この夏をキミと【完結】

深智

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勝利の女神の微笑みは

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 八回表は九番からの攻撃だった。試合の中盤くらいから貴史はセットポジションからのピッチングに変えていた。

 球威も落ちて来ていた為、打ち気になってバットを短めに持つバッターには変化球を織混ぜた配球で切って取ったが、ここに来て球が浮き始めていた。

「フォアボール!」

 この回とうとう四球で先頭打者を歩かせてしまった。篤は、最後のタイムを主審にお願いした。

「いいか、貴史、球離れが早くなってる。リリースポイントだけ気を付けろ。後は低め。それだけだ。大丈夫だ、まだイケる」

 マウンド上で貴史のグラブに球をねじ込みながら篤は力強く言った。貴史は力を得たようにニコッと笑った。

「篤は僕の滋養強壮剤」
「何言ってやがる……」

 呆れ顔をした篤に貴史はヘヘッと舌を出した。

「そんだけ余裕ならあと九回は投げられるな」

 笑いながらマスクを着けて戻って行った篤の背番号2の大きな背中を見て貴史は呟いた。

「篤だからだよ」

 そう、篤だから僕は投げられるんだよ。貴史はマウンド上で空を見上げ、大きく息を吸った。真っ青な空に飛行機雲が一筋見えた。

 よしっ! 気合いは入った。

 ノーアウト、ランナー一塁から試合が再開する。一塁ランナーは注意深く僅かなリードを保つのみだった。この試合、三度、篤は盗塁を阻止していた。また盗塁に挑戦して無駄にアウトカウントを増やす気は無さそうだった。

 バントを試みた次打者を好フィールディングで失敗させ、そこからはストレート、チェンジアップ、そしてフォークで打者を翻弄した。あまり多投した事のなかったフォークだが、この日の貴史のフォークは篤が驚くほどよく落ちた。

 一番、二番打者を見事に三振に抑え、三番打者を迎えた初球。抜け玉となった。篤の目の前でバットが完全に球を捉えた。

 やべえ! 篤は立ち上がり、マスクを上げて叫んでいた。

「かんたっ、とれ―――――――っ!!」

 センターに真っすぐに飛んで行く打球の着弾点目がけて室橋が走る。

「そんっなに怒鳴らなくてもっ、取れらぁ―――――っ!!」

 フェンス際まで伸びた打球に室橋が飛びついた。思い切り伸ばした腕の先のミットに、白球が見事に収まり、室橋はそのままフェンスに激突した。

 倒れ込んだ室橋のグラブの中には落ちることなく球が収まっていた。

 歓声に包まれる中戻ってくる室橋に篤は大きく手を挙げた。手を挙げて答える室橋の顔が、誇らしげにも見えた。

 これで、流れはきっとこっちに来る! そう誰もが思える瞬間だった。



 八回裏の攻撃が始まろうとしていた。こちらは一番からの好打順からのスタートとなる。

「あちらさんは今日は勝てると踏んでいるな。球威も落ちて変化球のキレもイマイチになって来たピッチャーで最後まで投げさせる事にしたらしいのがその証拠だ」

 木戸は、マウンドで投球練習を始めていた五味を見て言った。

「あっちがその気ならこっちには大きなチャンスっすよ」

 投球練習をするバッテリーをじっくり眺めていた篤は何か思いついたように、素振りをしていた一番だ打者の権田に話し掛けた。

「ゴン、どうして今日は左に立たない?」

 権田はスイッチヒッターだったが、対戦投手、というよりは日によって調子を見て左右を決めているようだった。だから、今日も右投手に対して有利な左、ではなく右に立っていた。

 いきなり篤に言われて権田は虚を衝かれた。

「え? なんだよいきなり。お前も知ってるだろ、俺はもともと右の方がしっくりくる……」
「頼む!」

 権田を言葉を遮るように篤が手を合わせ、頭を下げた。面食らった権田は思わず後ずさる。

「な、なんだよっ」
「この打席だけ左に立ってみてくれないか」

 キャプテンにこんな事を頼まれるのは初めてだった。篤は他人の打席、打撃フォームに口を出すこと滅多にない。その篤がこんな事を頼んでくるとは。

「どうしたんだよ、篤」
「賭けだよ。もしかしたら何か起こるかもしれねーっつう賭け」
「賭けぇ?」

 結局、キツネにつままれたような表情で権田はバットに握りを変え、左バッターの構えでフォームを確認しながら数回素振りをした。

「何も起こらんかったら?」
「向こう二か月、昼飯おごってやる」

 自信あるんだな。権田は心の中で呟きながら打席に向かった。バッタボックスに入る前に篤の表情を見て確認する。

 何だかんだ言っても、緒方篤はこのチームのキャプテンだ。仲間の信頼は揺るぎないものがあった。誰もが、篤を信じて付いてきたのだ。

 権田は左バッタボックスに入ってマウンドのピッチャーを見た時、篤の言った〝賭け〟の意味をほんの僅かだが分かった気がした。

 自分が左打席に立った時、一瞬だったがマウンド上の五味が苦手なものを見るような表情を見せた、ような気がした。そういうことか、篤。権田は密かにほくそえんでいた。

 ベンチで見守る篤の隣に木戸が立った。篤は軽く頭を下げた。

「すみません、俺、勝手にヤツに指示出しました」
「別に構わんよ。お前の言う事なら皆聞くからな。ただ、理由だけは聞いておくか」

 篤は、はい、と話し始めた。

「今日の五味は、右打者の外に逃げる変化球が多いんっすよ。内角に切り込む自信がないのかな、って。うちの上位打線はほとんど右なんでね。じゃあ、一番打者のゴンに左に立たせてみたら何か起こるかもしれねーな、って。実力差が明らかなチームと戦うには、一回限りの戦法も使わないと、太刀打ちできませんからね」

 木戸は、クックと笑った。

「なるほどなるほど」

 確かに、と妙に納得した木戸が頷いた時、五味のすっぽ抜けた変化球を北田が取り損ねた。球はあさっての方向へ飛んで行った。
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