舞姫〜花舞〜

深智

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 産まれた子は女の子だった。

 保育器の中でふにゃふにゃと動くその赤ん坊を見、御幸は冷静に自分がすべき事を模索する。

 この子は、隠さなければいけない。姫花が命を削ってでも守り通したこの子は絶対に守らなければいけない!

 その為には、直ぐにでもここから離れなければ。
 
 御幸は、病院の総合待合になっている外来棟へ向かった。ロビーにあった電話ボックスに入り、絶大な信頼を置く、大事な友人でもある男に電話をした。

「右京兄? 久しぶりだな」

 電話に出た男の声は、彼の父であり御幸の叔父である男に年々似てくる。威厳と風格を兼ね備える、選ばれしあの男に。

 しかし、今この電話の向こうにいる彼は、光の当たる表舞台から引き摺り下ろされた男、津田恵太だ。

「恵太。僕の一生の頼みを聞いて欲しい」

 微かに警戒する気配が伝わってきた。静かな返答が御幸の耳に届く。

「右京兄の口からそんな言葉は、初めてだな。俺がその〝頼み〟とやらを引き受けられるかどうかは分からないが、とりあえず聞くよ」

 賢く、思慮深い恵太は何時だって慎重だった。

 だから、この男が〝あんな間違い〟を引き起こす筈がないのに。

 御幸は、恵太が追い落とされる原因となったあの〝事件〟記憶を振り払う。何気ない話題から振った。

「彼女は変わらず元気にしているか?」
「え? ああ、舞花か。元気だよ」

 構えていたのに意表を突かれ、恵太は面食らったようだった。御幸は電話の向こうの表情を思い浮かべ、小さく笑う。

 恵太とは昔から波長が合うのか、心が安らぐ。恵太の声がもたらす温かな何かは、御幸の折れそうな心を寸でのところで捕まえてくれた。

「驚かせてすまない。実は、彼女にも関係のある話なのだ」

 恵太は今、山梨の片田舎で姫花の妹である舞花と、内縁の夫婦としてひっそりと生活していた。その彼等に御幸は無理を承知で願い出る。
 
「姫花が、子供を産んだ。しかし、彼女はもう育てる事が出来ないのだ。恵太、その子供を舞花と一緒に育てて欲しい」

 電話の向こうで固唾を呑み絶句する恵太の気配を、御幸は感じた。暫し続いた二人の間の沈黙の後を、恵太が破る。

「聞きたい事は山ほどある。でも先ず、相手は誰なんだ。右京兄ではないのか」

 鋭い質問に御幸は微かな動揺を覚えたが、直ぐに立て直し答えた。

「私ではない。相手は――」

 津田武――。

「分からないのだ。姫花がどうしても言わなかったのでね」

 言えなかった。恵太の天敵だ。言えよう筈がない。

 御幸は、一生その事実を自分の胸に隠す覚悟を決めた。

 恵太、すまない!

 どれほど恥ずべき卑劣な行為であるかなど百も承知。

 これは、一生背負わなければならない罪だ。

 息すら出来なくなりそうな苦しい胸を抱え、御幸は姫花が事故に合いもう意識が戻る事の無いであろう容態である事を、恵太に説明した。核心部分は隠したまま。

 黙って聞いていた恵太は、ゆっくり慎重に言葉を選びながら言う。

「犬猫の話ではないからな。直ぐに返事など出来ない。舞花とよく相談するが、お義母さんに育てて貰った恩義を感じている舞花なら育てる、と言うだろうな」

 恵太の言葉通り、舞花は二つ返事で姫花の子供を引き取る事を了承する事となる。

 電話を終えて病室に戻って来た御幸は看護師に呼び止められた。

「ご家族の方でいらっしゃいますか」

 一瞬迷ったが御幸は「はい」と答えた。看護師は御幸に「これを」と、ある物を差し出した。

 チャックの付いたビニールの小袋に納められた、銀色のペンダントだった。トップは赤い石を腕に抱き翼を羽ばたく愛らしい小さな天使。

「彼女がこちらに運ばれた時に身につけていたものです。血が付いて汚れていたのでこちらで綺麗にさせていただきました。ご家族の方にお預けしようと思いまして」
「ああ、どうもありがとうございます」

 御幸は礼を言い、それを大事そうに手の中にしまい、頭を下げた。




 眠る姫花の傍に置かれた椅子に腰を下ろした御幸は、ペンダントを袋からそっと出した。このペンダントが、姫花が肌身離さず身につけていたものである事を御幸は知っていた。

『これは、うちの大好きなもう一人の〝ママ〟が、うちと妹の舞花にお揃いで、十八歳の誕生日にプレゼントしてくれはったんどす』

 ペンダントを見せた時の姫花の幸せそうな笑みが御幸の脳裏に鮮明に浮かぶ。目の前には人工呼吸機と点滴に繋がれ眠る姫花の現実の姿。

 静かに立ち上がった御幸は姫花の首にそっとペンダントを掛けた。

「君は、僕が一生を掛けて守る」




「御幸はん! あないになっても姫扇ちゃんの身請けの話は進めてええんどすか⁉︎ 正気どすか⁉︎」

 産まれた子の父親も知らんと、と言い掛けて、花扇のおかあさんは裏から様子を伺う二人の少女に気付いて口をつぐんだ。

 仕込みさんである少女には買い物を言い付け、舞妓の少女には他の用をお願いしていた。彼女達は御幸に深々と頭を下げ、出掛けて行った。

 カラカラという引き戸が閉まる音を最後に屋形は静寂に包まれた。カウンター席に座る御幸がゆっくりと口を開いた。

「僕は正気ですよ」

 出されたお抹茶の茶碗を慣れた手付きで上品に両手に持ち、ゆったりと微笑んだ。おかあさんは、息を呑む。

 このお方は、本気で姫扇ちゃんを愛している。

「後悔、しはりまへん?」
「もう既に沢山の後悔をしてきました。これ以上の後悔をしない為ですよ」

 噛み締めるようにゆっくりと言った御幸の言葉の意味を、おかあさんにはぼんやりとではあったが、掴めた気がした。

「御幸はんは、もう随分前から」

 言葉は呑み込んだ。

 暫しの沈黙が続き、茶碗をカウンターに置いた御幸は「それから」と再び話し始めた。

「姫扇という芸妓を、正式な形で落籍かせてあげて欲しいのです」
「それは……」

 おかあさんがハッと御幸の顔を見た。

 御幸が、どんな状況であれ姫扇をフェードアウトのような形で花街を去らせたくはなかったのには、訳がある。

『右京はん、うちは何をやっても上手く出来ひん子どした。せやけど、この芸の道は、やっと見つけた、うちがうちらしく生きていかれる道なんどす』

 姫扇という芸妓の名を、この街にちゃんと残してあげたい。

「僕が、御幸右京が身請けをした、と世間に公表して貰って構いませんから。引き祝いの際は、おかあさん達に沢山ご迷惑おかけするとは思いますが」
「御幸はん、貴方というお方は……」

 目尻を拭う仕草を見せたおかあさんは、そっと呟く。

「姫扇ちゃんの幸せはどこにあったんやろね」



†††

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