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高尾山
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秋を迎える山の上空には雲一つなく、抜けるような青空が広がっていた。
「大丈夫か、ひまり」
二、三歩先を行くケンさんが、振り向いて声を掛けてくれた。
「うん、多分、だいじょう、ぶ」
「全然大丈夫じゃねえな、ほら」
息も絶え絶えに応えたわたしにケンさん、笑って手を差し伸べてくれた。どきんとする。
指が長くて大きな手は、握ると少し冷たくて心地良い。この手に捕まってエスコートされたら、わたしはどこまでも行けそうな気がする。
「上高地からあのロッジまでに比べたら、高尾山はなんて事はない山の筈なんだけどな。あの時のひまりはどこに行った」
秋の柔らかな陽光を浴びるケンさんは眩しくて、わたしは目を細めた。
「あの時は、無我夢中だったんです。だって、だってケンさんが」
グッと引き寄せられて、握られた手にキスをされた。痺れて、心が震えて、危うく膝さから崩れるところでした。
顔を上げたケンさんと視線がぶつかる。ふわっと笑った表情には以前と違う色が滲んでる。胸がキュッと締まるけれど、それも以前のような切なくてどうしようもない感覚とはちょっと違うのです。
「行くぞ。あと少しだ、頑張れ」
「うん」
手を繋いだまま、わたし達は高尾山の登山道を歩き始めた。少しして、ケンさんがクックと笑い出した。
「思い出し笑い?」
「いや、アイツらが、ひまりと一緒に行くなら自分らも、って言って利かなくてさ。それを思い出した。撒くのが大変だった」
上高地での夜。ケンさんが戻って来るまでのみんなの素っ気ない態度は、サプライズへのプロムナードだったのです。みんな、ケンさんが戻って来ている最中である事をギリギリまで隠して、あんな泣けてしまう再会に持っていってくれたのです。
沢山のお友達が出来ました。沢山、ご迷惑お掛けしてしまったけれど、みんなと一緒の下山も、初めて体験するような楽しさでした。
わたしは、山岳部のお仲間さん達のお顔を思い出してフフフと笑う。
「そうなの? みなさんにそう言ってくれるのは嬉しいよ。一緒も楽しかったよ、きっと」
ケンさん「冗談だろ」と言って笑う。
「やっと会えたってのに。なんでアイツらに邪魔されなきゃならねえの」
「あ」
ケンさん、わたしに口角を上げた笑みを見せてくれた。
「だろ」
握る手に、お互い少しだけ力を込めた。
大好きな手。もう、離さない。ずっと、握っていて。
林道から見える木々は赤く色づき、山肌は秋色の絨毯が敷かれ始めていた。爽やかで心地良い秋風が頬を撫でていく。駆け足の本番は直ぐそこまで来ている。
実はケンさんにこして会えたのはあの、一年生君パーティ遭難事件以来、三ヶ月ぶりなのです。
さくらお姉ちゃんにお願いしたのは、口裏合わせ工作のはずだったのですが、無事、お家に帰って来たわたしを待っていたのはなんと、学校以外の、家族以外との外出禁止令でした。
パパが、カンカンに怒っていたのです。
上高地には、白馬でペンションをやっている従兄の和夫お兄さまでがパパからの指令を受けて待ち構えていて、無事下山の喜びを皆さんと分かち合う暇も与えてもらえずお別れする羽目に。
もちろん、ケンさんとは即、引き離された訳です。
お姉ちゃんは「ひまり、こんなになるとは思わなかったの、ごめんなさい! ホントにごめんね」と言って何度も謝ってくれた。
わたしを応援してくれようとしたお姉ちゃんは何故か盛大に盛ったドラマチックエピソードをパパにお話ししてくれた模様。つまり、お姉ちゃんのテンションの高さに覚えた不安は現実のものとなった訳ですね。
おかしな方向に張り切ってくれたお姉ちゃん。それは、〝口裏合わせ工作〟ではなく〝炎上工作〟です……。
けれど、元はと言えば、悪いのは全部わたしですね。お姉ちゃんを責められません。
蜷川先生が頑張ってくれたお陰もあって三ヶ月経ってやっとパパの態度が軟化して、門限守ります、って約束して、こうしてケンさんと高尾山に来れました。
ケンさん、わたしも嬉しいですよ。
気持ちが溢れてふふっと笑いをこぼしてしまったわたしにケンさん、優しい笑みをくれた。
「ひまり、顔が緩んでる」
「それを言うなら〝頬〟です!」
ハハハと笑ったケンさんが愛しくて、大きな手をギュッと握ると、返してくれた。
痺れちゃいます。痺れちゃってるせいかな。息、切れてます。
高尾山。低いお山ですけどわたしにとっては充分登山です。
三カ月ぶりのケンさんに嬉し過ぎて、交感神経がちょっと……というせいもあるかもです。うん。
「気軽に登れる山だけど、あるメーカーでタカオっていうシリーズの登山靴が出ているくらい人気ある山なんだ」
そう話してくれながら、お山のスペシャリストであるケンさんは、途中、木々の間から見える景色の見どころなど教えてくれた。
一緒にいる時間は、瞬間瞬間が全て宝物。
道が、木の根っこが張り出した少し険しい急坂になって、ケンさんが優しく引っ張り上げてくれる。優しくとも力強いこの、引いてくれる手に、想う。この手を繋げる幸せを。
「あのね、ケンさん」
「ん?」
少し上にいるケンさんを見上げてわたしは三ヶ月前の記憶をゆっくりと辿った。
「わたし、ちゃんと〝ダメ〟って言えたんですよ」
「ひまりが? それは凄いな。どんな場面で言えた? 成長かな。それともよほど大事な、守るべき事か?」
「守るべき事です」
わたしは、しっかりと答えた。
「ケンさんです。ケンさんの事だけは、どうぞって言いませんって言いました」
詳しくは言わなかったけれど、ケンさんは分かったみたいです。
「ひまり、ありがとな」
引き寄せられて、軽く頭を抱かれて、髪の毛にキスをされた。
「後少し、頑張れ」
「うん」
「大丈夫か、ひまり」
二、三歩先を行くケンさんが、振り向いて声を掛けてくれた。
「うん、多分、だいじょう、ぶ」
「全然大丈夫じゃねえな、ほら」
息も絶え絶えに応えたわたしにケンさん、笑って手を差し伸べてくれた。どきんとする。
指が長くて大きな手は、握ると少し冷たくて心地良い。この手に捕まってエスコートされたら、わたしはどこまでも行けそうな気がする。
「上高地からあのロッジまでに比べたら、高尾山はなんて事はない山の筈なんだけどな。あの時のひまりはどこに行った」
秋の柔らかな陽光を浴びるケンさんは眩しくて、わたしは目を細めた。
「あの時は、無我夢中だったんです。だって、だってケンさんが」
グッと引き寄せられて、握られた手にキスをされた。痺れて、心が震えて、危うく膝さから崩れるところでした。
顔を上げたケンさんと視線がぶつかる。ふわっと笑った表情には以前と違う色が滲んでる。胸がキュッと締まるけれど、それも以前のような切なくてどうしようもない感覚とはちょっと違うのです。
「行くぞ。あと少しだ、頑張れ」
「うん」
手を繋いだまま、わたし達は高尾山の登山道を歩き始めた。少しして、ケンさんがクックと笑い出した。
「思い出し笑い?」
「いや、アイツらが、ひまりと一緒に行くなら自分らも、って言って利かなくてさ。それを思い出した。撒くのが大変だった」
上高地での夜。ケンさんが戻って来るまでのみんなの素っ気ない態度は、サプライズへのプロムナードだったのです。みんな、ケンさんが戻って来ている最中である事をギリギリまで隠して、あんな泣けてしまう再会に持っていってくれたのです。
沢山のお友達が出来ました。沢山、ご迷惑お掛けしてしまったけれど、みんなと一緒の下山も、初めて体験するような楽しさでした。
わたしは、山岳部のお仲間さん達のお顔を思い出してフフフと笑う。
「そうなの? みなさんにそう言ってくれるのは嬉しいよ。一緒も楽しかったよ、きっと」
ケンさん「冗談だろ」と言って笑う。
「やっと会えたってのに。なんでアイツらに邪魔されなきゃならねえの」
「あ」
ケンさん、わたしに口角を上げた笑みを見せてくれた。
「だろ」
握る手に、お互い少しだけ力を込めた。
大好きな手。もう、離さない。ずっと、握っていて。
林道から見える木々は赤く色づき、山肌は秋色の絨毯が敷かれ始めていた。爽やかで心地良い秋風が頬を撫でていく。駆け足の本番は直ぐそこまで来ている。
実はケンさんにこして会えたのはあの、一年生君パーティ遭難事件以来、三ヶ月ぶりなのです。
さくらお姉ちゃんにお願いしたのは、口裏合わせ工作のはずだったのですが、無事、お家に帰って来たわたしを待っていたのはなんと、学校以外の、家族以外との外出禁止令でした。
パパが、カンカンに怒っていたのです。
上高地には、白馬でペンションをやっている従兄の和夫お兄さまでがパパからの指令を受けて待ち構えていて、無事下山の喜びを皆さんと分かち合う暇も与えてもらえずお別れする羽目に。
もちろん、ケンさんとは即、引き離された訳です。
お姉ちゃんは「ひまり、こんなになるとは思わなかったの、ごめんなさい! ホントにごめんね」と言って何度も謝ってくれた。
わたしを応援してくれようとしたお姉ちゃんは何故か盛大に盛ったドラマチックエピソードをパパにお話ししてくれた模様。つまり、お姉ちゃんのテンションの高さに覚えた不安は現実のものとなった訳ですね。
おかしな方向に張り切ってくれたお姉ちゃん。それは、〝口裏合わせ工作〟ではなく〝炎上工作〟です……。
けれど、元はと言えば、悪いのは全部わたしですね。お姉ちゃんを責められません。
蜷川先生が頑張ってくれたお陰もあって三ヶ月経ってやっとパパの態度が軟化して、門限守ります、って約束して、こうしてケンさんと高尾山に来れました。
ケンさん、わたしも嬉しいですよ。
気持ちが溢れてふふっと笑いをこぼしてしまったわたしにケンさん、優しい笑みをくれた。
「ひまり、顔が緩んでる」
「それを言うなら〝頬〟です!」
ハハハと笑ったケンさんが愛しくて、大きな手をギュッと握ると、返してくれた。
痺れちゃいます。痺れちゃってるせいかな。息、切れてます。
高尾山。低いお山ですけどわたしにとっては充分登山です。
三カ月ぶりのケンさんに嬉し過ぎて、交感神経がちょっと……というせいもあるかもです。うん。
「気軽に登れる山だけど、あるメーカーでタカオっていうシリーズの登山靴が出ているくらい人気ある山なんだ」
そう話してくれながら、お山のスペシャリストであるケンさんは、途中、木々の間から見える景色の見どころなど教えてくれた。
一緒にいる時間は、瞬間瞬間が全て宝物。
道が、木の根っこが張り出した少し険しい急坂になって、ケンさんが優しく引っ張り上げてくれる。優しくとも力強いこの、引いてくれる手に、想う。この手を繋げる幸せを。
「あのね、ケンさん」
「ん?」
少し上にいるケンさんを見上げてわたしは三ヶ月前の記憶をゆっくりと辿った。
「わたし、ちゃんと〝ダメ〟って言えたんですよ」
「ひまりが? それは凄いな。どんな場面で言えた? 成長かな。それともよほど大事な、守るべき事か?」
「守るべき事です」
わたしは、しっかりと答えた。
「ケンさんです。ケンさんの事だけは、どうぞって言いませんって言いました」
詳しくは言わなかったけれど、ケンさんは分かったみたいです。
「ひまり、ありがとな」
引き寄せられて、軽く頭を抱かれて、髪の毛にキスをされた。
「後少し、頑張れ」
「うん」
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