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第四十七帖 二つの華
月の光と玉響の風・四
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黒炭を思わせる暗闇の中を、二十体近くの松明が道を作るように照らし出す。山道を下る牛車がゆっくりと慎重に進んでいく。ほぼ満月に近い月は白く輝き木々や繁みなど微かに浮かび上がらせ、闇に奥行きを与える。
物見が開け放たれた牛車内。月明りで物憂げに虚空を見上げる鳳仙花が仄かに浮かび上がる。
『せめて今宵くらいは泊まって行きなさい。夜道は危ないし。こんな山奥だ、盗賊が出るかも知れぬ。それに、ご馳走も用意させているのに』
そう言って引き留める父親を半ば強引に振り切って引き上げてきた。それならば自らが送る、と共に牛車に乗ろうとまでした。
『お気持ちはとても有り難いし嬉しいのですが、今や母の形見となってしまった邸をあまり空ける事はしたくありません。それに、権中納言様からお貸し頂いた牛車は男車ですし。お借りした従者たちは実戦経験豊富だと伺っております。ですから何の心配もございません。それに、こうして心配してくださっている事はよく伝わりました。此度は、互いに良い余韻を残したままお別れする方が今後に繋がり易い、そう思うのです』
正直に思いを告げたところ父親は寂しそうな笑みを浮かべるとこう言った。
『そうだな、お前からしてみたら……今までずっと放置していて今更親子のようにさせて貰おうなんて虫が良すぎるな。こうして少しずつ会話が出来るようになっただけでも嬉しいのだ。これから少しずつ、お前の信頼を得ていく為にも、そうすべきなのかもしれないな』
その後の雅俊は、「あれも持っていきなさい。あ、そうだ、これも! これも……」布や唐菓子、乾燥果物に酒などを牛車内に運ばせたのだった。
……車内が物で溢れ返ってる。これでは二人分、人を乗せてるのと変わらないわね……
物見から差し込む月明りに照らされた品々は、とても優しく柔らかな物に見えた。
……強飯まで持たせて。これでは父様のお夕飯が無くなってしまったのではないかしら……
ふふふ、と可笑しそうに小声で笑う。そんな自分に戸惑いながらも、父親への悪感情が薄れて来ている事を自覚していた。
……ねぇ、母様。もしも、もしもだけれどね。今後、そうならないように気をつけるけれど。もしも、もしも本当に困った時。父様を頼ってみても良いかしら? でも、こう言うのって言霊になっても困るから、声に出さずとも思う事自体も気をつけないといけないのだけれど……
月が出ているであろう場所に向かって、母親に心の中で話しかける。
ーーーーあなたはあなた、私は私。あなたが思うように生きなさい。その代わり、自分で決めた事ならその結果がどうであろうと、人や周りのせいにしない事!ーーーー
生前、母親がそう諭していた声が甦る。
ーーーーあなたが生きたいように生きなさいーーーーー
母親が、そう言って笑う母の幻が、夜空に浮かんだ気がした。
同じ時、牛車内の物見から夜空を見上げる隆家は、自らを振り返り苦笑していた。
(……情熱が赴くままに、牛車を用意させてしまったが。単身で馬にでも乗ってきた方が良かったのではないか? 訪問すると正式に文を出した訳でもないのだ。行ってみても本人は不在かも知れぬのに。仮に、居たとしてもまさに垣間見るのみ。まるで、恋初め(※)の君に会いに行く初心な少年、という感じではないか……)
自邸で月を眺めていたら、「月読命」と例えてくれた鳳仙花の事が思い出され、今すぐ会いたい! 突き動かされるような強い衝動に任せて、気づいたら牛車を走らせていたのだった。時間を経て、夜風の冷たさを感じると同時に次第に冷静さを取り戻していく。そうなると、己の浅慮な行動に自嘲せざるを得なかった。
(隆家様は、鳳仙花様を訪ねるとおっしゃった。垣間見るだけだと……。もしや妻のお一人になさるおつもりだろうか? それなら良いが……)
松明を片手に、牛車の隣に寄り添うようにして馬を走らせる敦也もまた、複雑な想いに囚われていた。
(付き添う従者達は、お忍び精鋭部隊。元服を迎えられて恋に目覚められた時から、恋人、奥様達の元に通う際に組まれる面子だ。……だとすれば、新たな恋のお相手とみるべきか? しかし、隆家様は女性にいい加減なお気持ちで浮名を流す御方ではない。そう考えると、やはり妻のお一人と考えておられるのだろうか。だが……)
敦也は徐に月を見上げた。彫りの深い顔立ちが、より一層際立つ。きりりと整えられた濃い眉根を潜め、限りなく黒に近い鳶色の瞳に憂いの影が揺らめく。思慮深く引き結ばれた唇がわずかに歪み、この男が悲痛な決意を固めた事を物語る。
(……もし、お戯れのおつもりであるなら……。この私が、お止めせねばなるまい)
敦也は、月に誓いを立てるようにして大きく頷いた。
(あのように純真で穢れなき、白い蓮の化身のような御方を無体に傷つけるような真似は、絶対にさせてはならぬ。それが例え、生涯忠誠を誓った我が主だったとしても)
そして彼は、迷いを振り切るようにして馬の手綱を大きくふり、牛車を引く従者たちの先頭へと走り出た。
(……鳳仙花さんに、定期的に磨爪術をして頂きたいわ。でも、定子様の文壇との兼ね合いもあるでしょうし。困らせるような立場にはしたくないわ。何か良い方法はないかしら……)
その頃、彰子は寝所で横になりながら色々と思考を巡らせていた。
月は冴え冴えと白く輝き、地上のあらゆるものをほの白く照らし出す。夜は音もなく、ただその翼を広げていく。
(※ 初恋)
物見が開け放たれた牛車内。月明りで物憂げに虚空を見上げる鳳仙花が仄かに浮かび上がる。
『せめて今宵くらいは泊まって行きなさい。夜道は危ないし。こんな山奥だ、盗賊が出るかも知れぬ。それに、ご馳走も用意させているのに』
そう言って引き留める父親を半ば強引に振り切って引き上げてきた。それならば自らが送る、と共に牛車に乗ろうとまでした。
『お気持ちはとても有り難いし嬉しいのですが、今や母の形見となってしまった邸をあまり空ける事はしたくありません。それに、権中納言様からお貸し頂いた牛車は男車ですし。お借りした従者たちは実戦経験豊富だと伺っております。ですから何の心配もございません。それに、こうして心配してくださっている事はよく伝わりました。此度は、互いに良い余韻を残したままお別れする方が今後に繋がり易い、そう思うのです』
正直に思いを告げたところ父親は寂しそうな笑みを浮かべるとこう言った。
『そうだな、お前からしてみたら……今までずっと放置していて今更親子のようにさせて貰おうなんて虫が良すぎるな。こうして少しずつ会話が出来るようになっただけでも嬉しいのだ。これから少しずつ、お前の信頼を得ていく為にも、そうすべきなのかもしれないな』
その後の雅俊は、「あれも持っていきなさい。あ、そうだ、これも! これも……」布や唐菓子、乾燥果物に酒などを牛車内に運ばせたのだった。
……車内が物で溢れ返ってる。これでは二人分、人を乗せてるのと変わらないわね……
物見から差し込む月明りに照らされた品々は、とても優しく柔らかな物に見えた。
……強飯まで持たせて。これでは父様のお夕飯が無くなってしまったのではないかしら……
ふふふ、と可笑しそうに小声で笑う。そんな自分に戸惑いながらも、父親への悪感情が薄れて来ている事を自覚していた。
……ねぇ、母様。もしも、もしもだけれどね。今後、そうならないように気をつけるけれど。もしも、もしも本当に困った時。父様を頼ってみても良いかしら? でも、こう言うのって言霊になっても困るから、声に出さずとも思う事自体も気をつけないといけないのだけれど……
月が出ているであろう場所に向かって、母親に心の中で話しかける。
ーーーーあなたはあなた、私は私。あなたが思うように生きなさい。その代わり、自分で決めた事ならその結果がどうであろうと、人や周りのせいにしない事!ーーーー
生前、母親がそう諭していた声が甦る。
ーーーーあなたが生きたいように生きなさいーーーーー
母親が、そう言って笑う母の幻が、夜空に浮かんだ気がした。
同じ時、牛車内の物見から夜空を見上げる隆家は、自らを振り返り苦笑していた。
(……情熱が赴くままに、牛車を用意させてしまったが。単身で馬にでも乗ってきた方が良かったのではないか? 訪問すると正式に文を出した訳でもないのだ。行ってみても本人は不在かも知れぬのに。仮に、居たとしてもまさに垣間見るのみ。まるで、恋初め(※)の君に会いに行く初心な少年、という感じではないか……)
自邸で月を眺めていたら、「月読命」と例えてくれた鳳仙花の事が思い出され、今すぐ会いたい! 突き動かされるような強い衝動に任せて、気づいたら牛車を走らせていたのだった。時間を経て、夜風の冷たさを感じると同時に次第に冷静さを取り戻していく。そうなると、己の浅慮な行動に自嘲せざるを得なかった。
(隆家様は、鳳仙花様を訪ねるとおっしゃった。垣間見るだけだと……。もしや妻のお一人になさるおつもりだろうか? それなら良いが……)
松明を片手に、牛車の隣に寄り添うようにして馬を走らせる敦也もまた、複雑な想いに囚われていた。
(付き添う従者達は、お忍び精鋭部隊。元服を迎えられて恋に目覚められた時から、恋人、奥様達の元に通う際に組まれる面子だ。……だとすれば、新たな恋のお相手とみるべきか? しかし、隆家様は女性にいい加減なお気持ちで浮名を流す御方ではない。そう考えると、やはり妻のお一人と考えておられるのだろうか。だが……)
敦也は徐に月を見上げた。彫りの深い顔立ちが、より一層際立つ。きりりと整えられた濃い眉根を潜め、限りなく黒に近い鳶色の瞳に憂いの影が揺らめく。思慮深く引き結ばれた唇がわずかに歪み、この男が悲痛な決意を固めた事を物語る。
(……もし、お戯れのおつもりであるなら……。この私が、お止めせねばなるまい)
敦也は、月に誓いを立てるようにして大きく頷いた。
(あのように純真で穢れなき、白い蓮の化身のような御方を無体に傷つけるような真似は、絶対にさせてはならぬ。それが例え、生涯忠誠を誓った我が主だったとしても)
そして彼は、迷いを振り切るようにして馬の手綱を大きくふり、牛車を引く従者たちの先頭へと走り出た。
(……鳳仙花さんに、定期的に磨爪術をして頂きたいわ。でも、定子様の文壇との兼ね合いもあるでしょうし。困らせるような立場にはしたくないわ。何か良い方法はないかしら……)
その頃、彰子は寝所で横になりながら色々と思考を巡らせていた。
月は冴え冴えと白く輝き、地上のあらゆるものをほの白く照らし出す。夜は音もなく、ただその翼を広げていく。
(※ 初恋)
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