
「なら、俺が囮で水の中へ入るぞ」
「それもよしといた方がいい。多分、水虎は君の気配を分かっている…だから」
あとここにいるのは、ガラムだけだ。しかし、ガラムは泳げない。
「一ノ瀬!飛び込め!」
しかし、ガラムは座り込んだまま動けない。
「ガラム!無理しなくていい。俺が代わりに…」
蛍は唇を噛んで、宗治の制止も聞かず拳を握りしめて走り出す。一気に向こう岸まで行くと、ガラムの腕を引っ張り、プールに引きづり込んだ。
 強引に引きづり込まれた所為でガラムは、一度水中に潜り込んでしまい、少し水を飲んで咳をする。
「ゲホッ!何してくれるんだよ!」
水は鼻にも入ったみたいで、鼻を摘んで水を出す。ガラムは泣きそうになりながら、蛍を睨んだ。
「うるさい!君は一人で向こう岸まで泳ぐんだ!死にたくなかったらな!」
蛍は先に泳ぎ始め、あっと言う間に泳ぎきっていた。
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