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第14話「神々のカタログと980の謎」
しおりを挟むベルデンの森の中、レインたちは息を潜めていた。風祭りでのシルフの暴走から一日が経ち、街には依然として警備兵が溢れていた。特に「妙な風使いの少女」と「その仲間たち」の手配書が出回っていると、シルビアが町に偵察に行って戻ってきて報告した。
「やっぱり捕まるわけにはいかないね」
レインはため息をついた。彼らは森の中にキャンプを張り、今後の対策を話し合っていた。
「それにしても、あの祭りの大騒ぎ…」
「ごめんなさい…」
シルフは今も落ち込んだ様子で、木の葉のように震えていた。彼女の体は時々透明になりかけるが、すぐに戻るよう努力していた。
「もう一度シルフを安定させる方法を考えないとね」
ルナは心配そうに言った。彼女自身のバグも暴走したが、シルフほどの被害は出していない。
「フェルミアさんのところに行ってみたら?」
マルスが提案した。
「あの人なら何か知ってるかも…」
「でも町に入るのは危険よ」
シルビアが眉をひそめた。
「じゃあ、私が行ってみる」
ガイアが静かに言った。彼女は全身を土色に変え、地面と一体化すれば気づかれずに移動できる。
「私がフェルミアさんに状況を伝えて、ここに来てもらうわ」
レインは少し考えてから頷いた。
「頼むよ、ガイア。でも危なくなったらすぐ戻ってきて」
「はい」
ガイアは徐々に体を地面と同化させ、茶色い影のように町へと向かった。
***
「まったく、すごい騒ぎになったものだ…」
夕方、フェルミアは小さな手押し車に荷物を積み、レインたちのキャンプにやって来た。頭に被っていた旅人用の大きな帽子を脱ぎ、汗をぬぐった。
「フェルミアさん! 来てくれたんですね」
「ガイアから話は聞いた。大変だったようだね」
フェルミアは車から大きな革の鞄を取り出し、広げ始めた。
「まさか風祭りでそこまで大騒ぎになるとは思わなかったよ。風神が本当に現れるなんてね!」
「知ってたんですか?」
レインが驚いて尋ねると、フェルミアは目を細めて笑った。
「まあね、私は色々と知っているんだよ。だからこそ君に神創キットを譲ったんだ」
「それで…シルフを安定させる方法はありますか?」
シルフは恐る恐る近づいてきた。彼女はフェルミアの前で深々と頭を下げた。
「本当にごめんなさい…町に迷惑をかけてしまって…」
フェルミアは慈愛に満ちた目でシルフを見つめた。
「心配するな。安物神のバグは昔からの問題でね、対処法もあるんだよ」
そう言って、フェルミアは鞄から一冊の分厚い本を取り出した。表紙には「神々のカタログ 第三版」と書かれていた。
「これは…?」
「これがあらゆる神々の元になっているカタログだよ。現代の言葉で言えば『通販カタログ』かな」
フェルミアが本を開くと、驚くほど詳細な図版が並んでいた。様々な神々の姿、素材、特性が細かく記されており、それぞれに値段が付いていた。値段の単位は「G」、ガメルだ。
「すごい…」
レインたちは息を呑んで見入った。このカタログには、様々な神の素材や部品が掲載されていて、まるで商品リストのようだった。
「これが…異世界通販サイトの原型?」
「そうとも言えるな。古代の神創師たちは、このカタログを参考に神々を作っていたんだ」
フェルミアはページをめくりながら説明を続けた。
「高級神は100万G以上するが、庶民向けに安価な神も販売されていたんだ。特に人気だったのが『980G特価シリーズ』」
「980G!」
レインたちは顔を見合わせた。
「それって…」
「そう、君たちの安物神と同じだ。神創キットの値段も、このカタログの価格設定に基づいている」
フェルミアはさらにページをめくり、「風神セクション」という見出しのページを開いた。そこには様々な風神の種類と特性が記されていた。
「ほら、ここに『980G特価品:風神シルフ』とある。そして注意書きには『感情制御システム要調整』と書かれている」
「それって…私のバグのこと?」
シルフが身を乗り出した。確かにそのページには彼女の特徴と、「感情高潮時に実体消失の可能性あり」と記されていた。
「そして、ここだ」
フェルミアがさらにページをめくると、「980G特価品:風神制御笛」という項目があった。その横には「バグ対応済み!」という赤い文字で注釈が付いていた。
「風神制御笛…?」
「これは風神のバグを抑制するための道具だよ。古代の神創師たちは、安物神のバグにも対策を用意していたんだ」
フェルミアはにやりと笑うと、鞄の奥から小さな銀色の笛を取り出した。螺旋状に風を模した模様が彫られている。
「これを持っていたんですか!?」
「古物商の特権さ。この笛を手に入れたのは30年前。値打ちものだとは思ったが、まさか本物の風神と出会う日が来るとはね」
フェルミアはシルフに笛を差し出した。
「さあ、試してみなさい」
シルフは恐る恐る笛を受け取った。彼女が笛に触れた瞬間、笛から微かな風の音が響き、シルフの体が一瞬輝いた。
「わあ…なんだか体が軽くなった…」
彼女の体から漏れていた風が静まり、髪の揺れも穏やかになった。レインたちは目を見張った。
「これを持っていれば、感情が高ぶっても風化しないのかな?」
「完全には防げないだろうが、かなり制御しやすくなるはずだ。そして『言霊具現化』のバグも、笛を吹くことで打ち消せる」
「すごい! ありがとうございます!」
シルフは喜びのあまり飛び跳ねそうになったが、すぐに自制した。笛のおかげで彼女の体は安定していた。
「それにしても」
レインは再びカタログを覗き込んだ。
「どうして『980』なんでしょう? 特別な意味があるんですか?」
フェルミアは謎めいた表情で頷いた。
「鋭いね。実はこのカタログの後ろの方に、興味深い記述があるんだ」
彼はカタログの最後のページを開いた。そこには古代文字で何かが書かれていた。
「ここには『ナインエイティ』、つまり『980』は『創造の種、原初への扉』を意味すると書かれている」
「創造の種…?」
「詳しくはわからないが、この数字には何か特別な意味があるようだ。おそらく神創術の基本となる数値なんだろう」
フェルミアは少し考え込むように続けた。
「もう一つ興味深いのは、安物神は『未完成品』ではなく『多様性重視型』と記されていることだ。バグは欠陥というより、予測不可能な創造性をもたらす要素として意図的に残されているとも書かれている」
「じゃあ、私たちのバグは…」
マルスが希望を込めて言った。
「欠陥じゃない?」
「そうとも言える。安価だからといって価値が低いわけではない。むしろ、発展性が高いという意味かもしれないね」
レインたちの目が輝いた。安物神は単なる失敗作ではなく、特別な可能性を秘めていたのだ。
「それと、もう一つ重要なことがある」
フェルミアは真剣な表情になった。
「昨日、アンジェリア王国の使者が町に来ているという噂を聞いた。おそらく風祭りの混乱を調査しに来たのだろう」
「ヴィクター卿ですか!?」
シルビアが身を乗り出した。
「いや、別の神術師のようだ。だがこのままベルデンにいるのは危険だ。君たちはすぐに旅立つべきだろう」
「でも、町に与えた損害は…」
レインは心配そうに言った。
「祭りの被害を弁償せず逃げるのは…」
「それについては」
フェルミアは手押し車から小さな袋を取り出した。
「私が少しばかり寄付しておいた。『風の精霊から謝罪の印』としてね」
「フェルミアさん…」
「君たちの旅は始まったばかりだ。もっと大きな使命があるんだよ」
フェルミアはカタログを閉じ、レインに渡した。
「これを持っていきなさい。安物神の真の力を引き出すヒントが詰まっている」
「本当にいいんですか?」
「私は長い間このカタログを研究してきた。もう頭に入っているよ。それに次の持ち主はきっと君だと思っていたんだ」
レインは感謝の気持ちを込めて頭を下げた。
「私はこの町には残るが、君たちはサンドリア大公国の首都メカニカを目指すといい。そこには『神具ギルド』という組織があり、神々の力を器具に込める技術が発達している。安物神の力を活かす新たな方法を学べるだろう」
「メカニカですね」
レインは頷いた。新たな目的地ができて心強かった。
「明日の朝、町の裏門から出発するといい。警備は薄いはずだ」
フェルミアは立ち上がり、手押し車に戻った。
「それじゃあ、幸運を祈る。また会う日を楽しみにしているよ」
「フェルミアさん、本当にありがとうございました」
一同は深々と頭を下げた。
***
翌朝、レインたちは準備を整え、フェルミアの言った通りに町の裏門から出発した。シルフは風神制御笛を首から下げ、時折それを撫でては安心したように微笑んでいた。
「笛があって本当に良かった」
彼女の髪は相変わらず風になびいていたが、以前ほど激しくはなく、体も安定していた。
「でもまだ完全には制御できないんだよね?」
「はい…でも、前よりずっと楽になりました」
レインはカタログを鞄に大事にしまいながら考えていた。「980」という数字の謎、安物神の真の姿、そして神具ギルドでの修行。旅はまだ始まったばかりだ。
「メカニカまでは遠いわね」
シルビアが地図を広げて確認した。
「少なくとも一週間はかかるわ」
「その間に、シルフの笛の使い方も練習できるね」
ルナも前向きな様子だった。
「そうだね。それに」
レインはカタログを鞄の中で軽く叩いた。
「このカタログを詳しく調べれば、他の安物神のバグ対策も見つかるかもしれない」
一行は明るい気持ちで街道を歩き始めた。しかし、彼らはまだ知らなかった。街の屋根の上で、黒いマントの人影が彼らの後ろ姿を見つめていることを。
「風祭りの混乱を引き起こした者たちを発見…」
人影は小さな水晶球に向かって呟き、それは遠くアンジェリア王国の王都へと伝わった。
ヴィクター卿の部屋では、水晶球が青く光り、同じ言葉を繰り返していた。
「なるほど…サンドリア大公国の方角へ…」
ヴィクター卿は薄く笑みを浮かべた。
「少し先を行かせてみるか。安物神の真の姿…それを見極めるためにも」
こうして、レインたちの新たな旅が始まり、そして見えない追跡も始まっていた。彼らの行く先には、メカニカの神具ギルドでの新たな冒険が待っている。そして「980」という数字の謎も、少しずつ明らかになっていくのだった。
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