14 / 26
カルテ6 微熱2
しおりを挟む
「Guten Abend!」
あの呑んだくれて潰れてしまった翌々日。
深夜、寝入りばな、携帯が鳴った。
目を擦りながら出てみると耳に飛び込んできたのは千尋の元気な声だった。
時計は1時を指していた。
「ちひろ……」
今何時だと思って、という言葉が口先まで出かかったけれど、千尋には先日の借りがあるのでここは非礼も黙殺。
「ドイツね」
「Ya! フランクフルトよ」
ドイツと日本の時差はだいたい7時間。
今こちらが1時だから、あちらは……夜の6時くらい、といったところ。
なるほど、Guten Abend(こんばんは)なわけね。
フランクフルト。
そこは行ったことないんだよな、と自分の記憶のビジョンにない風景を想像しながらわたしは千尋に詫びを入れる。
「ごめんね、この間は。
とんだ失態を。
迷惑かけてしまったわ」
わたしは危うく千尋の仕事の邪魔をしてしまうところだった。
「わたしは全然大丈夫。私より迷惑かけた人がいるでしょう?」
千尋の声がくぐもって聞こえる。
それは笑いを堪えているからだってこと、無料通話アプリを使った国際電話を通してだって伝わってくる。
「はい、緒方君に迷惑をかけました」
千尋にはちゃんと翌日、メールで報告はしてあったけれど。
返信が直電とは。
「なにも、緒方君に預けちゃわなくてもあそこでタクシーにそのまま乗せてくれても良かったのに……」
そう言いながらも、緒方君と過ごしたあの時間に、あまり悪い気はしなかった、という感情が湧く自分に驚く。
千尋は、そんなわたしの心を見透かしたようにクスクスと笑っていた。
「ごめんね~。でも菊乃あの時寝ちゃってて、タクシーに乗せたって危ないと思ったのよ。
そこに緒方君登場、というわけね。
それに、緒方君ならまあいっかって思っちゃったの」
〝まあいっか〟って。
「ちひろ……」
「良かったじゃない、ホテルに連れ込んだりしなかったワケだし」
そういう問題じゃなくてね。
その、千尋が言う‘まあいっか’がどこに掛かるのか、地味に気に掛かるんですけどね。
「緒方君なら、菊乃にいいかなってちらっと思ったのも事実」
千尋がぽろりと明かした。
わたしの胸が一瞬ドキッと跳ねたけど。
「それはムリ、かな」
少しの間を置いて千尋は。
「もうそろそろ、いいと思うんだけどね」
千尋の言葉はきっと、あれやこれや、諸々のものに掛かっているのだと思う。
彼の事は過去の事と割り切りなさい、っていうことなんだよね。
割り切れたら、どんなに楽か。
割り切れないからまだこんな風にウジウジしているんだから。
「分かんない」
曖昧な一言で片づけたわたしに、千尋が小さくため息を吐いたのが伝わった。
「お互い、なかなか進歩しないわね」
「そうね」
そう話してアハハと笑った。
じゃあ、と切ろうとした時「そうだ」と千尋が話しを切り出した。なに? とわたしが続きを促すと。
「実はね、わたしの姉が離婚考えてるの」
「え? だって、千尋のお姉さんのところはすごく円満に見えてたけど?」
そう。千尋の5歳年上のお姉さんは確か……今年で結婚13年目。
子供もいる、絵に描いたような素敵な家族に見えていた。
「それがね、色々あるのよ。
菊乃なら色々なケース見てきたから分かるんじゃない」
そうは言っても。
「わたしはまだキャリアが浅いから、そんなに色んなケースを見たわけじゃないわよ」
そっか、という千尋の声に、もっともっと色んな仕事を熟したい、という熱望が胸に湧く。
わたしはやっぱり、働きたい。
仕事が好きなんだ、ということをこういう時に実感するのだけど。
「でも、なんだかショックだわ。
お姉さんのところまでって思うと」
「私もよ。これから結婚しようっていう妹に、夫婦の現実なんて見せないで欲しいわ」
姉のことをさり気なく皮肉りながらも明るく笑った千尋は、
「そんなわけで、今度もしかしたら菊乃のとこに姉を連れて相談に行くかもしれないから、よろしくね」
そんな言葉で締めくくって電話を切った。
深夜2時を回る頃だったけれどすっかり目が覚めてしまったわたしはベッドから起き上がり、少し仕事しよう、パソコンを開いた。
あの呑んだくれて潰れてしまった翌々日。
深夜、寝入りばな、携帯が鳴った。
目を擦りながら出てみると耳に飛び込んできたのは千尋の元気な声だった。
時計は1時を指していた。
「ちひろ……」
今何時だと思って、という言葉が口先まで出かかったけれど、千尋には先日の借りがあるのでここは非礼も黙殺。
「ドイツね」
「Ya! フランクフルトよ」
ドイツと日本の時差はだいたい7時間。
今こちらが1時だから、あちらは……夜の6時くらい、といったところ。
なるほど、Guten Abend(こんばんは)なわけね。
フランクフルト。
そこは行ったことないんだよな、と自分の記憶のビジョンにない風景を想像しながらわたしは千尋に詫びを入れる。
「ごめんね、この間は。
とんだ失態を。
迷惑かけてしまったわ」
わたしは危うく千尋の仕事の邪魔をしてしまうところだった。
「わたしは全然大丈夫。私より迷惑かけた人がいるでしょう?」
千尋の声がくぐもって聞こえる。
それは笑いを堪えているからだってこと、無料通話アプリを使った国際電話を通してだって伝わってくる。
「はい、緒方君に迷惑をかけました」
千尋にはちゃんと翌日、メールで報告はしてあったけれど。
返信が直電とは。
「なにも、緒方君に預けちゃわなくてもあそこでタクシーにそのまま乗せてくれても良かったのに……」
そう言いながらも、緒方君と過ごしたあの時間に、あまり悪い気はしなかった、という感情が湧く自分に驚く。
千尋は、そんなわたしの心を見透かしたようにクスクスと笑っていた。
「ごめんね~。でも菊乃あの時寝ちゃってて、タクシーに乗せたって危ないと思ったのよ。
そこに緒方君登場、というわけね。
それに、緒方君ならまあいっかって思っちゃったの」
〝まあいっか〟って。
「ちひろ……」
「良かったじゃない、ホテルに連れ込んだりしなかったワケだし」
そういう問題じゃなくてね。
その、千尋が言う‘まあいっか’がどこに掛かるのか、地味に気に掛かるんですけどね。
「緒方君なら、菊乃にいいかなってちらっと思ったのも事実」
千尋がぽろりと明かした。
わたしの胸が一瞬ドキッと跳ねたけど。
「それはムリ、かな」
少しの間を置いて千尋は。
「もうそろそろ、いいと思うんだけどね」
千尋の言葉はきっと、あれやこれや、諸々のものに掛かっているのだと思う。
彼の事は過去の事と割り切りなさい、っていうことなんだよね。
割り切れたら、どんなに楽か。
割り切れないからまだこんな風にウジウジしているんだから。
「分かんない」
曖昧な一言で片づけたわたしに、千尋が小さくため息を吐いたのが伝わった。
「お互い、なかなか進歩しないわね」
「そうね」
そう話してアハハと笑った。
じゃあ、と切ろうとした時「そうだ」と千尋が話しを切り出した。なに? とわたしが続きを促すと。
「実はね、わたしの姉が離婚考えてるの」
「え? だって、千尋のお姉さんのところはすごく円満に見えてたけど?」
そう。千尋の5歳年上のお姉さんは確か……今年で結婚13年目。
子供もいる、絵に描いたような素敵な家族に見えていた。
「それがね、色々あるのよ。
菊乃なら色々なケース見てきたから分かるんじゃない」
そうは言っても。
「わたしはまだキャリアが浅いから、そんなに色んなケースを見たわけじゃないわよ」
そっか、という千尋の声に、もっともっと色んな仕事を熟したい、という熱望が胸に湧く。
わたしはやっぱり、働きたい。
仕事が好きなんだ、ということをこういう時に実感するのだけど。
「でも、なんだかショックだわ。
お姉さんのところまでって思うと」
「私もよ。これから結婚しようっていう妹に、夫婦の現実なんて見せないで欲しいわ」
姉のことをさり気なく皮肉りながらも明るく笑った千尋は、
「そんなわけで、今度もしかしたら菊乃のとこに姉を連れて相談に行くかもしれないから、よろしくね」
そんな言葉で締めくくって電話を切った。
深夜2時を回る頃だったけれどすっかり目が覚めてしまったわたしはベッドから起き上がり、少し仕事しよう、パソコンを開いた。
0
あなたにおすすめの小説
【完結まで予約済み】雨に濡れた桜 ~能面課長と最後の恋を~
國樹田 樹
恋愛
心に傷を抱えた大人達の、最後の恋。
桜の季節。二十七歳のお局OL、白沢茜(しろさわあかね)はいつも面倒な仕事を回してくる「能面課長」本庄に頭を悩ませていた。
休憩時間のベルが鳴ると決まって呼び止められ、雑用を言いつけられるのである。
そして誰も居なくなった食堂で、離れた席に座る本庄と食事する事になるのだ。
けれどある日、その本庄課長と苦手な地下倉庫で二人きりになり、能面と呼ばれるほど表情の無い彼の意外な一面を知ることに。次の日にはまさかの食事に誘われて―――?
無表情な顔の裏に隠されていた優しさと激情に、茜は癒やされ絆され、翻弄されていく。
※他投稿サイトにも掲載しています。
お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?
すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。
お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」
その母は・・迎えにくることは無かった。
代わりに迎えに来た『父』と『兄』。
私の引き取り先は『本当の家』だった。
お父さん「鈴の家だよ?」
鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」
新しい家で始まる生活。
でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。
鈴「うぁ・・・・。」
兄「鈴!?」
倒れることが多くなっていく日々・・・。
そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。
『もう・・妹にみれない・・・。』
『お兄ちゃん・・・。』
「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」
「ーーーーっ!」
※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。
※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。
※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない
彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。
酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。
「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」
そんなことを、言い出した。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる