舞姫【前編】

深智

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憧憬の先~思慕の行方

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 触れたい、欲しい。

 手を伸ばせばそこにいるのに。

 こんなにも、遠い――。


「俺はこれから銀座で積成建設の野村と会うけどお前も来るか?」

 ハンガーから外したスーツのジャケットに袖を通しながら星児が保に聞いた。

「俺はやめとく」

 書類を見ながらパソコンを操作する保は、視線を上げる事なく即答。

「早く流れを掴みたいから、今夜は帰らねーで最低でもここの経営と金庫関係はざっと目を通す」

 肩を竦めた星児はククッと笑った。

「相変わらず勤勉だよ、お前は。グレーなのはその辺にはねーから、今度俺がいる時に見せてやるよ」

 ああ、と保はパソコンから目を離さず答えた。

「じゃあ俺は行くけど……」

 事務所のドアに手を掛けた星児が「保」と改めて声を掛けた。保はそこで初めて顔を上げた。

「その机の一番下の引き出しに入ってるモン、確認してくれ。それ、お前にやるから何かあったら使えや」

 星児はニヤリと笑った。

 保は軽く首を傾げ、言われた引き出しを半分程開け、バンッと閉めた。仰々しい光りを放つL字型の黒い物体が見えた。

 間違いない、マカロフだった!

 マカロフ。ロシア製。不法な入手ルートが一番多い拳銃だ。

「星児、おまっ、これは……!」

 本物を見たのは初めてだった保はとても直視する気にはなれなかった。

「仁和のオヤッサンが『持っとけ』って幾つかくれた。実際に使う機会はあんまねーけど。うちはヤクザじゃねーし」

 星児はハハハと明るく笑った。

 そういう問題じゃねーよ。保はため息をついた。

 そして「あ!」と星児に声を掛けた。

「呑むのはいいけど、なるべく早く家に帰ってやってくんねーかな。俺、今夜は帰らねぇから」

 星児は保の言葉に優しく頷いた。

「ああ、分かってる」

 みちるを一人にはしたくないから。

†††

「まぁー、野村さんと剣崎さんがご一緒におみえになるなんて、ここでは初めてじゃございません?」

 クラブ胡蝶は派手すぎないシャンデリアが店内を彩り、上品な内装で落ち着いた雰囲気を醸し出す高級クラブだった。

「クラブ胡蝶のエミコママの話をしたら、コイツも知っててな。じゃあ、っていう訳で今夜はここに来たんだよ」
「それは光栄ですけど、わたくしのどんなお話をなさったのかしら」

 艶やかな蝶が描かれた着物に身を包む美しいママが、星児と野村をテーブルに案内した。

「それにしても、お二人がお知り合いだなんて、わたくし存じ上げませんでしたわ」

 エミコママは、恐らくハーフなのだろう。鼻筋が通った彫りの深い造作の美しい顔でフフフと淑やかに笑った。

 野村のタバコにライターで火を点けながら言ったエミコママに、野村は「ああ」とだけ応え頷いた。

「あ、剣崎さんはこの間、宮西興業の社長さんといらっしゃいましたね」

 テーブルに着いた時、新人です、と自己紹介をしていたホステスがお酒を作りながら言った言葉に、場の空気が凍りつく。

「まなちゃん」

 エミコママがその言葉を放った彼女をたしなめた。

 ホステスが、客の交友関係を接客中口にするのは御法度だ。ママに目で合図をされた彼女は、そそくさとテーブルを離れた。

「申し訳ありません。まだ教育が行き届いておりませんでしたわ」

「別に構わねーけど」

 グラスを持ち、そう言いながら苦笑いする星児を見、野村はクククと笑っていた。

「そうだ、エミコママ。ちょっとコイツとハナシがあるから少しだけ席を外してくれないか。終わったら女の子沢山呼んで存分に酒頼むから」




 酒を作り終えて優雅に微笑み「ではごゆっくりなさって」としなやかな所作でママが去ると、野村はタバコの煙を吐き出しながら可笑しそうに言った。

「宮西、か。仁和の会長じゃねーか。知られる相手によっちゃドン引きされる事請け合いのおトモダチだな。俺は別に何とも思わないが」
「ヘタすっと野村のオヤッサンの方が悪どいことしてんじゃね?」

 星児がクククと笑いながらタバコをくわえ直した。

「誰に向かって口効いてやがる。お前に言われたかないね」

 言いながらも楽しそうに笑っていた野村は、そうだそうだ、と本題に入る。

「お前さ、性風俗はやめるんだって?」

 くわえるタバコを指に挟み、星児が答える。

「ああ、ストリップは除いて、な」

 吐き出した煙に目を細めた。

「あの街でキャバクラが1つ売りに出されるぞ」

 星児の切れ長の目が光った。

「どうする?」
「どうする……ってのは?」

 野村の視線に、星児は口の端を上げた。

「オヤッサン、買ってくれんのか?」
「タダで……とは言わない。お前が出すモノ次第で買ってやるよ」

 フッと視線を外した星児はタバコをくわえたまま思案顔をする。暫しの沈黙の後、タバコを灰皿に押し付けてゆっくりと口を開いた。

「オヤッサンの会社確か、千代田線沿いの再開発手掛けてたよな?」


†††

 リビングに入って来た星児は、フッと優しく微笑んだ。視線の先、長椅子のソファーでみちるが眠っている。

 クッションに頭を預けすやすやと寝息をたてる。読書でもしながら眠ってしまったのか、床に向けて垂らした白く細い手の先に、本が落ちていた。

 星児はネクタイを緩めながらみちるに近付き、本を拾った。

 テーブルに置くと、彼女の手をそっと取り寝顔を覗き込んだ。

 白い肌、ピンク色の形が良く艶やかな唇、長い睫毛。視線を流すと、首筋から美しい流線型が続く。

 キャミソールの大きく開いた胸元は、彼女を拾ったあの日からどれほどの月日が流れたかを物語る豊かな隆起が、呼吸に合わせて揺れていた。

「みちる、風邪ひくぞ」

 星児が耳元で囁くと、みちるはくすぐったそうに首を竦めた。星児はクスリと笑う。

 起きねぇ。柔らかな表情のまま、小さくため息をついた。

「仕方ねーな、運んでやるか」



 ふわふわ、ゆらゆら。気持ちいい。

 身体を包み込む、優しくて温かな腕。タバコと、お酒の香り。

『ごめんな、みちる。今夜は帰れないんだ』

 保が電話をくれていた。一人で寝られないみちるは、煌々と電気を点けたリビングにいた。

 保さん、帰って来てくれたの?

「ん……たもつ……さん……」

 みちるがそっと目を開けた時。

「残念ながら〝保さん〟じゃねぇよ」

 痺れを誘う甘い声がみちるの全身、指の先、爪先にまで染み渡る。

 みちるは目を見開いた。

「せ……っ!」

 みちるの目に飛び込んで来たのは、自分を見下ろす口角を上げた特有の笑顔だった。

 私は、今星児さんに。

 一瞬真っ白になった頭がパニックを起こした。

「こら、みちる! 暴れるな!」
「きゃあっっ!」

 みちるを抱き寝室まで来た星児はそこでいきなり暴れられた事でバランスを崩し、一緒にベッドの上に倒れ込んだ。

 ベッドのスプリングで跳ねた身体が余計に互いを密着させた。




 みちるがそっと目を開けると、星児が自分の上に被さる体勢になっていた。

 瞬きが出来ない。呼吸が、止まる――。

「勘弁してくれ、俺は酒入ってんだからよ」

 ため息混じりに髪をかき上げる星児の姿にみちるの心臓は破裂寸前だ。

「あ、ごめんなさーー、」

 唇を塞ぐようなキスにみちるは目を見開いたまま固まった。

 やや乱暴に滑り込んできた舌に、全てを絡め取られるようだった。

「んん……」

 巧みに向きと角度を変え、掬い上げ、吸われる。みちるは震える手で星児のワイシャツを掴んだ。

 唇をゆっくりと離し、舌が離れていく。見つめる瞳は、みちるの意識まで捉えて離さなかった。

 仰向けのままみちるは星児を見上げ固唾を呑んだ。加速する心臓の鼓動が頭に響く。

 みちるを見下ろす彼は、ニヤリと笑った。

「どうして欲しい?」

 快楽の波に、呑まれる。みちるの理性は遥か彼方へと流されていった。

「どう、してくれますか?」

 唇が妖しく動く。微かに紅潮する頬。首を微かに傾げながら白い肩を竦め、魅惑を放つ黒い瞳が星児を見つめるていた。

「また、挑発すんのか」

 ククッと喉の奥で笑った星児は、緩めていたネクタイを一気にほどきシュッと抜き取った。

 ボタンを外したワイシャツからたくましい胸元が覗く。流れるような動き全てに色気が溢れていた。

 みちるは両腕を掴まれ強く抱き起こされ、再びキスをされた。

「ん……っ」

 溺れる! 意識が呑まれてゆく口づけから唇が離れ、

「……ぁあ……ぁ星児さっ……!」

 あっという間にキャミソールを脱がされた。

「ふ……ぁあ……」

 初めての悦楽に、みちるはギュッと目を閉じた。




「ここまで」

 その言葉が、真っ白な意識の海に呑み込まれる寸前だったみちるを掴み、引き上げた。躰全体で星児の肌を感じていた事に気付いたみちるはハッとする。

 パッと離れようとして再び腕の中に引き戻された。肩で息をするみちるはそっと星児を見上げると柔らかな色の挿す瞳が、そこにあった。

「いいか、みちる。これ以上は絶対に溺れるな」

 ゆっくりと愛しそうに星児はみちるの髪を撫でながら言う。

「これから先、どんな男と寝る事になっても、絶対にみちるが先に溺れるな。みちるは男を翻弄してやるんだ」

 どんな男と寝る事になっても?

 みちるは目を閉じ、星児の胸に顔を埋めた。

 ほんの少し汗ばむ肌を感じ、頭を痺れさせる香りで胸を詰まらせる。

 嫌です。ホントは、私は、私は!

 みちるはそっとかぶりを振った。

 言ってはいけない。
 口にしてはいけない。

「みちる」

 優しい声に顔を上げると、柔らかな、まるで慰めるようなキスが待っていた。

 そっと唇を舐める舌がみちるの躰を再び甘やかな快楽へと堕として行った。

 星児さん、私はいつまでこうする事を許されるの。

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