舞姫【前編】

深智

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大人の一歩は

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「みちるは、天使が好きなのか?」
「え? ああ、コレの事ね。コレはね」

 朝日が射し込む東向のダイニングで、みちるは胸元で小さく光った天使のペンダントを手にし、保に見せた。




 朝食は大概は保とみちる、二人でとる。

 楽しくお喋りしながらトーストやサラダ、スクランブルエッグなど一緒に準備をし、共にテーブルに着く。そして、テレビを観ながら天気やニュースについて話しをする。

 見聞の広い保が政治や世界情勢などの難しい話もちゃんと分かりやすくみちるに説明した。

 中卒で、今は買い物等に出掛ける以外は殆ど家にいるみちるが世間知らずになってしまわない為の配慮は、いつしか保の役目になっていた。

「みちる、この間渡した問題集やった?」
「……まだです」
「やってください」
「はい……」

 保はマグカップに口を付けたまま、上目遣いでトーストをかじるみちるを見てクスクス笑う。

 最低限の学力くらいは付けてやりたい、そう思った保は少しずつ家庭教師の真似事のような事も始めていた。みちるという生徒の出来は……そこそこといったところだ。

 優しい眼差しでみちるを見ていた保は、彼女のブラウスの胸元でキラリと光る小さなアクセサリーに気付いた。

 初めて会った時には気に留めなかったが、あの日からずっとつけていたようだ。

 保にペンダントの事を聞かれ、みちるは胸元のペンダントを大事そうに外した。

「お母さんからもらったの」
「お母さんから?」
「うん」

 みちるは頷き、それを保の手に渡した。そっと受け取った彼の大きな手の平でペンダントの赤い石が小さく遠慮がちな光を放っていた。

 翼を広げる天使が小さな赤い石を抱いていた。裏返すとイニシャルの刻印。

《M・T》

「プラチナ、か」

 ジュエリーはよく分からないが、かなり高価なものに見えた。

 保はみちるの手にペンダントを返した。

「大事にしねーとな」
「うん」

 受け取ったみちるは笑顔で頷いた。

 両手でペンダントの留め具を持ち首の後ろに手をまわすみちるは、保と目が合いニコッと微笑む。保も優しい笑顔を返した。

 みちるはまだ、自分の過去は話さない。

 一緒にいる時間が長くなるにつれ、保はみちるが育ってきた環境がほんの少しずつ見えてきたように思う。

 ギスギスとした感が一切ない流れるような、柔らかな立ち居振舞い。人を疑う事をしらない素直な性格。本当は、両親からの愛に包まれて育ってきたんじゃないのか。

 両親は事故で、という源さんの話は星児から聞いていたが。

 朝の柔らかな陽光に包まれるみちるを見つめる保は眩しげに目を細めた。

 そういや、もうすぐ誕生日だったな。星児と、何か考えるか。




 柔らかな陽光差し込む窓の外に目をやった保をみちるはさり気なく眺めた。

 出勤前の、ワイシャツにネクタイ姿が、あまりにも決まっている。けれど、キュンとする胸の小さな締め付けも、不思議と苦しく、心地よい。

 あのね、保さん。

 開きかけた口をみちるは閉じた。

 まだ残っている、ほんの少しの〝警戒心〟が自分の心のどこかに鍵を掛けているようだった。

 今、自分の全てをさらけ出してしまったら、この身を委ねかけている心地よい真綿ような空間がパラパラと崩れていくのではないか。

 そんな不安がみちるの心のどこかにあった。

「ゆっくりでいいよ」
「……あ」

 何かを話そうと口を開きかけたが躊躇う様子をみせていたみちるに、保は新聞を開きながらさりげなく言う。

「まだ、みちるの中で気持ちの整理ついてないんだろ?」

 保はいつも、不器用で自分の中に渦巻く気持ちをいつも上手く表現出来ないみちるの気持ちの先を読む。

 優しく、決して押し付けがましくなく、さりげなく汲み取ってくれる。

 ずっと、一緒にいたいです。

 みちるの中に、あまりにも自然な形でフワリと湧く想い。

 胸に拡がる温かい何かが溢れないよう……みちるは無意識に手を当てていた。

 
†††

「ちょっぴり早いけど」

 仕事帰りの麗子が、ソファでテレビを観ていたみちるに小さな包みを渡した。

「誕生日プレゼントよ」
「わぁ、麗子さん、ありがとう!」

 ピンク色の包みに驚き喜ぶみちるを見て、麗子は微笑みながら言った。

「開けてみて、開けてみて! 大人の一歩よ」

 大人の一歩?

「なんだろー?」

 小さく首を傾げながら膝の上で包みを拡げたみちるは、「わぁ」と歓声をあげた。

 ピアスの穴を開ける、ピアッサーだった。

「ピアス……」

 思わずみちるの頬が緩む。

「みちるちゃんは学校に通ってるワケじゃないし校則とかないものね。ピアスくらいしても大丈夫よ。16歳はもう充分に大人よ」

 大人。手の中にあるピアサーを見るみちるの胸が高鳴る。

「シンプルなゴールドのモノだから、セカンドピアスはまた次のお楽しみね」

 目をキラキラさせて見上げるみちるに、麗子がフフフと意味深に笑った。

「やっぱり、初めての〝アナ〟は大事な男に開けて貰いたいとこだけど」

 風呂から出てキッチンで缶ビールを飲んでいた保が、ブ――――ッ! と吹いた。

「姉貴! 星児の前じゃそんなセリフ絶対に吐かねーだろ!」
「やだ、保。なに想像してんのよ。ピアスのアナ以外に何の意味があるっていうの」

  カウンターの向こうから、手で口元を拭いながら怒鳴る保に麗子はしれっと答える。星児は今夜もまだ帰って来てはいなかった。

「紛らわしい言い方すんじゃねー!」
「変な想像するアンタが悪いのよ」

 な、なんの話を。オロオロするみちるにはお構い無しに、言いたい事をポンポン言い合う保と麗子。

 完全におシモの話になってますけど。みちるは眉を下げて二人を見比べていた。

 確かに保の言う通り、星児がいない時の麗子は快活な一面を覗かせるが、ひと度星児を前にするとたちまち恋をする少女のようになる。

 快活としなやか。美しさと可愛らしさ。麗子は、対極にありそうな魅力を見事なバランスで同居する女性だった。

 きゅぅ、と潰れそうな胸をみちるは手でそっと押さえた。

 麗子さんみたいになりたい。そうしたら――、

 そうしたら?

 みちる脳裏を星児の影がスッと過り、胸がツキンと痛んだ。

「あ~っ、もうっ! 分かりました! 俺がわるぅございましたっ!」

 保は大きなため息と共に頭を抱え、冷蔵庫から缶ビールを出す。

 これ飲んで早く帰れ、と言わんばかりの態度で麗子に渡すが、フフンと笑う彼女は「分かればいいのよ」と保のそんな姿勢は気にも止めない。何時だって、麗子の方が上手だ。

「みちるちゃん」

 柔らかな声に呼び掛けられ、みちるは麗子を見た。

「貴女にとって今大事な男は保と星児よね。二人にピアスの穴開けて貰いなさい」
「え」
「自分じゃ怖くて開けられないでしょう?」

 うん、確かに。みちるは耳たぶに手を当てた。麗子がそんなみちるに優しく微笑み掛ける。

「男なら一思いに開けられるわよ」
「……なんでか姉貴が言うとヒワイ」
「お黙りっ」

 相変わらずの二人のやり取りを、困惑混じりに笑って見ていたみちるの胸に麗子の言葉が残っていた。

『貴女にとって、今大事な男は保と星児でしょう』

 今、私にとって大事な男の人は、保さんと、星児さん。もしかしたら、ううん、きっと、ずっと、そうかもしれない。

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