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フラれ王子爆誕
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ここ、ミラルク学園では、いままさに、公衆の面前での『婚約破棄』が行われようとしていた。
「婚約破棄を希望いたします」
凛とした声を上げたのは縦ドリルに巻いた髪が目にも眩しい美麗な公爵家令嬢、モースリン=カラティエ嬢だ。
対して、その言葉を引き受けるはずの王太子、ハルエット=ベルベローナは、まるで言われた言葉の意味が分からなかったかのように立ち尽くしたままだった。
仕方なく、モースリン嬢はもう一度、声を上げる。
「私たちの婚約を……」
言葉尻を待たず、ハルエットは片手を上げて彼女の言葉を遮った。
「いや、聞こえていた、聞こえていたから、ただ少し理解が追いつかなかっただけで……」
「さようにございますか。それで、ご理解はいただけましたでしょうか」
「うん、うん、婚約破棄したいんだね。そこまでは理解したよ。でも、なぜ……」
「夢を……」
モースリン嬢は顔を伏せ、寂しそうに笑った。
「夢を見ましたの」
「夢?」
「ふふふ、冗談ですわよ、そんな、夢を見たくらいで婚約破棄などするわけがないでしょう」
「だよね」
「婚約破棄は冗談ではありませんけどね」
「だから、なぜ……」
モースリン嬢とハリエット王太子の婚約は、そもそもが王家の権力をより強固にするために結ばれた政略的なものだ。だからといって二人が不仲だったわけではなく――まだ恋だの愛だのも知らぬ子供の頃に決められた結婚相手なのだから――好きや嫌いではなく、お互いに隣にいるのが当然の相手であると信じきって今日まで過ごしていたのだが。
いま一度、モースリン嬢の真意を問うハリエットの声は、少し震えて裏返ってもいた。
「その……僕たちの婚約については、僕たちの意思だけでどうにかなるもんじゃないと思うんだけど?」
表情は穏やかに取り繕っているが、震える指先が彼の戸惑いをよく表している。
しかしモースリン嬢の方は涼しい顔だ。
「ええ、心得ておりますわ。ですから、正式な手続きはこれから詰めてまいりましょう、本日はあくまでもわたくしの意思表明ということで」
「わかった、わかったから、あとでゆっくり話し合おう。こんなに人がいるところでする話じゃないだろう」
二人が向かい合って立っているここは、ミラルク学園の食堂のど真ん中だ。昼時ということもあって、座席は満員御礼、席にあぶれた者たちも軽食を求めて列を作り人でごった返す、まさに衆人環境の真っただ中なのだ。そのど真ん中で、この国の王太子とその婚約者が別れるの別れないのの痴話げんかを始めたのだから、注目を浴びないわけがない。いまここにいるすべての生徒たちの視線が、ハリエットとモースリン嬢に注がれている。
もっとも聡明賢女で知られたモースリン嬢が、こうした周りの状況を把握していないわけがない。彼女にしてみれば、いまここで婚約破棄の意思を表明することにこそ意味があるのだ。
「いま、ここだからこそできる話というものもございます。私には、この婚約破棄は私の意思によるものだと証明してくれる証人が必要なのです」
「つまり、ここで話を聞いている全員が証人ってことか、でもそれってさ、仮にも王太子である僕を大勢の人の前で振って、辱めを与えるってことだよね」
「おかしなことをおっしゃいますのね、振るだの振らないだの、そんなことは恋愛感情があって初めて成り立つものでしょう。私たちの婚約は政略のための、いわば契約ですから、その契約を穏便に解消したいという、ただそれだけの話ですわ」
ハリエットの声があからさまに裏返る。
「ないの⁈ 恋愛感情!」
モースリンは涼しい顔だ。
「ええ、ございませんわ、これっぽっちも」
「だって、そんな……チュウだってしたじゃないか……」
「誤解を招くような言い方はやめてくださいませ。子供の頃に、しかも頬に親愛のキスをしただけじゃありませんか。家族にするお休みのチュウと同じ、邪気のない挨拶としてのキスでしょう」
「それってつまり、僕を家族に等しい存在だと認めてくれたということじゃ……」
「殿下、見苦しい真似はおよしなさい、私は本当に、この婚約という契約を穏便に解消したいだけなのです、他意はありません。振られた体では外聞が悪いというのならば、そちらから私を振ってくだされればよろしいかと」
「何でそういう話になるんだ、ただ、僕は……」
しかしモースリン嬢は、それ以上の泣き言を聞く気はない様子だった。彼女はスッと片手を上げ、たからかに宣言した。
「私、モースリン=カラティエは、王太子殿下とその恋人を心より祝福いたします。皆様はこのことを心に留め置いてくださいませ!」
二人を取り巻く野次馬たちの間に、ザワっとささやきが巻き起こった。これを同意と捉えたか、モースリン嬢はさらに続けた。
「よって、私には殿下の恋人を害する意思はないことをここに宣言いたします。私が望むのはあくまでも穏便な婚約破棄、それのみです!」
ハリエットの方は半ベソ顔だ。
「待って、まるで僕に恋人がいるみたいな言い方だけど……」
「いるじゃありませんか」
「いや、いないし、何か誤解があるんじゃないかな、話し合おう」
「そうですね、話し合いましょう。私も事を荒立てたいわけではありませんので」
「そうだろう、まずは婚約破棄の撤回を……」
「いいえ、それは確定事項ですので」
「確定……」
「私が話し合いたいのは、今後の私の処遇についてです。婚約破棄にあたり私は傷物になるのですから、修道院行きまでは飲んで受け入れましょう。でも、処刑や家門の取りつぶしまではなさらないと、できればここで誓ってくださいませ」
「ごめん、話が見えない……」
「では、それについてはきちんとした書状の形で頂戴するということで」
「待ってくれ、本当に、待ってくれ、何か誤解があるみたいだけど、僕の方は君との婚約を破棄するつもりはない!」
「『今はまだ』?」
「は?」
「いいえ、いずれ私の存在が殿下の恋の障害となることもあるでしょう、その時に謂れなき罪を着せられて悲惨な末路を辿ることになるのはゴメンなのですわ」
「そんなことはしない! 絶対に!」
「つまり、私に謂れなき罪を着せるようなことはないと。お約束、いただきましたからね、お忘れないように」
それ以上は話すこともないというのか、モースリン嬢はハリエットに背を向ける。ハリエットの方は、そのシャンと背筋の伸びた美しい背中に向かって、いまだ未練がましく叫び続けていた。
「違う、そうじゃなくて、恋の障害の方! そんなことあるはずがない、だって、僕は……」
その叫びを最後まで聞くことなく、モースリン嬢はスタスタと歩き出した。今までヒソヒソと何事か囁き合っていた野次馬たちは、慌てて口を閉ざして、彼女のために道を開いた。
もしもその中に注意深い者がいれば、キュッと強気に口元を引き結んだモースリン嬢のまなこが、僅かに潤んでいることに気づいただろうか。彼女は今、明らかに涙を堪えて歯を食いしばっている最中だったのだから。
ただ一人、駆け寄ってきた若いメイドだけが、己の主人に小声で聞いた。
「お嬢様、本当にこれでよかったのですか?」
「ええ、よかったのよ。これで」
「そうですか……」
二人の背後ではハリエット王太子がまだ何事かを叫んでいたが、モースリン嬢が振り向くことはなかった。ただ、人知れず、ひと粒の涙が彼女の頬を伝った。
モースリン嬢とて、この婚約破棄は本意ではない。しかし、彼女には王太子との婚約を破棄しなければならない事情があった。
そう、それは全て、ある日の夢から始まった--。
「婚約破棄を希望いたします」
凛とした声を上げたのは縦ドリルに巻いた髪が目にも眩しい美麗な公爵家令嬢、モースリン=カラティエ嬢だ。
対して、その言葉を引き受けるはずの王太子、ハルエット=ベルベローナは、まるで言われた言葉の意味が分からなかったかのように立ち尽くしたままだった。
仕方なく、モースリン嬢はもう一度、声を上げる。
「私たちの婚約を……」
言葉尻を待たず、ハルエットは片手を上げて彼女の言葉を遮った。
「いや、聞こえていた、聞こえていたから、ただ少し理解が追いつかなかっただけで……」
「さようにございますか。それで、ご理解はいただけましたでしょうか」
「うん、うん、婚約破棄したいんだね。そこまでは理解したよ。でも、なぜ……」
「夢を……」
モースリン嬢は顔を伏せ、寂しそうに笑った。
「夢を見ましたの」
「夢?」
「ふふふ、冗談ですわよ、そんな、夢を見たくらいで婚約破棄などするわけがないでしょう」
「だよね」
「婚約破棄は冗談ではありませんけどね」
「だから、なぜ……」
モースリン嬢とハリエット王太子の婚約は、そもそもが王家の権力をより強固にするために結ばれた政略的なものだ。だからといって二人が不仲だったわけではなく――まだ恋だの愛だのも知らぬ子供の頃に決められた結婚相手なのだから――好きや嫌いではなく、お互いに隣にいるのが当然の相手であると信じきって今日まで過ごしていたのだが。
いま一度、モースリン嬢の真意を問うハリエットの声は、少し震えて裏返ってもいた。
「その……僕たちの婚約については、僕たちの意思だけでどうにかなるもんじゃないと思うんだけど?」
表情は穏やかに取り繕っているが、震える指先が彼の戸惑いをよく表している。
しかしモースリン嬢の方は涼しい顔だ。
「ええ、心得ておりますわ。ですから、正式な手続きはこれから詰めてまいりましょう、本日はあくまでもわたくしの意思表明ということで」
「わかった、わかったから、あとでゆっくり話し合おう。こんなに人がいるところでする話じゃないだろう」
二人が向かい合って立っているここは、ミラルク学園の食堂のど真ん中だ。昼時ということもあって、座席は満員御礼、席にあぶれた者たちも軽食を求めて列を作り人でごった返す、まさに衆人環境の真っただ中なのだ。そのど真ん中で、この国の王太子とその婚約者が別れるの別れないのの痴話げんかを始めたのだから、注目を浴びないわけがない。いまここにいるすべての生徒たちの視線が、ハリエットとモースリン嬢に注がれている。
もっとも聡明賢女で知られたモースリン嬢が、こうした周りの状況を把握していないわけがない。彼女にしてみれば、いまここで婚約破棄の意思を表明することにこそ意味があるのだ。
「いま、ここだからこそできる話というものもございます。私には、この婚約破棄は私の意思によるものだと証明してくれる証人が必要なのです」
「つまり、ここで話を聞いている全員が証人ってことか、でもそれってさ、仮にも王太子である僕を大勢の人の前で振って、辱めを与えるってことだよね」
「おかしなことをおっしゃいますのね、振るだの振らないだの、そんなことは恋愛感情があって初めて成り立つものでしょう。私たちの婚約は政略のための、いわば契約ですから、その契約を穏便に解消したいという、ただそれだけの話ですわ」
ハリエットの声があからさまに裏返る。
「ないの⁈ 恋愛感情!」
モースリンは涼しい顔だ。
「ええ、ございませんわ、これっぽっちも」
「だって、そんな……チュウだってしたじゃないか……」
「誤解を招くような言い方はやめてくださいませ。子供の頃に、しかも頬に親愛のキスをしただけじゃありませんか。家族にするお休みのチュウと同じ、邪気のない挨拶としてのキスでしょう」
「それってつまり、僕を家族に等しい存在だと認めてくれたということじゃ……」
「殿下、見苦しい真似はおよしなさい、私は本当に、この婚約という契約を穏便に解消したいだけなのです、他意はありません。振られた体では外聞が悪いというのならば、そちらから私を振ってくだされればよろしいかと」
「何でそういう話になるんだ、ただ、僕は……」
しかしモースリン嬢は、それ以上の泣き言を聞く気はない様子だった。彼女はスッと片手を上げ、たからかに宣言した。
「私、モースリン=カラティエは、王太子殿下とその恋人を心より祝福いたします。皆様はこのことを心に留め置いてくださいませ!」
二人を取り巻く野次馬たちの間に、ザワっとささやきが巻き起こった。これを同意と捉えたか、モースリン嬢はさらに続けた。
「よって、私には殿下の恋人を害する意思はないことをここに宣言いたします。私が望むのはあくまでも穏便な婚約破棄、それのみです!」
ハリエットの方は半ベソ顔だ。
「待って、まるで僕に恋人がいるみたいな言い方だけど……」
「いるじゃありませんか」
「いや、いないし、何か誤解があるんじゃないかな、話し合おう」
「そうですね、話し合いましょう。私も事を荒立てたいわけではありませんので」
「そうだろう、まずは婚約破棄の撤回を……」
「いいえ、それは確定事項ですので」
「確定……」
「私が話し合いたいのは、今後の私の処遇についてです。婚約破棄にあたり私は傷物になるのですから、修道院行きまでは飲んで受け入れましょう。でも、処刑や家門の取りつぶしまではなさらないと、できればここで誓ってくださいませ」
「ごめん、話が見えない……」
「では、それについてはきちんとした書状の形で頂戴するということで」
「待ってくれ、本当に、待ってくれ、何か誤解があるみたいだけど、僕の方は君との婚約を破棄するつもりはない!」
「『今はまだ』?」
「は?」
「いいえ、いずれ私の存在が殿下の恋の障害となることもあるでしょう、その時に謂れなき罪を着せられて悲惨な末路を辿ることになるのはゴメンなのですわ」
「そんなことはしない! 絶対に!」
「つまり、私に謂れなき罪を着せるようなことはないと。お約束、いただきましたからね、お忘れないように」
それ以上は話すこともないというのか、モースリン嬢はハリエットに背を向ける。ハリエットの方は、そのシャンと背筋の伸びた美しい背中に向かって、いまだ未練がましく叫び続けていた。
「違う、そうじゃなくて、恋の障害の方! そんなことあるはずがない、だって、僕は……」
その叫びを最後まで聞くことなく、モースリン嬢はスタスタと歩き出した。今までヒソヒソと何事か囁き合っていた野次馬たちは、慌てて口を閉ざして、彼女のために道を開いた。
もしもその中に注意深い者がいれば、キュッと強気に口元を引き結んだモースリン嬢のまなこが、僅かに潤んでいることに気づいただろうか。彼女は今、明らかに涙を堪えて歯を食いしばっている最中だったのだから。
ただ一人、駆け寄ってきた若いメイドだけが、己の主人に小声で聞いた。
「お嬢様、本当にこれでよかったのですか?」
「ええ、よかったのよ。これで」
「そうですか……」
二人の背後ではハリエット王太子がまだ何事かを叫んでいたが、モースリン嬢が振り向くことはなかった。ただ、人知れず、ひと粒の涙が彼女の頬を伝った。
モースリン嬢とて、この婚約破棄は本意ではない。しかし、彼女には王太子との婚約を破棄しなければならない事情があった。
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