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本編

口煩い人間は苦手なんだよ

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[かあ、さん…]

[こんな、ところで…なに、してる…の?]


[―かえろう]

…何を言ってる

[母さん、帰ろうよ]

俺は…何を言っているんだ

[こんなところにいないで、家に帰ろう]

分かってる。これは、ただの現実逃避だ

[起きて]

分かっている、のに…

[一緒に帰ろうよ、母さん]

言葉が止まらない


[…うそつき]

やめろ

[母一人子一人だから、仲良くして生きていこうね、って言ったのに…]

やめろよ

[嘘つき。…母さんの嘘つき!]

こんなこと、言いたいんじゃない

[俺は…良い会社入って…いっぱい稼いで…母さんの欲しいものも、俺の欲しいものも、全部買って…色んなこと、我慢しないでいいように…頑張るのに…何で…何で、死んじゃうんだよ…]

母さんのせいじゃないって、分かってるのに

責めるようなこと、言ったらいけないのに

[まだ、俺は、何も…親孝行、できてない、のに…]

そうだ、まだ何もできてない


[…置いて、いかないで]

ダメだ

[…ひとりは、嫌だ]

こんなこと言ったらダメだ

[…俺、これから、一人で生きていくの?]

人間は死んでも、まだ耳が聞こえてるから…本当は、大丈夫だから安心して、って言わなきゃダメなのに

[…ひとりに、しないで…かあさん]

俺は、何で、こんな、心配させるようなことばっか、言ってるんだろう…



「……」
…二日連続か。
同じ夢を連続で見るのは珍しい。
数日前が命日だったから、かもしれない。
「………」
まだ薄暗いな、今何時だ?…五時十分。
あそこの鍵は…五時に開くはずだ。もう、入れるな…。
「…………」
すぐに帰ってきたら、誰にも見られない。

「母さん…父さんに弾いてあげたいの?」
それとも、会いたいんだろうか。

緩く頭を振って、思考を散らす。
自分では分からないことを考えていても、仕方がない。
俺は、俺の出来ることを、しよう。

―最低限の支度を済ませて、部屋を出た。



[この曲は…。愛する人の心に響かせたくて、私が作ったの]

[あなたの愛する人にも、奏でてあげて]

[いつか、きっと出会えるわ]

[あなたが愛し、あなたを愛してくれる…愛する人と]


…母さんの言う、愛する人は、いないよ。

恋愛感情を含まない、愛情を注いでいる人なら、いるけど。

家族と彼方は、愛している。―俺の大切な人たち。

恋慕する人はいない。だから、今は、大切だった人や大切な人の為に奏でる。

…親愛でも、愛する人に変わりはないだろう?



指が思うように動かない…ことは、分かりきっていたので、ゆっくり演奏する。
下手だな。心は込めてるんだけど。
ぎこちない指使いで、鍵盤を押していく。
グランドピアノに申し訳ないレベルの演奏だが、今日だけだから大目に見てほしい。
誰にともなく言い訳しつつ、一音一音に、思いを乗せる。
「ありがとう」は言えても、「愛してる」や「大切だ」は言いづらい…というより、照れくさくて、到底言えない。
そんなことを面と向かって、家族や親しい人に言える人間は、多くないと思う。
…言葉の代わりに、下手なピアノ演奏っていうのも、相当恥ずかしいな。
まあ、誰も聞いてないし…聞かせるつもりもないから、別にいいか。

「……」
曲が終わり、小さく息を吐き出した。
ちゃんと覚えてるし、下手だけど弾ける。
それが分かって、良かった。
「…?」
ふと、廊下側を見て―固まる。
…静かに、ゆっくり、扉が開いていく。

「美しい人が、こんな時間に一人で出歩くのは、感心しません」
琥珀色の髪と瞳、美麗な顔。
「初めまして…というのは、違和感がありますね。その姿では、初めまして…でしょうか。―雪見くん」
どうして、こんな時間に、ここにいる。
「副会長…」
呟くと、男は微笑んだ。


…今の俺は、変装を解いている。
咲哉さんと違い、副会長や望月家とは付き合いがないにも関わらず、見知らぬ俺を、雪見奏だと確信している。
何故バレたのかは知らないが、偽ることも、誤魔化すことも、無駄だろう。
「器楽曲には詳しいつもりでしたが…先程の曲は知りません。良かったら教えてもらえますか?」
「…アマチュアが作曲したものです。どこにも発表していないので、身内しか知りません」
知っているのは、作曲者である母さん、曲を贈られた父さん、母さんに教わった俺…母さんはもういないから、父さんと俺だけだ。

…迂闊だった。
早朝で、人の気配がしないからといって、変装を解くなんて浅はかだった。
しかも…。
見つかったのが、副会長かよ。
面倒な人間には関わり合いたくない。
色素の薄い見た目や表向きの言動で、望月王子って呼ばれてるけど…小言が煩くて、姑みたいだと常々思っている。いや、年齢的には小舅か。
とにかく面倒臭い。
…口煩い人間は苦手なんだよ。

遠回しに教えたくないと伝えたら―副会長じゃなくても、俺は同じことを言う―
「思い入れのある、特別な曲なんですね」
それだけ言って、何も聞かれなかった。
気持ちを汲み取ってくれたのだろう。

「……」
副会長に無言で見つめられる。
「…何ですか」
用がないなら、寮へ帰りたいんだが。
制服に着替えないといけない。
目立たない私服―顔を隠せて、髪が見えても違和感がないように、灰色のパーカーと黒の綿パン。地味で印象に残らない服装だ―とはいえ、長居したくない。
副会長の目的は知らないが、交渉する気があるなら、さっさと条件を言え。
「君は瞳もグレーなんですね」
「…?」
「綺麗ですよ、とても」
「……」
何を言っているんだ。
「…何が言いたいんですか」
意味が分からないことを言うな。
「そのままですが。雪見くんは綺麗ですねと。裏はありませんよ」
「……」
いきなり褒められるとか、ますます意味が分からない。
「それはどうも。…では、さようなら」
面倒な上に、気味悪い。
相手にしてられない。というより、したくない。
「新歓が終わったら、生徒会室に来てください。話したいことがあります」
「…分かりました」
「僕のスペアキーを渡しましょうか」
「結構です」
「フフ。そうですか、残念です。…叶くんのスペアキーを持っているなら、一人でも入れますね」
「はい」
それも知ってるのか。
本格的な制裁をされていないから、親衛隊には知られてないと思うが…副会長は情報通だな。
流石腹黒。
「では、また後程。―お気を付けて帰ってください」
「…副会長も、お気を付けて」
「ありがとうございます」

音楽室を出ると、バイオリンの音が聞こえた。
…一つだけ窓が開いている。
閉め忘れか、わざとかは分からないが…。防音の意味がないな。
副会長が戸締まりをするだろうし、部屋に戻ろう。
そういえば、副会長は管弦楽部だったな。早朝練習か。

…学校ではもう二度とピアノを弾かないし、自室以外では変装を解かない。
動揺して、迂闊になるのは、俺が未熟者だから。
今回のことは、自戒する良い機会になった…だが、不味いな。
念の為、彼方に雪見家周辺に異変がないか調べさせておこう。
…万が一、家族と接触するような事態になったら…。
俺はきっと、ここにはいられなくなる。

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