永遠のヴァージン【完結】

友秋

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夕暮れのキャンパスにて1

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 キャンパスライフは高校生活と違ってゆったりと時が流れる。けれど、時折教授の気まぐれで出現するレポート提出の課題は、浮つき気味の学生にいきなり現実を見せてくれたりする。

 学生達は、そんな教授から繰り出される牽制球のような課題も上手く切り抜けて、学業に、遊びにまい進する。充実のキャンパスライフ、というのは、そんなところにあるのかな。

 就活が始まる前の、束の間の、貴重な自由なのかな。あまり上手に遊べなかったわたしは、そんな波には乗れなくて。ゼミの教授に早く覚えて貰わなきゃ、と張り切ったところ、しっかりと印象つけられたのはいいのだけど。

「ひまり、なにやってんの?」

 数冊の重い本を抱えて講義室を出たところでばったりと会ったおケイちゃんが呆れ混じりの声を投げかけた。

 わたしは苦笑い。

「蜷川教授に、これ図書館に返しておいてって」

 はぁ? とおケイちゃん。

「もう、ひまり、完全に教授の小間使いじゃない」

 そうかもしれない。わたしは、ちょっと困った、という感情を隠す為にアハハと笑った。

「仕方ない、半分持ってあげる」
「ありがとう」

 助かる~、という心の声が思わず顔に出ちゃった。

 積み重ねた本の上の二冊を受け取りながらおケイちゃん、クスクス笑ってる。

「ひまりは相変わらずなんだから。心配になるよ、もう。わたしが女学園やめた後の高等科の三年間、大丈夫だった? ひまりは何も言わなかったけど、多少は私の耳に入ってたよ。心配してたんだから」
「おケイちゃん……」

 心配してくれていたの。ありがとう、っていう言葉は、幼なじみという、空気のような、一緒にいて当たり前の間柄では照れが混じってしまい喉の奥が詰まって出てこない。改めて言おうとすると、なんだか、恥ずかしい。

 おケイちゃんの言う通りでした。わたしは幼稚舎の頃からずっとおケイちゃんに守られてきて。

 聡明で快活だったおケイちゃんの影に隠れていた子に、高等科に上がってからちょっと標的にされた時期があった。

 別の学校に行ったおケイちゃんに、心配かけるわけにはいかないから言えなくて、会っても黙っていたのだけど、おケイちゃんは、ちゃんと知っていたんだね。

 わたしがごまかすようにアハハと乾いた声で笑うとおケイちゃん。

「これからは大事なこと、ちゃーんと、はっきり言わなきゃだめ。そうしないとこの先、ひまりは大切なものを手にすることもできなくなりそうだから。いつまでも私に引っ張られてたら、ダメだからね」

 ちょっぴり、諌めるようなおケイちゃんの言葉は、なんだか、とても意味深に聞こえました。

〝大切な物〟。

 大切っていう言葉の指すものってなんだろう、って考えながら歩いていると講義棟を出たところで、不意におケイちゃんが立ち止まった

「ひまり」

 名を呼ばれてわたしはおケイちゃんを見る。
「なあに、おケイちゃん」

 わたしは顔を上げておケイちゃんを見た。

「あの後、ケンさんとは会ったり話したり、出来てないのね」

 いきなり、ケンさんの名前を聞いてビクッとした。胸がぎゅうっと締め付けられたように痛む。この痛みって、何なのだろう。

 黙ってうつ向いてしまったわたしにおケイちゃんが言った。

「気になるのなら、ちゃんと話し掛けたりしてみなさいよ。なにもしなかったら、後悔するだけだから」

 あの、学食での一件のあと、ケンさんを何回か見かけたけれど、ケンさんはいつも女の人のガードが……。

「ケンさんは、恋人さんいるんじゃないのかな。あんなにモテるんだもの」

 えー? って目を丸くしたおケイちゃん、カラカラと笑い出した。

「いないと思うけど。だって、この間、私が蹴散らしたあの彼女が今のとこ最後だもん」

 蹴散らし……。わたしは、桜の木の下で女の子にビンタされていたケンさんを思い出して何とも言えない顔をしてしまった。

「あの後、誰かと、って話があれば、晃司経由で必ず私の耳に入る筈だもの。それに、ケンさんは特定の人とかぜったい……ないから」

 あれ? おケイちゃんの言葉に妙な間があった気がする。なんだろう。おケイちゃん、何かごまかした?

 首を傾げるわたしを見ておケイちゃんは、それにしても、と言う。

「ケンさんって、不思議な人でね。高校の時から、女の子が好きなのかしらないけれど、色んな女の子と付き合って。その中には、あきらかに重なってるでしょソレ、っていうのもあって。大学に入ったらそれこそ交友関係拡がってますます、な状態だったんだけど。でも、恨まれないの。フラれた女の子にも、浮気された子にも。それは、ケンさんが自分から、付き合って、と言った子がいなかったからなのかしらね。好きだって言われた子は一人もいないの。だから、どの子も別れる時、諦めてしまうのかな」

 おケイちゃん、そんな話しをしながら「普通の男が同じことしたら、今頃どこかで刺されてる」と笑った。

 確かに、ケンさんは不思議な人。優しいのか、冷たいのか、分からない。

「ごめん、ひまり、ここまででいい?」

 図書館を前にして、おケイちゃんが突然お手伝いを放棄した。持ってくれていた本をどさっとわたしの本の上に積み戻した。

 いきなり重量を増した本の負荷が腕に来て、わたしはちょっとふらついた。

「お、おケイちゃん?」
「用を思い出したのよ。そのまま真っ直ぐいけばもうすぐに図書館だから、大丈夫でしょ。気を付けてね」

 おケイちゃんは一方的にそう言って、手をひらひら振ってサークル棟の方へ走って行ってしまった。

 わたしは、ショートカットのヘアスタイルが小さい頭を余計に小さく見せるスラリとしたスタイルのいいおケイちゃんの後姿を茫然と見送った。

 小さなため息をともに、わたしは三十メートルほど先になった図書館に向かって歩き出した。



 シン、と静まり返る図書館のロビーは吹き抜けで、天井の高いコンクリのホールになっていた。わたしのヒールの音が思いのほか響いて、ちょっとドキッとした。思わず、抜き足差し足みたいに歩いてしまう。

 教授が持ち出したこれらの本は、司書さんがいる書庫に直接お返しすることになっているから、学生がいる二階フロアには行かずに、ロビーにある階段横の通路を突っ切った。

 途中には長いベンチがいくつか据えられた静かなスペースが拡がっていて、時折、横になってお昼寝している男子学生がいたりする。

 顔の辺りまで積まれた本を押さえながら前を見ると、夕暮れ時のベンチには、誰もいない……と思ったら、一人だけ横になって休んでいる学生がいた。

 学生さんは顔を拡げた本で覆って隠し、腕を組んだ状態で横たわる。どんな人かは分からないけど、組んだ足がベンチからはみ出していて、すごく背の高い人ってことは分かった。

 ベンチの脇を通りかかった時、横になる彼を横目で見て、わたしは――、

「ああっ」

 足元を見てなかった!

 足音をさせないよう、つま先立ちで歩いていたわたしの足は、小さな段差に対応できなくて、ガクンッとなった。
つんのめって前屈みになった体勢を元に戻そうとしたのも虚しく、抱えていた本の重みに負けた身体は全体重を持っていかれ――。

 バサバサッ、ドサドサ! 地面に本が散らばってしまった。わたしはその散らばる本を目の前に、手を突いて、膝を突いた。

 いたい……と思ったけど、それよりも大事な本をどうしよう! という気持ちが先に立つ。拾わなきゃ、でも痛い。

 完全にテンパって、地面に四つん這いになって、固まった。

「お嬢……」

 いきなり耳に飛び込んできた声に、心臓がバックン! と口から飛び出しそうになった。

 こ、この声は。この呼び方は。


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