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初日、学級閉鎖で。

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 全国でも桜の花が咲きはじめる頃。

 私立聖堂学園の体育館では入学式が行われている。その中には俺もいる。もちろん新入生として。まさか本当にあの有名進学校の“聖学”に入学できるとは……なにせ俺には入学できる要素が見当たらないのだから。学校から何か推薦をもらったわけでもないし、入学試験にいたっては語るまでもないし。
 
 ともかく入学できたことは事実だ。その過程は思い出の中にしまって胸を張ろうじゃないか。
 
 閉式の辞も終わり、俺たち新入生は期待と不安を胸に、これから一年間を過ごす教室へと足を運んだ。俺のクラスは『一年AB組』だ。

 さあ、俺たちの高校デビューはこれからだ!

・・・・・

「これは……どういうことだ?」

 渡されたパンフレットの地図のとおりに教室を目指した結果、教室棟を通りすぎるどころか学園内の隅にある雑木林にたどりついてしまった。ちなみに聖学の敷地は有名私立進学校なだけあって大学のように広大で、西側の体育館から東側のこの雑木林までくるのに歩いて二十分もかかっている。どれだけ広いんだ。

 もう一度、地図を確認してみてもたしかにここだと書かれている。

 これは何かの手違いだろうか。いや、そもそも俺のような人間がここに入学できたこと自体が手違いのようなものだから、安易に「これは手違いだ!」と決めつけるのはどこか道理が合わない。よし、道はあるようだから進んでみよう。
 曲がりくねった道を少し進んでいくと、すぐにひらけた場所についた。

「おお、なんとレトロな……」

 そこには平屋が立っていた。
 それを一言でいえば、古い。けれどもどこか懐かしさを覚え、色褪せた朱色の屋根も木目やつなぎ目の跡を残す外壁も、どれもぬくもりを感じさせてくれる。たいした年齢でもない俺ですら「あの頃はよかった」と思わせる、そんな雰囲気がこの平屋にはある。それはまるで田舎でひっそりと四季を重ねて味わい深くなっていく木造の分校のようで、この学園のイメージとは程遠いものがそこにあったことに、俺は素直に驚いた。……ん、分校?

「そうか! ここに俺のクラスが!」

 そうとわかれば、さっそく入ってみるか。
 決して広くない玄関で上履きに履き替え、まっすぐに伸びた廊下に立つと、ワックスの切れた木製の床からほんのりと木の匂いがする。嫌いじゃない。校舎内の造りはとてもシンプルで教室が四つ並んでいるだけ。ほかには手洗い場やトイレがあるくらいだ。

 そして一番手前の教室の札に『一年AB組』とあった。

「やっぱりここだったのか」

 学校側にはあらぬ疑いをかけてしまった。申し訳ない。
 一年AB組の教室に入ると新入生はまだ誰も来ていなかった。黒板には『ご自由にお座りください』と書かれてあったので、俺はど真ん中の席に座った。いや、なんとなく。

 席で静かに待つことにする。

 そよ風が木の葉を揺らす音や、小鳥のさえずりが窓の外から耳に届く。なんとも落ち着いた時間なのか。心も体も、思考もスッキリとしていく。

 …………。

 ………………。

 ……………………。

「うん。おかしいな。これはおかしい」

 俺はこれまでの出来事について精査する。
 
 まずクラスの名前だ。ほかのクラスは普通に数字で割り振られているのに、なんでこのクラスだけ『AB』と英字二文字なのか。しかもAB組だけ隔離されたように教室棟にないのはどうしてだ。しかもほかのクラスは小奇麗かつ近未来的な、いかにも金のかかっていそうな教室棟に用意されているのに、なんでAB組に用意されているのは、過疎化した山村にひっそりと佇む昭和感おびただしい分校なんだ。

 どこか懐かしい? バカ言え、エアコンのない場所で今どきの若者が勉強できるわけがないだろう。そもそも俺はしてなかったけど。だけどまだそれはいい。他にもおかしいところはある。

 なんでAB組には俺しかきていないんだ?

 体育館にいたときは一年AB組の列には俺のほかにもたくさんの新入生がいたはずだ。それなのに教室を開けてみたら俺しかいないじゃないか。あそこの数十人はどこへいった。それに加えて教室には席がたったの“五つ”しか用意されていない。真横に一列、五つの席が並べられているだけ。もしかして手っ取り早く交友を深めさせるために椅子取りゲームでも催そうとしているのか。ここ進学校だよな?

 原点に立ち戻って場所を間違えているだけかもしれないと考えたが、それはなかった。

 なにせ教室の黒板には可愛い文字で『AB組のみなさんご入学おめでとうございます』と書かれているからだ。そのやわらかな文字のまわりにはチョークで蝶やら花やらがカラフルに描かれ、黒板の上部には折り紙の輪飾りが画鋲で留められている。まるで幼稚園児をお出迎えするかのような印象を受けるが、もう俺は高校生だ。ちょっとしか嬉しくない。

 そしてわかったことがある。

「このクラスは……異常だ」

 教室の扉が開けられる。
 入り口に立つのは中年の男。おそらく教師だろう。その男と目が合った。

「…………フゥ……」

 いや、タバコ吸ってんじゃん。

 ここ最近の世間は喫煙者に厳しいというのにこの男は何を堂々と学び舎の中で、しかも未成年の前で煙をくゆらせているんだ。それよりもこの男は本当に教師なのか。どうにも教師と言える風貌じゃない。けれどあの手に握られているのは『一年AB組』と書かれた名簿。あれで教師なのか……。

 俺は、名簿を教卓に放る男を観察する。
 
 見た目は四十代くらいの細身の不健康そうなおじさんで、だらだらと伸びた髪は適当なヘアゴムで結われ、生やしっぱなしの無精ヒゲは清潔感を損なわせ、よれよれになったワイシャツの胸ポケットにはタバコの箱が収まりよく顔を出している。
 履物はどこかの施設からくすねてきたっぽい便所サンダルだ。そう思わせるのは便所サンダルの上部分が黒色の油性ペンで塗りつぶされているところにある。あれは何らかの施設の名前があそこに書かれてあったから塗りつぶしたんだろう。いや、絶対にそうだ。

 彼は、教師としての風格がなかった。

 何よりも教職者なのに目が死んでいる。生徒に夢やら何やらを熱く語れる目ではない。
 その教師はタバコを吸い終えると、その吸い殻を黒板の下にあるチョーク入れに躊躇することなく捨てた。

 わかったぞ、こいつクズだ。

「はーい……入学おめっとさん」

 やる気が見られない。というかもはや無い。しかもこの流れからして。

「えー、俺がAB組を担任する梶原だ。よろしくなー」

 ……マジか。やっぱりこの人なのか。

「あの、質問いいですか?」

 すると彼は面倒くさそうに名簿をパサッと広げた。

「えーっと、お前は……木町輝人だな」
「はい」
「木町。一つ言っておくぞ……大人に対してナメた口を聞くんじゃねえ」

「…………。俺まだ何も言っていないんですけど?」

 しかし梶原は首を横に振る。

「いーや言ったね」
「言ってないですって」
「言った。その目が言っていた」
「目?」
「お前のその目がこの俺を負け犬だと言っていた」

 それこそ何を言っているんだ。

「ほーら。今、先生のことを『昨日、競馬で負けたくせに』って思っただろ」
「そんなこと思っていませんよ。昨日は競馬で負けたんですか?」
「いや! 負けてないもん! 二万円ならすぐ返ってくるもん!」

 負けているじゃねえか。
 なんだか面倒臭そうな人だが、とりあえず話を進めよう。

「質問なんですけど、なんでAB組の生徒は俺しかきていないんですか?」
「あー? あー、それね」

 彼は頭をボリボリとかき、窓の外を見ながら眉間に皺を寄せる。
なんだろう? 何か深い理由でもあるのだろうか。

 ――ブゥゥビブゥッ!

「……やべ、屁がでそう」

 出てるよ、もう。

 拍子抜けだ。一瞬だけ重くなった空気がただ臭くなっただけだった。スッキリした梶原先生は換気のために窓を開けながら俺に言う。

「木町が聞きたいのは入学式にAB組の列に並んでいた、ほかの連中のことだろ?」
「はい」
「あー、あれな。お前を除いて全員エキストラだぞ」
「………………はい?」
「だからエキストラだ。全員」

 エキストラ? なんで? どういう理由で? 意味がわからないぞ。

「すぐには理解できねえよな。仕方ない、お前には特別に説明してやろう」

 そう言うと、梶原先生は教壇に立つ。

「いいか。AB組というのは今年から新しく増設されたクラスだ。本校には、普通科、理数科、英語科、商業科、家政科の五つの学科があるがAB組は家政科に属している。だがそんなものは名目だけだ。AB組にそんな区分けは一切関係ない。ここからが本題で、AB組がどんな人間を集めたクラスなのかを知ればエキストラを呼ばれる理由もわかってくる。さて清水、ここがどんな人間を集めたクラスかわかるか?」

 わかるわけもないが一応考えてみる。

「エキストラだから……俳優の才能を見込まれた人間が集まるクラスですか?」
「この流れで随分とポジティブに考えるんだな。違う」
「うーん。わからないです」
「正解を言おう。エキストラを呼ばれる理由、それはAB組が《どうしようもないヤツらを集めた特別クラス》だからだ」

「え? どうしようも、え?」

「まだ話は続くぞー、聞いとけー。かの有名進学校である聖堂学園様の入学式に《どうしようもないヤツらを集めた特別クラス》であるAB組を、そのまま式に参加させるわけにはいかないと教師陣のだれかが判断したんだろう。大人は隠ぺいしたがりなんでな。
 だから事前に見栄えの良いエキストラを準備してAB組の列に並ばせてAB組の生徒を……つまりお前を隠したってことさ。木を隠すなら森の中、金を消すなら賭けの中、と言うだろ。これがお前の知りたかったエキストラの答えだ。にしても贅沢なことするね、まったく。そんなことするぐらいなら俺によこせっての」
「ちょ、ちょっと待ってください!」

 問いただそうとする俺を梶原は手で止めた。

「わかっている。じゃあAB組の《どうしようもないヤツらを集めた》のどうしようもないとはどういう意味なのか、だろ? 特別にお前にだけ教えてやろう。AB組ってのは――」
 そして梶原は。

「――選りすぐりの『アホ』と『バカ』を集めたクラスなんだよ」

 たしかにそう言った。

「つまり『A』『B』組ということだ」
「………………」

 驚いたときって本当に言葉が出ないんだな。

 俺は一旦、脳内で事を整理してから梶原を問い詰める。

「いやいや、おかしいでしょ! だってここは県内でトップクラスの進学校ですよ? なんでわざわざそんな、アホとかバカを集めたクラスを作る必要があるんですか!」
「そんなこと俺に言われても知らねえよ」
「えぇ……」

 一年AB組。
 選りすぐりのアホとバカを集めたクラス…………待てよ? それってつまり。

「このクラスに入れられた俺も――」
「あ、ちょっと待て。今日来ているのが木町だけとなると欠席者がクラスの過半数を超えたから…………おいおいおいおい、これは『学級閉鎖』をしないといけないなぁー!」
「え?」
「つうわけだ。解散」

 それから梶原は「しゃあッ! 今日は競艇で取り戻すッ!」と気合を入れながら教室を足早に去っていった。冗談だと思っていたが、本当に戻ってこなかった。

 俺はこのとき『彼には二度と敬語は使わない』と諸々の神に誓い、入学式の余韻があっさりと消えてなくなったことに呆然とし、しばらく席を立てなかった。

「とんでもないところに入学してしまった……」

こうして俺の高校デビューは、『学級閉鎖』でスタートした。


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