月見草戀物語

大和撫子

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月見草戀物語 一

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「……透き通るような白。美しい、そして何て神秘的なのだ!」

 それが、初めて彼女を見た時の印象だった。

 それはある夏の昼下がり、夜通し走り通して疲れた俺は、少し仮眠を取ろうと人気《ひとけ》の無い丘に身を横たえた。目を覚ました時はすっかり日が暮れて、藍色の帳《とばり》が辺りを包み込んでいた。慌てて体を起こした時に目に飛び込んだのは、抜けるような白。まるで、夕闇に浮き上がるような……。

 透き通るような白い肌は、黄昏時に浮き上がるように映えて。長い白金色の髪は水簾みたいに真っすぐに流れる。細面の顔は繊細で高い鼻筋と、髪と同じ色の優しい三日月眉。穏やかな弧を描いた物憂げな二眸は零れ落ちそうに大きくて、白金色の長い睫毛に囲まれた藍色だった。まるで満点の星空みたいにキラキラしているのに、どこか哀しみの影を湛えていた。 
 艶々した唇はさくらんぼみたいに美味しそうだ。小柄で華奢な体に純白の小袖、淡い黄色の打掛を羽織っていた。小高い丘にひっそりと佇み、月の光に照らされたその姿は触れたら壊れちまいそうなくらい、儚げだった。そしてふわりと甘やかに奥床しい香りをまとっていた。

「あのさ!」

 堪らなくなって思わず声をかけた。自分でも情けないと思う。もう少し気の利いた台詞があるだろうが。だけど夢中だったのさ。何か声をかけないと、今にも消えてしまいそうで。
 彼女はゆるりと俺を見上げた。ドクンと心臓が跳ね上がる。星月夜みたいな瞳が、ほんの一瞬流星群みたいに強く輝いた。刹那、薄雲が掛かったみたいに輝きを失い、目を伏せた。いささかムッとした。まるで望んだ待ち人じゃなくて失望した、と言われたような気がしたからだ。

 自慢じゃないが、俺はかなりの美形だ。ハッキリ言って、女を切らした事はない。彼女達に言わせれば、ルカ・ジョルダーノとやらが描いた大天使ミカエルとやらに似ているらしい。肩の下まで伸ばした波打つ鳶色の髪と大理石のような肌。浮彫り宝石のように端麗な顔立ち。アーモンド型の瞳は艶やかなコバルトブルーだ。背は高く細めの筋肉質で、ちょうど絵画のミカエルと同じような青を基調にした動き易い衣装が、余計に似ているように思わせるのかもしれない。因みに翼はない。無くても自由自在に空を飛び回れる。何故なら俺は……。

 「あなたは、風の御方?」

 それは不思議なほど魅惑的な声だった。高いとも、低いともつかぬ澄み切って転がるような音。そう、それはまるで水琴窟を思わせるような……。

「あぁ、そうだ。俺は東風《こち》の精霊、名前は翠碧《すいへき》。ついでに言うと、西風、南風、北風などの全ての風を束ねるおさだ」

 そうこたえて、軽く口元を綻ばせ真っすぐに彼女を見つめた。これで、落とせなかったおんなは皆無だ。

「そう……。それでしたら自由に、色々な場所へ飛んで行けますのね」

 予想に反して、彼女は寂し気にそう言って。ほんの少しだけ羨ましそうに俺を見ただけだった。

 あれ? もしかして彼女には俺の魅力が伝わらない? ゲテモノ趣味なのか?

「私は咲夜《さくや》と申します。月……」
「月見草の精霊だろう?」

 何となくプライドが傷ついた俺は少し乱暴に彼女の言葉を遮った。けれども、咲夜か、良い名前だ。彼女は少し驚いたように目を見開き、俺を見つめた。いいぞ、少しは俺に興味を持ったか?

「……月見草、ご存じ?」
「あぁ。今となってはここ日本にはもう殆ど無い、貴重な花だ。多くの人間どもは黄色の待宵草と間違えているがな。本来の月見草とは、黄昏時から明け方にかけて咲く白い花。朝日が出れば……」

 それ以上言うのは控えた。日の出と共に、萎れてしまうのだ。その純白だった花びらを薄紅に染めて。彼女は物憂げに俺を見上げた。俺の意思を無視して、鼓動がドクンと弾みやがる。

「なぁ、もしかしたら誰かを待っているのか?」

 気づいたら夢中で話しかけていた。だって今にも泣き出しそうに見えたから。驚いて目を大きく見開く彼女に、

「探しに行きたくても、自分の花が咲いている範囲内しか動けないだろう?俺なら探してやれると思うぜ? なぁ、訳を話してみろよ」

 と立て続けに言葉を投げかける。もし首を横に振られたら、もう二度と彼女に近づくチャンスが無くなるような予感がしたから。


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