舞姫【前編】

深智

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激震1

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 穏やかな平和な日々が

 終わりを告げる。

 変わる。

 全てが変わり始める――。



 広大な日本庭園を擁する津田邸の屋敷内には母屋である日本家屋と津田家当主の娘夫婦が住む白亜の洋館が並んで建っていた。

 この日、営業担当となった挨拶の為に津田邸を訪問した保は、洋館の客間に通されていた。

 二十畳はありそうな客間の大理石の床には虎1頭丸々使った毛皮の敷物。動物の剥製がこちらに睨みを利かせていた。

 天井には目がチカチカしそうなシャンデリアが吊るされている。

 趣味悪ぃ。目眩がするぜ。

 心の中で呟きながらソファーから立ち上がった保は、にこやかな笑みを浮かべ向かい合うご婦人に恭しく名刺を渡した。

「この度津田様の営業担当となりました、兵藤保です。若輩ながら勉強させて頂きますので、よろしくお願いいたします」

 保は深々と頭を下げた。

 ソファーに座る婦人は名刺を受け取りながら保を見上げ、少々不躾な視線を送っていた。

 ブラウンにカラーリングした肩までのウェーブヘア。瞬きの度に風が起きそうな付け睫。実際の目の大きさをまったく予想させないアイライナーで〝描かれた〟目。

 自分を品定めするようなその目から逃げる事なく、保はにこやかに微笑んでいた。

 保を見ていた婦人はホホホと手を口に軽く当て優雅に笑い、お座りになって、と言った。

 しなやかな仕草に促され保は、失礼します、と再び座った。

「こんな素敵な営業さんがいらっしゃるなんて、店長さんたら出し惜しみして、いやだわ」

 上品な笑みを見せているが、内心は読めない。保もそれは重々承知の上で微笑みを返す。

「お上手ですね」

 着実に培ってきた営業スマイルと巧みな話術。気付けば営業成績ナンバーワンを誇るまでなっていた。

 自分達のような職種の人間に対するいわゆる金持ち独特の〝見下し〟の目を変えてゆく自信。

 実際に目の前の婦人の表情が次第に変わってゆく様がわかる。しかし、今回は掴むだけじゃ、ない。

 掴んで、陥れる。

「今日は、ご主人様は?」

 保がその言葉を吐くには、少々の勇気が必要だった。実のところ、まだ対峙する覚悟が出来てはいなかったのだ。

「主人は仕事ですわ」
「そうでしたか。すみません、突然お邪魔したものですから」
「いいえー、気になさらないで。近いうちにご紹介いたしますわ」

 そうだ、焦らず行こう。

「お願いします」

 保はニッコリ微笑んだ。

 とりあえず、星児に報告だ。

†††

 外回りの挨拶やら営業やらを終えて販売店に戻った保は、報告書の作成、商談内容のまとめ、等の残務をこなし、いつもより遅い仕事上がりとなった。

 帰途、遅くなった旨を伝える為電話を入れてみたが、何度電話してもみちるは出なかった。

「みちる?」

 保が自宅マンションに戻ると、必ず、疲れを吹き飛ばしてくれる笑顔で出迎えてくれるみちるは居らず、部屋は真っ暗なままだった。

†††

 日勤の地域課や交通課の警官達がそれぞれの持ち場から署に戻り、着替えを終え、警察署内は入れ替わりの喧騒が一段落していた。

 入り口近くの事務カウンターに1人の刑事が顔を出した。

「亀岡さんはまだ戻ってないかな?」

 そこにいた女性警察官が答えた。

「そういえばまだみたいね。こんな時間だし、もう戻って来るんじゃない?」
「ありがとう! 玄関出てみるよ!」



 その頃――。交番からやっとの思いで引き上げてきた亀岡は、ふぅーやれやれ、と自転車を定位置である車庫に片付けていた。

 警察官は公務員。本来、日勤ならば仕事は5時上がり。

 しかし、微妙な時間に入った110番が厄介な内容だと、それを受けた者は引き継ぎが出来ずに時間で上がれない、という事が間々ある。

 周りから疎まれる程に仕事をせず開き直れるタイプなら、平気でスパッと切り上げられるのだが、亀岡はそんなタイプではなかった。

 交番を出る頃にはもう八時近かった。

 これから調書か。やれやれだな。

 腕時計を見ながらため息をついた時だった。

「あー! 教官、良かった、いたいた!」

 署の玄関から走り出て来た刑事が亀岡を見つけ声を上げ、駆け寄って来た。

 この刑事、若松は、亀岡が警察学校の教官をしていた時の教え子だった。

 若手と思っていたら、すっかり1人前の刑事になっていた。勤続年数の分だけ多く知り合いが彼方此方にいる。

「何だよ、俺はもうさっさと調書片付けて帰るからな。うちは遠いんだからさ」
「呑みの誘いじゃないすよっ! 教官とは事前のアポなしで差しで呑もうなんて思いませんっ。それに俺は今夜は当番です。実はちょっと頼みたい事があるんですよ。とりあえず着替えて刑事課に来てください」
「……お前、いつも微妙に刺さる事言うよな。まあそんな事はいいが、頼みたい事?」

 亀岡は肩の無線を外しながら訝しげな顔で若松を見た。



「それは、越権何とかじゃないのか? C署ではこんな事は日常茶飯事なのか? デカイとこじゃありえねーぞ」
「今回は特例です」

 若松は更衣室まで付いて来て、着替える亀岡を眺めながら説明をしていた。

 亀岡は、ある事件の取り調べを頼まれたのだ。

「教官は昔からガイシャの話を聞くのが上手かったから」

 ある事件とは、被害者がうら若き女性の暴行未遂事件だ。どうやら今刑事課では、その女性の取り調べに手こずっているようだった。

「その彼女、見た感じ未成年かどうか微妙なラインなんですけど、よく分かんないんですよ。それで、何しろ教官は少年長くやってたし、若年者の扱いは上手いから、って」

 若松の、ほとほと困ったという様子に亀岡も、仕方ない、と首を竦めた。




 制服からスーツに着替えた亀岡は、若松と共に更衣室を出て刑事課の部屋に向かいながら話を聞く。

 婦女暴行未遂事件。

「ああ、6時くらいだな。そういや無線で聞いた。俺はその頃ちょうど、奥さんが包丁振り回して暴れてる夫婦喧嘩の仲裁に手こずっててよく聞くどころじゃなかったけどな」
「夫婦喧嘩の仲裁か。地域も大変すね」
「110入れば仕方ないだろ。それより、そっちの事件は被疑者の方はどうなんだよ」

 若松は歩きながら、うーん、と唸り、答えた。

「被疑者は大学生なんですけどね。凄く素直に取り調べに応じてるんですよ、これが拍子抜けするくらい。どうも、襲った彼女の事が好きで好きで、でも避けられてる事に気付いて思わず襲っちゃった、というような事言ってましたけどね。大人しーい、ボンボンタイプな感じです」

 大人しいボンボンか。思い詰めちゃった、ってとこか。

 亀岡は苦笑いする。

 このテの事件はいつになってもなくならないし、イヤだな。

 そんなウブな男を狂わせたのはどんな小悪魔だ? と聞こうとした亀岡に、若松がかいつまんで話し始めた。

「ガイシャもまた大人しいそーな普通の女の子なんですけど。被疑者と違ってこっちが『帰ります! 早く帰してください!』の一点張りで名前も聞かせてくれなくて、全く調書が取れないんですよ」

 若松は心底困った、という様子で言い、それに、と小声で続ける。

「警察は苦手だから、とか言うんですよ」
「警察は、苦手?」

 亀岡が怪訝な顔をした。その表情から察した若松は口を開いた。

「マエがある訳では無さそうです。ただ、警察は信用出来ない、みたいな事口走っていました」

 亀岡の顔が曇る。

「なんだ、まさか、何かの事件の被害者家族とかじゃないだろうな」

 だとしたら、一番やりにくいケースだ。

「教官、あの子です」


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