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1巻
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第二話
扉を押し開けた先に広がっていたのは青々とした自然と、それと共存するエルフたちの姿だった。
樹齢何年なのか分からない大きな木が平然と村の中に生えており、極力人の手は加えられていない自然の中で彼らは生活していた。
木々を避けるように点在する木造の建物は、違和感なく景色に同化し、元々そこにあったかのように馴染んでいる。
ツェネグィア伯爵領ではまずお目にかかれないであろう壮大で不思議な光景であった。
そしてエルフたちは何やら見慣れない格好をしている。
「アウレール!」
小屋を出るや否や、怒声が聞こえてきた。
弓矢を手にした狩人のような格好の男がこちらに駆け寄ってくる。
「ジャヴァリーが出たってのにてめえは何して」
責め立てるように言葉を続ける男。
しかし、彼はアウレールが肩を貸している人物――俺の存在に気付き、言葉を呑み込んだ。
「コイ、ツは……あぁ、凍っていた死にかけか。あの状態から目が覚めるとは、てめえはよっぽど悪運の強い人間らしい」
侮蔑の感情が乗せられた言葉。
一部の人間は特別容姿の整った『エルフ』を、奴隷として高値で取引していたりする。それもあって人間と、彼らの溝はやはり深いらしい。
そもそも村の人間に売られたアウレールが連れ帰ってきた、素性の分からない俺に対して、当たりが強いのは当然か……
今ここに滞在できているという事は、アウレールと村の人たちの関係は修復したのだろうか。
「目が覚めたってんなら、てめえには言っておかねえといけねえ事がある」
そう言って男は手にしていた弓を背に担ぐ。そして、視線は俺からアウレールへと移る。
ほどなくして彼は彼女を睨め付けながら口を開いた。
「……おい。何をボサッとしてる。アウレールはさっさとジャヴァリーの討伐に向かえ。それが約束だろうが」
「……分かっている」
男の言葉により、視線を落とすアウレール。彼女は俺にだけ聞こえる小さな声で言った。
「……一人で立てるか?」
厄介なヤツに見つかった。
アウレールの表情はまさにそう言っているようで、俺は苦笑いしながら返答する。
「大丈夫。小屋の扉にもたれられるし、心配はいらないよ」
俺は彼女の肩から手を離し、すぐ側の小屋の扉にもたれかかる。
「……すぐ、戻る」
それだけ告げて、アウレールはどこかに向かって走り出した。
ジャヴァリーという名の何かを退治しに行くのだろう。
小さくなっていく背中を眺め続け、米粒程度になったところで俺はエルフの男へと改めて向き直った。
「自己紹介はいる?」
「人間の名前なんて、聞きたくもねえ」
「そっ、か」
敵意が丸出しだ。
ジャヴァリーが出たというのがあまりいい話ではないんだろうなと、なんとなく予想はできていたものの、俺に聞かないという選択肢はなかった。
「ところで、さっきから言ってるジャヴァリーって?」
「ジャヴァリーってのは魔物だ。ここら辺によく出没する。作物を荒らすから見つけ次第、討伐するのが決まりだ」
意外にもまともな返答が返ってきた。
不必要な問い掛けは嫌うタイプだと思っていたが、違ったか……?
「そして、アウレールがジャヴァリーの討伐に参加する事が、てめえが目を覚ますまでエルフの村――ここで匿ってやる条件だった」
「…………」
『だった』と、男はその部分だけ声を大きくして言った。
あえてそこを強調する辺り、今日にでも出ていけと言われるのかもしれない。
人間を近くには置いておきたくない。その意思表明なのだろう。
「どうやってアウレールを誑し込んだかは知らねえし、聞く気もねえが、目が覚めたんならあの女共々、さっさと出ていけ」
離れたところにいる複数人のエルフからも、先程から軽蔑の視線が向けられていた。きっと、男の言葉はここのエルフの総意なのだろう。
でも、今の身体がまともに動かない状態でここを追い出されるわけにもいかなかった。
「……なあ」
「ダメに決まってんだろうが」
もう少しばかり留まらせてはもらえないかと頼み込もうとするが、先回りをするように拒絶の言葉が返ってきた。
「エルフが人間からどういう扱いを受けてるか、知らねえてめえじゃねえだろ」
何せ、実際に飼っていやがったんだから。
そんな皮肉めいた意図が伝わってくる。
「これでも十分特例なんだ。ごねるってんなら殺すぞ?」
「……流石に、それは勘弁してほしいね」
そう言って向けられた殺気は、容赦のないものだった。
冗談の類いではない。生かされたこの命。決してドブに捨てるわけにはいかない。
俺は口ごもった。
「それにしても、馬鹿な女だよなあ」
そう男は言った。
「奴隷をしていた頃に、ちょっと優しくされた程度でここまで必死になるんだからな。村には売られて奴隷にされ、買われた先で出会ったご主人様に嬉々として尻尾を振ってやがる」
男は言葉を続ける。
「馬鹿と言わざるを得ないだろう? 自身を飼っていた貴族のガキを、まるで大事な家族のように想い、助けようと奔走してやがったんだ。おれらは口を揃えて何度も言ってやったさ。てめえは哀れだ、と。それにもかかわらずあいつは考えを一切変えようともしねえ。そんなヤツを馬鹿な女と言わずしてなんと言い表す?」
堪え切れない苛立ちを覚え、額に青筋がうっすらと浮かび上がるのが分かる。
けれど、理性はまだ働いていた。
俺が意識を失っている間、きっとアウレールはもっと酷い罵声を浴びせられていたはずだ。
しかし、ここを追い出されるわけにはいかなかったから、我慢するしかなかっただろう。
おそらく相当な苦労をして彼女が作ってくれたであろう居場所を、失うわけにはいかない。
言い返すなと自身に向けて必死に言い聞かせ続ける。
でも、どうしても一言だけ、これだけは言いたかった。
「アウレールは、優しいヤツだよ」
意地っ張りだけど、凄く優しい。
アウレールの事をよく知っているからこそ、言葉が口をついて出てしまう。
「そりゃ、てめえの目にはそう映るだろうよ。飼い犬と主人。ご主人様に尻尾振るのが飼い犬の役目なんだ。てめえにゃさぞかし従順に映ってただろうなあ?」
「……理解してもらえない事は分かってる。でも、俺はあいつを――! ッ、ぁ、がぐッ⁉」
奴隷として扱ったつもりはない。
そう言おうとするも、不意に男の手が俺の顔を思い切り掴んだ。
ぐぐぐと身体が持ち上がっていき、十秒も経たないうちに足が地面から離れてしまう。
「いいか、よく聞け。ぬるま湯に浸かり切った貴族のクソガキ」
男は憤怒に満ちた血走った瞳でこちらを射抜く。
「おれからしちゃ、てめえも、他の人間も。どいつもこいつも皆同じなんだよ」
力強く握られた手の中から、ビキリと骨が軋む音が響く。
頭が割れると思うほどの痛みだった。
「てめえもアウレールを……エルフを奴隷として利用してたんだろうが? てめえも、他の貴族も変わらねえんだよ。それなのにあいつは優しいと悦に入ってやがる。自覚しろよ! てめえも、他のヤツらと同じ、いいように奴隷を利用をしていたクズだとよ!」
ドガンッ! と、背中に強い衝撃が走る。
思い切り壁に押し付けられたのだと、遅れて俺は理解した。
「……特に、てめえみてえなヤツが一番タチが悪い。ハッキリ言ってやろう。悪を見続けたヤツらは、少しの善を見せられた時、たとえ相手が悪人だろうとそいつを善人と勘違いしやがるんだ。するとそいつは、勘違いの視線にあてられて、まるで己が善人であるかのように錯覚し始める。そして、間違いだらけの偽善は横行する。奴隷という存在を認めている事自体が罪だという事に気付こうとすらしやがらねえ。全く、救いようのないヤツらだろ? ……それが、てめえの正体だ」
「…………」
すぐには言葉が出てこなかった。
何故なら、その通りだったから。奴隷である彼らに、俺は己を守ってくれと話を持ちかけた。それは、利用している事に他ならない。
奴隷として見ていなかろうが、彼らからしてみれば、俺は主人で、彼らはどこまでも奴隷なのだ。
だけど。だけど……
「……わがっ、でる」
押さえ付けられた状態のまま、俺は絞り出すように声をもらした。
「わがっ、でる。けど、俺だって自分を守る為に必死だっだんだ!」
確かに俺が今までやってきた事はエゴでしかない。
けれど、自分の命を守って欲しいと思うのは、孤独を癒したいと思うのは、そんなにいけない事だろうか。
これまでの俺の境遇や奴隷たちとの関係性を知らないのに、悪だと決めつけられるのは、どうしても納得がいかなかった。
「必死だったら、何もかも許されるってか? 随分と都合のいい頭をしてるようで羨ましい限りだ」
『エルフ』の男が言う。
だったら、俺は大人しく殺されたらよかったのかよ……
理不尽に親族連中の都合で殺されて、屍を晒したらよかったのかよ。
「ふざ、けんな……!」
左の手で、俺は男の腕を思い切り掴んだ。
「お前に、何が分かる。俺の、何を知ってる」
ふつふつと沸き立つ感情。
これは、怒りだった。
まるで俺の気持ちに呼応するように、周囲の気温が下がっていく。
パキパキ、と何かが凍る音が聞こえる。足元を見ると、俺の立っている地点から、少しずつ氷が地面に広がっていた。
「知らねえよ。人間の事情なんざ、知りたくもねえ」
「なら」
耳元で、ひゅぅ、と冷えた風が吹く。
パキリ。
それは、始まりの音色だった。
次の瞬間、俺の右手の指先から氷が生まれ、掴んでいた男の腕に侵食を始める。
パキリ、パキリ、と音を立ててそれは範囲を広げた。
「チィッ」
堪らず、男が舌打ちしつつ飛び退く。
「――放っておいてくれよ」
自分の声がやけに辺りに響いた。
我に返り周りを見渡すと、自然豊かなエルフの村はいつの間にやら、白粉でも振り掛けたような氷原世界に様変わりしていた。
それは、息を呑むような光景だった。
俺が景色に見とれている中、目の前の男は別の事に気を取られていた。
俺を、ひたすらに凝視していたのだ。
「こいつの魔法か……? いや……兆候は一切なかった。それどころか、アウレールの話じゃこいつは魔法の類いは一切使えないはずだろうが……一体何が」
ぶつくさと、男が何やら独り言を口にしている。
聞き取ろうとしたけれど、酷い倦怠感がやってきて、上手く聞き取れない。
まるで、身体から何かが抜けていくような、そんな感覚。
「あ、あれ……」
視界が揺らぎ、思考に靄がかかる。
身体が言う事を聞いてくれなくて、前のめりに倒れ込む。気が抜けたら、急に凄く寒くなってきた。
薄れゆく意識の中で、視界が最後に捉えたのは、透き通った氷の大地。自生していた雑草も一緒に凍っている。それはどこか幻想めいていた。
――綺麗、だなあ。
思わずそんな感情を抱くが、それが、言葉として口に出される事はなかった。
◇◆◇◆◇◆
「何、が、あったんだ……」
慌てて戻ってきたのだろう。
肩で息をするアウレールは、人為的に創り出された眼前の光景に、目を見開いていた。
視界一面に広がる氷の世界――
時季外れの雪原。それは異様な光景だった。
「……よお」
不機嫌な声が彼女の耳に届く。
アウレールにとって聞き覚えのある男の声だった。
「……クラウスか」
狩人のような格好の男――クラウスへとアウレールは視線を移した。
片方の腕には布が巻かれており、声を掛けてきたという事は、彼はこの状況と無関係ではないのだろう。
そう確信した彼女は、問いただそうと歩み寄る。
けれど、それより先に彼が手のひらを開き彼女へと向けた。
待てよ。
そういう意図のジェスチャーだ。
「なあ、アウレール。あいつは、一体何者なんだよ」
クラウスの視線の先には、扉にもたれかかる一人の少年。
アウレールはナハトのぐったりとしている様子から、気を失っているのだと理解した。即座に駆け寄ろうとするアウレールであったが、それをクラウスは許さない。
「質問に答えろアウレール!」
「……どういう意味だ」
「どうもこうもねえ。てめえの頭ん中に渦巻いているであろう可能性の事を言ってるんだぜ?」
「だから何が言いたいんだ」
「この光景。そしておれのこの腕」
そう言って彼は腕に巻かれていた白い布を解き、隠されていた部分をアウレールに見せつけた。
赤黒く変色し、凍傷のような痕がくっきりと浮かぶその腕を。
「お前、それ……」
「全てあのガキがやった事だ。その上でもう一度聞く。あいつは何者だ、アウレール」
「ナハトがやっただと?」
「そうだと言ってるだろうが……!」
憤怒の表情を浮かべるクラウスが嘘を吐いているようにはとても、見えなかった。
そもそもエルフの村の大部分を凍らせる事ができる者など、アウレールの記憶の中にはほとんどいない。クラウスにはとてもできない芸当だ。
その事実が彼の言葉を裏付ける一因となっていた。
「だが……ッ」
ナハトは、魔法を扱う才能が絶望的にないのだ。それは、アウレールが誰よりも知っていた。
元より、魔法が扱えるならば奴隷を買う事はなかっただろうし、死にかける事もなかったのだ。
けれど、少し離れた場所でこの口論を傍観する他のエルフたちの責めるような視線で、クラウスの言葉が本当である事は、ほぼ確信に変わっていた。
ナハトが魔法が使えないならば、クラウスの言い分は真っ赤な嘘だ。けれど彼の言い分が正しいならば、何故、彼は今まで魔法を扱えないフリをしていたのか。
死にかけていたあの時、あの瞬間までどうして使う事を拒み続けたのか。
考えれば考えるほど、わけが分からなくなる。
何が正しくて、何が間違っているのか。アウレールは正常な判断ができなくなっていた。
「……どうも、てめえは本当に知らないらしい」
クラウスはゆったりとした足取りで件の少年――ナハト・ツェネグィアのもとへと向かう。
「何、を」
「これだけの事をやらかしやがったんだ。相応の報いを受けるのが道理ってもんだろうがよ?」
殺意をこれでもかと放つクラウスの様子から、アウレールは彼の次の行動を察した。
「クラウス!」
それはほとんど悲鳴であった。
ナハトへの距離は、アウレールよりもクラウスのほうがよっぽど近い。
助けようにも間に合わない……!
けれど、それでも、助けようと彼に駆け寄る。
クラウスが下げていた矢の一本を掴み取り、振り上げたその時だった。
「ちょいと待たんか」
朗々とした声が響き渡った。
それと同時にクラウスの振り上げた腕もピタリと硬直する。
彼が首を動かし、振り返るとそこには――
緑色の瞳で彼らを見据え、白磁の如く透き通った長い白髪を靡かせる、女性のエルフがいた。
「その行動は、あまりに早計だわい」
「長老……」
女性の姿を見るや否や、波紋を描くようにざわざわと声が広がっていく。
感嘆、畏怖。そういった感情が彼女に向けられる中、クラウスはただ一人、怒りに顔を顰める。
「なんの、つもりだ……ご老体」
クラウスが振り返った時、数十メートルは離れていたはずなのに、気付けば彼女はナハトのすぐ側に腰を下ろし、彼の身体を気遣うように抱き抱えていた。
「この小僧は魔法を扱える人間ではなかった。それは儂が保証しよう。あの瀕死の状態から治してみせたこの儂が、な」
彼女こそが、瀕死の状態のまま氷漬けにされていたナハトを治した本人であった。
「だが現にあのガキは魔法を――!」
「ただし」
言葉を遮ってくれるなと言わんばかりの威厳のある声音は、クラウスを黙らせる。
「今まではな」
「……どういう事だ」
クラウスは彼女の言っている事が理解できず、顔を顰める。
「違和感を覚えたキッカケは、この腕じゃった」
長老と呼ばれた女性は、かしゃり、と氷によって作られた腕を僅かに持ち上げる。
「儂がこやつの治療をする際、アウレールに氷を溶かしてもらったんじゃが、何故か溶かした途端、この腕が勝手に作られてのう。まるで意思を持っているかのようじゃった。当の本人が気を失っているにもかかわらず、己に合った腕ができていくその光景は異様そのもの。けれど、その時は魔力は感じられなかった」
彼女はそこで一度言葉を区切り、息を吸う。そして意を決したように続けた。
「しかし、今は違う。こやつは、既に魔法を扱えよう。しかも、これほどの馬鹿げた真似ができる規格外のレベルでな」
「……魔法を使えなかった人間が、こんな芸当ができるようになるだ? そんなふざけた事があってたまるか……ッッ!」
「あるからこそ、このような光景が生まれとるんじゃろうが。しかし真に、不可思議よな。おそらくこやつ自身、魔法が使えるようになった事に気付いておらん。全く扱い切れておらんからな。今の状況も偶然の産物じゃろう。言うなれば、そうよのう。こやつは、突然変異よ」
「突然変異……?」
「折角じゃ、ここは一つ儂の立てた仮説を聞け」
彼女がそう言うと、クラウスは口を真一文字に結んだ。
村長よりもずっと地位が高く、皆の羨望の眼差しの先に立つエルフ、それが長老である彼女――マクダレーネなのだ。
当然クラウスよりも遥かに格上である為、彼はひとまず耳を傾ける事を選んだ。
「こやつは治療を始めるまでの数か月の間、氷の中で仮死状態になっておった。それも腕を斬り落とされ、出血多量の瀕死の状態でじゃ。氷も永遠ではない。魔法といえどいつかは溶ける。じゃが、そうならん為にそこのアウレールが凍らせ続けとった。魔力を込め、凍らせ続けとったんじゃ」
マクダレーネは面白おかしそうに破顔しながら、言葉を続けた。
「こやつが魔法を扱えなかったのは紛れもない事実。その前提があるからこそ、儂の仮説は成り立つのじゃ。恐らく、何らかの魔法が一つでも扱えておったら、アウレールの魔法と相反し合い、こうはならんかったじゃろう。いわばこやつは器だったというわけよ。氷魔法を受け入れる器」
「……つまり、何が言いてえんだ」
独白じみた言葉を並べ続けるマクダレーネに痺れを切らし、乱暴な物言いでクラウスが尋ねると、彼女は苦笑いを浮かべた。
「少し、話がややこしかったかの……つまり、こやつは数か月もの間、氷の魔法にあてられ続けた事で身体の性質が変化し、魔法を扱えるようになったんじゃ」
「そんな馬鹿な話が……」
「あるからこうしてこやつは魔法を使ったんじゃろう。きっと、この小僧は優しいヤツなんじゃろう。アウレールが懐くのも分からんでもないわい。ここまでの大魔法を展開しておきながら、誰も死んでおらん。感情のまま行使したように見えたが、生来の優しさ故か、お主を威嚇するだけに留めておろう?」
「……見て、いやがったのか」
「この少年が謎めいておったから気にかけていただけ。そう睨むでないわ」
そう言うと、マクダレーネは背を向けた。
あれだけの魔法を使っておきながら人死がない。
その事実に今更ながら気付かされ、歯噛みして悔しがるクラウスにはもう言葉は不要だった。
「アウレール」
「は、はい?」
マクダレーネに背を向けたまま名を呼ばれ、アウレールは困惑めいた表情を浮かべ、少し上擦った声で返事をした。
「当分の間、こやつは儂が預かる。お主であれば用があるなら訪ねる事を許そう。場所は追って伝える。ひとまずは休むがよい。ジャヴァリー討伐で疲れておろう?」
「それは……」
アウレールの身体のあちこちに刻まれた傷にマクダレーネが視線を向ける。
「悪いようにはせん。安心せい」
彼女が言葉を告げた次の瞬間には、狐にでも化かされたかのようにその姿は掻き消えていた。
扉を押し開けた先に広がっていたのは青々とした自然と、それと共存するエルフたちの姿だった。
樹齢何年なのか分からない大きな木が平然と村の中に生えており、極力人の手は加えられていない自然の中で彼らは生活していた。
木々を避けるように点在する木造の建物は、違和感なく景色に同化し、元々そこにあったかのように馴染んでいる。
ツェネグィア伯爵領ではまずお目にかかれないであろう壮大で不思議な光景であった。
そしてエルフたちは何やら見慣れない格好をしている。
「アウレール!」
小屋を出るや否や、怒声が聞こえてきた。
弓矢を手にした狩人のような格好の男がこちらに駆け寄ってくる。
「ジャヴァリーが出たってのにてめえは何して」
責め立てるように言葉を続ける男。
しかし、彼はアウレールが肩を貸している人物――俺の存在に気付き、言葉を呑み込んだ。
「コイ、ツは……あぁ、凍っていた死にかけか。あの状態から目が覚めるとは、てめえはよっぽど悪運の強い人間らしい」
侮蔑の感情が乗せられた言葉。
一部の人間は特別容姿の整った『エルフ』を、奴隷として高値で取引していたりする。それもあって人間と、彼らの溝はやはり深いらしい。
そもそも村の人間に売られたアウレールが連れ帰ってきた、素性の分からない俺に対して、当たりが強いのは当然か……
今ここに滞在できているという事は、アウレールと村の人たちの関係は修復したのだろうか。
「目が覚めたってんなら、てめえには言っておかねえといけねえ事がある」
そう言って男は手にしていた弓を背に担ぐ。そして、視線は俺からアウレールへと移る。
ほどなくして彼は彼女を睨め付けながら口を開いた。
「……おい。何をボサッとしてる。アウレールはさっさとジャヴァリーの討伐に向かえ。それが約束だろうが」
「……分かっている」
男の言葉により、視線を落とすアウレール。彼女は俺にだけ聞こえる小さな声で言った。
「……一人で立てるか?」
厄介なヤツに見つかった。
アウレールの表情はまさにそう言っているようで、俺は苦笑いしながら返答する。
「大丈夫。小屋の扉にもたれられるし、心配はいらないよ」
俺は彼女の肩から手を離し、すぐ側の小屋の扉にもたれかかる。
「……すぐ、戻る」
それだけ告げて、アウレールはどこかに向かって走り出した。
ジャヴァリーという名の何かを退治しに行くのだろう。
小さくなっていく背中を眺め続け、米粒程度になったところで俺はエルフの男へと改めて向き直った。
「自己紹介はいる?」
「人間の名前なんて、聞きたくもねえ」
「そっ、か」
敵意が丸出しだ。
ジャヴァリーが出たというのがあまりいい話ではないんだろうなと、なんとなく予想はできていたものの、俺に聞かないという選択肢はなかった。
「ところで、さっきから言ってるジャヴァリーって?」
「ジャヴァリーってのは魔物だ。ここら辺によく出没する。作物を荒らすから見つけ次第、討伐するのが決まりだ」
意外にもまともな返答が返ってきた。
不必要な問い掛けは嫌うタイプだと思っていたが、違ったか……?
「そして、アウレールがジャヴァリーの討伐に参加する事が、てめえが目を覚ますまでエルフの村――ここで匿ってやる条件だった」
「…………」
『だった』と、男はその部分だけ声を大きくして言った。
あえてそこを強調する辺り、今日にでも出ていけと言われるのかもしれない。
人間を近くには置いておきたくない。その意思表明なのだろう。
「どうやってアウレールを誑し込んだかは知らねえし、聞く気もねえが、目が覚めたんならあの女共々、さっさと出ていけ」
離れたところにいる複数人のエルフからも、先程から軽蔑の視線が向けられていた。きっと、男の言葉はここのエルフの総意なのだろう。
でも、今の身体がまともに動かない状態でここを追い出されるわけにもいかなかった。
「……なあ」
「ダメに決まってんだろうが」
もう少しばかり留まらせてはもらえないかと頼み込もうとするが、先回りをするように拒絶の言葉が返ってきた。
「エルフが人間からどういう扱いを受けてるか、知らねえてめえじゃねえだろ」
何せ、実際に飼っていやがったんだから。
そんな皮肉めいた意図が伝わってくる。
「これでも十分特例なんだ。ごねるってんなら殺すぞ?」
「……流石に、それは勘弁してほしいね」
そう言って向けられた殺気は、容赦のないものだった。
冗談の類いではない。生かされたこの命。決してドブに捨てるわけにはいかない。
俺は口ごもった。
「それにしても、馬鹿な女だよなあ」
そう男は言った。
「奴隷をしていた頃に、ちょっと優しくされた程度でここまで必死になるんだからな。村には売られて奴隷にされ、買われた先で出会ったご主人様に嬉々として尻尾を振ってやがる」
男は言葉を続ける。
「馬鹿と言わざるを得ないだろう? 自身を飼っていた貴族のガキを、まるで大事な家族のように想い、助けようと奔走してやがったんだ。おれらは口を揃えて何度も言ってやったさ。てめえは哀れだ、と。それにもかかわらずあいつは考えを一切変えようともしねえ。そんなヤツを馬鹿な女と言わずしてなんと言い表す?」
堪え切れない苛立ちを覚え、額に青筋がうっすらと浮かび上がるのが分かる。
けれど、理性はまだ働いていた。
俺が意識を失っている間、きっとアウレールはもっと酷い罵声を浴びせられていたはずだ。
しかし、ここを追い出されるわけにはいかなかったから、我慢するしかなかっただろう。
おそらく相当な苦労をして彼女が作ってくれたであろう居場所を、失うわけにはいかない。
言い返すなと自身に向けて必死に言い聞かせ続ける。
でも、どうしても一言だけ、これだけは言いたかった。
「アウレールは、優しいヤツだよ」
意地っ張りだけど、凄く優しい。
アウレールの事をよく知っているからこそ、言葉が口をついて出てしまう。
「そりゃ、てめえの目にはそう映るだろうよ。飼い犬と主人。ご主人様に尻尾振るのが飼い犬の役目なんだ。てめえにゃさぞかし従順に映ってただろうなあ?」
「……理解してもらえない事は分かってる。でも、俺はあいつを――! ッ、ぁ、がぐッ⁉」
奴隷として扱ったつもりはない。
そう言おうとするも、不意に男の手が俺の顔を思い切り掴んだ。
ぐぐぐと身体が持ち上がっていき、十秒も経たないうちに足が地面から離れてしまう。
「いいか、よく聞け。ぬるま湯に浸かり切った貴族のクソガキ」
男は憤怒に満ちた血走った瞳でこちらを射抜く。
「おれからしちゃ、てめえも、他の人間も。どいつもこいつも皆同じなんだよ」
力強く握られた手の中から、ビキリと骨が軋む音が響く。
頭が割れると思うほどの痛みだった。
「てめえもアウレールを……エルフを奴隷として利用してたんだろうが? てめえも、他の貴族も変わらねえんだよ。それなのにあいつは優しいと悦に入ってやがる。自覚しろよ! てめえも、他のヤツらと同じ、いいように奴隷を利用をしていたクズだとよ!」
ドガンッ! と、背中に強い衝撃が走る。
思い切り壁に押し付けられたのだと、遅れて俺は理解した。
「……特に、てめえみてえなヤツが一番タチが悪い。ハッキリ言ってやろう。悪を見続けたヤツらは、少しの善を見せられた時、たとえ相手が悪人だろうとそいつを善人と勘違いしやがるんだ。するとそいつは、勘違いの視線にあてられて、まるで己が善人であるかのように錯覚し始める。そして、間違いだらけの偽善は横行する。奴隷という存在を認めている事自体が罪だという事に気付こうとすらしやがらねえ。全く、救いようのないヤツらだろ? ……それが、てめえの正体だ」
「…………」
すぐには言葉が出てこなかった。
何故なら、その通りだったから。奴隷である彼らに、俺は己を守ってくれと話を持ちかけた。それは、利用している事に他ならない。
奴隷として見ていなかろうが、彼らからしてみれば、俺は主人で、彼らはどこまでも奴隷なのだ。
だけど。だけど……
「……わがっ、でる」
押さえ付けられた状態のまま、俺は絞り出すように声をもらした。
「わがっ、でる。けど、俺だって自分を守る為に必死だっだんだ!」
確かに俺が今までやってきた事はエゴでしかない。
けれど、自分の命を守って欲しいと思うのは、孤独を癒したいと思うのは、そんなにいけない事だろうか。
これまでの俺の境遇や奴隷たちとの関係性を知らないのに、悪だと決めつけられるのは、どうしても納得がいかなかった。
「必死だったら、何もかも許されるってか? 随分と都合のいい頭をしてるようで羨ましい限りだ」
『エルフ』の男が言う。
だったら、俺は大人しく殺されたらよかったのかよ……
理不尽に親族連中の都合で殺されて、屍を晒したらよかったのかよ。
「ふざ、けんな……!」
左の手で、俺は男の腕を思い切り掴んだ。
「お前に、何が分かる。俺の、何を知ってる」
ふつふつと沸き立つ感情。
これは、怒りだった。
まるで俺の気持ちに呼応するように、周囲の気温が下がっていく。
パキパキ、と何かが凍る音が聞こえる。足元を見ると、俺の立っている地点から、少しずつ氷が地面に広がっていた。
「知らねえよ。人間の事情なんざ、知りたくもねえ」
「なら」
耳元で、ひゅぅ、と冷えた風が吹く。
パキリ。
それは、始まりの音色だった。
次の瞬間、俺の右手の指先から氷が生まれ、掴んでいた男の腕に侵食を始める。
パキリ、パキリ、と音を立ててそれは範囲を広げた。
「チィッ」
堪らず、男が舌打ちしつつ飛び退く。
「――放っておいてくれよ」
自分の声がやけに辺りに響いた。
我に返り周りを見渡すと、自然豊かなエルフの村はいつの間にやら、白粉でも振り掛けたような氷原世界に様変わりしていた。
それは、息を呑むような光景だった。
俺が景色に見とれている中、目の前の男は別の事に気を取られていた。
俺を、ひたすらに凝視していたのだ。
「こいつの魔法か……? いや……兆候は一切なかった。それどころか、アウレールの話じゃこいつは魔法の類いは一切使えないはずだろうが……一体何が」
ぶつくさと、男が何やら独り言を口にしている。
聞き取ろうとしたけれど、酷い倦怠感がやってきて、上手く聞き取れない。
まるで、身体から何かが抜けていくような、そんな感覚。
「あ、あれ……」
視界が揺らぎ、思考に靄がかかる。
身体が言う事を聞いてくれなくて、前のめりに倒れ込む。気が抜けたら、急に凄く寒くなってきた。
薄れゆく意識の中で、視界が最後に捉えたのは、透き通った氷の大地。自生していた雑草も一緒に凍っている。それはどこか幻想めいていた。
――綺麗、だなあ。
思わずそんな感情を抱くが、それが、言葉として口に出される事はなかった。
◇◆◇◆◇◆
「何、が、あったんだ……」
慌てて戻ってきたのだろう。
肩で息をするアウレールは、人為的に創り出された眼前の光景に、目を見開いていた。
視界一面に広がる氷の世界――
時季外れの雪原。それは異様な光景だった。
「……よお」
不機嫌な声が彼女の耳に届く。
アウレールにとって聞き覚えのある男の声だった。
「……クラウスか」
狩人のような格好の男――クラウスへとアウレールは視線を移した。
片方の腕には布が巻かれており、声を掛けてきたという事は、彼はこの状況と無関係ではないのだろう。
そう確信した彼女は、問いただそうと歩み寄る。
けれど、それより先に彼が手のひらを開き彼女へと向けた。
待てよ。
そういう意図のジェスチャーだ。
「なあ、アウレール。あいつは、一体何者なんだよ」
クラウスの視線の先には、扉にもたれかかる一人の少年。
アウレールはナハトのぐったりとしている様子から、気を失っているのだと理解した。即座に駆け寄ろうとするアウレールであったが、それをクラウスは許さない。
「質問に答えろアウレール!」
「……どういう意味だ」
「どうもこうもねえ。てめえの頭ん中に渦巻いているであろう可能性の事を言ってるんだぜ?」
「だから何が言いたいんだ」
「この光景。そしておれのこの腕」
そう言って彼は腕に巻かれていた白い布を解き、隠されていた部分をアウレールに見せつけた。
赤黒く変色し、凍傷のような痕がくっきりと浮かぶその腕を。
「お前、それ……」
「全てあのガキがやった事だ。その上でもう一度聞く。あいつは何者だ、アウレール」
「ナハトがやっただと?」
「そうだと言ってるだろうが……!」
憤怒の表情を浮かべるクラウスが嘘を吐いているようにはとても、見えなかった。
そもそもエルフの村の大部分を凍らせる事ができる者など、アウレールの記憶の中にはほとんどいない。クラウスにはとてもできない芸当だ。
その事実が彼の言葉を裏付ける一因となっていた。
「だが……ッ」
ナハトは、魔法を扱う才能が絶望的にないのだ。それは、アウレールが誰よりも知っていた。
元より、魔法が扱えるならば奴隷を買う事はなかっただろうし、死にかける事もなかったのだ。
けれど、少し離れた場所でこの口論を傍観する他のエルフたちの責めるような視線で、クラウスの言葉が本当である事は、ほぼ確信に変わっていた。
ナハトが魔法が使えないならば、クラウスの言い分は真っ赤な嘘だ。けれど彼の言い分が正しいならば、何故、彼は今まで魔法を扱えないフリをしていたのか。
死にかけていたあの時、あの瞬間までどうして使う事を拒み続けたのか。
考えれば考えるほど、わけが分からなくなる。
何が正しくて、何が間違っているのか。アウレールは正常な判断ができなくなっていた。
「……どうも、てめえは本当に知らないらしい」
クラウスはゆったりとした足取りで件の少年――ナハト・ツェネグィアのもとへと向かう。
「何、を」
「これだけの事をやらかしやがったんだ。相応の報いを受けるのが道理ってもんだろうがよ?」
殺意をこれでもかと放つクラウスの様子から、アウレールは彼の次の行動を察した。
「クラウス!」
それはほとんど悲鳴であった。
ナハトへの距離は、アウレールよりもクラウスのほうがよっぽど近い。
助けようにも間に合わない……!
けれど、それでも、助けようと彼に駆け寄る。
クラウスが下げていた矢の一本を掴み取り、振り上げたその時だった。
「ちょいと待たんか」
朗々とした声が響き渡った。
それと同時にクラウスの振り上げた腕もピタリと硬直する。
彼が首を動かし、振り返るとそこには――
緑色の瞳で彼らを見据え、白磁の如く透き通った長い白髪を靡かせる、女性のエルフがいた。
「その行動は、あまりに早計だわい」
「長老……」
女性の姿を見るや否や、波紋を描くようにざわざわと声が広がっていく。
感嘆、畏怖。そういった感情が彼女に向けられる中、クラウスはただ一人、怒りに顔を顰める。
「なんの、つもりだ……ご老体」
クラウスが振り返った時、数十メートルは離れていたはずなのに、気付けば彼女はナハトのすぐ側に腰を下ろし、彼の身体を気遣うように抱き抱えていた。
「この小僧は魔法を扱える人間ではなかった。それは儂が保証しよう。あの瀕死の状態から治してみせたこの儂が、な」
彼女こそが、瀕死の状態のまま氷漬けにされていたナハトを治した本人であった。
「だが現にあのガキは魔法を――!」
「ただし」
言葉を遮ってくれるなと言わんばかりの威厳のある声音は、クラウスを黙らせる。
「今まではな」
「……どういう事だ」
クラウスは彼女の言っている事が理解できず、顔を顰める。
「違和感を覚えたキッカケは、この腕じゃった」
長老と呼ばれた女性は、かしゃり、と氷によって作られた腕を僅かに持ち上げる。
「儂がこやつの治療をする際、アウレールに氷を溶かしてもらったんじゃが、何故か溶かした途端、この腕が勝手に作られてのう。まるで意思を持っているかのようじゃった。当の本人が気を失っているにもかかわらず、己に合った腕ができていくその光景は異様そのもの。けれど、その時は魔力は感じられなかった」
彼女はそこで一度言葉を区切り、息を吸う。そして意を決したように続けた。
「しかし、今は違う。こやつは、既に魔法を扱えよう。しかも、これほどの馬鹿げた真似ができる規格外のレベルでな」
「……魔法を使えなかった人間が、こんな芸当ができるようになるだ? そんなふざけた事があってたまるか……ッッ!」
「あるからこそ、このような光景が生まれとるんじゃろうが。しかし真に、不可思議よな。おそらくこやつ自身、魔法が使えるようになった事に気付いておらん。全く扱い切れておらんからな。今の状況も偶然の産物じゃろう。言うなれば、そうよのう。こやつは、突然変異よ」
「突然変異……?」
「折角じゃ、ここは一つ儂の立てた仮説を聞け」
彼女がそう言うと、クラウスは口を真一文字に結んだ。
村長よりもずっと地位が高く、皆の羨望の眼差しの先に立つエルフ、それが長老である彼女――マクダレーネなのだ。
当然クラウスよりも遥かに格上である為、彼はひとまず耳を傾ける事を選んだ。
「こやつは治療を始めるまでの数か月の間、氷の中で仮死状態になっておった。それも腕を斬り落とされ、出血多量の瀕死の状態でじゃ。氷も永遠ではない。魔法といえどいつかは溶ける。じゃが、そうならん為にそこのアウレールが凍らせ続けとった。魔力を込め、凍らせ続けとったんじゃ」
マクダレーネは面白おかしそうに破顔しながら、言葉を続けた。
「こやつが魔法を扱えなかったのは紛れもない事実。その前提があるからこそ、儂の仮説は成り立つのじゃ。恐らく、何らかの魔法が一つでも扱えておったら、アウレールの魔法と相反し合い、こうはならんかったじゃろう。いわばこやつは器だったというわけよ。氷魔法を受け入れる器」
「……つまり、何が言いてえんだ」
独白じみた言葉を並べ続けるマクダレーネに痺れを切らし、乱暴な物言いでクラウスが尋ねると、彼女は苦笑いを浮かべた。
「少し、話がややこしかったかの……つまり、こやつは数か月もの間、氷の魔法にあてられ続けた事で身体の性質が変化し、魔法を扱えるようになったんじゃ」
「そんな馬鹿な話が……」
「あるからこうしてこやつは魔法を使ったんじゃろう。きっと、この小僧は優しいヤツなんじゃろう。アウレールが懐くのも分からんでもないわい。ここまでの大魔法を展開しておきながら、誰も死んでおらん。感情のまま行使したように見えたが、生来の優しさ故か、お主を威嚇するだけに留めておろう?」
「……見て、いやがったのか」
「この少年が謎めいておったから気にかけていただけ。そう睨むでないわ」
そう言うと、マクダレーネは背を向けた。
あれだけの魔法を使っておきながら人死がない。
その事実に今更ながら気付かされ、歯噛みして悔しがるクラウスにはもう言葉は不要だった。
「アウレール」
「は、はい?」
マクダレーネに背を向けたまま名を呼ばれ、アウレールは困惑めいた表情を浮かべ、少し上擦った声で返事をした。
「当分の間、こやつは儂が預かる。お主であれば用があるなら訪ねる事を許そう。場所は追って伝える。ひとまずは休むがよい。ジャヴァリー討伐で疲れておろう?」
「それは……」
アウレールの身体のあちこちに刻まれた傷にマクダレーネが視線を向ける。
「悪いようにはせん。安心せい」
彼女が言葉を告げた次の瞬間には、狐にでも化かされたかのようにその姿は掻き消えていた。
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