冥界の仕事人

ひろろ

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番外編

孝蔵と妻と紅鈴

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冬の夜明け前、ピンと張りつめ澄んだ空気と満天の星空。

 あれが金星だな……。

 うん?

 少し離れた所から星が流れた。

 友恵……流れ星を初めて見たよ。

 友恵は、見たかい?

 あんまり突然のことで願い事をするのを忘れたな。


「それでは、病院より御自宅へとお送り致します。

 病院の通常の出口ルートではなく、迂回致します、御了承下さい」


 「婆さん、うちに帰ろうな……」

 一拍、返事を待つ自分がいた。

 もう妻の声は、返ってこないのだな。


 事の始まりは、これより1週間ほど前。
……………

 ここは、死者の国である冥界。

 第7の門にある 生命いのちの泉にやって来た紅鈴くれいは、死神である。

 彼は、銀色のサラサラ短髪に吊り上がった目。

 瞳はブルーで、長身の、歳の頃は30前後といったところだろう。

 
 生命の泉には、人の寿命である火が灯された蝋燭ろうそくがずらりと並んでいる。

 その蝋燭には、名前が書かれた札が貼ってある。


 火が消えかけたり、消えたりすると蝋燭から札が落ち、流れて中央の札所に集まる。
 

 それを死神が、決められた時間に集めにくるのである。

 
 突発的な事が起きる前後に 札が流れてきた場合には、死神管理棟に知らせが鳴る。


 ポロロン 、ポロロン
 
 紅鈴は、自分の担当地区の 札が落ちて流れたという知らせの音に気がつき、札を取りに来たのだ。


 担当地区の札所から、札をすくい取っていると、声をかけられた。


「お疲れ様です」
 

 その声の方を向くと、消えた蝋燭を回収している者達5人がいて、口々に挨拶をしてきたのだ。


 この仕事をする者達は、回収係と呼ばれている。
 

「お疲れ様」


紅鈴も応えた。


  それから、モバリスにデーターを入れ、送信して現場に行こうとした。


 その時だった。


「わっ、消えちゃった!
どうしよう、どうしよう!」


 回収係の1人が、叫んだのだ。


「何!」


 紅鈴は、急ぎ回収係の元へ行き、


「火をつけろ」と言った!


 回収係が隣にあった蝋燭を取って、消えた蝋燭に火を移した。


「火がつきました。ふー」


 紅鈴は、落ちかけている札を、元の位置に戻す。
 

 そして、回収係が手にしている蝋燭を見て、紅鈴は愕然とした。


 余りにも小さくなっていた、蝋燭の火を移したからだ。


「貴様、よりにもよって、そんなに短い蝋燭の火を移すとは!

早く蝋燭立てに戻せ!

炎が弱々しいだろう!」


 消してしまった蝋燭の名前は、森田 孝蔵と書かれていた。


 火を移した方の名前は、森田 友恵とある。


 おそらく夫婦なのだろう。


「回収係!
ここは、大切な命を預かる場だ!
慎重に行動しろ!」



 紅鈴は、厳しく言い放った。


 その少し前の事。


孝蔵は、入院している妻を見舞っていたのだ。


「お母さん、具合はどう?
 お父さん、これお茶だから、冷やしておいて」


「弥生、今日も来てくれたのか。

ありがとうな」


 孝蔵が言うと妻の友恵も、ありがとうと言った。

 
 ふらっ。


 がくっ。

 
 ベッドの柵を握って、立っていた孝蔵が突然ふらつき、ベッドに突っ伏した。


「爺さん、何ふざけているの?」


 妻は、自分の足元にふざけて、倒れたふりをしていると思っていた。


「……え?ちょっと、お父さん!どうしたの!」


「お母さん、ナースコール押して!」


「どうされました?」


「主人が倒れました。早く来て下さい」


 孝蔵は、すぐに処置室に連れて行かれたのである。


 心肺停止の状態なのであった。

………………

 紅鈴は、モバリスで電話をする。

「礼人さん、今何処ですか?
すみませんが、確認に行って貰いたい所があります。大丈夫ですか?」


 礼人というのは、死神であり、紅鈴の上司なのである。


  紅鈴は電話を切り、死神の仕事に戻った。
 

  病院の処置室にいる孝蔵は、意識が戻っていたが、検査を受けていた。


 そこへ礼人が現れた。


 孝蔵の横に立ち、顔を覗き込む。


 孝蔵は、礼人と目が合った。


 「うわっ!何だ?この大男は誰だ!」


  思わず叫んだから、看護師がやって来た。


「どうしましたか?」


 孝蔵は、指を指して訴える。
 

「この大きな男の人は、誰ですか?

 病院に黒いネクタイで来るなんて!

 縁起でもないですよ」


「えっ?何を言っているんですか?
 誰もいないですよ?」
 

 看護師は、そう言うと医師に報告しに行ってしまい、その後、孝蔵は脳の検査もしたのだった。


 まだ、大男がいる……。


なんか言えばいいのに……。


無言で俺を見つめている。


 目が切れ長で、冷酷そうな男だな……。


あっ、もしかして幽霊か?

 
 俺って、霊感が凄くあるからなぁ。


 よく見ちゃうんだよな。


「あのね、何か用ですか?」


 今度は、ささやくように言った。


「私が見えるのですね。

身体の具合はいかがですか」


「ああ、さっきは意識を失ったらしいが、今は大丈夫だ。

あなたは、幽霊なんでしょ?

俺に取り憑いても、得はないから、帰ってくれ!」


 「はい。お詫びだけ言わせて下さい。

この度は、大変 ご迷惑をお掛け致しました。

 謹んでお詫びを申し上げます」


 深々と頭を下げた後、消えたのだった。

 
「はあ?何を言っているのか、さっぱりわからん」


 そんな事があった後、孝蔵の妻である友恵が、目に見えて病状が悪化していったのだ。

…………

 そして、本日、午前0時、いつものように死神たちが集まり、札をすくっていた。


 紅鈴も、集めた札を1枚、1枚、確認している。


すると、ある1枚の札を持つ紅鈴の手が、震え出した。


 これは、この札は……。


あの短かった蝋燭の札だ……。


 もう少し、生きていられると思っていたが早過ぎだ。


 これは、私のせいだ。


 私が、火をつけろと言ったから。


 紅鈴は、蝋燭のある所まで行き確かめてみたが、蝋燭は燃え尽きてしまっていた。


もう、火を灯すこともできなくなっていたのだ。


 紅鈴は、モバリスにデーターを入れ、調査員たちに送り、姿を消したのだった。

 ………………

 病院に到着した紅鈴は、心が重かった。


 いつもの様に命を奪うのだ……。


自分が望んで死神になったのだが、最近では、命を奪うことを拒否したくなってきていた。


 病室のドアの前で、拳をグッと握り、孝蔵の妻 友恵の病室へと入る。


「失礼します。

 私は、死者の国、冥界より来た死神です。あなたは、まもなく旅立ちます。

さあ、目を開けて、家族とお別れをして下さい」


 そう言って、額に札を付けた。


 紅鈴は、ベッドの反対側にいる孝蔵と、目が合ったことに気がついた。


「お前は、死神かっ!

俺の妻を連れて行くのかっ!

くっ……。とも……え。
いくな……よ。うっ、くっ」


 孝蔵は、下を向き身体を震わしていたが、覚悟を決めたように、紅鈴を見据えた。


「嫌だと言っても、もうダメなのだろう。
だったら、もう少し待ってくれ。

今、娘夫婦と孫たちが来るから、あと少し。頼む」

 
 紅鈴は、時計を見る。


「まだ、あと少し時間はあります。と言っても数十分くらいですが。

友恵さん、この度は、ご迷惑をお掛け致しまして、申し訳ございませんでした。

この後に、調査員という者が来ます。
 それから、旅立ちとなります。

どうか、それまでに御家族の方とのお別れを済ませて下さい」


 友恵は、こくりと頷いた。


 紅鈴が去り、孝蔵と友恵は手を握り合っている。


 言葉を交わさなくても、互いに温もりを感じていた。

 
「婆さん、友恵なんて久しぶりに言ったな。どっちで呼ばれたら、嬉しいか?

人前で名前を呼ぶのが、なんか恥ずかしくなっちまったよ。

ごめんな、友恵。今までありがとう」


 もう目を閉じているが、涙が滲んでいることがわかった。


  瞼を拭いてやっていると、娘達が病室に入ってきた。

……………
 
 紅鈴は、仕事が終わり、その足で第7の門の泰山王に会いに行った。


「泰山王様、私は失敗をしてしまいました……」


 紅鈴は、事の次第を話したのだ。


 泰山王は、紅鈴に謹慎の処分をする、と言ったが、それを断り、もっと重い処分を望んだのだった。


此奴こやつは、強情な男ですなー、まったく!

もう少ししたら、罰を与えてやるから、待ちなさい」

 ………………

 友恵が冥界に旅立ってから、暫くした後の夕暮れ。


 1匹の猫が孝蔵の自宅に現れたのである。


 ニャーニャー


 身体が灰色、目がブルーで尻尾が長い猫がやって来た。


「なんだ、迷い猫か?家に帰れよ。

 家族が心配しているぞ」


「家族ニャんていません。ここに置いて下さい」


「えっ、えー!猫が喋ったーぁ」


  孝蔵は、腰が抜けそうになるほど、驚いた!


 もしや、化け猫か?

 
 それが、グレースとの初めての出会いなのであった。

 
 詳しく話したいが、それはまたの機会にしよう。
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