舞姫【中編】

深智

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素性

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「困ったワネェ」
「どうしましょう」

 新宿二丁目の外れにひっそり佇む開店前の小さなバーでは、ママと〝ホステス〟が頭を寄せ合い話し合いをしていた。

 綺麗な女性三人に見えるが、声は低い。いわゆるニューハーフと呼ばれる女性の店だった。

「怒られるワヨ」
「怒るなんてものじゃ……」

 ドアが開く音と共に付けられた呼び鈴がチリンチリンと鳴った。

「こんにちは」

 麗しい声が店内に響き渡る。長身痩躯のその人は、窓が無く昼間でも薄暗い店内にそよ風のような爽やかな空気を運び込んだ。

「武明チャン……」
「武明サン」

 美麗、柔和な微笑を浮かべ、武明は柔らかな物腰で店内に入って来た。

 ママが慌てて店の女達に武明の座る場所を作らせた。

 武明はカウンター席を勧められて座った。

「ありがとう、お構いなく」

 出されたお茶のグラスを手にニコニコと笑みを絶やさない武明に、彼女達は固唾を呑み込む。

「あの、武明チャン……」

 武明は冷茶を一口だけ呑むと、静かに置いた。コトン、という音が冷たく硬く響く。

「最初に断っておくけど。僕は今日、大事な予定があったんだよ」

 柔らかだが抑揚の無い声だった。空気を震わせる振動が、凍てつくほど冷たい。

「困った事をしてくれたみたいだね。あちらの筋に手を出してしまうと、僕はもう庇い切れないよ」

 一人の女がワァッと泣き出した。

「ごめんなさい、武明チャン! アタシがしっかりしてなかったばっかりに!」

 取り乱す女をもう一人が庇うように肩を抱く。

 武明はテーブルに頬杖を突き、怯える女達を見ていた。

「それで、当の本人は?」

 女達はビクッと震えた。

「いないんだ」

 武明の声に無数の針が見えた。

「い、家に、います」

 武明は感情の無い目で、ふうん、と応えた。

「別に、もうどうでもいいよ。僕のルートはこちらには流さないだけの話だから」

 立ち上がった武明に女達は「そんな!」と慌て、縋る。それまで黙っていたママが身を乗り出した。

「武明チャン、それだけは勘弁してアゲテ。この子たちは武明チャンだけが頼りなのヨ」

 武明は肩を竦め、クスッと笑った。

「ルールを破ったらそこでゲームオーバーだよ。そういう約束だったよね。ママも、君たちも、今週中に引き払って」

 カウンターの中のママの顔が引きつる。

「ああ、今週じゃ可哀想か。ひと月待ってあげるよ」
「ひ、ひと月……」
「僕の方も、少し身辺整理をする事にしたから」
「身辺、整理?」

 武明は「なんでもないよ、独り言」と応え、優美な笑みを浮かべた。

「やっぱりクスリに手を出すとロクな事にならないね」

 冷酷な、空気を凍らせる程に冷たい微笑を残像として残し、武明は店を出て行った。



 
 開店前のクラブ・胡蝶にエミ子が現れると、黒服やホステスのいたホールが一気に引き締まった。

「おはようございます、エミ子ママ!」
「おはようございます!」

 ホステス達の挨拶に、一分の隙もない着物姿のエミ子は優雅に微笑み答える。

「今夜もお願いしますね」

 心地よい響きを持つ、美しい声がホールの空気を震わせた。




「ママ、何か良い事がありましたか」

 エミ子と同年配の黒服がそっと彼女に耳打ちする。彼の顔を見たエミ子は、わかりましたか? と優しく笑い肩を竦めた。

 エミ子の笑顔に微笑み返し、黒服は言う。

「今夜のエミ子ママは、お顔もお声も嬉しそうにお見受けしました」

 エミ子は、まぁ、と感嘆の声をあげ、フフフと笑った。

「斎藤さんには隠し事出来ませんわね。そうですの。今日はとても素敵な出会いがありましたのよ」
「素敵な出会いが」

 黒服の斎藤は、ほぅ……と目を細めた。

「それは、殿方でいらっしゃいますか」
「いいえ、若い娘さんですの」

 そうですか、と些か意外そうな表情を見せた斎藤の反応を楽しむようにエミ子は柔らかな笑みを見せ、続ける。

「わたくしの失ってしまった大事な人にそっくりなお嬢さんでしたの。声をかけずにはいられなくて」
「では、ママからお声をおかけしたんですね」
「ええ。少しお話しも出来ましたわ。でも、お名前はお聞きしませんでした」

 一旦言葉を切ったエミ子は何かを思うように目を閉じた。

 再び斎藤を見ると静かに微笑む。

「お名前など聞かなくとも、必ずまたお会いできる。彼女にはそんなご縁を感じましたの。〝宿命〟のようなものを信じてみたくなりましたの」
「宿命、ですか。そうですね、きっとまた何処かでお会い出来ますよ」

 エミ子は斎藤のその言葉に美しく優雅な笑みだけで答えた。
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