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葛藤
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西の彼方に姿を消した太陽が秩父連山の向こうにほのかな残光を残していたが、それも数分のうちに消え去り、空は夜の闇に覆われた。県道両脇に拡がる茶畑には外灯も無く、茶の木が暗闇に眠るように溶け込んでいた。
篤はそんな茶畑の暗がりを横目に、ひっきりなしに行き交う車のライトで明るい県道をひたすら自宅へ向かって自転車を走らせていた。
緒方家の、本家の広い茶畑は、子供の頃恰好遊び場だった。仲間達と無心で駆け回り遊んでいた。今は、ただ好きな事をひたすら頑張りたいだけなのに、それを許さない現実が目の前に横たわる。
緩やかな登坂になっている先には貯水池となっている狭山湖がある。その湖を渡り、丘陵から吹き下ろした風が自転車で走る篤の頬をなでていった。梅雨の晴れ間となったこの日の風は、じっとりとした空気にげんなりしていた気持ちを和ませる、そんな爽やかな風だった。しかし、その風も、今の篤の心を落ち着かせる事はなかった。
「母さん!」
広いリビングに、篤の怒鳴り声が響く。その場にいた祖父、父、妹、そして母が一斉に、ドアの前で荷物もおろさずに険しい表情で立っていた篤を見た。
いつも、仕事を終えた祖父と父が家に戻ると、部活動などで帰宅が遅くなる息子たちを待つことなく家族は食事を済ませる。その後は、一家団らんとはならないが、各々テレビを観たり、新聞を読んだり、家事をこなしたり、と家族が一所にいる時間となっていた。母、奈緒は、テレビの前で美羽と洗濯物を畳んでいた。
帰ってくるなり怒鳴るように呼びつけた篤に、奈緒はまったく動じることなく手際よく洗濯物を畳み終え、篤に顔を向けた。
「何?」
奈緒は睨み続ける篤から視線を逸らす事はしなかった。
「夏菜子に何を言ったんだよ」
篤の声は静かだったが確実に怒気を含む。
「ああその事。昨日偶然、駅で夏菜子ちゃんに会ったから、進路の事、ちゃんと考えるように篤に夏菜子ちゃんから言ってくれないかしら、ってお願いしただけよ」
表情も変えずサラリと答える奈緒に、篤はカッとなった。
「余計な事してんじゃねえよ!」
「篤!」
祖父の大介の大きな声がリビングに響き渡った。
「母親に対してきく口じゃないだろう! そこに座れ! お前には俺からも言いたい事がある」
ソファに座っていた大介が、自分の目の前に置かれていたフットレストを指さした。篤は納得いかない、とでも言いたげな表情でそこに座る。大介には有無を言わせない威圧感のようなオーラがあった。
「篤、いいか? お前の今やっていることはくだらない遊びでしかないんだぞ」
今、必死に追いかけ情熱を掛けるものを、くだらない、とばっさり斬り落とすような言葉に篤は愕然とする。そんな彼に構わうことなく大介は続ける。
「毎日毎日こんなに遅くに帰って来てな、どれほどの勉強ができるんだ? 今お前がやっている事は、将来何の役にも立たないんだぞ」
ここで引き下がるわけにはいかない。負けじ、と何か言う為に篤が口を開こうとした時だった。
「お義父さん、ちょっといいですか?」
それまで聞こえないふりをしてるかのように、ダイニングの方で新聞を読んでいた父、和也が立ち上がった。
「なんだ?」
大介は、今まで一度も自分に意見などした事のない、婿である大人しい義息子が説教に割って入ってきた事に驚きを隠せなかった。和也は言葉を継いだ。
「僕は、篤が今やっている事は決して無駄とは思いません。この子が野球で培ってきた、人の何倍も努力できる根性は、今後の人生で必ず助けになってくれるはずです」
和也はそこまで一気にまくし立てると一息ついて、次の言葉を力を込めて続けた。
「篤は夏が終われば必ずやります。必ずできます。篤の今後は僕が責任を持ちます」
大介は驚愕の表情のまま固まっていた。
和也の最後の一言は、親ならば当然の言葉だ。しかしこの家は、子供の成長に関する諸々を、親だけの一存で決められない環境にあった。
この家の主君である大介は、和也にとって言わば、家庭では舅、職場では上司だ。和也がその大介に何か物申すことには、言いようのない勇気と決意が要ったのだが。
「親父なんかにそんな……かばってもらう義理はねぇよ」
今の篤には、父のそうした気持ちは分からない。吐き捨てるように言うと立ち上がった。
篤がむくれたままドアの方へ行くとそこに、いつからそうしていたのか、兄の忍が腕組みをしたまま立っていた。篤は兄の前を黙って通過し、乱暴に階段を上り二階の自室に入っていった。
篤はそんな茶畑の暗がりを横目に、ひっきりなしに行き交う車のライトで明るい県道をひたすら自宅へ向かって自転車を走らせていた。
緒方家の、本家の広い茶畑は、子供の頃恰好遊び場だった。仲間達と無心で駆け回り遊んでいた。今は、ただ好きな事をひたすら頑張りたいだけなのに、それを許さない現実が目の前に横たわる。
緩やかな登坂になっている先には貯水池となっている狭山湖がある。その湖を渡り、丘陵から吹き下ろした風が自転車で走る篤の頬をなでていった。梅雨の晴れ間となったこの日の風は、じっとりとした空気にげんなりしていた気持ちを和ませる、そんな爽やかな風だった。しかし、その風も、今の篤の心を落ち着かせる事はなかった。
「母さん!」
広いリビングに、篤の怒鳴り声が響く。その場にいた祖父、父、妹、そして母が一斉に、ドアの前で荷物もおろさずに険しい表情で立っていた篤を見た。
いつも、仕事を終えた祖父と父が家に戻ると、部活動などで帰宅が遅くなる息子たちを待つことなく家族は食事を済ませる。その後は、一家団らんとはならないが、各々テレビを観たり、新聞を読んだり、家事をこなしたり、と家族が一所にいる時間となっていた。母、奈緒は、テレビの前で美羽と洗濯物を畳んでいた。
帰ってくるなり怒鳴るように呼びつけた篤に、奈緒はまったく動じることなく手際よく洗濯物を畳み終え、篤に顔を向けた。
「何?」
奈緒は睨み続ける篤から視線を逸らす事はしなかった。
「夏菜子に何を言ったんだよ」
篤の声は静かだったが確実に怒気を含む。
「ああその事。昨日偶然、駅で夏菜子ちゃんに会ったから、進路の事、ちゃんと考えるように篤に夏菜子ちゃんから言ってくれないかしら、ってお願いしただけよ」
表情も変えずサラリと答える奈緒に、篤はカッとなった。
「余計な事してんじゃねえよ!」
「篤!」
祖父の大介の大きな声がリビングに響き渡った。
「母親に対してきく口じゃないだろう! そこに座れ! お前には俺からも言いたい事がある」
ソファに座っていた大介が、自分の目の前に置かれていたフットレストを指さした。篤は納得いかない、とでも言いたげな表情でそこに座る。大介には有無を言わせない威圧感のようなオーラがあった。
「篤、いいか? お前の今やっていることはくだらない遊びでしかないんだぞ」
今、必死に追いかけ情熱を掛けるものを、くだらない、とばっさり斬り落とすような言葉に篤は愕然とする。そんな彼に構わうことなく大介は続ける。
「毎日毎日こんなに遅くに帰って来てな、どれほどの勉強ができるんだ? 今お前がやっている事は、将来何の役にも立たないんだぞ」
ここで引き下がるわけにはいかない。負けじ、と何か言う為に篤が口を開こうとした時だった。
「お義父さん、ちょっといいですか?」
それまで聞こえないふりをしてるかのように、ダイニングの方で新聞を読んでいた父、和也が立ち上がった。
「なんだ?」
大介は、今まで一度も自分に意見などした事のない、婿である大人しい義息子が説教に割って入ってきた事に驚きを隠せなかった。和也は言葉を継いだ。
「僕は、篤が今やっている事は決して無駄とは思いません。この子が野球で培ってきた、人の何倍も努力できる根性は、今後の人生で必ず助けになってくれるはずです」
和也はそこまで一気にまくし立てると一息ついて、次の言葉を力を込めて続けた。
「篤は夏が終われば必ずやります。必ずできます。篤の今後は僕が責任を持ちます」
大介は驚愕の表情のまま固まっていた。
和也の最後の一言は、親ならば当然の言葉だ。しかしこの家は、子供の成長に関する諸々を、親だけの一存で決められない環境にあった。
この家の主君である大介は、和也にとって言わば、家庭では舅、職場では上司だ。和也がその大介に何か物申すことには、言いようのない勇気と決意が要ったのだが。
「親父なんかにそんな……かばってもらう義理はねぇよ」
今の篤には、父のそうした気持ちは分からない。吐き捨てるように言うと立ち上がった。
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