欲しいのは林檎とあなた

天嶺 優香

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七 狂気の理由

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「……あの女、失敗したのか」
 ギギ、と薄汚れた石の床に爪を立てて悔しがる。まさか、ローテスに指示をしたのはこの人物か。
 牢屋にいる人物──話し口調からして女──を、ゼイヴァルは睨みつける。
「なぜローテスを殺した」
「サプライズだよ。生き延びた幸運なお妃様の為に特別に用意したの」
 それだけのためにローテスを殺したというのか。部屋の前に飾りつけ、絶叫を誘いたかったからか。
「だいたいここの看守も甘いね。こんなあたしでも籠絡できるんだからね。まだまだ捨てたもんじゃない」
 そんな事より、と言葉を続ける女の声が、不気味な程低くなった。
「あの子をどこにやったの」
「さあ。心当たりがないね」
 ゼイヴァルがそう返した途端、うずくまっていた固まりが一気に立ち上がって鉄格子を掴んだ。
「ふざけんじゃないよ! あの子をどこにやった! あたしの子! あたしの可愛い子を!」
 手入れされていない長髪を振り乱し、目を充血させて睨む形相は、人間ではなく見える。
「返せ! 返せ返せ返せ! チェティットを返せ!」
──チェティット?
 確か、前に庭で会った子供の事を、ゼイヴァルがそう呼んでいたはずだ。
 訳が分からず隣にいるゼイヴァルに聞こうと彼の腕を引いた──刹那、鉄格子の扉を開けて出た女が鋭い刃物を手に持ってゼイヴァルに向かってきていた。
「っ!」
 女の手に持つ短刀が深々と彼の体に刺さるのを見て、アランシアは声も出せずに固まった。
 牢屋の鍵はきちんと施錠されていないのは何故か。短刀はどうやって手に入れたのか。籠絡して牢屋を抜け出せるならそれらを準備している事だって可能なはず。──女は、万全の準備をしてゼイヴァルが来るのを待っていたのだ。
 動揺とは裏腹に、頭は冷静に分析していく。
 ゼイヴァルは刺された痛みにうめき声を漏らし、腰に下がった剣を鞘から引き抜く。
 苦しむゼイヴァルの様子を恍惚した表情で見る女に向けて一気に振り下ろす。
 女の顔色は一瞬で変わった。まさか動けるとは思っていなかったのだろう。
 自分の首めがけて容赦なく振り下ろされる刃に──
「目を閉じていろ!」
 鋭い声に思わずアランシアは目を閉じた。
 視界が遮られて、やけに明瞭に、何かが床に落ちた音が耳にこだます。恐らくは、女の首。そして次に、首を失った体が倒れる音。
 いつ目をあけてもいいのだろうか。目をあけたら、首が転がっているのだろうか。
 立ったまま石のように固まっていると、カラン、と剣が落ちた音がして、すぐに倒れる音も続いた。うめき声まで聞こえて、アランシアは驚いて目をあける。
 床に倒れた自分の夫に、慌てて駆け寄った。
「殿下!?」
 すぐ近くに転がる女の首と体を見ないようにしながら、ゼイヴァルの体を抱える。
「殿下、殿下!」
 呼びかけに答えないゼイヴァルの頬を、バシバシと叩くと、彼は顔をしかめて唸り声をあげた。
「……痛いよ」
「何を呑気な事を! 起きあがれる? 無理なら外にいる兵士に医師を呼びに行かせるわ」
「医師は、いらない。……だから、ちょっとそばにいてくれないかな?……苦しいんだ」
 か細い声で言われて、涙が溢れてくる。彼の手を両手でしっかりと握りしめた。
「そばにいるわ。でも医師だけ呼びに行かせて」
 このままではゼイヴァルが死んでしまう。上等な服の腹部には大きな黒い染みが滲んでいた。
「駄目だよ。平気だから。そばにいて」
 ゼイヴァルは立ち上がろうとするアランシアの手を掴んでそう言う。ぽたぽたと流す涙が、彼の頬にとめどなく落ちていく。
「死んでは嫌よ」
「死なないよ」
 彼は儚く笑って、目を閉じる。
「……キスをして?」
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