12 / 51
第四話
狛……兎???【二】
しおりを挟む「そちらが、所謂結婚指輪と呼ばれるものです」
彼はそう言いながら、両手で黒のベルベッドの小箱を差し出す。タロットカードのアドバイス、『吊るされた男』のアドバイスに従い素直に受け取る。つい先ほど、契約書とやらを読まされた上にサインをしたところだ。
まぁ、あたしにとっては破格過ぎるほどの待遇だったので。彼の『想い人』とやらが無事に見つかってお払い箱にされるまでの間に、老後の資金としてしっかりとお金を貯め込もうと決意したのだが。
「宜しければ開けてお手に取ってみて下さい。出来たら、馴染ませる為にも今すぐに身につけて頂けましたら」
頷いて肯定の意を示し、小箱の蓋をゆっくりと開ける。開けながら、ほんの少しだけ迷いが生じる。この迷いを無視すると……後々に罪悪感などという非常に頓珍漢で自意識過剰な感情が芽吹きそうだ。幼き時からの経験上、こう言った感情をそのまま放っておくとロクな事にならない。
「あの!」
思い切って疑問を口に出すべきだ、そう判断し口を開いた。
「どうしました?」
優しく尋ねてくれる。うん、きっとこういう優しさを、自分への好意だと勘違いしてしまう輩がこの人を追いかけ回したり過剰なアプローチをしたりするのだろうな。
「はい、もし紫柳さんの……」
「あぁそうそう、私の事はどうぞ粋蓮と呼んでくださいませ」
「え? そんな!」
(いやぁ無理です、て。付き合ってもいない、しかも初対面の人を名前で呼び捨てなんて!)
「形だけとは言え夫婦なのですから。苗字で呼ぶのは不自然ですよ」
「でも……」(あぁ、それは確かにそうだけど……)
「何事も慣れ、特に最初が肝心です」
「あ、はい。そうですね」
(まぁ、反抗する理由もないし、ま、いいか。話も進まないしね)
「えーと、では早速!……えーと……あの、す、すい……すい」
(ちょっと! あたし、何どもってしどろもどろになってるのよ?!)
心なしか、顔も熱く感じてきた。まさか、赤くなっているのではないでしょうね?! 彼はそんなあたしの事を茶化す事もなく、穏やかな笑みを浮かべて見守ってくれている。一度だけ深呼吸をして、仕切り直しだ!
「す、すい……すいれ、すい……」
(頑張れ、自分! お名前を呼び捨てにするだけなんだから。そもそも何を恥ずかしがってるのだろう? お花のスイレンだと思ってサラッとさ)
「すいれ……ん、粋蓮……さ」
「どうぞ呼び捨てで」
「スイ、レ……ン」
「頑張って!」
「粋、蓮。粋蓮!」
言えた! 思わずガッツポーズが出てしまう!
「言えましたね!」
彼も嬉しそうな笑みを向けてくれた。とても思いやり深い人なのだろう。
「はい、有難うございます」
(んー? 礼を言う場面なの……か?)
「では私も。何ですか? 妃翠さ……ひ、ひす……い」
(あら? どうしたのかしら? 喉でも乾いて上手く話せないのかな?)
彼は右手で口元をおさえ、あたしの名を呼ぼうとしている。気のせいか、顔が薄っすらと赤みが差しているような? ……これは気のせいだな。
「ひ、ひす……妃翠」
彼はホッとしたように軽く息をついた。視線がかち合う。綺麗なオリ-ブグリーンの瞳がキラキラと輝いた。どちらからともなく微笑み合う。
「結構、照れるものなのですね?」
と彼は言う。
「はい、そうですね」
と応じながら、小箱の中に視線を落とした。ごくシンプルなシルバーリングが、黒いベルベットの中に鎮座している。それは少し幅広で、上品な輝きを放っていた。
「日常的に身につけて頂けるよう、プラチナです。サイズはぴったりだと思いますよ」
あ、そうだ。嵌める前に聞いておかないと。
「それで、これを嵌めるのは良いのですが……」
(形だけだしね)
「先ほど言いかけた事ですね? どうしました?」
「はい、もしその……『想い人』の方が……」
(緊張しているのか、変な日本語だな)
「見つかった時、この指輪を見たらご不快に思われるのでは?」
彼は一瞬キョトンとすると、意味有りげに笑みを浮かべた。
「ご心配なく。彼女はそのような狭量ではありません。事情もすぐに理解を示すでしょう」
「あ、なるほど」
随分、深く想い合っているのね。それじゃ嵌めてみますか。少しひんやりするそれを右手に取り、嵌めてみる。するりと左手薬指におさまった。
「ぴったりのようですね」
「はい」
「では私も…」
と彼は右ポケットから黒いベルベットの小袋を取り出し、右手で中のリングを取ると流れるように左手薬指に嵌めた。私のリングより幅が広いようだ。なんだか少しだけ左薬指がくすぐったい気がする。
その時、サッと目の前を横切った薄茶色の塊が見えた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
死んだはずの貴族、内政スキルでひっくり返す〜辺境村から始める復讐譚〜
のらねこ吟醸
ファンタジー
帝国の粛清で家族を失い、“死んだことにされた”名門貴族の青年は、
偽りの名を与えられ、最果ての辺境村へと送り込まれた。
水も農具も未来もない、限界集落で彼が手にしたのは――
古代遺跡の力と、“俺にだけ見える内政スキル”。
村を立て直し、仲間と絆を築きながら、
やがて帝国の陰謀に迫り、家を滅ぼした仇と対峙する。
辺境から始まる、ちょっぴりほのぼの(?)な村興しと、
静かに進む策略と復讐の物語。
おばさんは、ひっそり暮らしたい
波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。
たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。
さて、生きるには働かなければならない。
「仕方がない、ご飯屋にするか」
栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。
「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」
意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。
騎士サイド追加しました。2023/05/23
番外編を不定期ですが始めました。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~
深冬 芽以
恋愛
交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。
2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。
愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。
「その時計、気に入ってるのね」
「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる