パンドラ

須桜蛍夜

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「わたしは瑠璃。それ以上でもそれ以下でもない」
おれの問いに彼女は悩むそぶりを見せたが、答えは早かった。しかしそれは、なんの解決にもなっていない。答える気が無いのか?
「なんでずっと目を閉じているんだ? その銀の瞳はこの状況と関係あるのか?」
彼女がその双眸を見せたのは、この場がおかしくなる直前の一度きり、きっと意味があるだろう。
「別に、ただ闇が落ち着くだけ」
はっとした。まぶたの裏に浮かんだ深い闇を持つ牢獄。あの中にずっと居たとしたら、それも仕方ないことかもしれない。勢いで敵対心を感じていたが、彼女は蛇目教の被害者で、暗闇の中で震えていたあの子と同一人物。恐れる必要なんて無いんだ。逆に、親身に接してあげるべきなんだ。
「妻と離婚して離れて暮らしていたが、彼女の訃報により娘を引き取ることになった。そしてとある事故で入院していた彼女を見舞っているうちに警察仲間に聞きつけられ、娘を一目見たいという彼らを断りきれずに本日に至る」
突然、おれの同情を遮るように無機質な台詞が響いた。これって……。
「これはあなたの新しい過去、新たに形作られた記憶。無駄なことしてないで早く終わらせよ」
つぶった瞳がこちらを向いた。人間味の無い声は、言葉以上に雄弁に、馴れ合う気が無いことを語っている。“早く終わらせよう“か、そうだな、そっちがその気なら。改めて、おれは彼女に向き直る。
「君は一体何をした?」
当然予想していたであろう問いに、少女は驚くそぶりを見せ、悩むように黙り込んだ。沈黙が身体に纏わりついてくる。彼女は壊れたように動かない。緊張が重さを増して、喉が渇きを訴えてくる。その時、銀色が現れた。宝石のような瞳がおれのことを観察する。
「わたしは」
ぼんやりと、今にも消えてしまいそうな台詞。
「わたしは……」
繰り返される同じ言葉。それは今までと違い、僅かな感情の色を含んでいて、目を逸らし、震える拳を見つめる彼女の顔は、無表情を脱ぎ捨て苦悶を示していた。
「わたしは人の記憶を見ることができる」
細い声。しかしそれは一直線に耳へと入ってくる。
「わたしは記憶を読んで書き換えることができる」
吹っ切れたのか、彼女は投げやり気味に紡いだ。”記憶を書き換える“予想していた範囲ではあったが、直接聞くと何か夢物語のようだった。でも――。
「信じるしかないか」
まだ半信半疑ではある。しかし、彼女の真剣さと警部達の変化を考えると信じない訳にはいかない。
「そう、信じるんだ。なら……」
少女は無機質に戻った声で呟き、銀眼を閉じた。
「他言は無用ね」
言葉と共に瞳が開き、空間が変質する。頬を冷たい汗が伝っていき、身体が自然と震え始めた。
――なんだ、これ……。
何も変わらぬ病室の中で、彼女の雰囲気は一変していた。「怖い」本能が叫ぶ。全身の細胞が縮こまって硬くなり、動くなと告げていた。逆らえば殺されると訴えていた。頭はパニックに陥り、働きを放棄する。がくがくする膝、血液に乗って全身に響く太鼓の音。逃げなくてはいけない。早くここから立ち去るべきだ。そんな言葉が惑う頭脳に行き交った。しかし、肉体はピクリとも動かない。開かれた銀色がおれの全てを支配していた。
「やく、そくする」
己のものとは思えない声が口から洩れた。ゆっくりと無感情な瞳がその真偽を吟味する。
「絶対にだよ」
その言葉を合図に支配の糸が断ち切られた。身体が勝手に崩れ落ちる。恐怖の余韻が全身を使い物にならなくしていた。震えは静まることを知らず、寒さに対抗するように暖かい滴が頬を伝った。なんでおれは、おれは刑事だぞ、なんであんな年半端もいかない少女にこんなに――。
「ねぇ」
「はい!」
動悸が逸り、緊張が走る。
「わたし、あなたの娘だからよろしく」
娘? 娘ってなんだ? 子供のことか。焦る頭は考える。そういえば武田もそんなこと言っていたな……ん?
「ちょっと待て、それってうちで暮らすってことか?」
元の動きを取り戻した頭脳は、新たな焦りを受け入れる。
「そう、だからよろしく」
何も映さない銀の瞳、無機質な言葉。相変わらずの少女が静かに告げる。
「えっ、ちょっと待てよ。えっ?」
「もうこれは変えられない。養わなくても、わたしがあなたの子になったことには違いないから、それは立派な育児放棄。警官としてそれはどうだろうね?」
悪戯な問いかけに、おれは何も返せない。
「よろしく」
念を押すように銀がおれを見つめた。
「……あぁ、よろしく」
完敗だった。おれには彼女を引き取る以外に道は残されていなかった。そこまで考えて気がついた、自分が恐怖の根源と普通に会話をしていたことに。そうっと少女を観察する。先程の恐さが嘘のように普通の少女がそこには居る。気のせい……では無いよな。そのことを確信しつつも、目の前の子があれほどの恐怖を感じさせる存在にも思えなかった。
――不思議なチカラを使ったのかもな。
ふと浮かんだ考え、それが一番納得のできる答えだった。
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