「磨爪師」~爪紅~

大和撫子

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第四十七帖 二つの華

月の光と玉響の風・五

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「あらあらあら、こんなに沢山……」

 着くなり迎えに出た保子は目を丸くした。続いてやって来た侍女たちと邸内へ運び込む。鳳仙花と保子は、送って来てくれた雅俊の従者達が帰って行くのを見送った。

「さて、今日はもう夜も遅いですし。急なお出かけで色々お疲れでしょう。整理などはこちらに任せて、このままゆっくりお休みなさいまし」
「うん、そうさせて貰おうかな。色々考えないといけない事もあるのだけれど、明後日までお仕事お休みだし。また明日考える」

 大方の事は悟っているであろう保子の気遣いに、鳳仙花は素直に従う。自室に戻って自分の荷物を置くと、少しだけ庭を眺めたくなった。何となく、月明かりに輝く庭が見たくなったのだ。
 釣殿の縁に佇む。秋の虫たちの澄んだ声が心地良い。生憎、月は鼠色の雲に隠れてしまった。庭は闇に呑み込まれ、光の届かない海の底のようだ。さわさわと、微かな風に身を任せる草木や花々の音が耳に優しい。庭の周りを取り囲むようにして生えるすすきが、サラサラと軽やかな音を立てる。そっと目を閉じた。

……父様は、本当に私の事を心配してくださってるのだろうか? 信じても大丈夫なのだろうか? 私はどうしていくべきだろう?……

『もし火急に私の助けが欲しくなったら……そうだな、ふみの表側の名を記すところに「鳳凰」と書いてくれたら良い』
『……鳳凰、ですか?』
『あぁ、「鳳仙花」の文字より思い付いた』

 父親との会話の断片が甦る。

……考えれば考えるほど、私自身の本当の気持ちが見えなくなる……

『宮中は恐ろしいところだ。……私のように、なったら駄目だ……』

 不意に絞り出すように悲痛な心情を吐露した、伊周の声が思い出される。

……私はどうしたいのか? 考えないで、感じてみよう。誰がどうとか、立場がどうとかではなく……

 虫の歌声と、木々や草木そして芒が風に揺れる音が、次第に雑念をはらい無心の状態へと導く。


 鳳仙花の邸より少し離れた場所に待機する網代車。松明を片手に、あるじを静かに待つ従者たち。隆家は敦也を従え、邸に近付いていた。月が陰った今、敦也の持つ松明を頼りに、草地を歩く。

(……果たして、鳳仙花殿は居るだろうか? この目に垣間見る事は出来るだろうか? そして月は再び顔を出すだろうか?)

 邸の灯りと、邸を取り囲む透垣すいがい(※①)が薄っすらと見えてくるにつれ、鼓動が高まる。大地を踏みしめて歩いている筈が、さながらうず高く盛られた柔らかな若い草の上を歩いているかのようだ。

(恋を初めて知った少年のようだな……今宵、何度そう感じた事か)

 牛車の中より今までで、何度めか数えきれないほどの自嘲の笑みを漏らす。あるじの一歩後ろを歩き、松明で道を照らしながら、敦也は思う。

(……月が雲隠れしても、見極めねば。隆家様の思いが、まことなるものか、それとも戯れか……)

 一足ごとに、緊張感で足元が強張る。あるじに逆らう事など、謀反の罪に問われ兼ねない。けれども、隆家は何時如何いついかなる時も、自らの筋を通す事を信条にしている。部下も、それに倣うのが筋道を通す事だと敦也は思う。松明を持つ右手に、力を込める。

 ちょうど釣殿と庭を見渡せる位置の透垣が目前に迫る。隆家は軽く右手を挙げた。敦也は静かに松明を下げると、予め手にしていた濡布でサッと焔を覆う。灯りは瞬時に消え、白みがかった灰色の煙が細く天にたなびく。遣り水の流れがちょろちょろと響く。虫時雨と静かなる闇が広がる中、暗がりに眸が慣れるのをしばし待つ。やがて邸内より僅かに漏れる灯りで、透垣の位置と邸内の庭、そして草木がボーッと微かに白っぽく浮かび上がる。高鳴る鼓動を抑えつつ、隆家は透垣すれすれに近付いた。敦也は寄り添うようにして後を追う。隆家は指先まで鼓動が伝わる程に、震える指先で透垣に触れる。

(鳳仙花殿……)

 祈るような思いで隙間より垣間見る。思わず大きく息を呑みこんだ。釣殿の縁に、ふわりと浮かびあがる仄白い影。恐らく、鳳仙花であろうとトクンと鼓動が跳ね上がる。よく目を凝らして見ようと額を透垣に擦りつけるようにして見つめる。その時、サッと雲が破れ、隙間より月光が差し込んだ。

(これは……何と……)

 隆家は息を呑んだ。月の光は、瞬時に釣殿の縁に瞳を閉じて空を見上げる鳳仙花の姿を映し出した。清流のように真っすぐに流れる漆黒の髪が、見事な艶を放つ。青みがかって見えるほどに抜けるような白い肌。女郎花の襲が、紅梅の蕾のような唇を艶やかに引き立てる。薄紅の頬に影を落とす程に長い睫毛。月の光を浴びて、全身に白玉しらたま(※②)の光で作られた羽衣で包み込まれているように見えた。

(何と……神秘的な……)

 月明かりの元、闇の水面より咲き誇る白き蓮の花を思わせた。敦也が、彼女をそう表現した理由が分かる気がした。同時に、胸の奥にどす黒い嫉妬の炎が燻る。

 気まぐれな、一陣の風が吹いた。隆家は我に返る。その時、

……この香り、隆家様?……

 風に乗って、鳳仙花の元に若草の香りがあ届いた。その香りの元を辿ろうと眸を開けた瞬間、月が影る。瞬く間に元の闇が訪れた。広がる静寂が、虫時雨に際立つ。

 悲し気に笑みを浮かべ、静かに立ち尽くす隆家。そんなあるじの一部始終を静観していた敦也は確信した。


(これは、隆家様御自身にもままならぬ、まことに純粋なる想いなのだ)

 と。しばし、そのままあるじを見守り続けた。

……まさか、隆家様が? お近くに?……

 再び訪れた闇の中、鳳仙花は胸を躍らせるのだった。

 



(※① 竹や板を透かせるようにして造った垣根。当時は顔を見せないやんごとなき女性。一目でも見ようと、男たちはこぞって覗き見を試みた)
(※② 真珠)
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