「磨爪師」~爪紅~

大和撫子

文字の大きさ
32 / 65
第三十帖 雲居の花

枕草子の夢②

しおりを挟む
 躑躅つつじの花が色鮮やかに咲き誇り、白い蝶と愛を囁き合う。鳳仙花はその風景を見るのが好きだった。けれども、蝶は次から次へと花を渡り歩くもの。花は女、男は蝶と例えられる。

……一見、花は健気に蝶一筋で蝶は浮気者に見えるけれど。花も蝶が旅立った後、別の蝶を受け入れるのよね……

 鳳仙花はぼんやりと思った。仕事は午前中で終わり、ゆっくりと裏庭で寛いでいる。この場所は清少納言が行方をくらます直前に、控え室の外に六畳ほどの空き場所があるのでそこに好きな花を植えて良い良いという話になったのだ。それも、清少納言の計らいだった。そこで早速、鳳仙花を始め四季折々の花々を植えたの。庭を創る事も、母親仕込みだった事を思い出しながら。これで、この場所で爪紅の液を創り出す事が可能だ。そしてより、一人で浸れる場所も増えた。

……でも、御門の定子様への愛は本物だったのね。素敵だなぁ。私にもそんなお相手に出会えると良いのだけど……

 一条天皇は花山院乱闘事件の際、定子が出家してしまった事に大いに悲しみ、衝撃を受けた。そして軽率な行いをした伊周を激怒していたという。今も塞ぎ込み、定子を恋しがっていると話で道長が辟易しているという話だ。唐突に隆家の姿が思い浮かぶ。慌ててそんな自分を自嘲した。彼には奥方が既に三人いるのだ。今後も増えていくだろう。特殊な一族の自分など、愛人になる事もないだろう。

 一時期、清少納言と深い交流のあった藤原斉信は、もうすっかり道長派に寝返っていて積極的に行事ごとに参加しているという。何となく、自分の父親の姿と重なった。

……もしかして、だけど。伊周様と隆家様が起こした事件て、花山院様にも後ろめたい事で隠したかったみたいだし。そりゃそうよね。ご自身が出家するほど愛した寵姫の異母姉妹である四の君の元に出家した御身分で通っていたとあったら。まぁ、ご自分の愛人の三の君を盗られたと勘違いなさった伊周様も軽率だけれど。でも、前々からそういう噂は流れていたみたいだし、事前に道長様と皇太后様がそう仕向けた、て可能性もあるのよね。そして事件の発覚から道長様の耳に入るのも異常に早かったっていうし。これって、藤原斉信様が一枚絡んでいたりして。だって、当日偶然近くに居合わせて一部始終目撃した、ていうけど偶然にしては出来過ぎてるもの。いずれにしても、宮中は怖いところだわ。魔物より余程怖いと思うの。ね、お母様、藤原斉信様は要注意人物よね……

 文壇でも、彼の事は「裏切り者」として憤慨しているものばかりだ。そして彼と付き合いのあった清少納言も、道長に寝返って出世しようとしている、等と噂されてる。元々彼女は顔が広い。男性からしても頭の回転がはやくて機知に富んだ彼女との会話は格別に楽しいものらしく人気が高い。故に元から中関白家以外の筋、つまり道長ゆかりの者とも親しくなる事も珍しい事ではない。特に源済政みなもとのなりまさ源経房みなもとのつねふさの二人は、彼女が文壇を去る際に行き先を告げた数少ない人物とされている。

……それにしても、皆すごい言いようだこと。伊周様や隆家様の事であんなにきゃあきゃあ言っていたのに、伊周様は女好きでだらしない人、隆家様は武術だけで知性がないだの。それよりも文壇が荒れ放題なのを何とかすべきだと思うのだけど……

 軽くため息をついた。伊周に至っては、体調が悪くて大宰府に行けぬと駄々をこねて抵抗したとか言う話もある。さすがにそれはないだろうと思っていた。文壇の事は、影で独りで嘆いていても始まらない。だから庭の伸び放題の雑草を抜いたり、部屋の隅に溜まった埃などは秘かに目立たぬように取り払ったりしていた。あからさまにやれば、反感を買いかねない。そしたら道長様に寝返って出世しようとしてる、等とやり玉に上げられるのは目に見えていた。元々は宮中に出入り出来る身分ではない自分は、出過ぎた真似は命取りなのだ。首にでもなったら、亡き母を始め、帝や定子にも顔向けが出来ない故、うかつな行動は出来ない。

……今日はポカポカだなぁ。定子様も、清少納言さんと和歌やふみのやりとりをなさりたいだろうし。清少納言さんだってそうだと思うのに。定子様、御子が生まれたら安心して文壇に戻ってらっしゃりたいだろうに。もうとっくに清少納言さんがお休みを頂いてる事は伝わってるだろうな。今こそ、皆が一つになっ文壇を守るべきなのになぁ。清少納言さん、戻って来ないかなぁ。私に、他に出来る事ってないかなぁ……

 穏やかな青空に浮かぶふわふわな雲を眺めながら、何か自分に出来る事はないか考えてみる。

……こんな時、母様ならどうするだろう?……

 凛と佇む母を思い浮かべる。胸の奥と喉の奥がつーんと痛くなり、目の前がみるみる霞む。

……駄目だなぁ。一人になるとすぐ泣いちゃう……

 両袖で顔を覆った。

「あれ? 鳳仙花ちゃん、泣いているの?」

 その時、頭上から柔らかな声が響いた。春の陽射しを思わせる優しい声だ。驚いて顔をあげる。

「あっ!」

 大声をあげそうになるのを必死に耐えた。

「久しいね。この度はお騒がせして申し訳ない」

 ふわっと花が開くような笑みと共に杏のような甘酸っぱい香りがした。

「こ、伊周……様」

 小声で喘ぐようにその名を呼ぶ。空色の狩衣姿に、紺色の烏帽子を被った彼が立っていた。左手には空色の布とおぼしきものを抱えている。少し痩せたようだが、それが儚げで浮世離れした色男に魅せている。

……桃の花精、て男性がいたらこんな感じかしら……

 ボーッと見惚れながら思う。だがすぐに我に返る。

「こ、こんな所に居ては……」

 しっ、と黙るように右手人差し指を伸ばし、鳳仙花の唇に触れた。ふわっと杏の香りが漂う。

「定子の体調があまり良く無いらしくてね。心配だから抜け出して様子を見に来たんだ。その前に、鳳仙花ちゃんがどうしてるか心配になってね。逢えて良かったよ。裏口から、こっそり忍び込んだら見かけてさ。隆家も心配していたよ」

……そんな、これは、夢? 私なんかを、お二人が気にかけてくさるなんて……

「あの、光栄です。気にかけて頂けるなんて。でも、見つかったら……」
「ははは、連れ戻されて厳重注意だろうね。もう今更、どんな噂を立てられようと気にしないよ」

 彼は自嘲の笑みを浮かべた。そして不意に真顔になる。自然に鼓動が跳ねる。

「君に会いに来たのは他でもない。清少納言殿が文壇を離れたと聞いた。それは本当か?」
「は、はい」
「そうか……。定子が寂しがって彼女の事を心配していてね。色々とあらぬ噂を立てられて傷ついたんじゃないか、て。私が言える事じゃないけどさ。もし行き先が分かってたなら……と。これ以上はさすがに私が言う事じゃないな」

 そして懐から桜色の小さな巾着を取り出すと、鳳仙花に差し出した。予想外の出来事に、思考が混乱して何も考えられない。

「裳着の時に贈った薫物、使ってる?」

 悪戯っぽく問いかける。そうしていると少年みたいみ無邪気で幼く見えた。

「あ、いえ。その、勿体無くて」

 正直に答えてしまう自分を不器用で風流の欠片もないつまらない女だと自嘲しつつ。

「ははは、相変わらず素直だね。ま、そこが可愛いいとこでもあるんだけど。これ、あげるね。落ち込んだ時とかしんどい時に炊くといいよ。君を意識して作ったものだから」

 鳳仙花は戸惑いながら両手で巾着袋を受け取る。

「あ、あの、頂いてしまって宜しいのですか?」
「勿論。君にはかっこ悪いとこばかり見せて、あんな事件起こしたりさ。少しは挽回させてよ」
「と、とんでもないです! かっこ悪いだなんて、そんな!」
「しーっ」

 と彼は右手人差し指を己の唇に当てた。陽の光が彼の背後を照らし、本当にまるで青空を纏った桃の花精に見えた。慌てて両袖で唇を覆う。

「すみません。有難うございます」

 気の利い言の葉が紡ぎ出せない自分を恥じる。

「薫物、是非使ってね。香りを纏うと、自然に立ち振る舞いもそれに似合うようになるから。じゃ、ごめんね、色々と。逢えて良かった、有難う! じゃ、行くね!」

 というと彼は花のように微笑み、抱えていた空色の布を頭から被ると、素早く立ち去って行った。女装に近い姿で変装して忍び込んだらしい。甘酸っぱい香りを残して。鳳仙花はしばらくそのまま佇んでいた。

……夢、だったのかな……

 と両手に握り締めている巾着袋を見る。現実だったのだと再確認した。そして、伊周が言いかけたその先を考えた。


『体調が優れない、という理由で東三条家で静養中の定子様の元に、伊周が逃げてきた。すぐに見つかって連行され、大宰府に連れ戻された』

 その日の夕方、鳳仙花の耳に届いた。どうしよもない人だ、という侮蔑の声共に。そしてそれと同時に鳳仙花は、伊周が言いかけたその先を推測、確信した。

……伊周様は、「もし清少納言さんの行き先を知っているのなら、彼女を文壇に連れ戻して欲しい」そう言いたかったんだ……

 と。これから自分が文壇の為、定子の為に出来る事が見えた。そして行く先に、久々に光を見出せた気がした。
 

しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜

旅する書斎(☆ほしい)
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】 文化文政の江戸・深川。 人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。 暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。 家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、 「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。 常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!? 変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。 鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋…… その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。 涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。 これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。

【時代小説】 黄昏夫婦

蔵屋
歴史・時代
 江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。  そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。  秋田藩での仕事は勘定方である。  仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。 ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。   そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。  娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。  さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。    「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。  今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。  この風習は広く日本で行われている。  「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。  「たそかれ」という言葉は『万葉集』に 誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」 — 『万葉集』第10巻2240番 と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。  「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に 「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」 — 『源氏物語』「夕顔」光源氏 と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。  なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。  またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。 漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。  「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。  この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。  それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。  読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。  作家 蔵屋日唱    

楽将伝

九情承太郎
歴史・時代
三人の天下人と、最も遊んだ楽将・金森長近(ながちか)のスチャラカ戦国物語 織田信長の親衛隊は 気楽な稼業と きたもんだ(嘘) 戦国史上、最もブラックな職場 「織田信長の親衛隊」 そこで働きながらも、マイペースを貫く、趣味の人がいた 金森可近(ありちか)、後の長近(ながちか) 天下人さえ遊びに来る、趣味の達人の物語を、ご賞味ください!!

江戸の夕映え

大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。 「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三) そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。 同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。 しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

処理中です...