時の記憶

知る人ぞ知る

文字の大きさ
上 下
11 / 88

11

しおりを挟む
昔は、”消えたくないから願いを叶えよう”と思った。

けれど今は、自分が死んだら、土砂は再び崩れだし、村を襲う。

それを恐ろしく感じ、”生きねばならない”と思うようになった。


そう、俺は死んではならない。


なんとしてでも生き延びて、この村を守る。

その決意が、今まさに消えかけている俺を生かしているのだと思う。


(……いいや、忘れてはいけないな)


男の脳裏には一人の女性の顔が浮かんでいた。

毎日毎日、村からここまでの距離を一人で来る白髪頭の女性。

『いつもありがとう』と祠に向かって言ってくれる、不思議な女性だ。

そして、俺の姿を見た初めての人間でもある。


彼女はいつものようにやってきては、祠に手を合わせる。

俺は何気なくその時、賽銭箱の上に座り込んだのだが、女性は物音に気づいたのか、目を開けた。

そして、がっちりと視線がぶつかった。


俺は驚きのあまり言葉を失ったが、女性は目が合うと、呟いた。


「最期に、貴方に会えてよかったわ。私にとっても、あの子にとっても」


そういって、くしゃくしゃに笑った顔を、俺は生涯忘れることはないだろう。


きっと彼女は、もう長くない。

神と呼ばれる者の姿を見れるのは、大半がまだ幼い子供と、歳を重ねた高齢者だ。

そしてその高齢者のほとんどは・・・

その続きのが浮かんだものの、ゴクリと言葉を飲み込んだ。


脳裏に浮かんだ映像をかき消したとき、遠くから心配そうな声が聞こえた。


「---い、おい!生きてるか!!」

「ん・・・あぁ」

声に引き寄せられ、現実へ戻って返事をすれば、八咫烏は安堵のため息をついた。


「良かった・・・いくら声をかけても動かなかったから、ポックリ逝っちまったのかと」

その言葉に小さく笑いながら男は言う。

「少し、昔の事を思いだしていたんだ……」

男は八咫烏の翼に体を預ける。

頭上から、おっ、と驚いた声が聞こえたが、八咫烏が男を退かす事はなかった。


「昔のお前はやんちゃだったよな~願いを叶えず遊び呆けて死にかけてたりさ。俺は、今のお前の方が好きだけど」

さらりとそんな事を恥ずかしげもなく言うものだから、男は小さく笑った。

すると、笑われたことに気が付いたのか、八咫烏はふてくされてしまった。

「・・・なんだよ」

「なんでもない」


二人はしばらく黙った後、同時に笑った。


冷たくも穏やかな風が過ぎてゆく。

その風に乗って聴こえてきた音に、八咫烏は首を素早く動かした。


「なぁ、鈴の音が聞こえないか?」


八咫烏の言葉で、男も耳をすます。

けれど男の耳に鈴の音は届かなかった。


「気のせいじゃないか?」

「鳥は人間と同じくらいの聴覚があるぞ?」

「・・・・・・」


男はもう一度注意深く耳をすました。

すると、確かに聴こえてきた。



リン、リン、リン、



その音は速いリズムを刻んで、どんどんこちらに近づいてくるのが分かった。


「鈴をつけた人間がこっちに向かってきてる!なぁ!土砂事件以降の新たな人間だっ!」

羽をバタつかせ、様子を見てくる!と飛んでいってしまった彼の羽ばたきの音と風を感じながら、男は呟いた。


「これが、最後の願いになるだろう」

その呟きは誰に届くこともなく、宙へと消えた。
しおりを挟む

処理中です...