言魂学院の無字姫と一文字使い ~ 綴りましょう、わたしだけの言葉を ~

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第1章 無字姫、入学す

第27話 切り札の時

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 エニロが振り下ろした長剣を、四季は『雅美』で跳ね上げる。
 単純な腕力で言えばエニロが勝っているものの、四季はタイミングと当てる場所を工夫することで、見事に成し遂げた。
 更に彼女は、体勢を崩したエニロに刺突を放ったが、彼も並の使い手とは程遠い。
 即座に長剣を引き戻したエニロは『雅美』を受け流して、そのまま刃を柄に滑らせるように斬り掛かる。
 見事な剣技を四季は目を細めて認めつつ、『雅美』を巧みに操りながら転身することで、攻撃範囲から難なく逃れた。
 そのままエニロの背後を取った彼女は、蜂の巣にする勢いで連続突きを繰り出す。
 常人では見切るどころか反応すら難しかっただろうが、寸前で察知していた彼は前方に身を投げ出した。
 間一髪で刺突の雨を凌いだエニロは、受け身を取って立ち上がると同時に、長剣を振り上げて魔力の刃を飛ばす。
 しかし、四季に届くことはなく、あっさりと『雅美』で打ち払われた。
 そこで一旦動きを止めた両者は、無言で見つめ合う。
 今のところ互角か、やや四季が上。
 だが、そこに大きな隔たりはない。
 それは彼女も認めており、だからこそ様子見をしながらの戦いを展開していた。
 とは言え、それもここまで。

「なるほど。 わたしたちに挑もうとするだけはある」
「ほう。 『肆言姫』に認めてもらえるとは、光栄だな」
「勘違いするな。 あくまでも戦えると言う程度で、わたしたちが負ける要素はない」
「そうか? 現時点では、付いて行けていると自負しているが」
「本気で言っているなら、評価を下げざるを得ないな。 わたしはまだ、言魂を使ってすらいないのだぞ?」
「本当にそうか? お前たち言魂士は、力を発揮する為に必ず文字を書かなければならない。 それは、『肆言姫』であっても例外ではないはず。 わたしはそのことに注意して、妨害を最優先に考えていた。 つまり、使っていないのではなく、使えないのではないか?」
「ふむ、それで妙な動きを見せていたのか。 納得したぞ」
「では、認めるのか?」

 会話を続けつつも、エニロは微塵も気を抜いていなかった。
 四季がいつ言魂を発動するかわからない以上、一瞬の油断が命取りなのだから。
 しかし、それでも――

「残念ながら、答えは否だ」

 『肆言姫』の名は、伊達ではない。
 エニロが気付いたときには、四季は文字を書き終わっていた。
 ピンと伸ばされた右手の人差し指と中指を見て、彼は絶句している。
 エニロからすれば、まるで時間を飛ばされたような感覚だ。
 際どいところで表情には出していないが、衝撃は計り知れない。
 どちらにせよ、四季の知ったことではないが。
 彼女を中心に、風が荒れ狂う。
 あたかも、四季の胸の内を表しているかのように。
 極めて冷たい目を向けられたエニロは、身震いする思いを抱きながらも、断固として諦めなかった。
 両手で長剣を握り締め、遮二無二振り乱す。

「おぉッ!」

 普段は物静かなエニロが、柳眉を逆立てて魔力の刃を放ち続けた。
 紛うことなき全力で、凄まじい威力と手数、速度を兼ね備えている。
 並の言魂士どころか、『参言衆』であっても手に余るかもしれない。
 もっとも、彼の相手は更に次元の違う存在だ。

「うむ。 中々だな」

 完封。
 エニロの攻撃を四季は、その場に佇んだまま風の刃で相殺してみせた。
 あまりの結果に、エニロは心中穏やかではなかったが、歯を食い縛って次なるカードを切る。
 地面に長剣を突き刺し、膨大な魔力を送り込んだ。
 地中を通った魔力は四季の足元に集い、剣山となって彼女に牙を剥く。
 資料にも載っていなかった戦法に、彼女は戸惑う――

「無駄だ」

 などと言うことはない。
 展開した風の障壁がシャットアウトし、全くの無傷。
 風の障壁自体は以前から使っていた四季だが、夜宵との決闘を経て、更に守りに対する意識が高くなっていた。
 一切の隙を見せない彼女を前に、エニロは歯噛みしつつも、攻撃の手は緩めない。
 魔力の刃や剣山を駆使して、とにかく四季の防御を破ろうと藻掻く。
 その全てが無効化されたものの、彼はまだ絶望していなかった。
 何故なら、四季はまだ攻撃していないからだ。
 自分の猛攻が、彼女に守りを強要していると考えたエニロは、そこに一縷の望みを懸けたが、それはあまりにも儚い希望。

「充分だな」
「何だと……?」
「美紗たちを狙わせるほどの魔族がどれだけのものか、充分に肌で感じることが出来たと言っている」
「……敢えて攻撃させていたように聞こえるな」
「まさしく、その通り」
「侮られたものだ。 それが嘘じゃないなら、少しは反撃――」

 荒野に、重い物が落ちる音が響く。
 唖然としたエニロが視線を巡らせた先には――斬り落とされた自身の左腕。
 鎧ごと断たれており、傷口から鮮血が溢れていた。
 遅れてやって来た激痛に、彼は絶叫しそうになったが――

「ふぅッ……! ふぅッ……!」
「ほう……。 見事な胆力だ。 魔族にしておくには、勿体ない」
「だ……黙れ……」
「これでわかっただろう? 貴様は、生かされていただけだ。 わかったら……滅べ」

 低く鋭い、四季の声。
 ここまで淡々と戦闘しているように見える彼女だが、それは紙一重のところ。
 一葉たちには、仇を取るつもりはないと言っていたが、本心では復讐してやりたいと思っている。
 『肆言姫』としての責任感が、それを押し止めている状態だ。
 だが、もう我慢する必要はない。
 あとは敵を始末して、報告するだけ。
 四季はそう考えていたが、エニロは尚も敗北を受け入れなかった。

「ぐ……! こうなった以上、わたしが生き残ることは不可能だろう。 しかし……ただでは済まさん」
「……どうするつもりだ?」

 エニロの雰囲気が変わったことに気付いた四季は、注意深く彼を観察する。
 ところが、結果的にこの判断は誤りだったかもしれない。
 問答無用で仕留めに掛かっていれば、次に起こることは阻止出来たからだ。

「オォォォォォッ!!!」
「な……!?」

 自らの胸――厳密に言えば心臓に指を突き込み、魔力を直接流し込むエニロ。
 この行動が何を意味するのか、四季にはわからなかったものの、良くない兆候なのは間違いない。
 刹那の間に結論付けた彼女は、風の刃を殺到させたが、僅かに遅かった。

「はぁッ!」

 残った腕で、エニロが長剣を一閃する。
 それによって全ての風の刃が散らされ、流石の四季も驚いた。
 彼女の目に映っているのは、隻腕の魔族。
 しかし、感じる魔力は桁違いに膨れ上がっており、尋常ではない迫力を発している。
 険しい顔で佇む四季にエニロは、言葉通り決死の覚悟で言い放った。

「これを使えば、わたしは長く生きられない。 その代わり、お前も道連れにさせてもらう」
「ふん……。 悪いが付き合ってられん。 1人で死んで行け」
「そうは行かん。 今のわたしなら、お前の言魂を超えられる。 無理やりにでも、付き合ってもらうぞ」

 はっきりと言い切ったエニロは、長剣に魔力を送り込んだ。
 先ほどから何度も使っている、魔力の刃の下準備。
 四季はすぐさまそれを見抜き、風の障壁を展開するべく魂力を高める。
 そして彼女の予想通り、エニロが振り切った長剣から魔力の刃が飛来したのだが――

「む……!」

 あまりにも巨大。
 斬ると言うよりはすり潰す勢いで迫る脅威を、四季は必死で受け止めたが、エニロの言葉は誇張ではなかった。
 風の障壁が破られ、そのまま彼女の飲み込もうとする。
 直前で横に跳んでいた四季は、無事にやり過ごすことが出来たものの、これで終わりはしない。

「はぁぁぁぁぁッ!!!」

 叫喚を上げたエニロによる、怒涛の連撃。
 威力、攻撃範囲ともに馬鹿げている魔力の刃が、次々と四季を襲った。
 命を代償とした、特攻。
 風の刃で相殺しようとしても、威力が足りない。
 際どいところで被弾を避けながら、元来は冷静なエニロの鬼気迫る勢いを前にして、四季も腹を括った。










 一葉とゾースの戦いは、他の組よりも激しかった。
 より正確に言うなら、うるさかった。

「それッ!」
「ちッ! このクソガキが!」
「誰がクソガキよ!? あたしは立派なレディーだっての!」
「笑わせんな! テメェみたいなチンチクリンの、どこがレディーだってんだ!」
「あんたの目は節穴なの!? こんなに可愛くて、胸だって結構大きいのに!」
「そう言う問題じゃねぇだろ!」
「じゃあ何だってのよ!?」
「自分で考えやがれ!」

 ギャアギャアと喚き合う、一葉とゾース。
 それに反して体は忙しなく動いており、激しい肉弾戦が行われていた。
 ゾースの剛腕を一葉は正面から受けず、手を沿えて軌道を変えることで、空振りさせる。
 同時に懐に踏み込んで、強烈なボディーブローを放った。
 慌てて腕を引き戻したゾースは、ギリギリのところでガードが間に合う。
 ところが、完全に衝撃を殺すことは出来ず、踏ん張った両足で荒野に線を引きながら、後ろに下がらされた。
 ガードの奥から一葉を忌々しそうに睨んだ彼は、即座に反撃に出る。
 両手を前に突き出して、繰り出されたのは獄炎。
 相変わらず身の毛もよだつ火力で、まともに受ければ一葉とて危険かもしれない。
 あくまでも、まともに受ければだが。

「雑過ぎね!」
「……ッ!? このッ!」

 余裕を持って前方宙返りした一葉が獄炎を飛び越えて、ゾースの頭上から踵を落とした。
 なんとか反応した彼は腕を交差させて、その一撃を堪える。
 足元が陥没するほどの破壊力に、ゾースの両腕が痺れた。
 暫くまともに動かせないと悟った彼は、強引に一葉を吹き飛ばすべく力を解放する。

「死ねやッ!」

 ゾースを中心に引き起こる、大爆発。
 伊織のときよりも威力が高く、範囲も広い。
 至近距離にいた一葉に避ける術はなく、跡形もなく消し飛んだはずだ。
 そう考えたゾースは、莫大な魔力を消費した反動で息を荒らげつつ、会心の笑みを浮かべていた――が――

「だから、雑だってば」

 少し離れた場所に立っていた一葉は、全くの無傷。
 信じられない光景を目にしたゾースは、愕然としていたが、気付いた。
 彼女の右手の人差し指と中指が、伸びていることに。
 一葉が言魂を発動したのだと確信したゾースだが、深呼吸することですぐに落ち着きを取り戻す。
 『肆言姫』と戦う以上、こうなることは織り込み済み。
 問題は、どこまで付いて行けるか。
 はっきり言って、今の大爆発を無効化されてしまうとなると、魔術で倒すのは難しい。
 つまり、直接攻撃するしかないとは言え、簡単に踏み込むことは出来ずにいる。
 悔しそうに歯軋りしたゾースに比して、一葉は腕を組んで何やら考え込んでいた。
 その様子をゾースが不思議そうに見やっていると、彼女は前置きなく言い放つ。

「うちの連中と同じくらいかな」
「あぁ?」
「あんたの実力よ。 あたしの陣営の『参言衆』となら、良い勝負が出来ると思うわよ」
「けッ! 要するに、テメェには及ばないって言いてぇのかよ?」
「そんなの当たり前じゃない、何言ってんの? え? まさか勝てるつもりだったの!? ウケるんだけど!」
「うるせぇッ! まだ勝負は付いてねぇだろうが!」
「無駄無駄。 さっきまででも歯が立たなかったのに、言魂を使ったあたしに勝てる訳ないでしょ?」
「その余裕、ぶっ潰してやるッ!」

 手をヒラヒラさせて相手にもしていない一葉に、ゾースは目を血走らせて殴り掛かった。
 紛うことなく全力で、それに見合った威力を誇っている。
 もっとも――

「な……!?」

 一葉に届くことなどない。
 ゾース渾身の一撃を、欠伸を噛み殺しながら持ち上げた左手で、彼女は難なく受け止めた。
 まさに、赤子の手を捻るかの如く。
 あまりにも力の差があることに、ゾースは呆然としかけたが、離脱するべくバックステップを踏んだ。
 このとき一葉は、止めようと思えば止められたが、敢えて見逃す。
 そのことに勘付いたゾースは憤怒の表情で、再び攻め入った。
 今のは受けられたが、当たれば効くのではないか。
 そこに勝機を見出した彼は、左拳でボディーブローを撃つ。
 一方の一葉は楽々と右手で防ごうとしたが、その瞬間にゾースが右拳を彼女の顔面に振り切った。
 一葉が油断していることに付け込んだ、フェイントを混ぜた一撃。
 鈍い音が荒野に響き、今度こそ仕留めたと思ったゾースはニヤリと笑ったが、彼女は決して油断している訳ではなかった。

「女の子の顔を殴るなんて、最低ね」

 おどけてみせながら、勝気な笑みを浮かべた一葉。
 ゾースの拳は間違いなくヒットしているものの、全くのノーダメージである。
 何度目かの衝撃に見舞われたゾースは、目を見開いて僅かに硬直してしまった。
 そこで一葉は、拳を作り――

「ほい」
「ごッ!?」

 軽く、彼の腹を小突いた。
 本当に、ポンっと言う擬音が合う程度で、攻撃とすら呼べない。
 それにもかかわらずゾースは悶絶しており、荒野に両膝を突いて腹を抱えている。
 口の端からは涎が垂れ、どれほどの苦痛を味わっているかを物語っていた。
 そんな彼を睥睨していた一葉は、居丈高に声を発する。

「どう? まだやるってんの?」
「ぐッ……! ち、ちくしょう……!」
「ちょっと、無視しないでよ。 まだやるのかって聞いてんだけど?」
「あ、当たり前だろうがッ……!」
「あっそ」
「ぐッ!?」
「女の子に頭を踏まれる気分って、どんなの? やろうと思えば、このまま踏み潰せるんだけど」
「や、やってみやがれッ……!」
「うわ、あんたドМなの? 嫌よ、足が汚れちゃうじゃない」
「どこまでも、ふざけやがってッ……!」

 一葉に頭を踏まれて、地面に額を擦り付けながら、ゾースは怨嗟の声を漏らした。
 実際、彼女の行いは相手を嬲っていると取られても、致し方ない。
 しかし、それは本質的には違う。

「あたし、これでも怒ってんのよね」
「あぁ……!?」
「四季ちゃんとは凄く仲が良い訳じゃないし、何なら夜宵ちゃんを狙うライバルかも」
「何の話をしてやがる……!?」
「陣営も違うし、はっきり言って早乙女たちがどうなろうと、あたしには関係ないと思ってたけど……やっぱりムカついちゃった。 だから、あんたをボコボコにしようって決めたの」

 そう宣言したときの一葉の顔は、恐ろしいまでに冷たかった。
 ゾースからは見えなかったが、否が応でも伝わって来る。
 自分は彼女に勝てない。
 それを思い知らされたゾースだが、彼にもプライドはあった。
 覚悟を決めた彼は、切り札を切る。

「ガァァァァァッ!!!」
「熱ッ!?」

 足元のゾースの全身が、燃え上がった。
 それまでとは比べ物にならない熱量で、一葉であっても退避せざるを得ない。
 その事実に力付けられたゾースは、口の端を吊り上げて、ゆっくりと立ち上がる。
 対面に立つ一葉は厳しい顔付きになっており、一矢報いたと思った彼は、獰猛な笑みで言葉を連ねた。

「俺が魔術を使っても、自分にダメージがないのはなんでかわかるか?」
「……魔術の威力以上の守りを固めてるからでしょ?」
「そう言うこった。 けどよ、今の俺はそのリミッターを外した。 この意味がわかるか?」
「回りくどいわね。 自爆覚悟で攻めて来るって言いたいんじゃないの?」
「正解だ。 つーことで、行くぜ。 俺が燃え尽きる前に、テメェを消し炭にしてやるッ!」
「やれるもんなら、やってみなさい!」

 命を炎を燃やしたゾースによる、辺り一面を焼き尽くす火炎流。
 荒野が地獄の様相を呈し、攻撃範囲から一葉は逃げ続けた。
 未だにダメージは受けていないが、言い換えれば回避しなければ危険だと言うこと。
 守るものがなくなったゾースは、後先考えず、この瞬間に全てを注ぎ込む。
 迸る爆炎を避けた一葉の頬を、一筋の汗が伝い落ちた。










 言魂を発動するまでに、情報収集を兼ねた様子見をした四季。
 タイミングを見計らって、必要なときに使った一葉。
 両者に共通していたのは、当初は生身で戦っていたこと。
 それに比して光凜は、惜しみなく力を解放した。

「『肆言姫』の力、とくと味わいなさい」

 言い切ったときには、文字を書き終わっていた。
 それを見たミンは表情を硬くしたものの、すぐに邪悪な笑みに戻って言い放つ。

「いきなり切り札を使うなんて、よっぽど余裕がないのね。 これは、思ったよりもチャンスが……!?」

 挑発気味に言葉を紡いでいたミンだが、最後まで口にすることは出来なかった。
 信じられない速度で接近した光凜が、『雷切丸』で斬り掛かったからだ。
 神速とも呼べるスピードを目の当たりにしたミンは、辛うじて身を仰け反らせて致命傷を避ける。
 それでも刃は彼女の体を斜めに斬り裂き、血飛沫が舞った。
 痛みに顔を顰めながら、ミンは迷うことなく飛び退いて、体勢を立て直す。
 そのときには傷が塞がっており、回復力の高さを示していた。
 その様子を眺めていた光凜は、切っ先をミンに突き付けたまま、淡々と感想を述べる。

「確かに、傷の治りは早いわね。 報告通りだわ」
「……澄ましてんじゃないわよ。 知ってるわよ、あんたの力は移動速度上昇でしょ? 確かにとんでもない速さだけど、わかってれば対策も取れ――」

 またしても、ミンのセリフを無視して斬り込む光凜。
 水平に振り切られた『雷切丸』を、ミンは必死にハンマーで受け止めた。
 この辺りは、彼女の学習能力が優れている証かもしれない。
 確かに光凜のスピードは脅威だが、初撃である程度は把握出来ている。
 だからこそ、防御が間に合ったのだが、だからと言って安心は出来なかった。
 四季たち『肆言姫』の言魂は、ヒノモトの民ですら限られた者しか知らない。
 だが、どのような能力かは、それなりに知れ渡っている。
 四季で言えば、風を用いた戦法。
 一葉の持ち味は、一撃の破壊力。
 光凜の特徴は、常軌を逸した速さ。
 詳しいことまではわからなくても、魔族たちも傾向を把握していた。
 そして、言魂を発動した光凜が、徐々に速度を上げて行くことも知っている。
 だからこそミンは、早い段階で勝負を決めようと考えていた――が――

「ぐ……!? くぅ……!」

 斬、斬、斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬。
 そのような思惑を打ち砕くほどの、圧倒的な速度。
 最早視認不可能な速度に達した光凜は、ミンの全身に斬線を引いた。
 数え切れない刀傷を刻まれたミンは、苦しそうに呻いていたが、次いで歪な笑みを漏らす。
 そのことを訝しく思った光凜は、攻撃を続けながら問い掛けた。

「どうしたの? 痛みでおかしくなったのかしら?」
「ふ、ふふふ……そうじゃないわ。 あんたの弱点を見付けただけよ」
「わたしの弱点?」
「そうよ。 確かにあんたは速いけど、一撃の威力は大したことないわ。 あたしなら、堪え切れるくらいにね」
「なるほどね。 確かにわたしは、速度に特化しているわ」
「あら、随分と素直じゃない。 つまり、現状はどちらも決定打を持ってないのよ。 このまま根競べを続けていれば、勝負がどちらに転ぶかわからないわ」

 ミンの発言は、半分くらいは自身を鼓舞する為のもの。
 実際のところは、勝機があるとまでは思えていない。
 それでも、光凜の攻撃に耐えられているのは、紛れもない事実。
 そう、今のところは。

「残念だけれど、その見通しは甘いわよ」
「何ですっ……ぎゃぁぁぁ!?」

 突如として、それまでと段違いの激痛がミンを襲う。
 傷自体は既に修復が始まっているが、精神的なダメージは途方もない。
 何が起きたのかわからないミンは、射殺すような目で光凜を追い掛けた。
 もっとも、速過ぎて捉えることは出来ないが。
 腹立たしく思ったミンだが、更なる苦痛が彼女を苛む。

「んぎぃぃぃッ!?」
「汚らしい声ね。 夜宵さんとは、大違いだわ。 いえ、比べることすら彼女に失礼だったわね」
「こ、小娘がぁ……何をした!?」
「別に、ただ斬っているだけよ」
「嘘をつくな! 明らかに、さっきまでと違うじゃない!」
「うるさいから喚かないで。 仕方ないから教えてあげる」

 立ち止まった光凜が、ミンを冷たい眼差しで見据えて告げる。
 その声は、どこまでも平坦だった。

「人間と魔族は似て非なる存在だけど、変わらないこともあるの。 その1つが、急所よ」
「き、急所ですって……?」
「そう。 人体における、弱点とされる場所。 わたしは、そこを重点的に狙っているのよ」
「そ、そんなことで……!」
「そんなことと言うけれど、その結果がこれよ。 わかったなら、続けましょう。 貴女ごときに、いつまでも時間は使っていられないから」

 脚を再稼働させて、一気にトップスピードまで加速する光凜。
 彼女が語ったことに偽りはないが、それは言葉にするほど簡単ではない。
 全ての急所を覚え、どこを斬ればどれだけの痛みがあるか、彼女はそれを精確に認識している。
 しかし、その境地に至らしめたのは、狂気すら感じさせる努力。
 学院の訓練場では、直接的な傷は受けない。
 その特性を利用した彼女は、自分の体を使って自傷行為を繰り返していたのだ。
 加えて驚異的なのは、そこを確実に攻撃出来る技量。
 特に光凜の場合、超高速戦闘の中で行わなければならない。
 これがどれだけの神業かを理解している者が、果たして何人いるだろうか。
 ミンも完全に理解出来た訳ではないものの、漠然と光凜の凄まじさは感じている。
 このまま守っていても、決して勝ちは転がり込んで来ない。
 そう確信した彼女は、覚悟を決めて打って出た。

「あぁぁぁッ!」

 偶然当たることを祈って、ハンマーを振り回す。
 あまりにも運に任せた行動だが、ミンに出来るのはそれくらいだった。
 とは言え、光凜に彼女の必死さが伝わることなどない。

「下策ね」
「ぐぎゃぁぁぁッ!?」

 ミンがハンマーを振り切ったタイミングで、全身の急所を滅多切りにする。
 傷は癒せても、過剰な痛みが彼女を攻め立てた。
 これ以上は、無理。
 ミンの脳裏に、その言葉が過る。
 ところが、追い詰められた彼女は、逆にすんなりと決断出来た。
 痛みに歪んだ顔のまま、ハンマーを叩き壊す。
 怪訝に思って眉根を寄せた光凜の視界に映ったのは、砕けたハンマーの中から出て来た宝石。
 それが何かわからず、ひとまず様子を窺っていると――

「な……!?」

 ミンが、宝石を飲み込む。
 瞬間――

「グガァァァァァッ!!!」

 絶叫を上げた彼女の体が膨張し、変質して行く。
 筋骨隆々な見上げるほどの巨人となり、肌は黒く硬質に。
 大きく開いた口には牙が生え揃い、腕は4本に増えていた。
 ギョロリとした瞳からは理性が感じられないが、凶暴性は遥かに増している。
 光凜は具体的なことを知らないが、ミンが最後のカードを使ったのだと察した。
 一旦動きを止めていた彼女だが、意を決して踏み込む。
 相変わらず目視出来ない速度で背後を取り、怪物と化したミンのアキレス腱に、『雷切丸』を振り下ろした。
 ところが――

「……ッ!」

 弾かれる。
 全くの無傷ではないが、確実に通常時よりも硬くなっていた。
 もう1つ、光凜にとって歓迎しかねる事態が起こっている。
 それは、体が変容したことで、急所の位置が微妙に変わっていること。
 更には――

「ガァッ!」

 瞬時に振り向いて、大砲のような拳を繰り出すミン。
 全く光凜に対応出来ていなかった彼女が、後手ながらも反撃に転じた。
 余裕を持って光凜は回避したものの、顔付きは厳しい。
 まかり間違えば、敗北する可能性もゼロとは言い切れなかった。
 選択を迫られた彼女だが――決断も早い。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
次回、「第28話 無字の誓い」は、21:00公開予定です。
読んでくれて有難うございます。
♥がとても励みになります。
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魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

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