俺様エリートは独占欲全開で愛と快楽に溺れさせる

春宮ともみ

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本編・第二部

59

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「お嬢ちゃん。さとっちゃんのこと、裏切らないでくれな」
「っ」

 そう口にしたマスターの目が、とても痛ましげに細められている。想像もしていない言葉が投げかけられ、思わず呼吸が止まった。

「あいつは、あんな見かけだが人一倍繊細で、人一倍傷つきやすい」

 ふぅ、と、マスターが長くため息ついた。その様子を眺め、手元のコーヒーカップに視線を落とす。

 智さんを……裏切りたく、ない。やっと前を向けた私たちは、もう二度と。お互いに、あんな思いはしたくない、と思っているはずだから。

「……私も、智さんと同じですから」

 目の前のコーヒーカップを両手でぎゅっと包み込んで、ゆっくりと。私の心の中にある、偽らざる感情を吐き出していく。

「何も言わず、何も聞かず。ただ同じ時間を共にし、話を聞いてくれる、話を聞かせてくれるだけの時間が……どれだけ尊いことか。私の傷痕を癒してくれたのは、智さんです。……だから、私は、智さんを裏切りはしません」

 マスターの……琥珀色の瞳と、視線が交差する。

(……やっぱり、どこかで)


 どこかで、見たことのある瞳。どこだろう。誰なのだろう。思い出せない。


「そうか。知香ちゃんも、さとっちゃんと同じなのか」

 私の言葉に、マスターがふっと淋しそうな笑みを浮かべた。そうしてまたマスターが小さくため息をついていく。

 「お嬢ちゃん」、ではなく……「知香ちゃん」、と名前を呼ばれた。私はマスターのお眼鏡に叶った……ということなのだろうか。

「……俺の妹が、さとっちゃんと同じ状況に置かれたことがあってな」

 ざぁっと水の流れる音がして、マスターが先ほど淹れるのに使っていた道具を洗っていく。

「妹は、結局、破綻しちまったんだ。あいつは……ふたつの大きな傷を負った」

 私と、智さんが迎えたかもしれない結末。あのクリスマスイブの日、私が、智さんが、お互いに会いたいと願って一歩を踏み出さなければ。私たちも、おそらく同じ……破綻という結末を迎えた。それを考えると、身震いがするほどだ。

 今はもう、智さんが隣にいない日々なんて考えたくない。

「だから、俺はさとっちゃんに妹を重ねた。お目当ての女の子見つけた、って連絡貰った時にな。妹みたいにならなきゃいい、と思ってたが……その心配は、無さそうだな?」

 手元の洗い物を終えたマスターと視線が重なる。そして、彼は次の瞬間、明るく破顔した。

「まぁ、妹は最後の男にフラれた翌日『私は兄さんと同じようにペガサスでいたいの』なんてケロッとしてたがな」
「……ペガサス」

 私の声に「そう」とマスターが呟いた。そうして、今度は智さんが口付けたコーヒーカップを手元に引き寄せて洗い出す。

「俺も若いころはペガサスみたく海外を飛び回って好きなことばかりやってた。念願の喫茶店を15年前に開いて、こうして独身貴族ながらも充実した生活を送ってる」

 ふたたび洗い物を終えたマスターが、琥珀色の瞳に優しさを灯しながら私に視線を合わせてくれた。

「さとっちゃんと喧嘩したらここにおいで、知香ちゃん。いつでも愚痴聞いてやる」
「……ふふっ、ありがとうございます」

 マスターの優しさが胸に染みた。少しばかりぬるくなったコーヒーを口に含む。


 智さんのご家族も、マスターの向ける視線も。愛に溢れていて。これもきっと、智さんの人徳のなせるわざだろう。……私は、本当に。いい人に、出会えたんだ、と実感する。


 マスターが豆を計量器に入れて袋詰めしている。さっき智さんが注文していた分だろうか。その透明な袋に几帳面そうな字で『ケニア』と記入をしている。

 それからマスターとは他愛もない話で盛り上がった。このお店は、こうやって個人客に提供しているだけでなく、近辺のレストランなどにも卸しているそうだ。ここは通常の焙煎店よりも深めのフルシティロースト、フレンチロースト、場合によってはイタリアンローストまで取り扱っていて、コアなお客さんが多いらしい。

 ふと、以前智さんとお付き合いする前に連れて行ってもらったレストランが思い浮かんだ。するとマスターは私の考えを読んだかのように口の端をにっとつり上げて答えてくれた。

「うん、あいつには具体的な卸し先は一度も伝えてないけど、たぶんアタリ。あいつはが異様に利きやがるから、何軒かは探し当ててるはずだ。あいつは、本当に食品の営業をするために生まれてきたんだろうよ」


 思った通りの回答が返ってきて驚きで息をつくと、入り口のベルが軽い音を立てて誰かが入店したことを知らせる。


 智さんが買い物から帰ってきたのだろうかと考えつつ、ふい、と出入り口に視線を向けるが、そこに立っていたのは全くの別人。思わず落胆して肩を小さく落とした。

 その男性と一瞬視線がかち合って、お互いに小さく会釈をした。彼は鼻の上まで黒いマフラーで隠していて、見えているのは目と明るめの髪。視線が絡まった彼の瞳は日本人離れした……緑が強いヘーゼル色。その瞳が親しげに細められている。次の瞬間、すんっとその人が鼻を啜った。

「おおっ、このアロマはケニア? マスター、俺もおんなじの」
「ん~、了解」

 その言葉から察するに、彼は常連さんなのだろう。それだけ伝えると、その男性が私の隣を一つ空けてその横に座った。ふわり、と、マフラーを外して私の隣の席に置く。ちらりと横目で彼を観察する。すっとした高い鼻が映えていて、どことなくハーフっぽい雰囲気だ。

「マスター、こないだの件、明後日から誘われてた方の会社に勤めることになった」
「おぉ~そうかい。親戚の会社だっけ」
「ん、親戚が役員してるとこね」

 隣に座った男性は楽しそうな雰囲気のままそう言葉を紡いで、手持ち無沙汰にカウンターのブロックカレンダーをくるくると弄んでいく。

 コーヒーミルの音がして、コーヒー豆の良い香りが鼻腔をくすぐっていく。ケトルがコポコポと良い音を立てた。

(……智さん、まだかな)

 なんとなく、重たいように思える沈黙が続いて私は居心地が悪い。マスターと打ち解けたとはいえ、初めてのお店で、知らない人と一緒だから。

「……マスター。俺、また頑張れるかなぁ」

 ぽつり、と、隣の男性が呟いた。

「頑張っても頑張っても評価されなくて、俺のやり方は先鋭的すぎるって叩かれて。俺には向いてないってしこたま殴られてさ……今まで築いてきた地位も自信もすべて砕かれて」

 この人は、きっと人生の挫折を経験したばかりのひとなんだろう。自分を否定されて、世界から置いてきぼりにされたような気持ちになって。自信を持って築き上げたものを失い、どうしようもなく、不安なのだろう。向いていない、お前にはできない。そうやって否定をされて、自分自身を見失って。



 ―――その姿が、数ヶ月前の私と智さんに被った。



「大丈夫ですよ、きっと。また、ゼロから頑張ればいいんです」


 気がついた時には、思わず声をかけてしまっていた。



 傷ついて、傷つけられて。どうしようもなく、苦しくて。



 けれど、またゼロからやり直すことだってできる。私が、ゼロからまた頑張ることができたように。



「人生って、何度だってやり直せるんですもの」



 そう。人生は何度だってやり直せる。だから、凌牙はあのメッセージカードを私にくれたのだと思う。ブラジルで、ゼロからやり直してくる、と……そういう、強いメッセージを。

「……ふっ」

 私の言葉を聞き届けたマスターが優し気に微笑んだ。

「そうだな、俺もそう思うよ。何度だってやり直せるんだから。俺だって何度やり直したことか。間違ったら、知香ちゃんの言う通りまたゼロから頑張ったらいい」

 隣の男性が、驚きであんぐりと口を開けているのがわかって、私は余計なことをしたかな、と恥ずかしくなった。かぁっと頬が熱を持つ。

「………す、みません。出過ぎた真似を……」

 居た堪れなさから思わずぺこりと頭を下げた。事情も深く知らないのに、口出ししすぎただろうか、と後悔が込み上げて彼からそっと視線を外す。

「………いや。大丈夫。ちょっと…脳天を撃ち抜かれたような……そんな気持ちだったから」

 マスターがそっと、淹れたてのコーヒーをその男性の前に置いた。ふわり、と、また、ダークチェリーの香りが漂った。

「えっと、本当に……事情も知らないのに、申し訳ない……」
「いや、いいって」

 明るい色の髪と同じ色の眉が困ったように下げられ……隣の男性が穏やかに笑った、次の瞬間。ふっと、その顔が面白そうな目付きに変わった。私の隣に置いていたマフラーを手に取って、ずいっと私の隣の席に移っていく。

「正直に言おう。君に興味が湧いた」
「……は?」

 私とマスターの、間抜けな声が被った。

 ぐっと、その男性が私を見据えて。ヘーゼル色の瞳が、私を貫いた。

 獲物を狙っているようで。けれど、何を考えているかわからない、何とも言えない瞳。目の前の人の目は、ぐっと目尻が吊り上がっているから、まるで……蛇のような。私を見つめる目は、まるで品定めをするような目をしている。

 一瞬、息を飲んで後ずさった。

 私の怯えたような様子に、目の前の男性がふっと笑う。

「取って喰いやしな~いよ? 君のことが知りたい、それだけ」

 品定めをされていたようなその瞳に優しげな親しみが込められた。なんとも言えない空気感から解放された私は小さく息を漏らす。

「……あの、どういうことですか」
「うん。君が気に入った。君が欲しい。君を手に入れたい」

 思わぬセリフがどストレートにぶつけられた。身体がかっと熱くなる。

(だ、だいたい私のどこが……)

 こういう口の軽い人は、道端でよくナンパでもしているのだろう。完全に頭に血が上っている私は、風評被害も甚だしい思考回路で目の前の男性を心の中で罵倒した。

「……そっ、そんな言い方、きっと他の女性にもされているんでしょう!? そんな人、私はごめんです」

 頭に血が上っているからか、思わず噛んだ。一気に言い終え目の前の男性を睨みつける。その人が、より一層面白そうに、ヘーゼル色の瞳を細めた。

「んん~。参ったなぁ~。全然そんなことな~いよ? 今だって一人でしょ?」

 その瞬間、ぐっと。広い背中が視界を覆った。マスターがいつの間にかカウンターから出て私たちの間に割り込んでいた。

「……マサ、このお嬢ちゃんは俺の大事な常連のツレだ。するなら、いくらマサでも、俺はこの店を守るためにお前を

 マスターの声が低く響いた。客同士の小競り合いなど、店の主であるマスターは見たくない光景だっただろう。本当に……後先考えず感情のままに口走ってしまって。マスターに申し訳ないことをした。

 しばらく無言が続く。そうして、マサと呼ばれた男性が困ったようなため息を吐きながら、静かに元の椅子に戻った。その瞬間、チリチリと軽い音を立てて、ふわり、と、嗅ぎなれた香水の香りが漂った。

「遅くなった……って、どうした?」

 出入り口に視線を向けると、何事か、と、智さんが目を丸くしている様子を視界にとらえた。安心する人が目の前に現れて、胸のつかえが取れるような気がした。

「……あぁ、さとっちゃん。ちゃんが首を長くして待ってたぞ」

 さっきの低い声色から一変して明るい声でマスターが智さんに声をかけた。

「待たせてごめん。帰ろ?」

 するりと智さんが手を伸ばしてくれる。私は心底ほっとして、そっと席を立った。智さんが会計をして、チリチリと扉を開く。

「……知香、ちゃん」

 マスターに、マサ、と呼ばれた男性が、私の名前呼んだ。その声には振り返りたくなくて。聞こえなかったふりをした。そのまま智さんの後ろを歩いて足早に店を後にし扉をパタンと閉める。






「逃がさな~いよ。どんなにマスターに邪魔されても」






 扉を閉め切る瞬間、その一言だけが、耳に届いた。

 ヘーゼル色の蛇のような目。それが、すっと細められる風景が、頭の片隅によぎった。
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