ねぇ、大好きっていって

深智

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ひより

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 キィ――……ン、と秋の夕焼け空に響き渡る金属バットの打球音。グラウンドで練習する野球部員達のかけ声に混じって、

「打球の落下地点の予測がおせー、って何度言ったらわかるんだー!」

 バット片手にノックしている若くて元気な監督さんの声が校舎の4階までよく聞こえた。

「平田センセ、めっちゃカッコイイー」

 窓辺で頬杖ついてるあたし横で、仲良しの茉奈ちゃんがうっとりとつぶやいてる。

「そだねー……」

 監督さんの名前は、平田遼太先生。教師2年目の24歳。教科は数学。野球部の監督さん。

 超弱小チームだった野球部を、監督になって2年でなんと県大会ベスト4までのチームにしてしまった、すごい監督さん。すっごくカッコイイからレギュラー部員の先輩達より女のコに人気があったりする。

 でも、俺に付いて来い的なアニキっぽいとこがいいのかな。男のコにも好かれてて、ちょっと悪そうなコ達も平田先生の言う事なら聞いちゃう。

 茉奈ちゃんが頬杖ついたままあたしを見た。

「そだねって。ひよりはあんま興味ないの?」
「んー、よくわかんない」

 みんなが騒ぐのと、あたしが思う平田先生と、ちょっと違う気がするんだもん。

「ひよりはお子ちゃまだから」

 お子ちゃま?

「えー、だって、みんな同じ高校1年生だよ?」
「そこが、お子ちゃま」

 首を傾げてキョトンとしてしまったあたしに、茉奈ちゃんは意味ありげな顔をした。

「ひよりはまだなーんにも知らなくていいよね~」

 あたしは、茉奈ちゃんの言葉に、ますます〝?〟マーク一杯の顔をした。

「もう、ひよりはー」

 茉奈ちゃんの呆れモード全開のお声がオレンジ色に染まる教室に響き渡った。

 だって、分かんないんだもん。

 頬っぺたを膨らませたあたしの顔を茉奈ちゃんが笑いながら両手で挟んで萎ませた。

「おもちゃみたい。可愛い」





 秋の夕暮れは早くてあっという間に外は夕闇に包まれる。

 もう真っ暗だー。

 宿題をしていたあたしは、窓の外を見て、壁掛け時計を見た。

 そろそろかな、とカラカラと窓を開けて顔を出し、外灯が続く夜道の先に目を凝らした。少しして長身の男の人の姿が見えてきた。

 来た! その人が、うちの前まで来る。

「遼ちゃん!」

 あたしが2階から声を掛けると、

「ただいま、ひよ」

 日に焼けた精悍な顔があたしを見上げ、白い歯を覗かせて笑った。

「今ねー、宿題やっててねー、わかんないからそっちに行ってもいい?」
「相変わらずだな」

 その人、遼ちゃんはクククと笑った。

「いいぞ。先にシャワー浴びるから少ししたら来い」

 そう言い、遼ちゃんはお家の中に入って行った。

 そう、遼ちゃん。平田遼太先生は、あたし、宮部ひよりの大好きな幼なじみのお兄ちゃんです。

 7つも年上なの。だから、お兄ちゃんと妹、だよね。

「あら、ひよちゃん。また遼ちゃんとこ?」

 ノート、教科書、ペンケースを抱えて玄関にいたあたしにママが声を掛けた。

「うんっ」
「遼ちゃんはもう働いてて大変なんだから、あんまりお邪魔しちゃダメよ。それにひよりの学校の先生なんだから」
「はーい」

 先生。

 何だか変な感じ。だって、遼ちゃんは遼ちゃんだもの。



「こんばんはー」

 遼ちゃんのお家とあたしの家は、狭い路地を挟んだ真向かい。鍵がかかっていないドアを開けて、挨拶をして勝手に上がっちゃう。

「ひよちゃん、いらっしゃーい」

 キッチンから顔を出したニコニコ顔のおばさんのとこにパタパタと駆け寄った。

「遼ちゃんはまだお風呂?」
「もうそろそろ出てくるわ。それにしても……」

 おばさんが頬に人差し指を当て、思案顔をする。

「前は日替わりで女のコ連れてきていた遼太も最近は忙しくなって。アッチの方もトンとご無沙汰みたいなの」

 アッチ? ご無沙汰?

「ひよちゃん、気を付けてね。あ、でも私はひよちゃんがお嫁さんに来てくれるなら大歓迎だわぁ」

 気を付けて?

「かあぁ――さんっっっ!」

 首を傾げたままのあたしの背後から、お風呂から出てきた遼ちゃんの怒鳴り声が飛んできた。

 びっくりして振り返ると、肩にバスタオル掛けた遼ちゃんが腕組んで仁王立ちしてた。お顔が、すごく怒ってます。

「何言っちゃってんの!? ひよは十六になったばっかだろ! そういう事は近所のオバハンが教える事じゃないんだよ!」
「あらいやだ、遼太。この情報社会で今の高校生にまだ早いも何もないでしょ。アンタ高校の先生なんだからそのくらいは……」
「もーぅいいっっ! ひよっ、来いっ!」
「あ、ちょっと、遼ちゃん」

 遼ちゃんはあたしの手を掴み、ズカズカと階段を上り始めた。

「ひよちゃーん、後で一緒にご飯食べて行ってねー」

 遼ちゃんに怒鳴られるのなんか慣れっこのおばさん。ニコニコしながら階段下から手を振っていた。



 遼ちゃんのお部屋に入って改めて気付いた。遼ちゃん、上半身、裸です。

 肩に掛けていたバスタオルを取って、髪を拭く。軽く飛ぶ水しぶきが部屋の明かりを反射してキラッと光った。ガッチリとたくましい肩に、割れた腹筋。

 ドキッとした。やっぱり、カッコイイです。

 目のやり場に困ったあたしは教科書を抱えたままウロウロオロオロ。そんなあたしを見て遼ちゃんはクスッと笑った。

「なにやってんだよ。ソコに置いてあるTシャツ取って」
「あ、これ?」

 ベッドに置いてあったTシャツを取ろうとした時、抱えていた勉強道具一式が床に落ちた。

「あっ」
「ホント、ドジ」

 慌てて拾うあたしの脇に、遼ちゃんが屈む。フワリとシャンプーの香りがして、顔が、近づいた。

「いつもの。やる?」
「うん……」

 いつもの。それは――、

 遼ちゃんの唇がゆっくりとあたしの唇に重なって、あたしは目を瞑る。キスは、ちっちゃい頃から大好きな遼ちゃんと挨拶みたいにしてた。

『これは仲良しの挨拶みたいなもんだよ』

 遼ちゃんのお部屋に、勉強を教えてもらいに通うようになっていたあたしに、いつしか遼ちゃんが教えてくれた、仲良しさんの〝ごあいさつ〟です。

 お互いに〝ごあいさつ〟をする、これは〝なかよしタイム〟なの。

 遼ちゃんの舌とあたしの舌が触れ合う。

「んん……」

 これが気持ちいいのです。

 遼ちゃんの両手が、あたしの顔を優しく挟んで、スルッと髪の毛まで梳いてくれて。

 触れる指にドキドキする。くすぐったい。

 肩を竦めたあたしの唇からゆっくりと遼ちゃんの唇が離れていく。クスッと笑った遼ちゃんがお膝の上に乗せてくれた。

 大きな両手があたしの顔を包んで、額を合わせて、目と目を合わせる。遼ちゃんの、黒く澄んだ瞳は力強さと優しさが同居してます。

 胸がギュッと掴まれたみたいに痛くなって、涙が出そうになるのは、どうしてかな。

 遼ちゃん。

 呼びかけようとしたけど、

「ひよ」

 低くて、甘くて、柔らかに空気を響かせるお声に呼ばれた。

「はい」

 お応えすると、遼ちゃんがニコッと笑った。

「ひよ、学校は楽しいか?」

 いつも聞いてくれる質問です。この質問に、たくさんの意味が込められてます。

「楽しいよ。たくさん、お友達できたもん」
「よし!」

 遼ちゃんが頭をクシャクシャッてしてくれて、あたしはキャッキャと笑う。

 くすぐったい。

 遼ちゃんが触れるとこだけじゃなくて、胸が、心が、全身が。

 痛いの。

 どうしてか分からないんだけど……。

 遼ちゃんに触れた場所が、電極になったみたいです。

 遼ちゃん。

 ねえ、遼ちゃん。

 遼ちゃんの両手が頬っぺたを挟む。お顔が、近づく。

 目を瞑って、遼ちゃんを感じる。


 あたし達の〝なかよしタイム〟。遼ちゃんが言うの。

「これは2人だけの秘密だぞ」

 うん。誰にも言わないよ。

 だって、大好きな遼ちゃんとの〝秘密〟だもん。

〝秘密〟って言葉、ドキドキする。

 誰も知らない2人だけの大事な〝秘密〟。



 あたし、何も知らなかったから、この時はこれだけで、幸せだったの。

 遼ちゃんを想うだけですごく苦しくなるなんて、この時は知らなかったの。






 
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