33 / 38
七 狂気の理由
四
しおりを挟む
「……あの女、失敗したのか」
ギギ、と薄汚れた石の床に爪を立てて悔しがる。まさか、ローテスに指示をしたのはこの人物か。
牢屋にいる人物──話し口調からして女──を、ゼイヴァルは睨みつける。
「なぜローテスを殺した」
「サプライズだよ。生き延びた幸運なお妃様の為に特別に用意したの」
それだけのためにローテスを殺したというのか。部屋の前に飾りつけ、絶叫を誘いたかったからか。
「だいたいここの看守も甘いね。こんなあたしでも籠絡できるんだからね。まだまだ捨てたもんじゃない」
そんな事より、と言葉を続ける女の声が、不気味な程低くなった。
「あの子をどこにやったの」
「さあ。心当たりがないね」
ゼイヴァルがそう返した途端、うずくまっていた固まりが一気に立ち上がって鉄格子を掴んだ。
「ふざけんじゃないよ! あの子をどこにやった! あたしの子! あたしの可愛い子を!」
手入れされていない長髪を振り乱し、目を充血させて睨む形相は、人間ではなく見える。
「返せ! 返せ返せ返せ! チェティットを返せ!」
──チェティット?
確か、前に庭で会った子供の事を、ゼイヴァルがそう呼んでいたはずだ。
訳が分からず隣にいるゼイヴァルに聞こうと彼の腕を引いた──刹那、鉄格子の扉を開けて出た女が鋭い刃物を手に持ってゼイヴァルに向かってきていた。
「っ!」
女の手に持つ短刀が深々と彼の体に刺さるのを見て、アランシアは声も出せずに固まった。
牢屋の鍵はきちんと施錠されていないのは何故か。短刀はどうやって手に入れたのか。籠絡して牢屋を抜け出せるならそれらを準備している事だって可能なはず。──女は、万全の準備をしてゼイヴァルが来るのを待っていたのだ。
動揺とは裏腹に、頭は冷静に分析していく。
ゼイヴァルは刺された痛みにうめき声を漏らし、腰に下がった剣を鞘から引き抜く。
苦しむゼイヴァルの様子を恍惚した表情で見る女に向けて一気に振り下ろす。
女の顔色は一瞬で変わった。まさか動けるとは思っていなかったのだろう。
自分の首めがけて容赦なく振り下ろされる刃に──
「目を閉じていろ!」
鋭い声に思わずアランシアは目を閉じた。
視界が遮られて、やけに明瞭に、何かが床に落ちた音が耳にこだます。恐らくは、女の首。そして次に、首を失った体が倒れる音。
いつ目をあけてもいいのだろうか。目をあけたら、首が転がっているのだろうか。
立ったまま石のように固まっていると、カラン、と剣が落ちた音がして、すぐに倒れる音も続いた。うめき声まで聞こえて、アランシアは驚いて目をあける。
床に倒れた自分の夫に、慌てて駆け寄った。
「殿下!?」
すぐ近くに転がる女の首と体を見ないようにしながら、ゼイヴァルの体を抱える。
「殿下、殿下!」
呼びかけに答えないゼイヴァルの頬を、バシバシと叩くと、彼は顔をしかめて唸り声をあげた。
「……痛いよ」
「何を呑気な事を! 起きあがれる? 無理なら外にいる兵士に医師を呼びに行かせるわ」
「医師は、いらない。……だから、ちょっとそばにいてくれないかな?……苦しいんだ」
か細い声で言われて、涙が溢れてくる。彼の手を両手でしっかりと握りしめた。
「そばにいるわ。でも医師だけ呼びに行かせて」
このままではゼイヴァルが死んでしまう。上等な服の腹部には大きな黒い染みが滲んでいた。
「駄目だよ。平気だから。そばにいて」
ゼイヴァルは立ち上がろうとするアランシアの手を掴んでそう言う。ぽたぽたと流す涙が、彼の頬にとめどなく落ちていく。
「死んでは嫌よ」
「死なないよ」
彼は儚く笑って、目を閉じる。
「……キスをして?」
ギギ、と薄汚れた石の床に爪を立てて悔しがる。まさか、ローテスに指示をしたのはこの人物か。
牢屋にいる人物──話し口調からして女──を、ゼイヴァルは睨みつける。
「なぜローテスを殺した」
「サプライズだよ。生き延びた幸運なお妃様の為に特別に用意したの」
それだけのためにローテスを殺したというのか。部屋の前に飾りつけ、絶叫を誘いたかったからか。
「だいたいここの看守も甘いね。こんなあたしでも籠絡できるんだからね。まだまだ捨てたもんじゃない」
そんな事より、と言葉を続ける女の声が、不気味な程低くなった。
「あの子をどこにやったの」
「さあ。心当たりがないね」
ゼイヴァルがそう返した途端、うずくまっていた固まりが一気に立ち上がって鉄格子を掴んだ。
「ふざけんじゃないよ! あの子をどこにやった! あたしの子! あたしの可愛い子を!」
手入れされていない長髪を振り乱し、目を充血させて睨む形相は、人間ではなく見える。
「返せ! 返せ返せ返せ! チェティットを返せ!」
──チェティット?
確か、前に庭で会った子供の事を、ゼイヴァルがそう呼んでいたはずだ。
訳が分からず隣にいるゼイヴァルに聞こうと彼の腕を引いた──刹那、鉄格子の扉を開けて出た女が鋭い刃物を手に持ってゼイヴァルに向かってきていた。
「っ!」
女の手に持つ短刀が深々と彼の体に刺さるのを見て、アランシアは声も出せずに固まった。
牢屋の鍵はきちんと施錠されていないのは何故か。短刀はどうやって手に入れたのか。籠絡して牢屋を抜け出せるならそれらを準備している事だって可能なはず。──女は、万全の準備をしてゼイヴァルが来るのを待っていたのだ。
動揺とは裏腹に、頭は冷静に分析していく。
ゼイヴァルは刺された痛みにうめき声を漏らし、腰に下がった剣を鞘から引き抜く。
苦しむゼイヴァルの様子を恍惚した表情で見る女に向けて一気に振り下ろす。
女の顔色は一瞬で変わった。まさか動けるとは思っていなかったのだろう。
自分の首めがけて容赦なく振り下ろされる刃に──
「目を閉じていろ!」
鋭い声に思わずアランシアは目を閉じた。
視界が遮られて、やけに明瞭に、何かが床に落ちた音が耳にこだます。恐らくは、女の首。そして次に、首を失った体が倒れる音。
いつ目をあけてもいいのだろうか。目をあけたら、首が転がっているのだろうか。
立ったまま石のように固まっていると、カラン、と剣が落ちた音がして、すぐに倒れる音も続いた。うめき声まで聞こえて、アランシアは驚いて目をあける。
床に倒れた自分の夫に、慌てて駆け寄った。
「殿下!?」
すぐ近くに転がる女の首と体を見ないようにしながら、ゼイヴァルの体を抱える。
「殿下、殿下!」
呼びかけに答えないゼイヴァルの頬を、バシバシと叩くと、彼は顔をしかめて唸り声をあげた。
「……痛いよ」
「何を呑気な事を! 起きあがれる? 無理なら外にいる兵士に医師を呼びに行かせるわ」
「医師は、いらない。……だから、ちょっとそばにいてくれないかな?……苦しいんだ」
か細い声で言われて、涙が溢れてくる。彼の手を両手でしっかりと握りしめた。
「そばにいるわ。でも医師だけ呼びに行かせて」
このままではゼイヴァルが死んでしまう。上等な服の腹部には大きな黒い染みが滲んでいた。
「駄目だよ。平気だから。そばにいて」
ゼイヴァルは立ち上がろうとするアランシアの手を掴んでそう言う。ぽたぽたと流す涙が、彼の頬にとめどなく落ちていく。
「死んでは嫌よ」
「死なないよ」
彼は儚く笑って、目を閉じる。
「……キスをして?」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜
美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる