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第四十六話 二つの華
連理の枝
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「まさか! いくら御門の命とはいえ、そのような非常識な事が許されて良い筈がございませんぞ!」
道長は呆れ返っている。
「やかましい! 吾はここまで御前の言う通りにしてやったのじゃ! 父として最愛の女が産んだ我が娘に逢いたい、そう思うて何が悪い?」
一条天皇は声を荒げた。
「しかし、一度出家したものを還俗させるだけでなく、宮中に呼び寄せるとは……。では、場所はこちらが指定させて頂きます故」
「……仕方があるまい」
このような激しいやりとりをした後、道長は日記にこうしたためている。
『……主上の心情を慮った東三条院・詮子と我、道長は定子様を呼び戻すように働きかけた。そして中宮外相・高階成忠が皇子誕生という吉夢を見たとして躊躇う定子様に宮中に戻りになられるようお勧めした……』(※①)
と。こうして実際の出来事を切り抜き、自らに都合よく書きかえているものと、通常の日記の二通りを彼は書き分けていた。前者はいずれ、いくつかの物語にして誰かに書かせるつもりでいた。
五月五日、端午の節句。京の都中が乾燥蓬や菖蒲の清々しい香りに包まれる頃……。清少納言を始めとした十二人ほどの女房たちが、それぞれ掃除用具やら乾燥蓬やら菖蒲などを手にとある建物の前で立ち止まっていた。その中には鳳仙花も加わっている。
「……だいぶ荒れているわね」
「そりゃ、誰も使ってないもの」
「やっぱり、人を雇ってやって貰った方が……」
「経費が勿体ないし、何よりも定子様のお住まいとなるのだから、私たちの手で綺麗にして差し上げたいじゃない」
「それは確かにそうね」
「取りあえず、掃除から始めちゃいましょ」
「母屋以外、二組対で組んで手分けしてやりましょう。母屋は全員で一斉に乗り込むわよ」
その建物は荒れ果てていて、化け物が棲んでいると言ってもおかしくないほどの洋装である。清少納言の指示の元、女房たちは一斉に作業に取り掛かり始めた。
六月頃、定子が還俗し再び中宮として宮中に戻る事が正式決まった。けれども、定子が戻る場所は清涼殿より遥かに遠い中宮職(※②)の御曹司(※③)となった。そこは後宮と呼ぶにはあまりにも遠く、更には母屋には鬼が住んでいると噂されるほどの不気味な場所で、実際に皇后の寝殿に使用される事は無かったのであるが……。
女房たちは、端午の節句に浄化と厄払いをしてしまおうと、この場所の掃除と整理に乗り出したのである。文壇で端午の節句を行うもの、こちらに来るものと二通りに分けて。
各自てきぱきと掃除をこなし一辰刻(※④)ほどで皆、母屋の前に集まった。
「……不気味だわ。本当に、鬼がいたりしたら……」
一人の女房の声に、皆一斉に頷く。そして各自懐の中から一枚の霊符を取り出した。
「大丈夫よ。事前に占って貰って、『鬼も妖もいない』て出たんだし。魔除けの護符も貰ったし。ただ負の気が漂っているから、明るく楽しい気もちで掃除を徹底しなさい、て言われたじゃない! 気をつけないと」
清少納言は皆を励ますように言った。
「そうね、暗い気もちだとそこに負の気が呼びこまれて本当に鬼や妖を呼び込んじゃう」
「そうよね! 明るく楽しい気分でいかないと」
「皆で一斉に入りましょう!」
そして入った母屋は埃とカビの匂いが鼻をつき、蜘蛛の巣が渦を巻く空間となっていた。早速窓を開け放ち、天井と壁の蜘蛛を外に逃がす事から始められた。
……鬼とか妖とかの魔物なんかよりも、人間の自分勝手な欲望の方がよっぽど怖いと思うんだよなぁ……
と鳳仙花は秘かに思うのだった。
それから定子がその建物に移り住むようになって、夜になると帝の方より人目を憚りながら足しげく通うようになる。しばらくして、あの場所はさすがに遠すぎるからと、清涼殿から近くの場所へと別殿を用意させる事となった。
『一筋の愛、というのはよーく分かったわよ。でもお立場上、お世継ぎの事も考えて頂かないと、ねぇ……』
『普通の感覚でしたら、他の女房との間に男の子を作る、となりますわよねぇ』
『そうですよ。愛だけでは政など出来ませんのに』
『還俗した皇后なんて、聞いた事がありませんのに、その上御門ご自身が密かにお通いになるなんて……』
鳳仙花が他の部署で磨爪術をしていると、必ずこの話題が出てくる。それだけ、世間の風当たりが強い事が窺い知れた。同時に帝の定子への愛が固く揺るぎないものであるという事を世に知らしめた事にもなった。
……天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん(※⑤)、まるで玄宗皇帝と楊貴妃みたいなお二人。私もあんな風に愛されてみたいなぁ……
鳳仙花は秘かに憧れを抱いていた。
(※① 栄華物語より)
(※② 中務省の中宮つきの役所)
(※③ 貴族や殿上人などの私室を敬っていう言葉)
(※④ 約二時間ほど)
(※⑤ 唐の詩人白楽天の長編叙事詩「長恨歌」の中の有名な一節。安碌山の乱が起きて都落ちすることになった玄宗皇帝が最愛の楊貴妃に語ったとされている)
道長は呆れ返っている。
「やかましい! 吾はここまで御前の言う通りにしてやったのじゃ! 父として最愛の女が産んだ我が娘に逢いたい、そう思うて何が悪い?」
一条天皇は声を荒げた。
「しかし、一度出家したものを還俗させるだけでなく、宮中に呼び寄せるとは……。では、場所はこちらが指定させて頂きます故」
「……仕方があるまい」
このような激しいやりとりをした後、道長は日記にこうしたためている。
『……主上の心情を慮った東三条院・詮子と我、道長は定子様を呼び戻すように働きかけた。そして中宮外相・高階成忠が皇子誕生という吉夢を見たとして躊躇う定子様に宮中に戻りになられるようお勧めした……』(※①)
と。こうして実際の出来事を切り抜き、自らに都合よく書きかえているものと、通常の日記の二通りを彼は書き分けていた。前者はいずれ、いくつかの物語にして誰かに書かせるつもりでいた。
五月五日、端午の節句。京の都中が乾燥蓬や菖蒲の清々しい香りに包まれる頃……。清少納言を始めとした十二人ほどの女房たちが、それぞれ掃除用具やら乾燥蓬やら菖蒲などを手にとある建物の前で立ち止まっていた。その中には鳳仙花も加わっている。
「……だいぶ荒れているわね」
「そりゃ、誰も使ってないもの」
「やっぱり、人を雇ってやって貰った方が……」
「経費が勿体ないし、何よりも定子様のお住まいとなるのだから、私たちの手で綺麗にして差し上げたいじゃない」
「それは確かにそうね」
「取りあえず、掃除から始めちゃいましょ」
「母屋以外、二組対で組んで手分けしてやりましょう。母屋は全員で一斉に乗り込むわよ」
その建物は荒れ果てていて、化け物が棲んでいると言ってもおかしくないほどの洋装である。清少納言の指示の元、女房たちは一斉に作業に取り掛かり始めた。
六月頃、定子が還俗し再び中宮として宮中に戻る事が正式決まった。けれども、定子が戻る場所は清涼殿より遥かに遠い中宮職(※②)の御曹司(※③)となった。そこは後宮と呼ぶにはあまりにも遠く、更には母屋には鬼が住んでいると噂されるほどの不気味な場所で、実際に皇后の寝殿に使用される事は無かったのであるが……。
女房たちは、端午の節句に浄化と厄払いをしてしまおうと、この場所の掃除と整理に乗り出したのである。文壇で端午の節句を行うもの、こちらに来るものと二通りに分けて。
各自てきぱきと掃除をこなし一辰刻(※④)ほどで皆、母屋の前に集まった。
「……不気味だわ。本当に、鬼がいたりしたら……」
一人の女房の声に、皆一斉に頷く。そして各自懐の中から一枚の霊符を取り出した。
「大丈夫よ。事前に占って貰って、『鬼も妖もいない』て出たんだし。魔除けの護符も貰ったし。ただ負の気が漂っているから、明るく楽しい気もちで掃除を徹底しなさい、て言われたじゃない! 気をつけないと」
清少納言は皆を励ますように言った。
「そうね、暗い気もちだとそこに負の気が呼びこまれて本当に鬼や妖を呼び込んじゃう」
「そうよね! 明るく楽しい気分でいかないと」
「皆で一斉に入りましょう!」
そして入った母屋は埃とカビの匂いが鼻をつき、蜘蛛の巣が渦を巻く空間となっていた。早速窓を開け放ち、天井と壁の蜘蛛を外に逃がす事から始められた。
……鬼とか妖とかの魔物なんかよりも、人間の自分勝手な欲望の方がよっぽど怖いと思うんだよなぁ……
と鳳仙花は秘かに思うのだった。
それから定子がその建物に移り住むようになって、夜になると帝の方より人目を憚りながら足しげく通うようになる。しばらくして、あの場所はさすがに遠すぎるからと、清涼殿から近くの場所へと別殿を用意させる事となった。
『一筋の愛、というのはよーく分かったわよ。でもお立場上、お世継ぎの事も考えて頂かないと、ねぇ……』
『普通の感覚でしたら、他の女房との間に男の子を作る、となりますわよねぇ』
『そうですよ。愛だけでは政など出来ませんのに』
『還俗した皇后なんて、聞いた事がありませんのに、その上御門ご自身が密かにお通いになるなんて……』
鳳仙花が他の部署で磨爪術をしていると、必ずこの話題が出てくる。それだけ、世間の風当たりが強い事が窺い知れた。同時に帝の定子への愛が固く揺るぎないものであるという事を世に知らしめた事にもなった。
……天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん(※⑤)、まるで玄宗皇帝と楊貴妃みたいなお二人。私もあんな風に愛されてみたいなぁ……
鳳仙花は秘かに憧れを抱いていた。
(※① 栄華物語より)
(※② 中務省の中宮つきの役所)
(※③ 貴族や殿上人などの私室を敬っていう言葉)
(※④ 約二時間ほど)
(※⑤ 唐の詩人白楽天の長編叙事詩「長恨歌」の中の有名な一節。安碌山の乱が起きて都落ちすることになった玄宗皇帝が最愛の楊貴妃に語ったとされている)
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