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第1章──幼年期1~4歳──

021 能天気と葛藤と

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 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

「御飯っ」

 突然、大声を出したフェリシア。
 隣に顔を寄せていたグーリフは、その勢いにつられるように飛び起き、目を見開いてフェリシアを見ている。

「……何だよ、フェル。寝惚けてんのかぁ?」
「あぁ~ん、違うよ、グーリフっ。あのねっ、シア、昨日の夜ご飯食べた?」

 あきれながらグーリフが問い掛けてくるが、フェリシアは大問題とばかりに小さな手に拳を作り、ぽかぽかと布団を叩いた。勿論、そばにいるグーリフに当たらない配慮はしている。
 グーリフはフェリシアの問い掛けの意味が分かったものの、余計に溜め息が出そうになった。実際に昨夜の夕食時、フェリシア自身は夢の中だったのである。
 しかしながら彼女、一度眠ると本当に起きない。いくら起こそうが、誰が来ようが、全く目を覚まさないのだ。──ある意味、物凄く図太い。
 でも、食事はしっかり食べている。寝ながらでも、口に食べ物が入れば咀嚼そしゃくをするし、ちゃんとスープもドリンクも飲む。せる事なく、きちんと食事を取れるのだ。──素晴らしい。

「食べてただろ、しっかり。本当に覚えてないのか?」
「うむぅ~……。シア、自分で御飯食べたの、生後一イトネ目だけだよ、たぶん」

 グーリフに前髪をはむはむといじられながらも、首をひねるフェリシア。
 そして思い至った事実に、自分でも驚いていた。けれども空腹を実感した記憶は、誘拐されていた時だけ。おかしな話、食べていない筈なのに、空腹を感じていなかった事になる。
 屋敷に戻ってきてからというもの、毎イトネ起きて動いている筈なのに、食事時だけ覚えていないのだ。いや、風呂も記憶にないが、身体に不快感がない。
 それもその筈──フェリシアは、突然電池が切れたように眠りへと落ちるからである。そして、起きない。

<とりあえず、結論だ。鳥が毎食、それこそ親鳥のように、フェルに食事を与えていたんだぞ?>
<マジでかぁ、本当に記憶にないよ~。自分が幼児とはいえ、超こっ恥ずかしいんですけどぉ。ってか、鳥ってミアの事だよね?>
<あぁ、フェルはそう呼ぶな。アイツは俺に敵意丸出しだから、気に入らねぇがな>
<うぅっ、そういうグーリフの気持ち、分からなくもないけど>

 グーリフからの情報で、フェリシアは自分のある意味、得意能力を知った。──いや、知りたくもなかったが。
 そして以前から気付いていたものの、グーリフとミアの不仲さが露見した。けれどもそうは言いつつ、グーリフがミアを故意に排除するような事はしない。

<出来れば、二人には仲良くいてほしいけど……。でもこういうのって、強要されるものでもないからねぇ>
<俺は、あの鳥がどうしてもって頭下げて謝るなら、少しは配慮してやらん事もねぇな>
<ははは……まぁ、そうくるよね。とりあえず、酷い喧嘩をしなければ良いや、うん>

 フェリシアは、グーリフとミアの仲を取り持つ事を、早々に諦めた。
 力ではグーリフが上なのだから、彼がわざわざマウントをとる必要もない。だからこその、ミアの放置なのだろう。
 そんなスキル【以心伝心】テレパシーの会話をフェリシアとグーリフがしていると、扉が静かに叩かれた。

「おはようございます、シア様。御目覚めでいらっしゃいますか」
「あ、うん。おはよう、ミア。起きてるよ」

 朝一番に部屋を訪れるのは専属扱いになっているミアの為、ノックされた時点でフェリシアは、誰何すいかせずとも分かっている。
 誘拐事件があった事もあり、フェリシアのそばにはグーリフとミアのみで、それ以外はほとんど誰も近付けないのだ。──おもにグーリフが、鉄壁のガードともいえる威圧感を放っているのだが。

「本日も御天気が宜しいようですよ」
「うん、ぽかぽかだねぇ」

 入室してきたミアは、まず始めに、フェリシアの部屋中のカーテンを開けていく。そして最後の四つめに手を掛けた時、フェリシアが突然ミアの足にしがみついてきた。
 驚きで強く引かれ、カーテンが引き千切られそうな危機に悲鳴をあげる。それが良かったのか、ミアは不要な力を逃し、ゆっくりと膝辺りにあるフェリシアの頭部へ視線を移した。

「い、いかがなされましたか、シア様」
「あの……あのね……、ミア……その……、色々と、ごめ……ありがと」

 視線をさ迷わせつつ、無意味にカーテンをいじるミアは、フェリシアにれられている喜びが全面に出ている。気を抜けば不気味な笑みがこぼれてしまうようで、口元が痙攣したように小刻みに震えていた。
 フェリシアは、故意に顔を見せまいとミアの足にくっついている。その為、ミアの表情を知られないのは良い事だ。──見てしまった事で、グーリフは顔を引きつらせている。
 ともあれ、フェリシアは『何を』と示しはしなかったが、ミアに感謝を伝えたかったのである。

「え、あの……滅相も御座いません。シア様の御世話をさせて頂ける事が、わたしの喜びであります。感謝の御言葉など、勿体なく存じます」
「むぅ、シアはミアに、ありがとうが言いたいんだよ。受け取れないとか言われると、ショックなんだけど~」
「ひえっ、そ、そんな……も、申し訳ございませんっ」
「謝られるのも嫌~。ありがとうには、どういたしましてだよ。ねぇ、グーリフ?」
「そうだな。感謝の言葉は受け取るべきだ、鳥」

 逆に恐縮してしまうミアだったが、フェリシアとしては感謝を拒絶され、不快に思ってしまった。
 身分による立場の違いに関して、まだ認識が甘い考え方しか出来ないが、フェリシアとしては、『やってもらって当たり前』と考えるようになりたくはない。
 フェリシアに同意するグーリフの言葉は分からないものの、責められている事はなんとなしにミアも分かったようだ。

「は、はい。えっと、どういたしまして、です、シア様」
「うんっ。……なるべくご飯、自分で食べるから」
「くくくっ、結局はそこか」

 戸惑いながらも、フェリシアの希望とする言葉を口にするミアである。
 グーリフは、ミアの事はさして気にしないものの、フェリシアの一挙手一投足に反応するようだ。
 本日も平和な朝である。

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

「何故まだ、シアに会う事が出来ないのですか」

 いつになく鋭い物言いをして迫るのは、小さな銀色狼──長男のガウリイルだ。丁寧語で言葉を綴ってはいるが、その銀色の瞳には、ありありと怒りが浮かんでいる。
 そして迫られている相手は、大きな銀色狼──父親のヨアキムだ。そして執務室に乱入してきたのは、長兄だけではない。

「父様が何を隠しているか、ぼくらが知らないとでも思ってるの?サイドボードの扉の中に、母様に内緒のお酒があるよね。他にも、執務机の右側の引き出し奥に、これまた母様に内緒の肖像画」
「な、何でそんな事を……っ」
「自分の若い頃の肖像画なんて、見せなくないよね。しかも、随分ポーズが派手だし。何、あれ。格好良いと思ったの?」
「くっ……。俺が秘密にしている黒歴史を……っ」

 ガウリイルの後ろからやって来たマルコは、入室早々まくし立てた。
 サイドボードに秘蔵の高級酒がある事ばかりか、執務机の引き出し内部まで知られている事実に、ヨアキムは頭をかかえる。
 現在机上業務中ではあったが、ベルナールは所用で外出している為、ヨアキム一人だった。

「母様に秘密?」
「い、いや……その、エリアス。ちょっと待とうか」

 続いて、第3襲撃者の三男、エリアス。
 もはやヨアキムは、どのように対処して良いのか分からず、中途半端に腰を浮かせた状態で固まってしまった。
 ヨアキム自身、フェリシアにれたくとも出来ない葛藤の中にいる。それを同じく末の妹を溺愛してきる息子達が、会う事も許可されていない現状で、我慢し続けられる筈もなかった。
 そもそも、魔獣の説明からしなくてはならないのである。

「「「父様」」」
「や、その、なんだ……。話せば長くなるんだが……」
「えぇ、どうぞ」「聞いてあげなくもないよ」「ん」

 兄弟三人の、非常に連携の取れた追撃だった。
 詰め寄られたヨアキムは、執務机の後ろの壁に追いやられている。机を回るように、左右からガウリイル、マルコとエリアスが立ち塞がっていた。
 物理的に逃げ場を失い、精神的にも弁護してくれそうな立場のベルナールもいない。八方塞がりな状態のヨアキムは、思わず遠吠えをしてしまっていた。

「……父様」「うるさいんだけど」「ん」
「何してるの?」
「「「シア!」」」

 執務室に響いた遠吠えから復活した三兄弟が、それぞれ塞いでいた耳から手を離して文句を言う。しかし、続けられた声はこの場にいる筈もないフェリシアだった。
 ヨアキムの立つ壁の向こう側、窓の外から覗き込んでいる小さな銀色がいる。灰色の立派な馬の背にいるようだが、何故かその馬の頭部にはねじれながらも、真っ直ぐ伸びた白い角があった。
 ──つまりは、動物の馬ではない。
 そう判断したのだろうガウリイルは、フェリシアに向かって叫んでいた。

「シア、何に乗ってるんですかっ!」
「うん?ガウ兄、グーリフだよ?」
「「「…………」」」
「そうなんだ。お前達に告げなかったのは、これが要因でな」

 危機迫った表情を浮かべ、即座に駆け寄って窓を開けたガウリイルである。しかし、対するフェリシアの緊張感の全くない返答に、他の二人と共に言葉を失ったようだった。
 仕方なくヨアキムは、この場を取り持つべく動く。
 息子達とフェリシアの間に立ち、魔獣を紹介するはめになったのは、ヨアキムとしては想定外だったが。

「この魔獣は、フェルを姑息な誘拐犯達から救い出してくれたのだ」
「うん、そう。グーリフは、シアを連れ出してくれた」
「あぁ。俺もあんな場所から、さっさと出たかったしな」

 ヨアキムに続けるように、フェリシアが笑顔を浮かべた。
 その後のグーリフの言葉は、当たり前ながら、フェリシア以外には聞こえない。
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