「磨爪師」~爪紅~

大和撫子

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第四十七帖 二つの華

月の光と玉響の風・壱

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 抜けるような青空を見上げ、黄金色こがねいろに生い茂った銀杏の木に背を預け溜息をつく男。見かけは長身細身であるが、二藍の直衣のうしに包み込まれ、鍛え上げられた屈強なる身を隠し持つ。黄金色の葉の隙間より零れ落ちる陽光は男の整った顔立ちをより際立たせ、強い光を宿す漆黒の双眸に深い艶を見せる。烏帽子より解れ落ちた髪が、この男がいかなる逆境に立とうとも『こころたましひ』(※①)を失わない意志を感じさせる。男はふと何かの気配を感じ取り、後方に顔を向けた。

「……敦也か」

 男は小さく呟いた。草色の直垂に身を包んだ男が、颯爽と近づいて来る。腰に差している刀からみて、恐らく武士であろう。武士と聞くと武骨で頑健なる大柄な男を想像しがちであるが、この者もまた美丈夫の類として表現出来よう。その男は近づいてくるなり一礼し、声をかける。

「隆家様、こちらにいらしたのですね」

 あるじの姿を見て、ほっとしたように笑顔を見せる。

みやこに戻って来たのは良いが、退屈だな。兵部卿ひょうぶきょう(※②)とは名ばかりで、行事ごと以外にはさして出番もないという……」

 隆家は苦笑を浮かべた。

「隆家様、滅多な事は……」
「分かってるさ。いくらワシとて、これ以上姉上に負担をかける訳には行かぬ事くらい分かっておる」

 安堵の表情を浮べる敦也に、隆家は苦笑する。

『まぁ、中納言の時よりは遣り甲斐はあるな。書類相手の御公卿仕事は飽き飽きしてしまうからな』

 隆家は誰にも聞こえぬような声で本音を呟く。

「はい?」
「いや、何でもない。そろそろ行くか」
「ええ、そろそろ出仕の刻でございます」

 隆家は敦也を従え、その場を後にした。

 花山院乱闘事件の後。伊周は大宰権帥に、隆家を出雲権守に左遷され漸く赦され舞い戻って来てから一年が過ぎようとしていた。戻ってきてすぐに姉の定子を見舞ったところ、既に兄の伊周が来ていた。どうやら頻繁にこっそりと様子を見に来ていたようだ。何度か見つかって連れ戻される騒ぎを引き起こしている事は音(※③)に聞いてはいた。伊周なりに、後ろ盾のない妹が気掛かりで仕方が無いのだろう。隆家にはその気もちはよく理解出来た。父が亡き後、中関白家の栄華が影る事無きよう、伊周なりに足掻いた結果……定子を出家という形に追い詰めてしまったという皮肉も。何よりそれに加担した己の事も。
 けれども、隆家には一縷の希望があった。一条天皇が定子にかける一途な愛に。それは、定子が第一皇女を身ごもった後、還俗させ後宮に呼び戻したという結果で示された。賭けでもあった為、それを伝え聞いた際は漸く人心地ついたものだ。

 そして姉を見舞って更に確信した事がある。定子の目に強い光が宿し、彼女はこう言った。

「私は負けません!」

 と。一言きっぱりと口にしただけであったが、それで全てを悟った。彼女は帝との世継ぎを産む決意をしている。そうする事で、伊周や隆家、そしてひいては中関白家の再起をはかろうとしてるのだ!
 当然それを快く思わない道長が、自慢の長女彰子と共にもう一人才色兼備と言われている女性を共に女御として入内させている。それには全く目もくれず、帝は定子ただ一人を寵愛し続けた。

 そう言った状況からみて、隆家も大人しく与えられた責務を全うし波風を立てぬようにせねば、と肝に命じていた。幼き頃より心のどこかで疼く、この身が激しく燃ゆるほどの情熱に魂を捧げたいという未だ正体不明の炎を胸の奥深くに封じ込めて。

 戻ってきて次に逢いに行ったのは、留守を守り抜いてくれた正妻をはじめとした妻たちの元である。彼女たちを労ってやらねばならない。
 しかし、何より気になっていたのは……小柄で華奢な体に、全てを背負って宮中で生き抜こうとする穢れなき乙女の存在……。

「……そう言えばつい先日、鳳仙花様は紅様の後を引き継いで定子様の磨爪師となられたと伺いました。喜ばしい事にございますね」

 敦也の言の葉、一瞬己の考え事が筒抜けになったのかとギョッとする。だが、すっかり健康を取り戻した定子の事を喜んでいたついでに出た話題だった事にホッとした。

「そうだな。紅殿は姉上と関わりの深かったし。一人残された娘御の事は案じてはいたから、良き流れが来たようで良かった」

 何でもない事のように答える。鳳仙花とは何の契りも交わしていない。そして彼女自身、己に対して特別に何かを期待している様子も見受けられ無かった。出来れば男として彼女を援助してやりたい。だが、そう名乗り出るにはまだまだ己の地位は危うく、彼女も色恋沙汰に関心が無さそうだ。時期を待たねば、そう思っていた。一時期文壇より遠ざかっていた清少納言の元に鳳仙花が内密に訪問する、と源経房より知らせを受けた。それにより、敦也を警護につかせた事に思いを馳せる。五日ほどの時を鳳仙花と過ごした事になる彼に、旅の様子を聞いたところ、

「……鳳仙花様は、まるで『白き蓮の花』のような御方ですね」

 と、夢見るように表現した敦也に、嫉妬の念を覚えた己の器に小ささに自嘲したものだ。
隆家は未だ、鳳仙花への気もちが異性の色恋に生ずるものなのか、それとも放っておけないという憐憫の情から発せられる妹に対してのものなのか分かり兼ねていた。


 時を同じくして、その頃……。文壇の詰所で女房たちに磨爪術を施術していた鳳仙花の元に、一通のふみが届けられていた。






(※① 気概)
(※② 兵部省の長官)
(※③ 噂。風の便り)
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